2011年12月31日土曜日

レシピと変なレシピ

ハイドンの「天地創造」で目が覚めた。 目覚しの珈琲のあと、いつもの朝食。 NHK FM が 400 年前のスペイン音楽を四時間半も特集している。 今、スペインが流行しているのだろうか。 朝風呂に入ってから、湯船で 「検索と発見のためのデザイン エクスペリエンスの未来」(P.Morville & J.Callender著/浅野紀予訳/オライリー・ジャパン) を読む。 昼食まで洗濯などの家事。

昼食は春菊とえのき茸とベーコンのスパゲティ。 昼寝のあと、午後は本の整理。今日は主に料理関係の本。 かなりごちゃごちゃに並んでいたのを、 (1)レシピ、(2)変なレシピ、(3)エッセイ、(4)エッセイ以外の文芸作品、の四部門に整理した。 うーむ、しかし、例えば 「亡命ロシア料理」(P.ワイリ & A.ゲニス著/沼野充義・北川和美・守屋愛訳/未知谷) は、レシピ集なのか、変なレシピ集なのか、エッセイなのか、評論なのか。 「フロイトの料理読本」(J.ヒルマン & C.ボーア著/木村定・池村義明訳/青土社) はどこに分類すべきなのか。

夕食はサッポロ一番味噌ラーメン(キャベツ、春菊、大根、卵)。 5 袋パックを買うと、つい間を空けずに繰り返してしまう。いかんなあ。

2011年12月30日金曜日

居間の本の整理

いつも通りに「古楽の楽しみ」を寝床で聴いてから起床。 珈琲で目を覚ましてからいつもの朝食。 朝風呂に入って湯船で 「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士(上)」(S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳/ハヤカワ文庫) を読む。 居間に放置してあったコンピュータ関連分野の書籍のまとめ作業。 昼食は新巻鮭の山漬けの切り身を焼いて、豚汁と御飯。

午後は近所のスーパーに買い物のあと、講演資料作りなどのお仕事。 夕方、知人から荷物が届いた。 野菜とレモンとお餅が段ボール箱一杯。ありがたや。 とりあえず食料さえあれば大丈夫、と言う安心感は馬鹿にできない。 西の空に手を合わせておく。 夕食はカレーライス、キャベツの千切り炒め添え。食後に果物とヨーグルト。

居間の本棚やあちこちに置いてあった、 つまり、またすぐ手に取るだろうと思って書庫に納めていなかった、 コンピュータ関連分野書籍。 これを見えないところに片付けたとしても、 居間の様子がその前と全く同じにしか見えないのが謎。

2011年12月29日木曜日

MBA

いつもの朝食のあと、海苔鮭弁当を作って出勤。 昼休みに料理本の古書店で、 「SPÉCIALITÉS特別編集号 エル・ブジ コレクション」(柴田書店) を買った。 珈琲豆の仕入れついでに、珈琲を一服しながら「エル・ブジ コレクション」を眺める。 夕方、退社。 今月末で期限切れになる割引券があったので、近所の中華料理屋で夕食。

夜は、 買っておいた LEGO MBA kit1 #20220 (対象年齢 8-12 歳)を作ったり。 "MBA" は "Master Builder Academy" の略で、 比較的簡単なモデルでレゴの基本テクニックを学ぶシリーズ。 kit1 はその全 6 キットの内の一つめで、 小さな宇宙船とかロケットみたいなものが作れる。

2011年12月28日水曜日

カップル感知センサ

いつもの朝食のあと出勤。 昼食は自作の海苔鮭弁当。 夕方退社して、近所で勉強会とそのあとの会食。

近所の遊園地ではシーズンになると、 観覧車の真下の抜け道のようなトンネル状の通りをライトアップする。 今年はさらに、入口のあたりに手をつないだカップルが立つと、 それを感知して照明の色が変わったりする仕組みを導入している。 普段はそのカップル渋滞を横目で見つつ、 「リア充の腑抜けどもめが、悲しみの愛を見せてみろ。がっでむ」 などと思いながら舌打ちしてスルーしていたのだが、 ふと、どんなセンサになっているのだろう、と興味がわいた。 そこで、一人所定の位置に立って、センサが設置されているはずのあたりを観察してみると、 なんと Xbox 360 Kinect がそのままセットされていた。 うーむ、こういう風に商用利用してよいのか。 随分と手軽なソリューションだが、 スイスアーミーの十徳ナイフを栓抜き専用に使っているような、変な感じ。

2011年12月27日火曜日

エル・ブリの秘密

昨日観た「エル・ブリの秘密」(G.ヴェツェル監督) は非常に淡々としたドキュメンタリ映画だったが、色々と勉強になった。 (しかし、娯楽性はゼロなので、 一般的にはお薦めしない。) 開発期間から始まってメニュが出来上がっていく様子を、 カメラが丁寧に追っていくだけで、解説や修飾はほとんどない。 せいぜい環境音楽のような BGM がたまに入るくらい。

「エル・ブリ」は休業中の半年にメニュを作り上げて、 営業開始と同時に完成品を披露するのだとばかり思っていたが、実際はちょっと違う。 休業中の半年は、 数名の主要メンバでの膨大な実験データ収集とアイデア出しの試行錯誤が主で、 ほとんど医薬品か工業製品の研究開発みたい。 そのあと営業開始直前にデータを持ってバルセロナから実店舗に移動して、 数十名のスタッフを集め、教育し、メニュ作りが始まる。 実際、スタッフを集めた最初のミーティングで、 フェランが「メニュについて訊いてくれるな。なぜなら、まだ誰も何も知らないんだから」 と言う。 そして営業を開始してもまだ変更や調整が続く。言わば「ベータ版」というところで、 結局、メニュが完成して写真撮影をするのはシーズンのずっと後の方。 個人的にぐっと来たのは、 壁にいくつも並べた発泡スチロールの板みたいなところに、 メニュのアイデアとその「星」を書いた紙をピンでずらっと貼り出してあるシーンとか、 試作担当者と主任シェフの二人がコンピュータ内のデータをなくしてフェランが怒る場面とか、 もう営業が始まったあとにフェランがキッチン内のテーブルで同じメニュを食べながら、 鉛筆でノートにメモをとり、シェフたちに細かい指示を出しているところとか。

昨夜遅かったのでちょっと寝坊。 ローズマリィの卵焼きが美味しい、という話を聞いたので、 我流にアレンジして作ってみる。 冷たい生ハムを敷いた上に、バター多めのローズマリィのミニオムレツのせ。 予想よりはずっと美味しかったが、普通のオムレツの方がよいのでは…… という気も。朝食のあと出勤。 お弁当を作る暇がなかったので、昼食は近所の中華料理屋にて。 午後は TK 大へ。 スーパーコンピュータによる数値計算系の学位論文発表を聴くため。 すずかけ台キャンパスは初めてだ。あまりに遠い。 夕方に終了して直帰。 帰宅が遅くなったので、夕食は手間のかからないもので……サッポロ一番味噌ラーメン。 具はキャベツ、人参、若布、豚肉、卵、バター。 夜は 「夜間飛行」(サン=テグジュペリ著/堀口大學訳/新潮文庫) を読んだり。

2011年12月26日月曜日

「エル・ブリ」の一日

ちょっと寝坊。窓を開けて居間の空気を入れ替える。 いつもの朝食のあと、海苔鮭弁当を作って出勤。

昼休みに料理関係の古書店で、 「エル・ブジ 至極のレシピ集」(F.アドリア監修/渡辺万里文/日本文芸社) を買った。 最近では「エル・ブリ」と発音されることが多い "El Bulli" のフェラン・アドリア監修のレシピ集。 普通の人でも料理が可能なくらいにアレンジされていて、 さらに日本でも簡単に作れるようにリライトされている。 なかなか楽しそうだ。 ところで、この本の最後に「エル・ブリ」を訪ねたい読者のためのガイドが書かれていた。 十年以上前の情報だが、 ご予算の目安はなんと一万六千ペセタ(当時の為替で約一万一千円)。 これよりもずっとお高いコース料理を出す、 (特にどうってことのない)レストランは日本にいくらでもある。 「エル・ブリ」は一年のうち半年程度のシーズンしか店を開けず、 45 の客席に対して常にスタッフが 35 人以上いた。 世界最高と言われたレストランでこの値段である。 そりゃあ閉店に追い込まれるだろうとも思うが、 一方で日本の言わゆる高級レストランに行く機会があれば (私にそんな機会は滅多にないが)、 華麗な値段が書かれたメニュを見て、 「でもエル・ブリですら一万円ちょっとなんだよ」と思わずにいられないだろうとも思う。

夕方退社して、銀座へ。 軽食をとってから、夜は映画 「エル・ブリの秘密」 を観る。 最近、独創性とかイノヴェイションとかについて考えることが多いので、 何かヒントになるかなと思ってかなり前からスケジュールしていた。 この映画では、「未来の巨匠割引」という企画をしていて、 ものづくりのプロやクリエイターを目指して勉強中や修行中の人は当日千円に割引される(劇場により)。 私も窓口で、 「私は修行中の身ですが、数学者でプログラマで翻訳家です。 遠くない未来に世界を変えます。だから割引して下さい」 と言ってみようと思わないでもなかったが、 名刺も学生証も持っていないためただの自己申告になってしまうので、 遠慮せざるを得なかった。

そんなこんなで、今日は「エル・ブリ」の一日。

2011年12月25日日曜日

無神論者のクリスマス

目覚しの珈琲のあと、朝食に生ハムのスパゲティとチーズオムレツを作る。 朝風呂に入って、湯船で 「ミレニアム2 火と戯れる女(下)」(S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・山田美明訳/ハヤカワ文庫) を読む。読了。 第3部を読まざるを得ないような終わり方。 昼食は、もつ煮込みカレーライス。 午後は洗濯、掃除機がけなどの家事をしてから、 夕暮れまで 「夜間飛行」(サン=テグジュペリ著/堀口大學訳/新潮文庫) を読む。 夕食はピエンロー。あとは雑炊。 湯船で 「マーケットのブラック・スワン」(K.A.ポズナー著/鈴木立哉訳/実務教育出版) からモンテカルロ・モデルについての議論の箇所を読む。

新刊書の宣伝と言ってしまえばそれまでだが、 A. de Botton の "The Gurdian" 紙への寄稿 "An atheist at Christmas: Oh come all ye faithless" にちょっと笑って、ちょっと考えさせられた。 この温厚さと常識人ぶりが高い知性を覆っているところが、 彼の美点でもあり、結局のところ凡庸さでもある。 とは言え、ド・ボトン好きなので買っちゃうだろうなあ。

2011年12月24日土曜日

マイクルの白菜

ちょっと寝坊。 いつもの朝食のあと朝風呂に入って湯船で 「グーグル ネット覇者の真実」(S.レヴィ著/仲達志・池村千秋訳/阪急コミュニケーションズ) を読む。 昼まで少しプレゼン用資料作りのお仕事。 昼食はタイ風炒めものかけ御飯、七味蒟蒻、昆布の佃煮、長葱と麩の味噌汁。

午後も「グーグル」を読む。読了。 最近、グーグルについて考えることが多いので、まとめ本として役に立った。 夕食はメインに新巻鮭の切り身を焼き、他に、 伊丹十三の「マイクルのキャベツ」を白菜版にアレンジした白菜と大蒜の塩炒め、 浅葱と切干し大根の味噌汁、御飯。

お風呂に入ってから、夜は 「ミレニアム2 火と戯れる女(下)」(S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・山田美明訳/ハヤカワ文庫) を読んだり、 "The Nero Wolfe Cookbook" (R.Stout 著/ Cumberland House) をぺらぺらと眺めたり。

2011年12月23日金曜日

グーグルの真実

ちょっと寝坊。今年一番の冷え込みらしいが、それほどでもない。 この冬はほとんど暖房を使わなくても過せそう。PC の排熱のおかげかも。 GPU ってあったかい……。 珈琲、トースト、目玉焼き、生ハム、春菊の炒めもの、果物の朝食。 朝風呂に入って、 「グーグル ネット覇者の真実」(S.レヴィ著/仲達志・池村千秋訳/阪急コミュニケーションズ) を読む。 グーグルって、つくづく奇妙な会社だ。 こういう人たちが会社を作ろうとするなんて、 ほんのちょっと昔までありえなかっただろう。

昼食はしめじとパンチェッタのアーリオオーリオ。 午後は「グーグル」や「ミレニアム2」下巻を読んだり、 昔書いたプレプリントを眺めたり。 一月下旬にある研究会での発表のためのおさらい。 昔やった計算で詳しく話したことがなかったものを、 一回分で講演しようと思って。

夕食は御飯を炊いてだしを引き、残りもののあれこれ。 小松菜のおひたし、もつ煮込み、七味蒟蒻、切干し大根と麩の味噌汁。 夜も午後と同じように過す。

2011年12月22日木曜日

ゴルトベルク変奏曲

昨夜は会食のあとベルギービール屋にはしごして、 けっこう食べ過ぎたので、 朝食は珈琲と果物とヨーグルトだけ。 出勤。昼食は近所の中華料理屋にて。 午後は定例の全社ミーティング、 は中止されてその代わりに重要発表と説明会。 昨夜、老頭児会食での情報交換と予測で 「きっとこうなってこうなるから、それを待つ一手」 という結論だったのだが、実際 24 時間待つ必要もなかった。 映画「スニーカーズ」でも確か、情報を制するものが世界を制する、と言っていたっけ。 夕方退社して、途中で軽食をとり、錦糸町へ向かう。

夜は錦糸町のコンサートホールにてピアノを聴く。 友人にチケットを譲ってもらったので。 ブラームスの六つの小品、バッハのゴルトベルク変奏曲。

2011年12月21日水曜日

老頭児

朝がかなり寒くなってきた。 猫がいつになく懐いてくるので、やむをえず少し暖房を入れる。 珈琲、トーストにバタ、目玉焼き、春菊炒め、生ハム、ヨーグルトと林檎。 お弁当を作って出勤。 昼食は持参のお弁当。豚肉と白菜と赤ピーマンとしめじのタイ風炒めものかけ御飯。 新刊書店で 「Puzzles for Hackers: スクリプトキディから大人のハッカーへ」(I.スクリャロフ著/鷹跣搗汯訳/翔泳社) を買う。

夕方退社して、近所のホテルの中華料理屋にて、老頭児、 いや失敬、ヴェテラン組三人でこじんまりと会食。

2011年12月20日火曜日

ピンクペッパー

いつもの朝食のあと、 昨日と同じタイ風炒めものかけ御飯のお弁当を作って出勤。 今日も python プログラミングをしたり、 「アジャイルサムライ」(J.Rasmusson 著/近藤修平・角掛拓未訳/オーム社)を読んだり、 社内コンサルティングと言うよりほぼ雑談をしたりして、 夕方退社。 かなり寒くなってきた。 丁度、東京出張に来て今から帰るところの知り合いから連絡があり、 帰り道の途中の駅で待ち合わせ。 野生のピンクペッパーを旅行土産にいただいた。 うーむ、週末の世間はクリスマスらしいし、一人寂しく肉でも焼くとしようか。

帰宅。土鍋に干し椎茸を入れてから、 お風呂に入って湯船の読書は 「グーグル ネット覇者の真実」(S.レヴィ著/仲達志・池村千秋訳/阪急コミュニケーションズ)。 夕食はピェンロー。白菜が美味しい。 あとは塩だけで味つけして饂飩。

2011年12月19日月曜日

イン・ザ・プレックス

いつもの朝食のあと、お弁当を作って出勤。 昼食は持参のタイ風弁当。 つまり、豚肉と玉葱と赤ピーマンとさやえんどう炒めかけ御飯。 休憩時間に新刊書店で 「グーグル ネット覇者の真実」(S.レヴィ著/仲達志・池村千秋訳/阪急コミュニケーションズ)、 「アジャイルサムライ」(J.Rasmusson 著/近藤修平・角掛拓未訳/オーム社) を買った。 半分趣味みたいな python プログラミングで暮らして、夕方退社。

帰宅して夕食の支度。 夕食はもつ煮込み、春菊のおひたし、タイ屋台風スープ、御飯。 食後に蜜柑を一つ。 お風呂に入って、湯船で 「グーグル ネット覇者の真実」を読む。

2011年12月18日日曜日

柚子の馬鹿

珈琲とピザトーストと果物の朝食。 洗濯をしてから、朝風呂に入る。 昼食は、昨日買ったパンチェッタを使ってカルボナーラ。 やはり味が全然違う。 これくらいのささやかな贅沢は許されるだろう。 私の清く貧しく質素な生活にも彩は必要だ。 また二時間の昼寝のあと、 午後も掃除機がけなどの家事の他、読書など。 「ミレニアム2 火と戯れる女(上)」(S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・山田美明訳/ハヤカワ文庫)、 読了。下巻に入った。

夕方、近所のスーパーで食材の調達。 清く貧しく質素な生活にささやかな彩を加えるために、 一個 200 円近い柚子の前で悩む。 私は基本的に徳島の酢橘派なのだが、柚子の方が安いし、 柚子だって悪くはない。 なにせ、フェラン・アドリアのおかげで、今や世界の "Yuzu" だ。 それに、「桃栗三年、柿八年、柚子の大馬鹿十八年」と言うように、 柚子は成長が遅いことで有名な柑橘類で、 そういうところに私的な共感がわかないでもない。 気付かれない程度でもちょっとずつちょっとずつ成長していると、 十八年くらい経って、ちょこっと鍋料理の片隅の引き立て役くらいにはなれるかも知れない。 それでも「酢橘は高かったから」とか、言われちゃうのかも知れないけれども。

結局、浅草十二階から飛び降りるくらい思い切って柚子に散財。 柚子ベースでポン酢醤油を仕込んでから、鶏の水炊きにする。 鍋のあとは雑炊。 食後に林檎を一つ。

2011年12月17日土曜日

代官山でアンチョビを買う

今朝も良い天気。気温はぐっと下がって冬らしい。 ようやく風邪が完全に抜けたような気がする。 いつもの朝食のあと、朝風呂に入って、湯船で読書。 「ディアローグ」(G.ドゥルーズ&C.パルネ著/江川隆男・増田靖彦訳/河出文庫) 。 意外と刺激的で面白い。 昼食は御飯を炊いて、鶏手羽の肉じゃが、 鶏肝の生姜煮、白菜の漬物、長葱とさやえんどうの味噌汁。 昼食のあとちょっと寝台に横になったら、二時間以上寝てしまった。 午後は、 「ミレニアム2 火と戯れる女(上)」(S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・山田美明訳/ハヤカワ文庫) を読んだり、 冷蔵庫の食材の残りでもつ煮こみを作ったり。

夕方、家を出て、代官山へ。 イタリア食材屋などの集まった広場。 食材を見て周って少々仕入れをしてから、 同じ場所にあるイタリア料理屋にて会食。

2011年12月16日金曜日

週末の寒波

今日も良い天気。週末は寒波で冷え込むらしいが、 今朝のところはそれほどでもない。 いつもの朝食のあと、出勤。 たまたま夕食が外食続きだと、 お弁当作りもパスになりがち。 夕食の残り作戦が効かないので。 昼食は近所のインド料理屋にて。 今日も圧倒的な女性&外国人比率。

毎週恒例の全体ミーティングのあと退社。風が冷たい。 予報通り、急激に気温が下がっているようだ。 近所で髪を切ってもらう。 その間に、 「ミレニアム2 火と戯れる女(上)」(S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・山田美明訳/ハヤカワ文庫) をかなり読んだ。 帰宅してお風呂に入り、そのあと、 夕食は鶏手羽の肉じゃが、鶏肝の生姜煮、長葱の煮麺など。

2011年12月15日木曜日

寿命とゴット原理

昨夜が遅かったので、少し寝坊。 珈琲で目を覚まして、果物類での朝食。 出勤。 昼食は近所のタイカレー屋にて、チキンカレー。 新刊書店で「ディアローグ」(G.ドゥルーズ&C.パルネ著/江川隆男・増田靖彦訳/河出文庫) を買った。 夕方退社して、某勉強会に参加。 遅くなったので、夕食は近所の中華料理屋で済ませて帰宅。

最近、ものの寿命について考えることが多い。 人間の寿命のようなものについては、 非常に多くのサンプルから分布の形が良く分かっているし、 色んな特別な状況を加味して確度の高い推測ができる。 しかし、 ほとんど何のデータもなく、全く何も仮定できないような場合でも、 ゴット(J.R.Gott III)の原理という統計的推測の方法がある。 ゴット原理によれば、今までどれくらい長持ちしているかさえ分かれば、 あとどれくらい寿命がもつかを推測できる。 使い易い目安を挙げれば、 ものごとは 60 パーセントの確率で、 今まで生き延びた時間の4 分の 1 以上 4 倍以下の時間をこのあとも存続しうる。 例えば、ある会社が現在まで十二年間存続しているとしよう。 あとどれくらい長持ちするだろうか。 ゴット原理によれば、60 パーセントの確率で残りの寿命は、 三年以上、四十八年以下である。

ゴット原理の仕組みは簡単。 寿命の長さは分からないが、 とにかく今この時は、この寿命の長さのどこかにいる。 全く何も分からない以上、寿命全体に一様な確率でいると思っていいだろう。 とすると、寿命全体の最初から 20 パーセントのところから、 80 パーセントのところまでの幅 60 パーセントの間にいる可能性が、 丁度 60 パーセントである。 この区間にいるとすれば、残りの寿命の長さは、 これまでの長さの 4 分の 1 以上、4倍以下ということになる。 ちょっと、簡単な図を書いてみればすぐに納得できるだろう。

2011年12月14日水曜日

まだらの紐

「古楽の楽しみ」でラモーの歌劇を聞きながら起床。 外は雨。 珈琲と果物で一服してから朝風呂に入り、 そのあと本格的にいつもの洋風朝食。 お弁当を詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。 夕方退社して、そのまま旗の台へ。 同僚の K さんと、友人 H さんと会食。 H さんとは確か、K さんの結婚式以来なので随分の久しぶり。 そのあと H さん宅へ。

昨夜、おでんのあとに行ったバーの店名は、 コナン・ドイルのホームズもの短編小説の題名だった。 ミステリのタイトルを店名にしているところは、ありそうであまりない。 有名店では、「深夜プラス1」くらいだろうか。 それはさておき、 ホームズものは多店舗展開するときにもネタ切れしなくていい。 バー「赤毛組合」、 バー「五つのオレンジの種」、 バー「瀕死の探偵」(名物料理は牡蠣尽し)、 スポーツバー「グロリア・スコット号事件」、 シングルズバー「独身の貴族」、 もう一つシングルズバー「花婿失踪事件」など、いくらでも考えられそうだ。 個人的には、自分が何か店でも開くことになったら、 ブラウン神父ものの題名から採りたい。 カフェ「犬のお告げ」とか、 バー「ヒルシュ博士の決闘」とか、 レストラン「奇妙な足音」とか、 パブ「イズレイル・ガウの誉れ」とか、 居酒屋「世の中で一番重い罪」とか、 古書肆「消失五人男」とかね。

2011年12月13日火曜日

おでん

今朝も良い天気だ。 いつもの朝食のあと出勤。 昼食は持参のお弁当。韮レバ炒め御飯。 夕方退社。近所のカフェにて一服して、 「ミレニアム2 火と戯れる女(上)」(S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・山田美明訳/ハヤカワ文庫) を少し読む。 そのまま、銀座に移動。

夜飛ぶ蝶々や、ソロ・グリス・デ・ラ・ノーチェ、すなわち夜の銀狐たちをかきわけて、某おでん屋へ。 (何かと昭和歌謡を織り交ぜてしまう、それが年寄の証拠。) ネットワーク・ハッカーの N 氏と会食。 まだ病み上がりなので、アルコールは控えめにしておく。

2011年12月12日月曜日

球面幾何学

冬らしい空気の冷たさだ。 いつもの朝食のあと出勤。 丁度、米が切れていて、お弁当はなし。 昼食は近所の中華料理屋にて。 昼休みに新刊書店で、 「ミレニアム2(上・下)」(S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・山田美明訳/ハヤカワ文庫) を買う。 珈琲豆を買うついでにカフェで一服して、 「2」を少し読み始める。リスベットが数学ガール化していた。 空港で拾った雑誌の記事を読んで、なぜか突如として球面天文学に魅せられ、 そのあと大学の書店で見つけた数学史の本、 特にフェルマーのエピソードに夢中になるという設定。

数学者から見れば、球面天文学を支える球面の幾何学はリーマン幾何学の特別な一例に過ぎないので、 シリアスな興味はひかない。 とは言え、平面幾何とは全く違う性質が簡単に示せて、 なかなか面白いことは確かだ。 例えば、球面上の「直線」とは、 二点間の最短距離であるべきだから、 大円(つまり赤道のように最も大きな円周)になる。 よって、球面上では二本の直線は必ず、二点で交わる。 平面上では、一点で交わるか、全く交わらないか(平行)のどちらかだったので、 かなり様子が違う。 また、平面上の三角形の内角の和は常に 180 度で一定だが、 球面上の三角形では色々な値をとりうる。 例えば、北極点と、赤道上の二点をとって三角形にすると、 内角の和は色んな値にできることが分かるだろう。 ちょっと考えると、内角を指定すると三角形が一つ決まってしまうことも分かる。 実際、球面上の三角形の面積は内角の和だけで表せる。 この公式を求めることも、実は中学生程度の数学で十分可能で、 その証明は非常に面白いのだが、まあ今日はよしておこう。 代わりに一つ、頭の体操。 球面上で最も大きな(つまり面積が最大の) 三角形は、球面全体の面積のどれだけを占めるでしょう。 これは「体操」なので、答は書きません。 分かるまで考える、それが頭の体操です。

夕方退社して、八百屋で果物などを仕入れて帰宅。 夕食は塩鮭を焼いて、他に鶏肝の生姜煮、白菜の漬物、 しめじと隠元と長葱の味噌汁、御飯。 食後に林檎を一つ。

2011年12月11日日曜日

未整理本の山

9 時近くまで寝てしまった。ほぼ平熱。 ロイヤルミルクティと果物の朝食。 洗濯機をしかけてから、朝風呂に入る。 昼食は鮭の切り身を焼いて、豚汁と白菜の漬物と御飯。 午後は掃除機がけなどの簡単な家事の他は、 寝床の読書などで安静に。 夕食に鶏と生姜でだしをとったスープと、 鶏手羽の肉じゃが。かけうどん。 身体があたたまるもの、と思ったら、 汁物ばかりになってしまった。 夜も午後と同じ調子。

会社におきっぱなしにしていた私個人所有の本を少しずつ持ち帰っているのだが、 おかげで未整理の本の山が居間に日々育っている。 年末の休みにでも整理しないとなあ。

2011年12月10日土曜日

蜜柑のイノヴェイション

かなり早起き。 熱はほぼ平熱だったが、この土日で完治させるべく、 二日間おとなしく静かに暮らすことにする。 朝昼兼食はカレーライスと、鶏手羽と香菜のスープ。 食後に、いただきものの蜜柑を一つ。 オレンジのような風味なのだがやはり蜜柑の甘さで、 袋の皮が非常に薄くて、 そのままで既にゼリーのような、今まで体験したことのない食感。 新しい品種改良なのだろう。 これが出来たとき、開発者は「してやったり」と思ったんじゃないだろうか。 果物もイノヴェイションなのだなあ……。

午後は近所の公立図書館に本を返却に行き、 スーパーで買い物をして帰ってくる。 夕食は韮とモツ肉の炒めもの、豚汁、白菜の漬物、御飯。 食後にヨーグルトとプルーン。

2011年12月9日金曜日

クセノクラテス

ああ、良く寝た。 熱も下がっていたが、この週末で完治させるべく、 今日はおっとりと過すことにする。 いつもの朝食のあと、出勤。 今日はお弁当を作らなかったので、 昼食は近所の蕎麦屋でけんちん蕎麦。 午後は最近、何故か興味を持っている "processing" の勉強など。 毎週定例の全社ミーティングを終えて、退社。 夕方から、私的な勉強会に参加。 そのあと夕食までご馳走になってしまった。申し訳なし。

昨夜、寝床で「ギリシア哲学者列伝(上)」(ディオゲネス・ラエルティオス著/加来彰俊訳/岩波文庫) の開いたところには、クセノクラテスの話が出ていた。 クセノクラテスはプラトンの弟子の一人。 生まれつき鈍かったので、プラトンはアリストテレスと彼を馬と驢馬に喩えたそうだ。 しかし、どうやらただものではなかったらしい。 彼の弟子たちが師匠をからかうために、 芸妓に頼んで添い寝をさせたのだが、 彼は 「局部のまわりを何度も切られたり焼かれたりするような苦痛を我慢」 して、何事もなかった。 痩せ我慢である。 また、彼は非常に信用されていたので、 アテネで唯一、宣誓せずに証言することが許されていた。 また、アレクサンドロス大王が彼に多額の金を贈ったとき、 ごく少額だけをとって残りを返し、 「数多くの人民を養っているアレクサンドロスには自分よりももっと多くが必要だろうから」 と言った。 また、一羽の小雀が鷹に追われて彼の懐に飛び込んできたとき、 保護を求めて来たものを引き渡せない、と言って逃してやった (この逸話はギリシア発だったらしい)。 また、彼は居留民税が払えなくて、奴隷に身を落としたが、 デメトリオスが彼を買い取って自由にした。 そんな彼だったが、アカデメイアの後継者となり、二十五年に渡って指導した。 そして彼は、夜中に鍋につまづいたのがもとで死んだ。

「ギリシア哲学者列伝」にはこんな話ばかり文庫三冊分集められている。 暇つぶしに最適である。そして、なんとなく人生とか、大きな問題を、考えさせられる。 それに、各章のあと著者自作の詩が捧げられているのだが、 大抵、失笑ものの酷いできで、ほのぼのする。 ちなみに、クセノクラテスに捧げられた詩は、 「あるとき青銅の鍋につまづいて、額を打ち/ 金切り声をあげて、そして死んで行ったのだ / 男のなかの男であったクセノクラテスは。」 ……失笑。

2011年12月8日木曜日

安静の読書

どうやらウィルスを退治しきれていなかったらしく、 熱でちょっとふらふらする朝。 熱以外に症状がないのであまり気付いていなかったが、 最近、体調が良くないなあ、と思っていたのは、 発熱のせいらしい。 食欲はあるので、いつもの朝食。 少し休んでから、早めに肉饂飩の昼食をとり、 TK 大に GPGPU によるシミュレーションの講演を聴きに行く。 終了後すぐに帰る。冷たい雨が降り出している。

きちんと治しておいた方がいいな、と思い、 午後も早い時間から、安静にする。 寝床で 「マクベス夫人症の男」(R.スタウト著/山本博訳/ハヤカワ・ミステリ文庫) を読了したあと、 モンテーニュの「エセー」の開いたところを読んだり。 こういう状況で私が読むのは、 「エセー」か、ディオゲネス・ラエルティオスの「ギリシア哲学者列伝」。 どちらも適当に巻を手にとって、適当に開いたところを読むと面白いし、 しかも一つの話が短いので、どんな時間にでもあう。

夕食には、鶏手羽と生姜でだしをとって、卵と葱と大根の雑炊を作った。 食後に林檎を一つ。

2011年12月7日水曜日

ブショネによる統計学入門

少しは 12 月らしい寒さになってきたかな。 いつもの朝食のあと出勤。 昼食は持参のお弁当。鶏挽肉とバジルの炒めものかけ御飯。 つまり昨日の残り物。 夕方、退社。 夕食は、もつ鍋風の鍋焼饂飩を作ってみた。 お風呂に入って、湯船で 「酒の肴・抱樽酒話」(青木正児著/岩波文庫) より「適口」を読む。

昨日の 「3 の法則」の問題 の解答。 色々な統計的手法がありうるが、おそらく一番簡単な考え方はこうだろう。 あるワインのブショネ率を p とする。 n 本続けてブショネに当たらなかった時、この p を評価したい。 一本のワインがブショネでない確率は (1 - p) だから、 n 本続けて当たらない確率は (1 - p) を n 回かけたものになる。 この確率をどうにか見積もりたいが、 今、目の前にあるのは、n 本試してもブショネに当たらなかった、 という事実だけだ。さて、どうする(ここが統計的推測の肝)。 こういうときに統計学で一番普通に用いるのは、 「起こる確率が 5 パーセント以下であるような珍しいことがたまたま起こったとは考えないことにしましょう」、 という議論である。 つまり、(1 - p) の n 乗は 0.05 以上だろう。 (「なるほど?」と今、簡単に納得した人に注意しておくが、 このマジカルな論法は考えれば考えるほど巧妙であるし、 その意味するところは深遠である。)

あとは、この不等式を p について解くだけだが、解析学が少々必要。 実際、両辺の log (自然対数)をとり、n で割り、 p が小さいとき log (1 - p) はほぼ -p に等しいという近似を用いれば、 -p ≧ log(0.05)/n となって、 log(0.05) は -2.995... でほぼ -3 なので、p は約 3/n 以下。 結局、答を一言でいうならば、 「log(0.05) がほぼ -3 だから」ということになる。

ちなみに、上の仮定の「5パーセント」という数字は恣意的である。 この数字を小さくとるほど、 推測が外れることが少ないという意味で安全だが精度の意味で弱い評価が得られ、 逆に大きくとるほど、危険だが強い評価が得られる。 よって、問題に応じて適切に(事前に)選ぶ必要がある。とは言え、 多くの日常的な問題では何げなく 5 パーセントにすることが多い。 このあたりも深く考え出すと迷宮に入り込む危険性があるのだが、 とりあえず今日説明した論法が、 初歩の統計的推測のポイントの一つだろう。

2011年12月6日火曜日

ブショネと「3の法則」

昨夜はかなり熱があったのだが、 ウィルスよりも私の免疫システムが勝ったらしく、 朝になったら平温に下がっていた。 その代わり 11 時間も寝たけれど。 いつもの朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。タイ風焼きそば。 体調がまだ万全ではないので、夕方早めに退社。 冷たい雨の降る中を帰宅。 今日の夕食もタイ風料理。 鶏挽肉とバジルの炒めものかけ御飯に目玉焼きのせと、豚モツ肉の屋台風スープ。

今日は「3 の法則」というものを知った。 今、同じワインを続けて 20 本飲んだところ、 5 本がブショネだったとする。 20 本のうち 5 本ならば 4 本につき一本、 つまり 25 パーセントの割合でこのワインはブショネなのだな、と推測できる。 しかし、20 本のうちに、5 本ではなくて、一本もブショネに当たらなかったら? この生産者のワインは完璧にブショネフリーなのだ、と考えてよいだろうか。 流石にそれは評価が甘過ぎるだろう (スクリューキャップだったのでは、と言うツッコミはなしにしていただきたい)。 ブショネ率がけっこう高くても、 この 20 本がたまたま健全だったのかも知れない。

こういうときに使うのが「3 の法則」である。 既に飲んだ 20 本の 20 で「3」を割ればよい。 これがブショネが出る割合の上からの良い評価になる。 今の場合は 3 割る 20 で 0.15 だから、 このワインのブショネ率は 15 パーセント以下だろう、 とかなりの自信を持って言える。 もし、100 本続けて飲んでも一本もブショネに当たらなかったら、 3 割る 100 は 0.03 だから、ブショネ率は 3 パーセント以下だろう、 と評価できる。

さて、問題。この「3 の法則」はなぜ、成り立つのでしょう? 答は明日。
(難易度は、素朴に考えれば、ちょっと生意気な理系の高校生程度。 ベイズ推測を考慮しだすとベータ分布の議論が必要なので、 確率と統計の基礎知識が必要。)

2011年12月5日月曜日

負け試合

今朝もけっこう暖かい。 秋と真冬が行ったり来たりの気候で、体調がもう一つ良くない。 もう無理はきかない身体なのだなあ……と言うより、 無理はしていないつもりなのだが、普通にしていることがもう無理なのだね。 「アナバシス」を心の古典とする私は、 人生とは一個の撤退戦である、 をモットーにしているのだが、 最近なおさらにそんな自分の言葉が身に沁みる。 放浪の天才数学者エルデシュは、 人生とは「究極のファシスト」こと、神が敵の負けゲームだと主張していた。 自分が何か間違ったことをすると、神に2点入る。 正しいことをしても、神に1点入る。 この必敗のルールにおいて、神の得点をできるだけ小さくとどめるのが、 人生と言う名のゲームの趣旨なのだ、と。 エルデシュに古典の素養があったとは思わないが、 この思想は「アナバシス」に通じると思う。

いつもの朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 身体をいたわって、流し打ち的に雑用をあれこれ。 昼食はパクチーの香りを漂わせつつ、タイ風炒めものかけ御飯のお弁当。 午後は半分趣味みたいなプログラミング。 夕方退社して、近所のカフェにて一服。 「マクベス夫人症の男」(R.スタウト著/山本博訳/ハヤカワ・ミステリ文庫) を読み、珈琲豆を買って帰る。

帰宅して夕食の支度。 風邪をひきかけなのかちょっと熱っぽいかな、と思って、 身体を温めるべく、 鶏団子入りモツ鍋(辛味噌味)にした。 中華風のつもりだったのだが、パクチー(香菜)のせいか、謎の国籍。 あとは雑炊。食後に林檎を一つ。

2011年12月4日日曜日

新巻鮭のはなし

昨夜、「知恵の七柱」で夜更ししてしまったので、寝坊。 紅茶、ヨーグルト、果物などの軽い朝食。 今朝もわりと暖かい。もう十二月なのだがなあ。 洗濯をしてから、朝風呂に入る。 昼食は肉豆腐、白菜の漬物、生卵とちりめん山椒で伊丹流ねこまんま。 ちょっと寝台に横になったら、また二時間くらい昼寝してしまった。 午後は私的なプロジェクトの考え事の他、 掃除機がけなどの家事のあと、近所のスーパーへ買い物に。

スーパーは、 クリスマスケーキやおせちの受注が始まっていたり、既に年末のムード。 新巻鮭なんてのも売っている。 関西人にはピンと来ないが、東日本では新巻鮭は年末の風物。 贈答品らしいのだが、 あんなの一本もらったらどう食べればいいのだろう……と、 もらったこともないのに毎年悩んでいる。 確か、ある食通の書いたエッセイで、 年末に東京に流通するような新巻鮭は本当の新巻ではないのだ、 本物は北海道ですらほとんど手に入らないのだ、 そしてそれは夢のような絶品で風味絶佳なのだ、というようなことを読んだ記憶があるのだが、 それが誰のエッセイだったか思い出せない。 開高健の「最後の晩餐」か、 青木正児の「酒の肴」なんじゃないかな、と思ったが、 帰宅して家の書庫で調べたら違うようだ。 開高健はやはり鮭についての思い出を語っていたが新巻鮭の話ではなく、 青木正児に唯一、鮭の話が出てくるのは、 「鮭」とは河豚の古名でこれを「サケ」と読むのは俗の誤である、 という箇所。 面白い話だが、これじゃない。 一体、どこで読んだのだったかなあ……

帰宅して、 一番だし二番だしを引いたり、昆布を煮たり、ふりかけを作ったり、 白モツを茹でて洗って茹でて洗ったり。 夕食は生姜焼き、昆布の佃煮、白菜の漬物、豆腐と大根と隠元の味噌汁、御飯。 食後に林檎を一つ。 夜は、あたりさわりのない毒にも薬にもならないミステリ、 「マクベス夫人症の男」(R.スタウト著/山本博訳/ハヤカワ・ミステリ文庫) を読む。

書庫の探索を続けて、新巻鮭問題が解決。 「味覚極楽」(子母澤寛著/中公文庫)だった。 子母澤寛は北海道生まれだということを失念していた。 ちなみに、東京駅長の吉田さんの話の聞書の章である。 新巻鮭とは、まだ生きているような一本選りの鮭に、 普通の塩鮭よりは控えめの塩をして、 新しい塩俵(藁のことか?)に包んで一週間ほど寝かせたものだが、 この俵が二度目ではもうそれは、新巻であって新巻ではない。 北海道でも札幌のような都会では入手が難しいそうで、 本当の新巻鮭は何と言っても石狩、石狩川の川口にある石狩町にしかない。 西紋別や鬼鹿でも相当のものはできるが、やはりいけない、のだそうだ。 しかも石狩物はごく僅かしか獲れないため、 縁故をたどって直接石狩に頼まないと手に入らないのだとか。 子母澤によれば「はらす」(あばら身)を焦げないよう、 とろ火で根気良く焼いたものが、絶品。その皮がまた「すばらしくうまい」。 また、具体的には分からないが「寒塩(かんしょう)びき」なるものがあって、 酒の肴に結構らしい。 また、新巻鮭で濃い茶漬を作って食べるのが、日常第一の珍味、 とのことである。

2011年12月3日土曜日

タイ料理の一日

朝は大雨。気温もそれほど高くない。 珈琲とヨーグルト、果物だけの朝食。 朝風呂に入って、湯船で読書。 昨日、社長室から背取りしてきた、 ゴールドマン・サックスの社史。 昼食は御飯を炊いて、 タイ料理のレシピ本通りに 「ムーパットプリックトゥアラートカーオ」と 「ガオラオ」を作る。 すなわち、豚肉と隠元の炒めものかけ御飯と、屋台風スープである。 劇的に美味しい。私の好みからすれば「ガオラオ」はちょっと塩が強かったので、 ややレシピの調整の必要ありか。

午後は私的な書き物仕事や、経済学関係の読書など。 夕食は「カーオマンガイ」と「ゲーンチューカイチアオ」。 すなわち、チキンライスと、卵焼きのスープ。 これも素晴しい出来栄え。スープに卵焼きとは、 思いがけないアイデアだが、ナンプラーとの相性もよろしく、なかなか結構。 食後のデザートに林檎を一つ。 近所の八百屋で青森のトキを安売りしていたので。 さらに、ロイヤルミルクティ。

思いがけなくも、突然にしてタイ料理の地平が開けた一日であった。 私にはタイ料理の隠れた才能があったのか、と一瞬勘違いしたが、 おそらく誰でも簡単にそれらしく美味しいものが出来るのがタイ料理の特徴なのだろう。 あまり料理に自信はないけれど、 誰かを料理でもてなして感心させたい、と思っている人は、 タイ料理を試す価値があると思う。

2011年12月2日金曜日

猫とホットカーペット

今日はさらに気温が下がったが、まだせいぜい摂氏 3 度。 涼しくて爽やかだ。 猫だって専用ホットカーペットを離れて、 いつものように寝室のドアの前で待っていた。 空腹の方が勝るくらいだから、猫もまだ大して寒くないのだろう。 本当に寒い季節は、引き剥すようにしないとホットカーペットから離れない。 実際、爪を立てて貼り付こうとするので、剥がすとべりべりと音がする。

遅めの朝食のあと、いつもよりちょっとゆっくりしてから、幕張へ出勤。 社員食堂で時間待ちをしながら、計算と考え事。 午後は前CEOが残していった図書と紙資料の整理。 処分する前に、役に立つものがあれば、と秘書の方が声をかけてくれたので。 そのあと、全社ミーティングが夕方まで。

帰宅して夕食の支度。寒いので鶏団子鍋にしよう。 鶏挽肉、豆腐、生姜、葱などを和えて団子を作る。 団子の他の具は小松菜、しめじ、春雨。 美味しいなあ……我ながら。 はるばる幕張往復した私に、よなよなエール。

2011年12月1日木曜日

タイ料理の新大陸

気温が急激に下がって、今日は小雨の降る真冬日。 今年初のコートを着て出勤。 昼食はタイ風のつもり炒めものかけ御飯。 お弁当は冷えてこそ美味しいものという信念を持つ私だが、 これは電子レンジで温め直すのが吉だろう。 適当に作った割に、やたらに美味しい。 どうやら私の料理リパトワに、未開の新大陸発見の予感。

昼休みの散歩のついでに、本当のレシピを確認しよう。 まず、料理本の古書店に行ってみると、 石の擂鉢でスパイスを擂るところから始めるような本格派ばかりで、 それはそれで写真も美しく結構なのだが、参考にはなりそうにない。 次は新刊書店に行ってみると、 意外にもタイ料理のレシピ本が充実していた。 どうやら、ご家庭で気楽にタイ風料理、という需要がかなりあるらしい。 簡単そうな割にぐっとくるレシピ集があったので購入。 ちなみに、 私が「こんな感じ?」と作った豚肉炒めかけ御飯に近い料理 「ムーパットプリックトゥアラートカーオ」 (どこで区切るのかも分からない)のレシピを見ると、 ほとんど私の味つけと同じだった。 違いは、私は生姜も使ったこと、そして砂糖を使わなかったことの二点だけ。 そして、タイ文字って、どうしてこんな変てこりんに可愛いのだろう。 どの文字も@マークみたいだ。

ちょっと遅く退社して、冷たい小雨の中を帰宅。 近所の八百屋に立ち寄り、ふとパクチーの安売りが目に入る。 こんなところにまでパクチーが。来てるな、タイ料理。即購入。 夕食は常夜鍋。あとは蕎麦米を雑炊にして、 大根おろしたっぷりとポン酢で。 食後に紅茶とアップルケーキ。

明日は幕張に出勤。 主な仕事は何故か図書整理、あとは全社ミーティングなので、 今日が週末みたいな気分。 明日の東京は今日以上に冷え込むらしいが、幕張はどうだろう。

2011年11月30日水曜日

サブスタンシァル

いつもの通り、限りなくモノローグに近いダイアローグを猫と交わし合う、 めぐり逢う朝のひととき。 tous les matins du monde はかくあれかし。 最近、猫が変な抑揚のある鳴き方をするところからして (「にゃうむにゃね?」みたいな)、この猫の歳も歳だし、そろそろ人の言葉を話し出すのかも知れない。 とは言え、まだ N と M 以外の子音の発音は難しいようだ。

いつもの朝食のあと出勤。 今日は早朝出社に成功したので、ちょっとは実のある仕事に小一時間ほど集中する。 この「実のある」の英語は「サブスタンシァル」でいいのだろうか。 昼食は自作の海苔弁当。 3Q 決算発表を確認して、夕方退社。 夕食は餃子鍋と、そのあとの饂飩。 給料日を無事に迎えられたことを祝い、よなよなエールを一杯。 被雇用者の厳しい毎日の中にも、ささやかな喜びを味わう。 この一口は、サブスタンシァルであると言えよう。 来月も何とか、味噌代とビール代とキャットフード代を稼がねば。

明日の東京は気温が急降下して最高気温も 10 度を越えないとか。 私自身は寒いのが好きなので全く暖房の必要を感じないが、 猫用ホットカーペット(ホット座布団を代用)は今夜のうちに出しておいてやろうか。

2011年11月29日火曜日

女性の好み

曇り空。珈琲で目を覚ます。 昨夜の食事が遅かったこともあり食欲がない。 豚肉でとっただしと、フェットチーネの折れくずを使って、 ヌードルスープを作る。 他に果物とヨーグルトの朝食をとって出勤。 昼食は近所の、三つしかメニュのないインドカレー屋にて、チキンカレー。 (ちなみに他の二つは、キーマカレーと野菜カレー。)

昼休憩に "Dead Famous"(C.O'Connell 著/ Berkely Novel) を少しずつ読み進めている。 マロリー・サーガの始めのうちはそれほど目立たなかった、 マロリーの相棒でアル中で身も心もぼろぼろのやもめ刑事ライカーが、 段々と興味深い人物像を現し、前作あたりから読みどころの一つになってきた。 "Dead Famous" ではそのライカーが、事件の鍵を握る登場人物に恋をする。 相手は、小説の冒頭で妖怪のような姿で登場する、傴僂の障害を持つ清掃員 (後に精神科医が本業であることが分かる)。 天才チャールズが、この女性とライカーを会食に招待して、 彼女の高い知性と温かい心を悟り、 ライカーの女性の好みの良さに感心する、 と言うあたりまでで今日の昼休みは終わった。 まあ、反社会的精神病質者の天才美女マロリーに報われぬ恋心を抱き続けるチャールズと比べれば、 誰だって趣味が良いわけだが。

帰宅して、夕食の支度。 御飯を炊いて、メインは豚肉のタイ風炒めもの。 と言っても、タイ料理のレシピなんて一つも知らないし、 タイに行ったこともないので、あくまで私の想像の「タイ風」。 ナンプラーが入っているから、そう外れてはいないと思う。 ある人の主張によれば、 「ほんとうのタイ料理」とはずばり「汁気の多い炒めものと御飯」 を一緒に盛った皿のことだそうだ。 それならば多分、今日のタイ風は正解に近いと思われる。 溶き卵のスープを添えて食べました。 ちなみに「タイ風」炒めものの出来は「パ・マル。」といった風情だったが、 探求すべき可能性の味を感じた。 近いうちにもう二三度作ってみよう。 食後にアップルケーキと紅茶。

2011年11月28日月曜日

海苔弁当とは

昨夜は夜更かしして 「吸血鬼と精神分析」(笠井潔著/光文社) を最後まで読んだので、少し寝坊。 ヨブ記についての素朴な議論が面白かった。 さて、また月曜日だ。 今週は 3Q 決算発表だが大丈夫かなあと思いつつ、 余った豚肉を塩茹でしつつ、 寒さのせいかやけに懐いてくる猫を足で向こうへ押しやりつつ、 珈琲をドリップする。 朝の冷たい空気がキッチンを洗う中、クロや、綺麗に生きる、ってどういうことかにゃ、 とイタリア協奏曲の乾いた音に呟く。 平日用のいつもの朝食のあと、 お弁当を作って出社。

昼食は自作の海苔弁当。 と言っても、揚げ物は面倒なので、メインは鱈の香り焼き。 貴方はご存知でないだろうから、念のために解説しよう。 一般に「海苔弁当」とは御飯の上に鰹節、さらにその上に海苔を敷き、 その上に白身魚のフライ、竹輪の天麩羅、きんぴら牛蒡、漬物をのせたもので、 弁当屋さんでは最も安価なメニュ、通常300円弱、時には200円台前半で売っている。 「あら、私の知ってるお弁当屋さんにはないわ」と今、お思いになったかも知れないが、 ここでの「弁当屋」とは仕出し屋のことではない。 それはさておき、200 円そこそこという値段は (一度自分で作ってみれば分かるが)本当に驚異的で、 経済学のさまざまな概念が胸を去来せずにはおかない。

何故か急に線型計画問題に興味がわき、終日あれこれ調査とプログラミング。 最近、なんでも Python で済ませたいので、 Python で書かれたモデラからソルバを呼ぶことにした。超らくちん。 でもこういうスタイルのプログラミングは、 真面目にドキュメントを読まずに安易につなぎあわせていると、 思いもよらない理由で動かなかったり、もっと悪い場合には誤動作していたりする。 夕食が遅い予定なので、途中、おやつの鯛焼でエネルギィ補給。

いつもよりずっと遅い時間に退社して、 そのまま御茶ノ水のピッツェリアへ歩く。 某氏の送別会。

2011年11月27日日曜日

パンチェッタとの会話

昨夜、少し夜更かしして 「吸血鬼と精神分析」(笠井潔著/光文社) を読んでいたので、起床も遅くなった。 猫にキャットフードを与え、自分に珈琲と果物とヨーグルトの朝食。 少し事務雑用や洗濯をしてから、朝風呂。 そのあと早めの昼食。 鯵のひらきを網で焼き、白菜の漬物、昆布の佃煮、小松菜の味噌汁と御飯。 鯵の残りで酒を五勺ほど飲む。 こういうのを「猫もまたぐ」と言うのだろうか、 と思うくらい綺麗に食べた。 しばらく昼寝ののち、 午後も掃除などの家事と読書。

夕方、近所のスーパーへ食材を買いに行く。 パンチェッタを手にとって軽く 10 分間は悩んだ。 カルボナーラはパンチェッタを使うに越したことはないが、 言うまでもなく、安いものではない。 そもそもベーコンやハム類は高価だが、これはなお高い。 イタリアもスペインも破産しそうだと聞いているわりに、 輸入品は言うほど安くなっていない。 輸入業者が暴利を貪っているのか、 それとも国内業者の既得権益を保護する関税のせいなのか、 ここで悩んでいてもパンチェッタは答えてくれない。 そう言えば、代官山のイタリア広場(?)ではもっと安く売っていた記憶がある…… いや、しかし今この目の前のパンチェッタが安くないことが問題なのだ。 特に、分不相応に良いハムを朝食用に買ってしまったばかりの今、 この値段は痛い。……ああ、あと二億あれば…あと二億あれば! 深津絵里さんは相変わらず可愛いな…… 今、家に残っているベーコンの残り、あれも悪くない品だし、 丁度使い切れて結構だ。 本格的なカルボナーラは余裕のあるときに外で食べればいい。 ラ・ヴィ・サーンプルを心掛けている私にだって、そんな機会もあるだろう。 ドットール・コグレだって、 「家で作れないものは外で食べて、店に負けない皿を家で拵えよう。」 と言っていた。 いやいや、でも家庭料理だからと言って代用品で済ませる理由にはならない。 しかし、この値段はいくらなんでも…

夕食は、ルッコラとベーコンと大蒜チップのサラダ、 フェットチーネのカルボナーラ、 メインは骨付き羊肉をパプリカ風味でソテーにする。 ソースはフライパンにワインを足して適当に。 付け合わせにポテト。 昨日と変化をつけるためにちょっと工夫してみたが、 羊肉はやっぱり塩胡椒にローズマリィくらいが一番美味しいように思う。 食後に紅茶とアップルケーキ。 夜は料理の仕込みと、読書など。 国産ベーコンでもカルボナーラは悪くない。

2011年11月26日土曜日

地元の図書館へ行こう

今日は良い天気だ。 ロイヤルミルクティ、ヨーグルトと果物の朝食。 朝風呂に入って、湯船で 「吸血鬼と精神分析」(笠井潔著/光文社) を読み始めた。 昼食のメインは豚丼。 大蒜生姜ベースのたれを煮立てたフライパンでしゃぶしゃぶ用の豚肉の両面をさっと焼き、 炊きたての御飯の上にしきつめて、残りのたれの味を調整したものを上からかける。 他に、白菜の漬物、胡瓜と人参のピクルス、小松菜のお味噌汁。

午後は近所の区立図書館に行ってみる。 ずうっと子供の頃を除けば、多分、ふつうの公立図書館を初体験。 と言うのも、大学に勤めている間は大学の図書館が職場にあるので、 他に行く必要もなかった。 さらに言えば、私は興味を持った本は新刊古書を問わず大抵買ってしまうし、 食費より書籍代が低いなんて人としてありえない、と言うくらいの覚悟で暮らしている (私の毎月の書籍代は大体、食費の 3 倍から 5 倍である)。 しかし、この不景気の上に、明日をも知れぬ初老の身、 ああこれからどう暮らしていけばよかろう、 とオロオロアルキの昨今、図書館へ行こう、と突如思い当たった。

さて、調べてみると、私が住む区内には 11 もの区立図書館・図書室がある。 集書分野を分担しているという以外にもそれぞれに特色があって、例えば、 ハヤカワ文庫の全シリーズを第一巻から揃えているなんていう図書館もあれば、 音楽資料に強い図書館もある。 自宅から歩いて行ける範囲にもいくつかあるので、 散歩コースにも丁度良い所を選び、初の地元の図書館探訪。 まず館内を一通りまわって、開架図書など眺める。 次にリファレンスコーナーに行き、T.E.ロレンスの「知恵の七柱」について尋ねてみる。 実は、事前に自分で、この図書館に開架されていることを確認してあったし、 東洋文庫には旧訳と新訳(完全版)の二通りがあることなども良く知っていたが、 テスト(?)の意味で。別に意地悪ではない。 利用カード(区内共通)を作って、完全版の第一巻を借りて帰る。

常温に戻すためラム肉を冷蔵庫から出し、 FM ラジオを聞き流しながら、夕食の下準備を始める。 一通りセットアップが終わってから、 ルッコラと茹で卵のサラダで開始。 次は、ベーコンとえのき茸のスパゲティ・アーリオオーリオ・ペペロンチーノ。 メインは骨付きラム肉を焼いてポテト添えローズマリィ風味。 食後に果物と、ロイヤルミルクティ。 夜も「吸血鬼と精神分析」。

2011年11月25日金曜日

常夜鍋

ちょっと二日酔い気味なので、昼食は温かい蕎麦にしよう、 と心に決めて、朝食のあと出勤。 予定通り、昼食は近所の蕎麦屋に行く。 良い蕎麦屋だと思うのだが、昼時でも大抵待たずに入れる。 おそらく、店の人の愛想が悪いからだろう。 全く悪気はなく単に接客に慣れていないか不得意、という感じなのだが、 おかげで「行列ができる名店」になることもなく、 いつでも気楽に行ける近所のまっとうな蕎麦屋であり続けているのが、 とても有り難い。 予定通りに、けんちん蕎麦を食べる。 身体があったまっていいね。 夕方、金曜日恒例の全社ミーティングのあと退社。 だんだんと気温も下がり、鍋の美味しい季節になってきた。

夕食は常夜鍋。 これはうまいこと考えやがったな、 と思う料理があるものだが、常夜鍋もその一つだと思う。 土鍋に日本酒と水を入れ(私は半々だが、全部酒でなければと言う人もいる)、 つぶした大蒜をひとかけ、 菠薐草や小松菜など青菜を一種類煮て、 豚肉を入れるだけの料理。 豚肉はちょっと贅沢してしゃぶしゃぶ用のものを張り込むと報われる。 私はこれを醤油に紅葉おろし、あれば柑橘類を搾ったりしても食べるが、 ポン酢でも味噌系のたれでも何でも美味しい。 鍋のあとは饂飩がおすすめ。 誰が思いついたのやら、誰が名付けたのやら、 兎に角、うまいこと考えやがったな、と思う常夜鍋。

2011年11月24日木曜日

八丁堀の酒屋

ようやく気温も下がってきた。 朝だけは猫がやけになついてくるので、少し相手をしてやる。 大体はヨーグルトの食べ残しを与えると満足するようだ。 いつもの朝食のあとお弁当を詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。今日は豚肉と白菜の塩炒め丼にしてみました。 他に大根の皮のきんぴら、焼きピーマン、人参のピクルス。 夕方退社して、八丁堀へ。 八丁堀と言えば時代劇の印象だが、今はオフィス街である。 酒屋の二階のバールにて会食。

この二日ほど、 フェデリコ・カルパッチョ氏のエッセイを時々くすっと笑いながら読み直していたのだが、 昨日知人のジュンコから教えられたことには、 カルパッチョ氏専属の翻訳家、木暮修氏は数年前に亡くなったそうだ。 正確に言えば、 日本の酒と女性と食を研究する謎のトスカーナ人「フェデリコ・カルパッチョ」、 またの名を写真家兼イラストレータの梅吉(「ウメキチ」)、 またの名をエッセイストの木暮修氏(「ドットール・コグレ」)のことである。 おそらく「木暮修」も「傷だらけの天使」 (*1) から拝借した筆名ではないか、 ともショウコ (*2) は言っていた。 まだ 48 歳だったとのこと。残念である。

*1: 1974年、75年放映の伝説的TVドラマ。木暮修は荻原健一が演じていた主人公の探偵。死んだと思われていた弟分は、現在警視庁特命課の警部に出世している。
*2: ジュンコ?

2011年11月23日水曜日

たらちり

昨夜食べ過ぎたので、朝食は珈琲と果物など。 朝風呂に入ってから、午前中は寝台に猫と寝転がって読書。 「赤い箱」(R.スタウト著/佐倉潤吾訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)。読了。 こういう毒に薬にもならないミステリ小説は本当に貴重だ(これは褒めています)。 それはさておき、この「赤い箱」の中で、 ネロ・ウルフが「アラビアのロレンス」ことT.E.ロレンスの「知恵の七柱」 に読みふける場面があって、ウルフらしい意見を述べていた。 ロレンスがアラビア人たちに信用されたのは、 女性に対する個人的な態度が正統の伝統的アラビア人の態度と同じだったからだそうだ。 それは微妙なすれ違いと言えなくもないが……なるほど。

昼食もあっさりと、玉葱酢大豆、焼きピーマン、白菜の漬物、 ちりめんじゃこ、若布と麩の赤だし、御飯。 午後も同じ調子で、勤労感謝の日を勤労に感謝しながら過す。 NHK FM の「今日は一日『名曲アルバム』」を流しつつ、 フェデリコ・カルパッチョものや(「極上の憂鬱」「優雅な倦怠」)、 「わたしは花火師です」(M.フーコー著/中山元訳/ちくま学芸文庫)など。 夕食は、たらちり鍋。あとは饂飩。

たらちりはやはり鍋の王道の一つだなあ……と思う。 勿論この種の鍋では、鮟鱇もしくは九絵、 とおっしゃりたい美食家のあなたの意見も良く分かるのだが、 圧倒的なコストパフォーマンスの良さはさておいても、 たらちりの素朴ながらも端正で豊かな魅力は侮り難い、 ということはお認めいただけるのではないでしょうか。

2011年11月22日火曜日

フェデリコ・カルパッチョ氏の生活と意見

いつもの朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。 大根の皮のきんぴら、焼きピーマン、昆布の佃煮、自家製ふりかけ。 夕方退社して、京橋へ。

今夜はネットワーク・ハッカーの N さんと、 「冬に備えて脂肪をつけよう」という企画でイタリア料理屋にて会食。 フェデリコ・カルパッチョ氏に訊くまでもなく、 イタリア料理には「美味しいものをちょっとずつ食べたい」 などという清貧の美学は存在しない。 その証拠に、500g 入り包装で売られているロングパスタは 6 人分ではなくて 4 人分、 250g 入りのショートパスタは 2 人分、とイタリア人は認識している (カルパッチョ氏によればね)。 昼食も控えめにしておき、 道行で「フェデリコ・カルパッチョの極上の憂鬱」(訳と註・木暮修/幻冬舎) を読みながら心の準備をする。 ちなみにこの本は、かつて「エル・ジャポン」誌で謎のガイジン、 フェデリコ・カルパッチョ氏が連載していたエッセイをまとめたものだが、 何せ連載時はまだバブルの幻から覚めやらぬ 90 年代前半だったので、 今読むと若干の気恥ずかしさを感じないでもない。

今の時間は、私の胃にまだ隙間があれば、 どこかのバーで一杯くらいお付き合いしているかも知れない。

2011年11月21日月曜日

花火師

あまりに良く眠れて寝坊。 いつもの朝食のあと、お弁当のサンドウィッチを作って出勤。 寝坊したせいで、定時出勤になってしまった。 と言っても、弊社はほとんどの社員がコアタイム制度を利用して勤務時間を後ろにずらしているので、 まだ人は少ない。昼食は持参のお弁当。 ベーコンとピクルスにマスタード、胡瓜、茹で卵とピクルスの刻み和えの三種類。

夕方退社して、近所のカフェにて一服。 「わたしは花火師です」(M.フーコー著/中山元訳/ちくま学芸文庫) を少し読む。 文意からして花火師と言うよりは「発破師」の方が相応しそうだがなあ…と思ったら、 訳者の注釈があった。あえて選んだ訳語のようだ。 原語は「アルティフィシエ("artificier")」なので、 発明家や技術者、職人と言った意味も入ってくる。 文章に出てくるくらいならどうとでも出来るが、 そもそも本のタイトルなので悩ましい。 訳者も随分考えた末の訳語の採用だろう。

帰りに肉屋と果物屋で買い物をして、帰宅。 夕食は餃子ときのこと白菜の鍋。あとは雑炊。 食後に蜜柑を一つ。

2011年11月20日日曜日

鯛焼/孤独力

トーストに手製の林檎ジャムを載せて焼き、他に紅茶とバナナ一つの軽めの朝食。 うーむ、シナモンの購入を考慮すべきかな(メモ)。 曇り空で空気もひんやりしているが、 晴れて気温も上がるという予報を信じて洗濯をする。 さらに、お風呂など水廻りの掃除をしてから、朝風呂。 そのあと一週間分のだし仕事。 二番だしまで引いたあとの鰹節と昆布をそれぞれ、 ふりかけや佃煮にしたのち、昼食の支度。 メインは親子丼。玉葱を使わない伊丹流をさらに簡略化し、 三つ葉さえも使わない、卵、鶏肉、海苔だけの私流。 他に玉葱酢大豆、若布の赤だし。

午後も家事の他は、 寝台でカールアップしてレックス・スタウトを読んだり、 うとうと昼寝したりしていた。 途中、お三時に鯛焼と緑茶。 やっぱり僕は鯛焼さ……少し焦げある鯛焼さ……。 天気予報は当たったが、当然ながら洗濯物がぱりっと乾くほどの気候ではない。 白菜を漬けてから、夕食は鶏鍋。あとは雑炊にした。 やはり鍋は美味しい。 体重 60kg を目指して多めに食べるようにしている昨今、鍋は良い手になりそうだ。 私は生きるために食べているのだが、 食べなくてはならない以上、それをできるだけ楽しむのに吝かではない。

夜の読書は "Solitude" (A.Storr 著/ free Pres). この本の内容を一言で表すと、 卑近過ぎる言い方ではあるが、「孤独力」といった感じかな……。

2011年11月19日土曜日

27歳のグールド/悪趣味

朝から雨の一日。 目覚しの珈琲のあと、朝カレーの朝食。 雨の中をあえて、渋谷に出かけ、 先週に続きグールドのドキュメンタリ映画を観る。 今回は「グレン・グールド 27歳の記憶」(クロイター&ケニッグ監督/1959)。 最近、イタリア協奏曲を良く聴いていることもあり、面白かった。

帰りに乗り換え駅の神保町で降りて、洋食屋で軽い昼食。 ビーフパイで生ビールを飲みながら、 「食物連鎖」(G.ニコルスン著/宮脇孝雄訳/早川書房) を読む。読了。 訳者あとがきに「悪趣味すれすれのブラック・コメディ」とあったが、 どちらかと言えば、 「ブラック・コメディすれすれの悪趣味」 なのでは、という読後感。 近くで鯛焼を二つ買って、帰宅。

帰宅して後、外は土砂降りになった。 おやつに緑茶と鯛焼を用意して、読書。 レックス・スタウトのネロ・ウルフものより、 「赤い箱」(R.スタウト著/佐倉潤吾訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)。 冒頭のあたりに「正いとこ(平行いとこ)」と「従いとこ(交差いとこ)」の問題がちらっと書かれていて、 ちょっと感心。 この原作が書かれたのは1936年なので随分と早い。 当時のアメリカでは文化人類学に対する興味が一般的だったのか、 スタウトがかなりのインテリだったのか。 夕食は、しめじとアンチョビのアーリオ・オーリオ。 パスタを作ったのと同じ土鍋で、鶏腿肉を焼く。 付け合わせにタルタルソースぽいものも作った。 食後に洋梨を一つ。

2011年11月18日金曜日

新しい外国語コミュニケーション方法

あまりに良く眠れて寝坊。 風邪をひきそうな微妙な感じ。 いつもの朝食のあと出勤。今日はお弁当作りはなし。 昼食は神保町のインド料理屋にて、 キーマカレー、ナン、サフランライスなど。 午後、毎週恒例の全社ミーティング。 夕方退社。 近所のカフェで、カプチーノを飲みながら一人反省会。 夕食は近所のバーにて、 フォアグラと千住葱の味噌焼きなどでワインを少し。 体調がもう一つなので、今日は料理をしない方針でした。 八百屋で週末用の食材を買ったりして帰宅。 白菜が変に安いなあ。

今日、昼食に行ったインド料理屋は、 女性客と外国人客が非常に多い店だ。 それはさておき、 近くのテーブルに技術者らしき二人連れがいた。 一人は日本人で、一人は英語ネイティヴの外国人と思われた。 ちょっと奇妙だったのは、 片方が日本語で話し続け、もう一方が英語で話し続けたことだ。 「それは分かってるんですけどね、部品は二週間先まで納入できない、って現場が言ってるんですよ」 "I understand that situation, but I dare say, This is quite..." 勝手にしゃべっているのではなくて、会話がきちんと噛み合っており、 二人は充実した議論を繰り広げていた。 おそらく二人ともが互いに、 (自分にとっての)外国語を聞いて理解できるのだが話すのは苦手、 ということなのだろうか。 最初は異様に思えたが、聞いている内に、 これはうまいコミュニケーション方法なのではないか、 と感じてきた。 最近、社内の公用語を英語にする会社などがあるらしいが、 この方法を取り入れてみたらどうだろう。 会議などでも、全員自分の母国語でしゃべるのである。 私の今日の体験からすると、この方法は思いがけなくも「可能」であり、 言語間の不公平がない。

2011年11月17日木曜日

梯子の真ん中に座る

朝食のあとお弁当を作って出勤。 最近出社時間が早いので、 出社の時点ではオフィスにはまだ二三人しかいない。 昼食は持参のサンドウィッチ。 焼いたハムにマスタード、胡瓜とマヨネーズ、 茹で卵と胡瓜のピクルスと玉葱の刻み和えの三種類。 夕方退社。 偶然、某国の国王夫妻をお見かけした。 何か幸せのお裾分けのようなことでもあるかしらん。

ちょっと風邪っぽい気がするなあ。夕食は身体のあたたまるものにしよう。 近所の肉屋で鶏肉を買い、 鶏肉、生姜、長葱、人参の雑炊を土鍋で作る。 他に、玉葱酢大豆、焼きピーマン、大根の皮のきんぴら。 食後に洋梨を一つ。

壁に梯子が立てかけてある。 梯子の先を壁に触れさせたまま、ずるずると梯子の足を引っぱっていく。 この時、梯子の丁度真ん中の点はどのような動きをするか。 高校生程度の「軌跡」の問題の初歩だが、 どうしてこの答は、ちょっと意外な気がするのだろう。 ピタゴラスの定理から、あるいは、 初等的な幾何学からも、 梯子の中央から原点までの距離が常に一定で梯子の長さの半分であることは、 すぐに分かる。ほとんど自明と言ってもいい。 それくらい当たり前なのだが、なぜだかちょっと意外。

(この図は、ヴィジュアルアート用プログラミング言語 Processing で作った。 プログラムを書くとなおさら明らかなのだが、 それでも表示される絵はなぜか面白い。)

2011年11月16日水曜日

茶の葉

今日はちょっと寒いので、快調だ。 今年の秋は暖か過ぎる。 早く冬になってほしいなあ。 窓を全開にして冷気も味わいながらの朝食。 爽やかでいい気持ちだ。 そのあと、お弁当を詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。ちりめんじゃこ、焼きピーマン、 大根のきんぴらがおかずの、海苔弁当。 昼休憩に神保町散歩。 古本屋の百円均一台でレックス・スタウトのネロ・ウルフものを何冊か買う。 夕方退社。 日の落ちるのが随分と早くなった。

帰宅して、夕食の支度。 おでんの最後の残り。冷酒を五勺。そのあと長葱、玉葱、人参の煮麺。 食後に洋梨を一つ。待った甲斐あって、美味しく熟していた。 夜は明日のお弁当のサンドウィッチ用に具の仕込みと、読書など。 "Solitude" (A.Storr 著/ free Press).

茶の葉、と言っても、某物理トリックの元祖として有名なミステリの古典ではない。 この前、友人の結婚式でスピーチをしたら、 その御礼にと茶の葉を使う香炉をもらった。 うーむ、和なアロマテラピーというところだろうか。 おかげで寝室がお茶の良い香り。

2011年11月15日火曜日

ちくわの穴

いつもの朝食のあと出勤。 今日はまた寒い。暖かかったり寒かったり忙しい気候だ。 昼食は持参のお弁当。 吉田戦車の「ちくわの穴確認弁当」を再現してみた。 夕方退社して、某所にて勉強会ののち、帰宅。 遅くなったので夕食は、すぐに出来るもので、 焼き餃子、冷奴、玉葱と人参のピクルス、えのき茸と長葱の中華スープ。

ちょっと前、コスト削減策の果てに、 お菓子の製造メイカなどが値段はそのままで商品分量を減らす作戦に出ていることが話題になった。 確かその頃、「ちくわの穴が大きくなっているのでは」 という疑惑も巷間をにぎわせた(と言うほどでもないけれども)。 これが「ちくわの穴確認弁当」の背景。

2011年11月14日月曜日

偽豚汁

いつもの朝食のあと、お弁当を作って出勤。 昼食は持参のお弁当。薩摩揚げ、里芋の煮物、大豆のきんぴら、 人参と大根葉のピクルス、海苔。 夕方退社して、近所のカフェにて一服。 "Dead Famous" (C.O'Connell著 / Berkley Novel) を少し読む。ようやく丁度半分あたりまで来た。 珈琲豆を買って帰る。

帰宅して夕食の支度。 御飯を炊いて、焼き餃子、里芋の煮物、胡瓜のピクルス、偽豚汁。 豚汁と全くレシピで豚肉の代わりに練り物を使ってみたら、 意外な美味しさ。 喩えて言えば、偽・偽海亀のスープのような。 食後に蜜柑を一つ。洋梨を買ってあるのだが、 なかなか熟してくれない。

お風呂に入って湯船で "Solitude" (A.Storr 著/ free Press) を読む。

2011年11月13日日曜日

平行四辺形の君

珈琲で目を覚まして朝食の支度。 秋鮭に大根おろし、玉葱酢大豆、ちりめんじゃこ、卵かけ御飯、偽豚汁。 午前は洗濯の他、私的プロジェクトの作業など。 朝風呂に入って、湯船で 「科学の花嫁 ― ロマンス・理性・バイロンの娘」(B.ウリー著/野島秀勝・門田守訳/法政大学出版局) を読む。 どちらかと言うとエイダ自身より、 母親アナベラの四角四面の理系少女ぶりの突き抜け感が凄い。 バイロンが「平行四辺形の君(princess of parallelogram)」と呼んだだけのことはある。

昼食はロースハムとえのき茸と長葱のアーリオ・オーリオ。 午後も掃除などの家事と読書など。 「食物連鎖」(G.ニコルスン著/宮脇孝雄訳/早川書房)。 イギリス人のブラックさと悪趣味には、時々ついていけないなあ…… と思いつつ怖いもの見たさで読んでいる。 夕食は再び入魂のおでん。ちょっと変化をつけて、 薬味に柚味噌と柚子胡椒。そのあと玉葱の煮麺。

映画を観たからと言うわけでもないのだが、 グールド本を読みながらグールドのピアノ演奏を聴いてみる夜。 本は書庫をしばらく探索ののち「グレン・グールドの生涯」(O.フリードリック著/宮澤淳一訳/リブロポート)を、 曲はベートーヴェンのソナタ「悲愴」「月光」「熱情」、 ハイドンのソナタ最後の 6 曲集を選んだ。

2011年11月12日土曜日

グールドの孤独と凡庸/紀州の酒

ああ良く寝た。珈琲で目を覚ます。 昨日は 12 月なみの寒さで今日は 10 月なみの暖かさ。 寝坊したので、朝昼食兼用。 昭和風のスパゲッティ・ナポリタンを作る。 ちょっと贅沢に茹で卵も散らしてみよう。 食後に蜜柑を一つ。

午後は渋谷に出かけて、 ドキュメンタリ映画 「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」 (M.オゼ&P.レイモント監督/2009) を観る。 この映画の 有名人コメント の中で漫画家の吉野朔美さんが、 天才には孤独であって欲しいと凡人たちは思うものだ、 しかしこの映画にはグールドの凡庸な部分がおさめられていて、 それがよりいっそう孤独を際立てている、 といった発言をしていて、ちょっと感心したので。 ちなみに私は吉野朔美さんの漫画が好きだ。 昔、「少年は荒野をめざす」の連載を読むために、「ぶーけ」を買っていたくらい。

帰宅して夕食の支度。 たまたま和歌山のお酒を入手したので、 御飯を炊いている間に、五勺ほど晩酌。 私が中学高校時代に六年間通学した町で作っている酒で、 全国的にも(わりと)有名だと思う。 最近は「赤字」に「ベア」がキーワードの毎日なのだが、 せめてお酒くらいは「黒字」で「ブル」。 和歌山はあまり酒を造っているようなイメージがないが、 実はけっこう蔵元がある。 例えば、博物学者の南方熊楠の実家も蔵元だった。 秋鮭に大根おろし、玉葱酢大豆、里芋の煮物、 豚肉がないので練り物を使った偽豚汁と、御飯。

2011年11月11日金曜日

入魂のおでん

冷たい雨の日。 最近はかなり早めに出社して、静かなうちにディープな仕事をするようにしているので、 なお朝が寒い。昼食は持参のお弁当。 自作の海苔鮭弁。御飯の上に海苔をしいて、自家製の紫蘇葉醤油漬けを巻いた秋鮭、 里芋の煮物、大豆のきんぴら、昆布の佃煮。 午後はまた中途半端な時間に全社ミーティングがあったので、 その前後をお勉強モードで過す。 夕方退社して、また冷たい雨の中を帰る。

帰宅して、すぐに大根の下煮から始める。 近所の格安スーパーなどで買い求めた食材での侘しく孤独な食卓なので、 せめて精一杯の手間をかけて自分を労わることにする。 今週も、幸せを数えたら片手にさえ余り、 不景気を数えたら両手でも足りない一週間だった。

大根を茹でている間に、 厚く剥いた皮は千切りにして、胡麻油で炒めてきんぴらにする。 さらに蒟蒻も下茹で。 茹でた大根を水に放ち、次は煮汁を作る。 鰹節を削ってとった昆布との一番だしに薄口醤油で香りをつけ、 日本酒少しを加え、あとは塩だけで味を決める。 土鍋に煮汁を温めて、隠し包丁を入れた大根、蒟蒻をゆらゆらと煮る。 そのあと火を止めて一旦冷まし、 食事の時間に合わせて練り物と豆腐を入れる。 練り物は何と言っても牛蒡天が必須だ。 練り物を入れてからは、鍋にふたをしてはいけない。 沸騰させないよう気をつけながら温めて、 おでんのできあがり。思い切ってヱビスビールもつける。 あとは、秋鮭ときのこの炊き込み御飯の残り、 大根のきんぴら、若布と麩の赤だし。

夜は最近の就眠儀式本の「年代記」(タキトゥス著/国原吉之助訳/岩波文庫) を読んだり。

2011年11月10日木曜日

ヴィジュアルアート用言語

いつもの朝食のあと出勤。 昼食は持参のお弁当。 秋鮭ときのこの炊込みご飯、里芋、大豆のきんぴら、大根の葉のピクルス。 午後の中途半端な時間に面談が入っていたので、 その前後は "Processing"(公式サイトウィキペディア項目) のお勉強。 MIT メディアラボ発のヴィジュアルアート用のプログラミング言語で、 使い勝手もいいし、面白い。 事実上 Java なところが私の好みではないのだが、やむをえない。 いま何故、Processing なのかと問われても、 単にふと興味を持っただけで……まあ平たく言えば、趣味です。

夕方退社して、近所のベルギービール屋で夕食。 飲食店業界の景気について新店長とディスカッションをしつつ、 樽生のブラウンビールで骨付き若鶏のファルシなどをいただく。 詰め物はかぼちゃとワイルドライスだった。 帰宅して、ロイヤルミルクティと、生サブレのフルーツサンドウィッチ(まだ残ってた)。

湯船の読書は、今日も 「科学の花嫁 ― ロマンス・理性・バイロンの娘」(B.ウリー著/野島秀勝・門田守訳/法政大学出版局)。

2011年11月9日水曜日

科学の花嫁

いつもの朝食のあと出勤。 昼食は持参のお弁当。里芋、薩摩揚げ、人参と大根の葉のピクルス、昆布佃煮、自家製ふりかけ御飯。 夕方退社して、格安スーパーでお買い物をして帰宅。 夕食の支度。メインは秋鮭ときのこあれこれの炊き込み御飯。 せめて、庶民なりに食卓を秋らしく。 他に薩摩揚げを焼いて生姜添え、 煮大豆の大根おろしポン酢和え、最近定番の超具沢山豚汁。 夜は料理を仕込んだり、読書をしたり。

読書は 「科学の花嫁 ― ロマンス・理性・バイロンの娘」(B.ウリー著/野島秀勝・門田守訳/法政大学出版局)。 エイダ・バイロン(オーガスタ・エイダ・キング・ラブレス伯爵夫人, 1815-1852)の伝記。 チャールズ・バベッジの機械式計算機「解析機関」の開発に協力し、 バベッジのイタリア講演の書籍化を英語訳して膨大な注釈をつけ、 そこに原始的な形の「プログラム」を書き残した。このことから 「人類初のプログラマ」と称されることもある人物。 詩人バイロンの娘でもある。 そのプログラムは、ベルヌーイ数を解析機関に計算させるものだったのだが、 エイダの貢献がどれくらいだったのかには議論の余地がある。 とは言え、伯爵夫人が数学大好き、科学大好きのマニアであり、 恐るべき好奇心と思考力と行動力を持っていたことは明らかで、 自分でもプログラムを書き、 解析機関の原理と可能性を深く理解していたことも間違いない。 とは言え、 訳者あとがきにあるように、 競馬に勝つ確率を頭の中の解析機関で計算していたかどうかは定かではないが (競馬はエイダのマニアックな趣味の一つだった)。 こんな女性がいるならプロポーズしたいくらい興味深い人物で、 もっと長生きしていたらどんな奇妙でスキャンダラスなことをやってのけただろうと思うと、 その早過ぎた死が残念だ。 エイダは子宮癌を患い、 父親と同じ死因(当時の間違った治療法「瀉血」)で、 父親と同じ 36 歳で亡くなった。

2011年11月8日火曜日

今年最高の悪夢

気候のせいだろうか、酷い悪夢を見た。 サイコホラー&サスペンス風の悪夢。 死体の顔に刺繍でメッセージを残す殺人鬼 (通称、ザ・ステッチャー)という斬新な人物造形と言い、 夢なのに「夢オチ」、というメディアを生かし切ったトリッキィで重層的な構成と言い、 「エルム街の悪夢」と「羊たちの沈黙」への洒落たオマージュなど、 どこをとっても私が今年見た夢、悪夢部門第一位は間違いない。 あと二ヶ月でこれを越える作品が深夜上映されることはないだろう。 夢から覚めたあと、 鏡を見て自分の頬に血まみれの刺繍があるのに気付くシーンは相当怖かった。 もちろんそのあと、さらにその夢から覚めたけれど。

いつもの朝食のあと出勤。 夕方退社して近所のカフェで一服。 "Dead Famous" (C.O'Connell著 / Berkley Novel) を少し読み、珈琲豆を買う。 さらに、近所の魚屋で秋鮭の切り身と、練り物の半端の詰め合わせを購入。 立派な品だが、安い。不況だけれど、物価が安いので助かる。 「合成の誤謬」という用語が脳裏をかすめるけれども。 帰宅して夕食の支度。 秋鮭を焼き、具沢山の豚汁、胡瓜と人参のピクルス、御飯。 食後に緑茶と、生サブレのフルーツサンド(お気に入り)。 夜は大豆を煮たり。

2011年11月7日月曜日

食物連鎖

昨夜遅かったせいもあり、寝坊気味。 珈琲、トーストにバタと手製の苺ジャム、目玉焼き、玉葱と人参のピクルス、 ヨーグルトにブルーベリージャム。 お弁当を詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。里芋煮物、昆布佃煮、紫蘇葉の醤油漬、自家製ふりかけ御飯。 夕方、退社。

帰宅して、まずお風呂。 湯船で、 「リテラリーマシン ― ハイパーテキスト原論」(T.ネルソン著/ハイテクノロジー・コミュニケーションズ訳/アスキー出版局)を読む。 御飯を炊いて、肉じゃが、里芋の煮物、胡瓜と人参ピクルス、 大根としめじの味噌汁。 食後に紅茶と、生サブレのフルーツサンドウィッチ。 秋の夜長は読書ですよね。 昨日、新幹線で「装飾庭園殺人事件」を読み終えたので、 次は「食物連鎖」(G.ニコルスン著/宮脇孝雄訳/早川書房)を読む。 和田誠の装丁がお洒落。

アナログTVで地上波デジアナ変換された放送を観て、 もう年末なんだなあ、と思う。大掃除グッズとはね。

2011年11月6日日曜日

京都日帰り

朝から曇り空。夜の間に少し雨が降ったようだ。 目覚しの珈琲のあと、 鰹節をかりかり削って、朝食の支度。 真鯖の塩焼き、肉じゃが、里芋の煮物、菠薐草の味噌汁、御飯。 朝風呂、洗濯、掃除機がけなどの家事。 昼食はしめじとアンチョビのアーリオ・オーリオ、 ヨーグルトと手製の苺ジャムのデザート、紅茶。 午後も家事など。

夕方の新幹線で京都に移動して、某ホテルのレストランにて会食。 およそ三時間の京都滞在で、新幹線日帰り。 車中では考え事と読書。 「装飾庭園殺人事件」(G.ニコルスン著/風間賢二訳/扶桑社海外文庫)。

2011年11月5日土曜日

Tumblr と Xanadu

珈琲、トースト、茹で卵、玉葱と人参のピクルス、チョコレートチーズケーキ。 朝風呂に入ってから、午前中は私的プロジェクトの作業。 昼食はカレーライスと超具沢山の豚汁。二時間ほど昼寝。 午後は読書など。「フーコー入門」(中山元著/ちくま新書)、読了。 夕食の支度。胡瓜のピクルス、しめじ入りのカルボナーラ、 ヨーグルトに手製の苺ジャム。 夜は、里芋を煮たり、読書をしたり。 "Dead Famous" (C.O'Connell著 / Berkley Novel).

Tumblr 愛好者に、 「だって Twitter も Facebook も『リア充』じゃん」 と言われて、 思わぬ角度からの SNS 批判に目が覚める思いだった。

ところで、Tumblr ってテッド・ネルソンの「ザナドゥ計画」(project "Xanadu") の "tumbler" 概念と何か関係があるんでしょうか。 ちょっと検索した限りでは判明せず。 WWW 上をいくら探しても分からないのは当然だったりして。 私自身は、T.ネルソンは天才だと思うし、 いずれ何らかの形で "Xanadu" は実現するとさえ思っているのだが、 もうほとんど誰も「ザナドゥ計画」を知らない。

2011年11月4日金曜日

会食

いつもの朝食。昨夜作った苺ジャムを早速、トーストにのせて食べる。 ジャムも自分で作った方が明らかに美味しいものの一つだなあ……。 お弁当を作って出勤。 昼食は持参のお弁当。 胡瓜、ハム、玉葱と人参のピクルスのサンドウィッチ。 夕方に全体ミーティングがあったので、退社がやや遅くなった。

退社して、そのまま某ホテルに向かう。 夜はホテルの日本料理屋にて会食。

2011年11月3日木曜日

今頃、苺ジャムを作る

今日はかなり気温が上がると聞いていたが、けっこう肌寒い。 朝食の支度。 休日なので和風。真鯖の塩焼き、鶏肝煮、大豆きんぴら、菠薐草と油揚げの味噌汁、御飯。 朝風呂に入って、湯船で 「世界をより良いものへと変えていく」 (K.メイニー、S.ハム、J.M.オブライアン著/ピアソン) を読む。 昼食は味噌ラーメン。 夕食はカレーライスに、 胡瓜と人参の自家製ピクルス、超具沢山の豚汁。

夜は、安く買った「とちおとめ」でジャム作り。 近所の八百屋で何故か今頃、安売りしていたので。 いや、今頃だから安いのか。 家中を苺の甘い香りにしつつ、 「フーコー入門」(中山元著/ちくま新書) を読みながら鍋の番。 バリバリのキャリアウーマンが赤ん坊を押しつけられて、 会社からも追い出されて、転落人生の災難のあげく、 ジャム作りを始める映画って、タイトルは何だったっけ。

2011年11月2日水曜日

パンチ・カード

いつもの朝食のあと、お弁当を作って出勤。 昼食は持参のお弁当。胡瓜のサンドウィッチとハムのサンドウィッチ。 昼休憩に新刊書店で IBM 社百周年本「世界をより良いものへと変えていく」 (K.メイニー、S.ハム、J.M.オブライアン著/ピアソン) などを買う。 IBM って百年も続いてたんだねえ。 夕方退社。 夕食の支度。御飯を炊いて、 豚丼(玉葱、胡麻)、菠薐草のおひたしに鰹節、 里芋の煮物、若布と胡麻のスープ。 食後にロイヤルミルクティとチョコレートチーズケーキを一切れ。 お風呂に入って、湯船で 「ブッダのことば(スッタニパータ)」 (中村元訳/岩波文庫)を読む。

上の IBM の本は宣伝本みたいなものかな、 と思って手に取ったのだが、非常に面白い。 IBM の歴史は情報産業の歴史。 今日読んだところでは「パンチ・カード」の話が興味深かった。 昔のコンピュータは穴を開けた紙のカード(パンチ・カード)でデータを読んでいたのだが、 パンチ・カードの覇権は 60 年以上も続いたそうだ。 60 年間も他の方法が一切現れなかったのだ。 二十世紀前半の企業の規模の発展は、パンチ・カードが支えた、 と言っても過言ではない。 1950 年代の IBM の売上の三分の一は、なんと、 紙のカードそのものの売上だったそうだ。印刷屋みたい。 技術の進歩って、タイミングがちぐはぐにずれていたり、 かと思うと、まるで指揮者がいるかのように、 色んなピースがぴたりと揃うこともあったり、となかなか面白い。 つまり、ほぼランダム、ってことなんじゃないかとも思うけれど。

2011年11月1日火曜日

食べたものリスト

いつもの平日用洋風朝食。 すなわち、珈琲、トースト、ベーコンエッグ、マカロニサラダ、 ブルーベリージャムとヨーグルト、チョコレートチーズケーキを一切れ。 昼食は持参のお弁当。レバ韮炒め、里芋の煮物、大豆きんぴら、自家製ふりかけ御飯。 夕食は真鯖の塩焼き、高野豆腐の冷たい煮物、菠薐草のおひたしに鰹節、豚汁、御飯。 食後に緑茶とどら焼。

たまには食べものリストだけの日記もいいじゃない。 正岡子規の「仰臥漫録」みたいで。

2011年10月31日月曜日

また父からの手紙

朝食のあと出勤。 予想通り株価は一直線にストップ安をつけて引け、 時価総額の二割、およそ四十億円が失われた。 とは言え、オフィスは特にいつもと変わった様子はない。

帰宅したら、また父から手紙が届いていた。 飼っていた犬が(老衰で)死んだそうで、その報せ。 そしてまたしても、手紙は一句で締め括られていた。 「行路難、不在水不在山、秪在人情反覆間」。 今度は漢詩で来たか。 百楽天と書いていたが、もちろん白楽天の書き間違いだろう。 そして、私が訳するに、 「旅路の難儀は、海や河にあるのでもなければ山にあるのでもない、 ただ人の心の移り変わりの間にあるのだね」。 相変わらず、ありがたいようなありがたくないような、 何を言いたいのか良く分からない引用だ。 毎回、微妙に間違えているし。

お風呂に入ったあと夕餉の支度。 夕食は御飯を炊いて、 高野豆腐の溶き卵とじ山椒風味、里芋の煮物、ちりめんじゃこ、油揚げと若布の味噌汁。 食後に緑茶とどら焼。

2011年10月30日日曜日

小数の法則と「DL2号機事件」

洗濯を洗濯機に任せて、その間に朝食の支度。 クレソンのサラダと、カレーライス。 お風呂に入って、湯船で "Judgement under uncertainty: Heuristics and biases" (Ed. by D.Kahneman, P.Slovic, A.Tversky / Cambridge) より、(行動経済学の)「小数の法則」についての論文などを読む。 (ところで、数学では「小数の法則」を別の意味に長年使っているので、 同じ名前を使われるとちょっと混乱する。) 昼食は煮麺(玉葱、若芽)。 午後は私的プロジェクトの作業、読書、料理の仕込みなど。 高野豆腐と里芋をそれぞれ煮た。 夕食は、前菜にマカロニサラダ(玉葱、胡瓜、人参、フジッリ)、 メインに骨付きラム肉を塩胡椒だけで焼き、 付け合わせにポテト、ブラウンマッシュルーム、クレソン。 こちらもすべて塩胡椒のみだが、粒マスタードも添える。 食後にチョコレートチーズケーキと紅茶。

上の論文を読んでいて泡坂妻夫の「DL2号機事件」という短編小説を思い出した。 サイコロを振って、1の目が出たとしよう。 このときに、次も1の目が出るだろう、と思う人と、 次は別の目が出るだろう、と思う人の二通りがある、 というようなことが書いてあったと思う。 このどちらかだと思ってしまう、というところが人間の思考の奇妙なところである。 真実はどちらでもないのだから。 昔海軍で船が砲撃されたときに、 あえて砲撃でできた穴に逃げる兵士がいた。 同じ場所に着弾する確率は低いから、と。 我々はこのジョークを笑う。 しかし、既に着弾した場所も他の場所も、次に着弾する確率は同じであり、 論理的には笑うべきところはない。 つまり我々の多くは、ランダムネスを近視眼的な「公平さ」 の形でしか理解できない。 そうでなければ、もっと悪く、「ツキ」の言葉でしか理解できない。

2011年10月29日土曜日

一宿一飯

昨日の午後、市場がクローズしたタイミングで、 業績予想の下方修正と社長兼CEOの引責辞任の発表があり、 激震の週末。 末端社員の私から見ると、この数年どこまでも巡り合わせが悪かった、という印象なのだが、 もちろん社長は「ツイてませんでした」で済まされない。それがトップというものだ。 おそらく、レイオフの大鉈をふるったときから、 辞任の覚悟があっただろうと思う。 ただ私は個人的に、 たとえ辞任を申し出ても、この会社を率いる人が他にいないという理由で、 しばらくは続けざるを得ないだろう、とまさに昨日の午後まで思い込んでいた。 実際にはCFO(最高財務責任者)が新社長になったのだが、 3Q の決算発表を待たずして、 市場はこれを経営陣からの「メッセージ」と捉えるだろう。 その反応は月曜日待ちだ。

前社長が一昨年亡くなり、社長が昨日辞任して、 大学に職を見つけるまでの若き日の私を拾ってくれた創業者二人が会社からいなくなった。 長年、秘かに恩義を感じ続けてきたのだが、いまだそのお返しをできないことを、残念に思う。

2011年10月28日金曜日

考え事

爽やかな朝だ。 珈琲、トースト、ベーコンエッグ、マカロニサラダ、 ブルーベリージャムとヨーグルトのいつもの平日朝食。 お弁当を適当に詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。韮レバ炒め、大豆きんぴら、蕪の甘酢漬け、 自家製ふりかけ御飯。

少し手詰まり気味だし、ちょっと考えたいこともあったので、 午後早々と退社。 銀座をぶらぶらしながら考え事。 しかし、銀座というところはあまり考え事に向かない場所で、 やっぱり神保町に戻って散歩。今は、古書祭の最中だ。 夕方になって、 くたびれやさぐれた中老年サラリーマンの集う、中華料理屋へ。 この店で私が食べたいベスト3、 砂肝の大蒜唐揚げ、皮蛋、水餃子の夕食。 変な組み合わせではあるが、欲望に忠実に。

2011年10月27日木曜日

サインコサインなんになる

いつもの朝食のあと出勤。 昼食は持参のお弁当。大豆きんぴら、鶏肝生姜煮、胡瓜のピクルス、自家製ふりかけ御飯。 夕方退社。帰宅して夕食の支度。 前菜にカルボナーラのあと、小さな骨付きラム肉を焼く。 火を止めて肉の内側に熱を通している間に、つけあわせの仕上げ。 ポテト、ブラウンマッシュルーム、大蒜、もやし。 何故だか色合いが寂しいなあ……と思っていたら、 食後になって、クレソンも買ってあったのを思い出した。失敗。 夜は読書と、少し料理。マカロニサラダを仕込んだ。

昨日の「反ったレール」問題の解答:
真面目にやると三角関数が必要になるので、雑な近似をしてみよう。 レールの曲がりはわずかなので、 地面とレールのなす円弧をひらべったい二等辺三角形と思ってよかろう。 底辺の長さは 999.9 メートル、他の二辺の長さは 500 メートルずつ。 この高さはピタゴラスの定理よりただちに求められて、約 7 メートル。 これは大きく見積った値なので、答は 6 メートルくらいか。 わずか 10 センチしか縮めていないのに、けっこう大きい。 この意外性の理由は、一つには「赤道ロープ」の問題と同様に、 問題の背後に巨大な「半径」が隠れていること、 もう一つには sin θ と θ が非常に近いことがある。 真夏に暑さでレールが伸びて大きく曲がったりするのには、 こういった数学的な事情があるのです。

上の雑な計算がどれくらい良い近似なのか議論しようとすると、 どっちにしろ三角関数の知識が必要になる。以下では、厳密に求めてみよう。 この円弧の中心角をθの二倍、円の半径を R とおくと、 円弧(つまりレール)の長さが R かける 2θ、 弦(つまり地表)の長さが 2R sin θで、この比が 1000:999.9 に等しい。 これよりθが決まり、さらにRも分かって、 答は R の 1 - cos θ 倍として得られる。 ここまでは高校生でもできるが、具体的に数値を得るには (計算機を使うか)近似計算をするしかない。 この知識はオトナ向けだろう。 sin θをθそのもので近似することが多いが、 今の場合はレールの長さと地上の距離の関係がこの近似に対応しているので、 より高いオーダが必要になる。 しかし、めげずに実行すると大体 6.12 メートル強、くらいの結果が得られる。 この近似値は真値に非常に近い。

2011年10月26日水曜日

反ったレール

昨夜、カクテルを二杯飲んだので、朝が少し辛い。 ちなみに、ギムレットと XYZ。昔から XYZ が好きだ。 あまりアルコールが飲めない私は、間を持たせるため、 XYZ の方はロングカクテル風にしてもらった。 いいシェリーをちょっと入れたりして、洒落てるね銀座は。

いつもの朝食のあと出勤。 昨日は暑いくらいだったのに、今日は急に十度近くも気温が下がった。 昼食は持参のベーグルサンドウィッチ(ポテト、胡瓜、ベーコン)。 夕方退社。 帰宅して、夕食の支度。 豆鯵の煮付け、玉葱大豆、韮レバ炒め、蕪の甘酢漬け、 里芋と油揚げの味噌汁、御飯。

地球の赤道にロープをぴったり巻きつけてのち、 そのロープを1メートルだけ伸ばしたとすると、 ロープと地表にどれだけ隙間ができるでしょう、 という問題は良く知られている。 ほんのちょっとしか浮かないように思えるが(例えば、0.1 ミリくらい?)、 実際に計算してみると、けっこうな高さになって驚く。 しかし良く考えると、 円周の長さと直径は正比例しているのだから、 円周が伸びるのと同じ比率で直径も伸びるのであって、 つまり、円周を伸ばした長さと同じオーダの長さの隙間ができるのは、当たり前だ。

では、上級編。 今、全く平らな地面に、1 キロメートルの長さのレールが置いてあります (地球の表面が曲がっていることは考えなくていいです)。 これを両端から押したところ、10 センチだけ両端が近付いて、 レールが円弧形に上に反りました。 レールの中央は地面からどれくらい浮いているでしょう。 厳密に求めるもよし、「封筒の裏」での見積り計算の腕を発揮するもよし。

2011年10月25日火曜日

「全て」

あなたは私の人生の光じゃない
あなたを幸せにすることが私の一番の夢じゃない
あなたの微笑みだけが私の生きる目的じゃない
私は自分自身やっていくことがあるから
でも、あなたは奇妙で、魅惑的で、あなたのような人には会ったことがない
私はあなたに全てを与えたい
ただ、それであなたが何を「する」のか、見たいから

(そして、あなたのジャイロコプタから振り落とされないよう、その手を握っていたい)

xkcd.com "Everything" より。 原による試訳。

こんなことを言ってみたいものだし、言われてみたいものだね、ほんとうに。

いつもの平日用洋風朝食のあと、お弁当を作って出勤。 昼食は持参のお弁当。ポテト、玉葱、胡瓜、ベーコンのベーグルサンドウィッチ。 夕方退社して、近所のカフェで 「ミシェル・フーコー」(重田園江著/ちくま新書)を読みながら一服。 夜は久しぶりに、ネットワーク・ハッカーのNさんと会食。 新橋の路地裏の天ぷら屋にて。

2011年10月24日月曜日

粒と影

変に暖かい日が続くなあ。 珈琲、トースト、ハムエッグ、菠薐草ソテー、柿とヨーグルト。 昼食は持参のお弁当。自家製ふりかけ御飯、大豆きんぴら、鶏肝生姜煮、蕪甘酢漬け。 帰りが少し遅くなったので、手抜きのタンメン(玉葱、韮、もやし、油揚げ)。 大人になるまで「タンメン」を知らなかったのだけれど、関東圏のものなのかな。

昨日のポーカーハンドの問題の解答。
フォーカードとは正確に言えば、「同じ数字の四枚」ではなく、 「同じ数字の四枚プラス何でも良いもう一枚」である。 だから、同じ数字が四枚のそろい 13 通りのそれぞれに対して、 もう一枚の選び方が 52 - 4 = 48 通りあり、 全部で 13 かける 48 通りの可能性がある。 これはストレートフラッシュの 40 通りよりずっと多い。

わざと間違った考え方に誘導する、 どちらかと言えば引っ掛け問題の類だが、 それでも教訓はある。 二つの確率や可能性を比べるときには、 その粒がそろっていなければ意味がない。 そのためにはしばしば、その「影」の部分までコミに考える必要があるが、 どうしても盲点になりがちである。 この間違いは思っている以上に多く、 あちこちで深刻な害をなしているような気がする。

2011年10月23日日曜日

ポーカーハンドの問題

和朝食。 豆鯵、玉葱大豆、蕪の甘酢漬け、菠薐草と油揚げの味噌汁、御飯。 夜は浅草にて、友人のアニメータの結婚披露宴。

blog "Futility Closet" に次のような問題が紹介されていた。

ポーカーの手の「フォーカード」は A のフォーカード、2 のフォーカード、……、K のフォーカードで 13 通りしかなく、 一方で「ストレートフラッシュ」は 40 通りあるのに、 「ストレートフラッシュ」の方が強い手とされているのは何故でしょう?

お恥ずかしながら、すぐに分からなくて、答を見てしまいました。 プロバビリストとして、本当に恥ずかしいです。 寝起きでぼうっとしていたのだ、と信じたいが、 痴呆が進行しているという可能性も捨てきれない。 いや、確率というものはいかに初等的な問題でも、 国内屈指の確率的思考のプロすら(私のことですよ、念のため)、 時にうっかり見落しをするほどトリッキィなのだ、 と日記には書いておこう。

答は明日。どうしてもすぐに知りたい方は、上記リンク先の "Futility Closet" 内で探して下さい。

2011年10月22日土曜日

雨降り

また十時間以上寝てしまった。雨の夜は良く眠れる。 珈琲を飲んで目を覚ます。雨。今日は一日、続くらしい。 とりあえず御飯を炊いて朝昼食の支度。 豆鯵の煮付け、ひじきと大豆と人参の煮物、蕪の甘酢漬け、菠薐草と油揚げの味噌汁。 さて、今日は何をしようかなあ。

とりあえず書庫を歩いて 「死の接吻」(I.レヴィン著/中田耕治訳/ハヤカワ文庫) を手にとり、朝風呂に入る。雨降りだからミステリでも勉強しよう。 午後は読書をしたり、書き物をしたり。 夕食の支度。 ポトフに飽きてきたので、 スパイスを加えてカレー風味にする。 鶏肝ソースのスパゲティ。食後に柿とヨーグルト。 夜は鶏肝を酒と醤油と味醂と生姜で煮たり、大豆のきんぴらを作ったり、仕込みを少々。 お風呂に入って湯船で 「アインシュタイン論文選 『奇跡の年』の5論文」(A.アインシュタイン著/J.スタチェル編/青木薫訳/ちくま学芸文庫) より、 スタチェルの「『奇跡の年』100周年に寄せて — 青春のアインシュタイン」を読む。

2011年10月21日金曜日

凶暴な猫

曇り空。夜から雨になるとか。 珈琲、ポトフ、目玉焼き、胡瓜とハムのホットサンドウィッチ、柿を一つ、 の朝食のあと出勤。 東京はずいぶんと冷えてきた。太陽が隠れているせいもあるが、肌寒い。

並行化プログラミングって難しいな……。 昼食は持参のお弁当。自家製のふりかけ御飯に、豆鯵を煮たときの梅干し、ひじきと大豆と人参の煮物。 午後は主にドキュメント書きなど。 夕方退社して、近くのカフェで "Dead Famous" (C.O'Connell 著 / Berkley Novel) を読みながら一服。 マロリー・サーガには凶暴な猫の登場率が高いような。 今回は、傴僂の障害を持つ清掃員の女性で、実は逃亡中の聡明な精神分析医、 というオコンネルらしい登場人物の飼い猫として登場。 名前は "Huggermugger" 略して "Mugs". ちなみに彼女と猫が潜伏しているのは、かのチェルシー・ホテル。

夕食は、労働者の週に一度の贅沢として、近所のベルギービール屋にて。 トリッパときのこの煮込み、銀杏ときのこのアーリオオーリオ。 帰宅して、お風呂に入る。 ロイヤルミルクティーを作って、ほっと一息。

2011年10月20日木曜日

まめあじ

いつもの朝食のあと出勤。 昼食は持参のサンドウィッチ。胡瓜とハム。 夕方退社。 財政緊縮のため、なかなか動物性たんぱく質に手が出ない。 これも、人口の 1 パーセントの金持ちのせいだろうか。 百人に一人というのは「ぼくたちの周りにはいないよね?でも、そんな人たちが近くにはいるんだよ」 と思える絶妙の割合なのだろうなあ……などと魚棚の前で思う。

いや、それはさておき、切実な問題なのは、残りの 99 パーセントに属する私の今日の夕餉の食卓だった。 先月、東京砂漠の生活を憐んだ知り合いが送ってくれた音戸のちりめんじゃこが沢山あるのだが、 食卓には彩と変化というものが必要だ。 聖橋から飛び降りるくらいの気合で、豆鯵を十匹買い、帰宅。 豆鯵と言っても、じゃこに比べればくじらなみに大きいしね。

豆鯵もちゃんと作れば鯛の味。偶然ながら五七五。 さっと霜降りをしてから、酒が多めの煮汁で梅干しと一緒に煮る。あとで生姜も。 あじな魚というだけあって味は良かったのだが、 老眼で小骨が見えない、という重大な問題が! 他に、ひじきと大豆と人参の煮物、蕪の甘酢漬け、切干し大根の味噌汁、御飯。 柿が一つ熟し過ぎて溶けかかっていたので、ヨーグルトとあわせて食後のデザートを作る。

2011年10月19日水曜日

関節の外れた時代

「世界の運命」(P.ケネディ著/山口瑞彦訳/中公新書) を読んでいて、 「関節が脱臼している」時代という表現は、 シェイクスピアがもとだったのかと気付く。 しかも「ハムレット」。 吉田健一がそんな表現を使っているのを読んで、 うまいことを言うものだな、と思っていた。 シェイクスピアは引用したとあえて断わる必要すらない、 基礎教養ですよね……。 それはさておき、今の日本の政治状況って、 関節が外れている、としか言いようがないような気がする (珍しく社会派だね)。

カフェオレ、トースト、ポトフ(じゃが芋、人参、ザウアークラウト、ソーセージ)、 目玉焼き、林檎ジャムとヨーグルト。 朝食のあと、お弁当を作って出勤。 昼食は持参のお弁当。自作ふりかけ(ひじき、鰹節、じゃこ、胡麻) の御飯、ハム、玉葱大豆、昆布の佃煮、胡瓜のピクルス。 夕方退社して、神保町のカフェで一服。珈琲豆も購入。 近所のスマトラカレーの店で夕食をとってから、 恵比寿に向かう。

写真美術館で開催中の第二回東京ごはん映画祭より、 映画「ディナー・ラッシュ」(B.ジラルディ監督/ 2001 年) を観る。 今、終わった頃。

2011年10月18日火曜日

1905

昨夜仕込んでおいたポトフ中心の朝食。 他に珈琲、トースト、目玉焼き、林檎ジャムとヨーグルト。 お弁当用に、胡瓜とハムのサンドウィッチを作って出勤。 夕方、退社。 夕食は、大豆とひじきと人参に煮物、玉葱と胡瓜のピクルス、 薩摩揚げ焼きに生姜醤油、オクラの味噌汁、御飯。 食後に和歌山の種なし柿。

湯船で「アインシュタイン論文選 『奇跡の年』の5論文」(A.アインシュタイン著/J.スタチェル編/青木薫訳/ちくま学芸文庫) を読む。 ペンローズの短い序文がピリッと効いているし、 スタチェルの解説も充実、 そして「奇跡の年」の 5 論文を収めて、 千三百円は大変にお買い得。 訳者あとがきの、 ニュートンの「プリンキピア」との比較も面白い。 まあ、個人的には、「プリンキピア」の深さ、大きさ、凝縮度からして、 アインシュタインの論文の鋭い一編の詩のような性格 (これは最上級の賛辞です。念のため)と比較するのは、 やや筋違いかな、とは思いますけれども。

2011年10月17日月曜日

一七五五年、リスボン

いつもの朝食のあと、久しぶりに出社。 昼食は持参の、胡瓜のサンドウィッチ。 昼休憩の散歩の途中、新刊書店で 「アインシュタイン論文選 『奇跡の年』の5論文」(A.アインシュタイン著/J.スタチェル編/青木薫訳/ちくま学芸文庫)、 「世界の運命」(P.ケネディ著/山口瑞彦訳/中公新書) を買う。

夕方退社し、食材を買って、帰宅。 お風呂に入って、湯船で「世界の運命」を読む。英国流のインテリだね。 ジョージ・オーウェルがかつて連載していた「私の勝手」の正統な後継者かも知れない。 もちろん、オーウェルよりずっと温厚ではあるけれど。 御飯を炊いて、だしをひき、夕食の支度。 大豆とひじきと人参の煮物、薩摩揚げ、冷奴、蕪の甘酢漬け、 オクラの味噌汁、御飯。 夜は、じゃが芋と人参とザウアークラウトとソーセージのポトフを仕込む。 朝食用。

私は今年、欧州で最も美しく興味深い場所の一つである、 ポルトガルのリスボンを再訪することにしている。 実は、はるか昔の一七五五年に、 リスボンの中心部は凶暴な地震と津波によって壊滅した。 そして多くの住民は、世界が終わったように感じたのである。 だが、そうではなかった。 多大な費用と年月を要したものの、リスボン市民は、 破壊された中心部を再建し、以前よりもっと美しい街にしたのである。 人類は、偉大なことを行う才能を持っている。 日本の友人たちもまた、その同じ偉大さを見せてくれるに違いない。

二〇一一年、五月 ポール・ケネディ

(「世界の運命」(P.ケネディ著/山口瑞彦訳/中公新書)、「まえがき」より)

私も昔、リスボンに行ったことがありますが、 海に面した七つの丘に彩られた美しい港街でした。 鮟鱇鍋(もちろん肝入り)が美味しかったな。 一七五五年のリスボン大地震では、 街ごと文字通り壊滅、 全市民の三分の二にあたる六万人が亡くなった、 ということを今日初めて知りました。

2011年10月16日日曜日

秋刀魚と大根の問題

珈琲で目を覚まして、朝食の支度。 薩摩揚げを焼いて生姜と醤油、蕪の甘酢漬け、どんこ昆布、ちりめんじゃこ、 長芋のとろろ汁、御飯。 洗濯機に洗濯を任せ、 朝風呂に入ってから、二時間昼寝。 昼食を食べようにも、休日はいつも以上にエネルギィを使わないので、 お腹が全く空かない。太るのって難しい。

午後は掃除機がけなどの掃除と、少し書きもの。 夕方になって食材の買い出し。 秋刀魚は一匹百円以下に落ちてきたが、大根がやたらに高い。 秋刀魚には大根おろしが定番のはずなのに、 よく考えると、季節がずれているではないか。 季語事典を見なくても、秋刀魚は秋、大根は冬だ。 かと言って、秋刀魚を冬まで冷凍するようでは、季節を疎かにする。 ひょっとして秋刀魚と大根は、 気取った食通が鱧と松茸のお椀なんかを前に蘊蓄を講釈するところの 「であいもの」なのだろうか。

帰宅して、夕餉の支度。 秋刀魚の塩焼き、茄子とオクラを焼いて生姜醤油、 冷奴にもろみ。そのあと蕎麦を茹でて食べる。 夜は料理の仕込み。 お風呂に入って湯船で "Dead Famous" (C.O'Connell 著 / Berkley Novel) を読む。

2011年10月15日土曜日

GPS と特殊相対性理論

珈琲で目を覚ましてから、朝食の支度。 長芋のとろろ卵かけ御飯、ちりめんじゃこ、蕪の甘酢漬け、どんこ昆布、 切干し大根の味噌汁。 昼食はカレーライス、胡瓜と玉葱のピクルス、 林檎ジャムとヨーグルト。 出張先でも、激痩せっぷりを色々な人に心配していただいたことだし、 積極的に食べよう。 夕食のメインは秋刀魚。アイ・ラヴ・サンマ。 他に冷奴、ちりめんじゃこ、蕪の甘酢漬け、若布と麩の味噌汁、御飯。

ニュートリノが光速より速く運動したかのようなデータが観測されたのだけれど、 これ如何に、というニュースが少し前にマスコミを騒がせた。 このパズルはまだ未解決だが、ちょっと面白い 指摘(The Physics arXiv blogより) がプレプリントとして発表されていた。 念のために書くが、もちろん一つの可能性に過ぎず、 これが正解である見込みは低い。

わずか 4 ページのそのプレプリントを見ていただければ分かるが、 主張はとても簡単で、ほぼ一言で説明できる。「ローレンツ収縮」だ。 実験では、単純に言って、ニュートリノが出発したときと到達したときの時刻を測り、 この間の時間で距離を割り算して、速度を計算する (えーと、小学校では「は・じ・き」の公式とか言うんだっけ)。 ここで大きな問題の一つは、「時計あわせ」である。 どうやって、出発点と到着点に完全にシンクロした時計を置くか。 この実験では、時間を GPS 人工衛星の時計で測ることで解決した。 しかし、特殊相対性理論によって、 地上のニュートリノの旅程の方向に運動している人工衛星にとっては、 ニュートリノが移動する距離が縮むのだった。 この収縮した距離ではなくて、地上の距離を使って計算するなら、 その誤差に応じて人工衛星の時計で測った時間を補正する必要がある。 これを勘定に入れていましたか、 と言う指摘である(私の理解が正しければ)。

ややこしいのは、 そもそも GPS 自体が既に自分で時間を補正していて、 相対性理論が大いに使われていることだ。 例えば、言わゆる「ウラシマ効果」、 特殊相対性理論による時間のおくれの効果は既に補正済みである。 地球の重力場および地球の自転の影響による時間の伸縮も、 一般相対性理論を用いて補正されている (GPS ってすごいね)。 何と何がどこで補正されていて、何が考慮済みで、 互いにどう影響を与えあうのか。 実験物理のプロ中のプロ、ベスト・アンド・ブライテストの OPERA チームでも、 (上のような単純な話かどうかは別として) 相対論の「時計あわせ」まわりで何か見落すことがないとは言えない。

考えていると段々と混乱してきた。久しぶりに、 岩波文庫の「相対性理論」(A.アインシュタイン著/内山龍雄訳)で 「動いている物体の電気力学」を読み直そうかなあ。

2011年10月14日金曜日

ビジネスホテル

研究会の二日目。 早朝にチェックアウトして、伊都キャンパスへ。 会社の経費なので、 ほぼ最安値と思われる天神のビジネスホテルに泊まっていた。 最近のビジネスホテルって綺麗で悪くないね。 朝食を部屋に持ってきてくれないことを除けば、だけれども。 研究会は夕方終了。帰路につく。

2011年10月13日木曜日

伊都キャンパス

伊都キャンパス、遠い。 最近よく大学が田舎に新キャンパスを開くけれど、 どうしてなんだろう。 最適化理論の研究会に参加。 半正定値計画の話題が多いみたい。

あ、そうだ。雑誌「数理科学」に 「Amazon ランキングの謎を解く」(服部哲弥著/化学同人) の書評を書きました。 多分、今月下旬に発売される 11 月号に掲載されるはず。 ちなみに 11 月号の特集は「線形から非線形へ 〜 数学と物理の世界を拡げるキーワード」だそうです。

2011年10月12日水曜日

Voici la belle saison

朝、窓を開けてから、珈琲をいれて朝食の支度。 いい季節になった。 自分以外の誰もが、山鳩のようにクークー身体を擦り合わせて、 楽しく幸せに暮らしているような気がする、 爽やかで素敵な秋の朝だ。

またいい気候の季節が来た
閉した窓を開け放すと
家々の
二階と
階下とで
話をする
声がきこえてまいります

J.コクトー「いい気候」(堀口大學訳)

自宅で少し雑用をして、昼食ののち、博多に移動。

2011年10月11日火曜日

深いC

目覚しの珈琲。秋の涼しさでいくらでも寝られるところだが、 朝のタイプ打ち仕事をしなければ。 夜明けの鐘はKOゴング、打たなきゃ昨日に逆戻り(「ジョーの子守唄」より)。 いつもの朝食のあと、出勤。 昼食は持参のお弁当。ロースハムと自家製ザウアークラウトのサンドウィッチ。 夕方、退社。 お風呂に入ってから、夕食の支度。 蒸し鶏に玉葱のピクルスを敷き、上からレモンを搾る。 メインは焼き茄子に生姜醤油。茄子は天下の美味であるなあ。 鮭の酒漬け、長芋のとろろ汁、御飯。

"slideshare" にあった、この "Deep C" はすごく勉強になったし、楽しいスライドだった。 実際、今日の午前中はこれを見てつぶしてしまったくらい。 しかし、素直に言って、 ここに例に挙がっているようなコードはそもそも書いてはいけない、 の一言に尽きるような気がする。 ハッカーが言うところの「一回、自分でコンパイラを書いてみれば簡単に全部分かるよ」的な C の深層の知識で、 プログラマの休憩時間の知的雑談には持ってこい、ではあるが。 (「俺は学生時代に三回書いたな。C 自身と Scheme と Fortran で」とか、 「でも面白いのは最適化のところだからさ」とかね。) さらに、C++ について言えば、 このスライドを見て、いついかなる時も使ってはいけないような気がしてきた。

2011年10月10日月曜日

ロールパンのダンス

また 10 時間近く寝てしまった。 珈琲で目を覚まし、しばらく趣味の仕事をしてから、朝食の支度。 冷や御飯にカレー、胡瓜のピクルス、玉葱のレモンピクルス。 朝風呂に入って、湯船で "Dead Famous" (C.O'Connell 著 / Berkley Novel) を読む。 昼寝をしてから、午後は洗濯や掃除などの家事の合間に読書。 「ぼく自身あるいは困難な存在」(J.コクトー著/ 秋山和夫訳/ちくま学芸文庫) を読み返したり。

というのも、チャップリンが「黄金狂時代」から「ロールパンのダンス」の場面を削除しなかったのを後悔していた、 という逸話はどこで読んだのだったかなあ、と気になったので。やはり「困難な存在」だった。 チャップリン映画の中で最も愉快なシーンの一つであり、観客はみんな大喜びした。 観客のアンコールでそこだけ繰り返し上映したこともあるそうだ。 (どんな場面だったっけ、と思われた方のために、YouTube で検索しておいた。 これ "Chaplin in the Gold Rush" (1分02秒)です。) しかし、本人はこれを人目を惹く汚点に過ぎない、と思っていたという。 チャップリンは映画を撮り終えると、「樹を揺さぶって果実を落としておく」とも、 コクトーに述べたらしい。続けて言うには、 枝にしっかりついているものしか残しておくべきではない、と。

夕食は、蒸し鶏の豆苗添え、茄子の煮浸し、ちりめんじゃこにレモン醤油、長芋の味噌汁、 鮭の鮭漬けと大葉の醤油漬けをのせてお茶漬、ヱビスビール。 夜はお風呂に入ってのち、ビールの残りを飲みながら、 コクトーを読み返したりして過す。 前にも書いたが、私は若い頃、「コクトーくらいにならなれるだろう」と思っていた。 青春は赤恥と言うけれど、若いって素晴しい、じゃなくて、恐しい。

2011年10月9日日曜日

「ソウル・キッチン」

さて、今日は何をしようかなあ。 珈琲で目を覚ましてから、御飯を炊き、朝食の支度。 鮭の酒漬け、高野豆腐、茄子の煮浸し、どんこ昆布、長葱と麩の味噌汁、御飯。 朝風呂に入って、湯船で "Dead Famous" (C.O'Connell 著 / Berkley Novel) を読む。しばらく昼寝。また二時間以上寝てしまった。 相変わらずの一日 12 時間睡眠。 ああ、睡眠が一日 6 時間、いや 8 時間で済めば、一体どれだけ沢山のことが成し遂げられ、 どんなにか有意義な毎日が送れることだろうか、いや、きっと変わりはしない(反語的表現)。 かのセネカも、人が時間を粗末にすることを嘆いて、 「誓って言うが、諸君の人生は、たとえ千年以上続いたとしても、きわめて短いものに縮められるであろう。諸君の悪習に食いつくされない時代は、一時代もないであろう」 と、書き残している。

夕方から、東京都写真美術館へ。 先にチケットを買って、カフェで少し読書などしてから、 映画 「ソウル・キッチン」 (F.アキン監督 / 2009年) を観る。 ハンブルクってちょっと興味深い都市だな。

2011年10月8日土曜日

推敲の鬼

ああ良く寝た。珈琲で目を覚ます。 朝食は朝カレー。手製の胡瓜のピクルスつき。 朝風呂に入って、湯船で "Dead Famous" (C.O'Connell 著/ Berkley Novel) を読み始める。マロリー・サーガの第七作目。 ちょっと寝台に横になったら、また二時間以上も寝てしまった。 目覚しの昼食(?)。ブルーベリージャムのホットサンドウィッチと紅茶。 午後はいつもの休日のように読書や、料理の仕込みなど。 茄子の煮浸し、玉葱のピクルスなどを作る。

夕食の支度。メインは蒸し鶏。朝から塩をしておいた腿肉を、生姜と葱の青いところを敷いて蒸す。 その間に冷たい高野豆腐の卵とじを食べながら待ち、 蒸しあがったところで蒸し鶏。 豆苗を添えて、レモンと醤油ベースのドレッシングで食す。 私は長い間、ドレッシングは既製品の方が美味しい、 特に「○ューピー」を侮るな、と主張していたのだが、 最近、悟るところがあって、上手に作れるようになった。 そのあと蒸し鶏で出た汁をのばして塩とレモンで味を整え、 乾麺の稲庭うどんを入れて温麺にする。

夜は私的プロジェクト関連の作業や、読書など。 「十蘭万華鏡」(久生十蘭著/河出文庫)より、「雲の小径」、「川波」を読む。 十蘭は推敲の鬼として知られていて、同じ話を何度も書き直している。 実際、この「川波」に出てくる、 世界大戦の開戦間際に女がドイツの船で、男がシベリア鉄道で、 別々にヨーロッパに向かってパリで逢引をしようとする、という別れ駆け落ちのモチーフ、 別の短篇で何度も読んだような気がする。 その度に全体のストーリィは違うのだが、このモチーフのところだけ、ぴったり同じ。 女の夫がロンドン勤めの名士だとか、 女の実家は 24 歳までに結婚するという掟がある名家だとか、 ディテイルが全く一致している。 お気に入りの材料であるが、この材料をどう料理するべきか、と何度も試したのだろう。

2011年10月7日金曜日

湯治

いつもの朝食のあと出社。 昼食は、鮭と玉葱のマリネのサンドウィッチ。 私が最も美味しいサンドウィッチ・ベスト3の一つに挙げる 「鰯の酢漬けと茹で卵のサンドウィッチ」に偶然ながら、近い味わい。 午後の早い時間に切り上げて、上野駅より新幹線で日帰りの湯治に出かける。

温泉の湯に入ったり出たり入ったり。 単なるストレスのような気もするが、湯治って本当に効果があるのだろうか。 とりあえず、適度な疲労感は得られた。 蕎麦屋で夕食をとって(予定)、帰路につく(現在、その途中のはず)。

2011年10月6日木曜日

思秋期

珈琲で目を覚まして、いつもの洋風朝食のあと、 簡単なお弁当を作って出勤。 不本意だが、医者がもっと食べろと言うので。 昼食は持参のお弁当。 高野豆腐、鮭と玉葱のマリネ、おかかとひじきと胡麻の御飯。 ようやく数値計算が終わった。 計算に一週間近くかかるのは、流石にまずい。 次はせめてマルチプロセス化しようと思って、お試しプログラミング。 夕方、退社してスーパーで買い物をして帰宅。

お風呂に入ってのち、 岩崎宏美の「思秋期」など口遊みながら夕食の支度。 茄子の油焼きに生姜、高野豆腐と小松菜の煮物、御飯の上に鮭の酒漬けと大葉の醤油漬け、 切干し大根と麩の味噌汁。 夜はいつもの通り趣味の私的なプロジェクトの作業をしたり、 だしをとった後の昆布を山椒風味の佃煮にしたり、 「料理歳時記」(辰巳浜子著/中公文庫)を読んだり。 貴重な昭和の食の証言、名著として知られた「料理歳時記」。文庫版は荻昌弘の解説が熱い。

明日は仕事のあと、少し遠出して湯治に行こうかと思う。 不本意だが、医者がもっと自愛するように、と言うので。

2011年10月5日水曜日

秋雨

雨。雨の日は良く眠れる。 モーツァルトのピアノ協奏曲がずっと流れていたような気がするが、 夢現だったので定かでない。 目覚ましの珈琲といつもの朝食のあと、 鮭と玉葱のサンドウィッチを作って出勤。

夕方退社して、近所で散髪をして、帰宅。 夜もまだ冷たい雨が続いている。いい季節だ。 江利チエミの「酒場にて」など口遊みながら、夕食の支度。 「酒場にて」の歌い手はテレサ・テンが一番いいと思うのですが、どうでしょう。 豚角煮丼、もろみ胡瓜、豆腐と長葱の味噌汁。 夜は読書の合間に、料理の仕込み。 胡瓜のピクルスの本漬けをし、鮭と玉葱のマリネを作る。 ピクルス液が余ったのでマリネに使ったりするのが、家庭料理のいい加減さ。

2011年10月4日火曜日

食べ物の話いろいろ

ああ、(いつもの通り)良く寝た。珈琲で目を覚ましてから、朝食の支度。 ハムエッグ、マッシュルームとピーマンのソテー、バタートースト、 ヨーグルトと自家製の林檎ジャム、チョコレートチップ入りスコーン、ロイヤルミルクティ。 昼食用に、胡瓜のサンドウィッチを作って、出勤。 出社したら、まだ数値計算が終わっていなかった。 どうも、オーダ程度しか評価しない悪い癖が抜けない。 現実には、定数倍が時間単位なのか日単位なのかは、大きな違いなのだが。 昼食は持参の胡瓜のサンドウィッチと紅茶。

夕方に退社して、近所のカフェへ。 雑誌「考える人」の秋号(特集は「考える料理」)を読みながら一服。 小説家の川上弘美は知る人ぞ知る、凄腕のおうち料理人らしい。 「これは京都の居酒屋で食べたサラダのまねです」とか、「これは『クウネル』に載っていた料理です」、 などと自分で言ってしまう正直さが好ましい。 美味しそうだが、今から文芸誌の編集者に転職でもしない限り、おうちに呼んでもらえない。残念だ。

珈琲豆を買ってカフェを出て、夕食は近所のベルギービール屋にて。 里芋の豚汁風テリーヌと、ハラミ肉のステーキ、フリット添え。 テリーヌ・ア・ラ・トンジルとは画期的だなあ、と思い、たまたま一階にいたシェフにそう言ったら、 こういうアイデアは既知であるとのことだった。 古典派の家庭料理人なもので、トレンド知らずで申し訳ない。 白ビールを飲みながら、「考える人」で太刀魚のムニエールの写真をしげしげと眺めて、 しきりに感心していると、カウンタの隣に座っていたお客さんから、 「それは『コート・○ール』の S シェフのお料理ですね」と話しかけられた。 さすがファンが多いらしい。

帰宅して、お風呂に入ってから、料理の仕込み。 塩漬けしておいた鮭を焼いて、鮭の酒漬けにする(駄洒落ではない)。 胡瓜をピクルス用に下処理の浅漬けにする。

ああ、いけない。実生活が貧しいものだから、つい食べ物のことばかり書いてしまった。 情けない。反省して明日からは気をつけます。

2011年10月3日月曜日

激痩せ

「古楽の楽しみ」のあと、普段なら二度寝するところを起床して、 朝食抜きで人間ドックへ。午前中一杯、あれこれ計測される。 体重が 50 kg 近くまで落ちていて、ちょっと驚いた。 十代の頃からこんなに痩せたことはない。 夏がなかなか終わらなかったので、節制モードを続けていたからだろうか。 流石に不健康なので、食事の量を増やして行こう。 冬に向けて脂肪をつけないと。 やや不本意だが、軽く昼食もとるようにしようか。

人間ドックは昼食つきだったので、そこで中華料理の食事を済ませ、出勤。 痩せ過ぎだし、血圧も下が 50 台の低血圧だし、さらに血を抜かれて、 バリウムと下剤を飲まされたあとなので、調子が悪い。 特に急ぎの用もなく、先週末に仕掛けた数値計算が丸三日過ぎてもまだ終了していなかったので、 午後も早い時間に退社。帰宅して、少し仮眠。

体重 50 キロでも、今日も夕餉の支度をがんばろう。 豚角煮の小松菜添え、カレーライスにポーチ・ド・エッグ。 食後にロイヤルミルクティと、チョコレートチップ入りスコーン(既製品を温め直したもの)。 がんばると言っても、夕食のあとにスコーンを焼くまでの元気はない。

2011年10月2日日曜日

美食家の生活

カフェオレで目を覚まし、洗濯機に洗濯を任せておいて、朝食の支度。 新米を炊く。秋鮭を焼いて、だし巻き卵、どんこ昆布、小松菜と豆腐の味噌汁、御飯。 朝風呂に入ってから、しばらく寝床で読書。 「我が屍を乗り越えよ」(R.スタウト著/佐倉潤吾訳/ハヤカワ・ミステリ 439) 。

レックス・スタウトのネロ・ウルフ・シリーズが日本であまり読まれないのはなぜだろう。 今、新刊書店で入手できるのは「料理長が多すぎる」くらいなのでは。 英米では「探偵」と言えば、ホームズ、ポワロの次くらいに名前が出てもおかしくないようなのに、 日本ではそんなに知られていない。 私の想像では、「美食家探偵」と言われながら、ワインについて一言も蘊蓄を漏らさず、 ビールばかり飲んでいるのが良くないんじゃないだろうか。

ネロ・ウルフはワインに限らず、食の蘊蓄を特に披露しない。 実際、料理の内容が助手アーチーの視点から時折さらっと描写されるだけだ (寝台でとった、ある日の朝食は 「オレンジ・ジュースと、エッグズ・オー・ブール・ノアールと、 ジョージア・ハムの焼いたのを二切れと、狐色にいためた馬鈴薯をきざんだのと、 ホット・ブルーベリー・マフィンと、それにポットに入った湯気の出ているココアだった」)。 ネロ・ウルフは自分の生活を貫き通すだけである。 自宅から一歩も出ず、決まった時間に家の料理人の作った料理を食べ、 決まった時間に蘭を愛で、誰にもその二つの時間を邪魔させない。 好きなだけビールを飲む。そして、食事、蘭、ビールの三つを守るために手荒く金を稼ぐ。 しかし、それらについて何の講釈もしないし、蘊蓄にも縁がない。 一体、誰に何の説明をする必要があろうか。 今思ったのだが、そういう態度自体が日本で人気がない理由かも。

午後は掃除、洗濯、料理の仕込みなど、家事のあれこれ。 高野豆腐を煮て、小松菜を軽く茹で、さらに豚角煮を作った。 夕食は豚角煮、小松菜のひたし、高野豆腐の卵とじ、長葱と豆腐の味噌汁、御飯。

2011年10月1日土曜日

「プリザービング」、保存食の奥義

涼しくて良く眠れる。昼寝もいれれば一日の半分以上寝てしまいそう。 カフェオレで目を覚ましてから、朝食の支度。週末なので和風。 鰤のあら煮、だし巻き卵、どんこ昆布、切干し大根と若布の味噌汁、生姜御飯。 お風呂に入ってゆっくりしてから、昼寝。 夕方までしばらく読書や、私的プロジェクトの作業など。 暗くなってきたので、夕食の支度。 夕食のメインは湯豆腐。鰤のあら煮の最後の残りで、日本酒を五勺ほど。 あとで小松菜と長葱の煮麺。

最近、保存食に興味がわいてきて、簡単なところから試したり、本を集めたりしている。 すると、知り合いの方から、「プリザービング」(O.シュウォーツ著/山と渓谷社) という本を推薦された。 調べてみると、既に品切れになっていて、古書市場で倍から三倍の値段がついている。 ずいぶん悩んだのだが、「これは投資だ」と自分に言い聞かせて購入。 そして、はっきり言おう。これは名著だ。 野菜、果物、肉、魚、様々な保存食の原理と原則、 基本技術が丁寧に解説されている。 作り方だけではなくて容器の封じ方など、周辺技術も詳しい。 美しく分かりやすい写真が一杯入っていて目にも楽しいし、 索引もしっかりしていて真面目な本作りがうかがわれる。 専門店でも開けそうな本格派だが、 それでいて、料理の専門書にありがちな、 「言いたいことは分かるけど、普通の暮らしをしている素人には無理でしょ」 というところはなく、実践的。

著者はイスラエル生まれのイギリス育ち(名前のシュウォーツは Schwartz, つまりシュワルツ)。 スパイスから想像されるように、どうやら中東は保存食の本場らしい。 著者はイギリスに移住して、 中東ならどこにでもある保存食用の材料がないことに一度は落胆したものの、 そこで現代的かつ西洋的なレシピに工夫していったとのことである。

2011年9月30日金曜日

朝からナポリタン

週末だし、ちょっとスペシャルなことをしよう、と思い、 朝食にスパゲティ・ナポリタンを作る。 他にカフェオレ、林檎ジャム(自家製)とヨーグルト。

退社後、神保町のカフェへ。 「我が屍を乗り越えよ」(R.スタウト著/佐倉潤吾訳/ハヤカワ・ミステリ 439) を読みながら、一服。 表参道に移動して、 映画「サヴァイヴィング・ライフ」 (J.シュヴァンクマイエル監督 / 2010年) を観る。 もし空いていれば、今は骨董通りのバーにいるはず。

2011年9月29日木曜日

アスパラガスの美女

昨夜は就眠儀式に、「十蘭万華鏡」(久生十蘭著/河出文庫)より 「花合せ」を読んで寝た。 こういうさらっとしたのも良いなあ。 贅沢は敵だという戦時の空気が覆うなか、 全く構わず「自分のいちばんいい生活をするのがほんとう」 と言って豊かに暮らしているランチェ美女に誘われたけれども振りました、 というだけの話。しかし、飄々とした雰囲気と、 読後にぽんと放り出される感じが何とも言えない。 ところで、十蘭は着物美女の描写がどうやら凄いらしいのだが、 何せ無粋で着物も女性もあまり知らない私には、いつも良く分からない。 と言っても、洋服なら分かるかと言うと、半分くらいかな、という感じ。

ほんのざっとした身装だが、茄子紺の地に薊を水玉のように白くぬいたアンプリメの服と、 桃色珊瑚の薊の花の襟留(ラバ)が微妙なまでに調和して、 見ているうちにあだやおろそかな趣味ではないことがわかってきた。

また千子の美しさというのも、どこといって眼をうつようなところがないくせに、 見ているとだんだん美しさをましてくるというふしぎな美しさで、 花というよりは、とりたてのセロリとか西洋独活(アスペルジユ)とか、 そういう新鮮な野菜を連想させるのがみょうだった。

独活の大木は聞いたことがあるけど、西洋独活の美女は初めてだ。 ちなみに、独活はひとりでに動いているように見えるから独活って書くんだよ(豆知識)。

いつもの朝食のあと出勤。 夕方退社。 帰宅して、干し椎茸とだしを引いたあとの昆布でどんこ昆布を作る。 前回は山椒を使ったので、今度は七味にしてみた。 そのあと夕食の支度。 鰤のあら煮、酢大豆、ピーマンの焼きびたし、切干し大根と麩の味噌汁、生姜御飯。 夜は読書など。「宇宙消失」(G.イーガン著/山岸真訳/創元SF文庫) 、読了。 時々 SF 小説を読むのは精神衛生上良い、と言うか、精神の若さのチェックになる。 思えば、SF というジャンルも、十蘭と同じく著しく読者を選ぶようだ。

2011年9月28日水曜日

枕頭のコイン投げ問題

いくらでも眠れそう。覚醒とは本来不快なものですね。 カフェオレで目を覚まし、平日の洋風朝食のあと、出勤。 夕方退社して、近所のカフェで一服。 しばらく「宇宙消失」(G.イーガン著/山岸真訳/創元SF文庫) を読んで、珈琲豆を買って帰る。帰宅して夕食の支度。 鰤の漬け焼き、山椒どんこ昆布、酢大豆、鰤と大葉と生姜のお椀、生姜の炊き込み御飯。

昨夜、寝台で「宇宙消失」を読んでいると、 コインを 900 回投げるうちに 10 回以上連続で表が出る確率は 3 分の 1 以上、 という記述があったので、ルイス・キャロルよろしく枕頭の暗算で確かめてみようかなと思った。 しかしほぼ同時に、この問題は難しいんだよなあ、と思い出して、そのまま寝てしまった。 この問題は初歩の確率を学ぶとすぐに計算したくなる一見は易しげな問題だし、 古典的な結果でもあるが、暗算でできるほど易しくない。

まずは、n 回投げたところで初めて 10 回連続表を達成する確率にブレイクダウンするのが味噌で、 これを思いつかないと多分解けない。 (ちなみに、初めて起こった時間や場所で事象をスライスするこのテクニックは、 数学者の道具箱の中でも特に、一般的で強力なトリックである。) ところが、その確率を求めるのも易しくない。 そこで、それらの間の漸化式を立てるのだが、それもまた易しくない。 さらに、それを解くのも易しくないので、母関数を求めるのだったと思う。 この問題を解くもっと易しい方法があるのかどうか知らない。

2011年9月27日火曜日

料理用の刷毛

いつもの朝食のあと出勤。 出社して、数値計算などして遊ぶ。と言っても、こういう場合、 遊んでいたのは私ではなくて計算機の方なのだろうか。

帰宅して、一番だし、二番だしを引いてから、お風呂に入る。 急に涼しくなったせいか、疲れを感じる。 舌が少し腫れているかのようで、一番だしの味見がぴんとこない。 湯船の読書は「宇宙消失」(G.イーガン著/山岸真訳/創元SF文庫)。 ハインラインの「異星の客」を読み終えたので、 もう一つ SF を、そしてずっとハードなのを、読んでみようかなと思って。 夕食の支度。 鰤の照り焼き、ピーマンの焼きびたし、酢大豆、玉葱と大葉の御澄まし、御飯。 夜は、「宇宙消失」を読んだり、鰤の残りの一部であら煮を作ったり。 煮詰め系の料理は何だか哲学的になるなあ。

小麦粉をまぶしたりするのに料理用の刷毛が欲しいと書いていたら、 奇特な方が遠方より贈り物して下さった。ありがたし。 照り焼きの出来が違いました。

2011年9月26日月曜日

Wフォン/鰤

そろそろ秋だろう、と判断して久しぶりに出勤。 何をしていたのかも忘れていたので、 自分の書いたスクリプトを見直したりしていると、 天才プログラマが最新の Windxws Phxne を見せびらかしに来た。 これは良く出来ている。びっくりした。ついにきたよ、MS 社。 「どうせ MS でしょ」という心理的バリアさえ壊せれば、大ヒットするかも知れない。 個人的には、このユーザインタフェースは iPhxne を越えている、と感じた。 まあ、iPhxne はやや方向性が違うし、信者も大勢いるから問題ないが、 問題は andrxid だ。

夕方退社して、スーパーで買い物をして帰る。 天然鰤のあらが安い。400 円以下。これだけあれば、かまを塩焼きにして、身の厚いところを漬け焼きか、 照り焼きにして、小さな身を椀物にして、残りはあら煮にすれば、一週間使えそうだ。 そんなわけで、 夕食のメインは鰤かまの塩焼、菠薐草のおひたし、山椒風味のどんこ昆布、卵と大葉の御澄まし、御飯。

2011年9月25日日曜日

林檎ジャムの孤独

初のザウアークラウト作りに成功して気を良くし、今度はキャベツ丸ごと一個分を漬けた。 いい味になってきたので瓶ごと湯煎にかけて発酵を止め、完成。 最近、買った林檎があまり美味しくないので、残った三つほどをジャムにする。 「殺し屋 最後の仕事」(L.ブロック著/田口俊樹訳/二見書房) を読みつつ、土鍋で林檎を煮る。隣りは何をする人ぞ的な、久保田万太郎の煮大根的な、 あるいは殺し屋ケラー的な孤独を堪能。 そのあと夕食の支度。 じゃがバタ、茹でキャベツ、菠薐草と稲庭うどんの御澄まし、御飯、自家製のふりかけ。

2011年9月24日土曜日

家庭料理の本、今と昔

お恥ずかしながら、私は料理や食に関する本をけっこう持っている。 まあ、今のところ 1m かける 2m の本棚一つか二つ分くらいなので、 大した量ではないけれども。 ほとんどは読み物として秘かに一人楽しんでいるものだが、 中には実践的に愛用している家庭料理の本もある。

家庭料理の本について言えば、新しいクックブックほど上手に、手軽に、なかなかの料理ができる。 しかし、新しい本のほとんど全てについて、まったく骨がない。 思想がない、と言ってもいい。一方で古い本には、思想と気迫のこもったものがある。 例えば、有名な本だが、辰巳浜子の「手しおにかけた私の料理」(辰巳芳子編/婦人之友社)である (辰巳浜子著の初版は 1960 年刊。上は復刻版で 1992 年刊)。以下はこの本から引用。

これからの時代は、現在より以上に、自立が要求されると思います。 それは、老いも若きも同様の比重で余儀なく負わねばならぬでしょう。

家事は、家庭を持つものにとっても、持たぬものにとっても、生活の基盤であり、 その管理は、生命を管理することにひとしいのであります。 家事の中の台所仕事は、一日も休むことのできぬ、必須仕事です。 ですから、何よりも台所仕事は、計画的、組織的に行わねばなりません。 計画性をともなわぬ台所仕事は、際限がないという重荷となります。 何事によらず荷はかるく、負うべきものは負う、 しっかり負うのが、人生です。

重い。 「何事によらず荷はかるく、負うべきものは負う、しっかり負うのが、人生です」。 重過ぎる、この言葉。聞いたかい、そこの「愛されレシピ」とやら、だしを引くだけでこの気迫だよ。 しかし、この薄い本を一冊マスタすれば、家庭料理については誰にも恥じるところはないだろう。 想像するに、この時代の料理本と言うものは、昔の NHK 料理番組もそうだったが、 「(擬似)姑による嫁指南」だったのである。 昔は、お嫁入りした翌日の早朝、「そこに直りなさい」とお勝手の上がり框の向こうに正座させられた上、 土間に仁王立ちした襷がけ姿のお姑さんに、上のようなお説教をされたものだ(あくまで想像)。 丁度、そんなお姑さんが絶滅しつつあり、本や TV 番組にそのヴァーチャルな役割の要求があったのだろう。 もちろん今では、そういった需要は想像の外である。

とは言え、この本のレシピ通りにしても、美味しいものができない。 昔と今では、簡単に入手できるレベルの素材や調味料の性質が違うので、 自分の舌で適当にアレンジしないと味が決まらないのである。 昔の家庭料理の本には一様に、この欠点がある。 さらに写真が入っていないか、入っていても色が悪くて目に楽しめないのも、 人によっては欠点かも知れない。 しかし、いつまでも読み甲斐があって、参考になるのはこういったクックブックだ。

2011年9月23日金曜日

真顔のひと

「パノラマニア十蘭」(久生十蘭著/河出文庫)より最後の「ボニン島物語」を読んで、読了。 巻末の文庫解説で歌人の石川美南さんが、十蘭の小説の主人公はたいてい真顔だ、と書かれていて、 うまいことを言うものだなと思った。 十蘭の主人公は、真顔で冗談を言い、真顔で大法螺を吹き、 真顔で恐しい苦難に耐え、真顔のままであっさり死ぬ。 言ってしまえば、何が何だか分からない。 しかし、そんなものだな、と腑に落ちて、そうありたいものだと思わせるところがある。 都会的、ますらおぶり、武士らしさ、矜持、どう言ってもちょっと違う気がするのだが、 いつも真顔の十蘭、とは言い得て妙。

2011年9月22日木曜日

人工衛星が人間に当たる確率

明日あたり人工衛星が地球に落ちてくる。 それがたまたま人間に当たる確率は、NASA の計算では 3200 分の 1 らしい。 高度なリスク評価なのだろうなあと思いつつ、「封筒の裏で」計算してみよう。

地球の一周の長さが約 4 万km ということは私も知っている。 これを円周率の二倍で割って半径は約 6 千 km、つまり 6 かける 10 の 6 乗メートル。 よって、地球の表面積はこの二乗かける円周率の 4 倍で、およそ 5 かける 10 の 14 乗平方メートル。 一方、人間一人が占める表面積をざっくり 1 平方メートル、人口をおよそ 60 億人とすると、 人間が占める表面積は 6 かける10 の 9 乗平方メートル。 よって、まったく一様かつ独立に人工衛星の破片が落ちてくるとすると、 その一つが人に当たる確率は以上二つの面積の比であって、1.2 かける 10 のマイナス 5 乗である。 人工衛星の破片は 26 個だそうなので、 このうちのどれか一つでも人間に当たる確率は、 上で求めた確率を 1 から引いた「その一つの破片が人に当たらない確率」の 26 乗、 つまり「どの破片も人に当たらない確率」を、さらに 1 から引いたものである。 この結果は約 0.00031、すなわち約 3200 分の 1 である!

以上の計算が示唆していることはおそらく、 NASA がサボっているということではなくて、 今のところ人類最高の頭脳と地上最高の技術をもってしても、 人工衛星の破片がどこに落ちてくるかは「地球表面にまったく一様にでたらめ」 と仮定するしかない、ということだろう。 ひょっとすると、26 個の破片を精密に追跡できた結果が、 うまい具合に平均化されて一様分布になるのかも知れないけれど。

2011年9月21日水曜日

ヘンライ

「異星の客」(R.A.ハインライン著/井上一夫訳/創元SF文庫) 。 休暇中の読書その三、 「アート・スピリット」(R.ヘンライ著/野中邦子訳/国書刊行会)。

芸術は、その本質が理解されたとき、人類全体のものになる。

それがなんであれ、ものごとがうまくなされているかどうか、というシンプルな問題だ — それは、どこかよそにある特別なことではない。

ある人の内部に芸術家の魂が息づいているとき、創作のジャンルにかかわらず、 その人はおのずから創意にあふれ、探究心をもち、大胆に自己表現しようとするはずだ。 そして、他人に興味をもつだろう。 周囲に混乱をもたらし、悩ませ、啓蒙し、よりよい理解に向かって道を切り開く。 ……(中略)……

そのような人がいなければこの世界はよどみ、そのような人がいれば世界は美しくなる。 ……

「アート・スピリット」(R.ヘンライ著/野中邦子訳/国書刊行会)、 「まず最初に — 芸術の魂とは」より

2011年9月20日火曜日

よなよな

折角だから、母から送ってもらったお金で贅沢をしよう。 熟考の結果、 近所のスーパーで立派な秋刀魚を一匹と「よなよなエール」を買った。 秋刀魚に塩をして焼き、熱々に酢橘を搾って食す。ビールを一杯だけ。 他に大豆のきんぴら、里芋の煮物、切干し大根と麩の味噌汁、御飯。 両親とは一年に一度以下しか会わないけれども、 せめては、 今年もありがとうございました母上様、と西の空に手を合わせておく。

「異星の客」(R.A.ハインライン著/井上一夫訳/創元SF文庫) 。 "Cauchy-Schwarz Master Class" (J.M.Steele 著/ Cambridge).

2011年9月19日月曜日

"Stranger in a Strange Land"

「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」 (S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳/ハヤカワ文庫)、読了。 休暇中の読書その二、 「異星の客」(R.A.ハインライン著/井上一夫訳/創元SF文庫) を読み始める。

「異星の客」は、 唯一人火星で生まれ、地球人を全く知らずに育った主人公が地球に連れてこられて、 全く知らぬ社会と文化を持つ(我々)人間たちと出会う騒動を描く、 SF 版の「ガリヴァー旅行記」や「キャンディード」といった趣きのおとぎ話。 小さな字が詰まった創元社の文庫で 800 ページ近くある大作なので、 いつかまとまった時間に読もうと思っていたのを、実行。 タイトルの「異星の客」は、旧約聖書の出エジプト記の以下の箇所に因んでいるとか。 「彼男子を生みければモーセその名をゲルシヨム(客)と名けて言ふ 我異邦に客となりをればなりと」(2:22)

2011年9月18日日曜日

「ミレニアム」

休暇の読書計画その一、 「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」 (S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳/ハヤカワ文庫) 。 上巻読了。下巻に入り、あともう少し。 「なんぼのもんや」と思って文庫版が出るのを待っていたのだが、 流石にぐいぐい読ませる。 ダークな「長くつ下のピッピ」、調査員リスベットがいい。

著者は「ミレニアム」シリーズを全十作として構想していたらしいが、 第一作が出版される前に著者が亡くなり、 書き上げて契約が済んでいた第三作までの三部完結になってしまった。 享年 50 歳。死因は心筋梗塞。 やはり、人生 50 年とは良く言ったもので、 そのあたりを道標にするのが妥当なのかも知れない。 私自身は成人以来、高い確率で 56 歳まで生きられるだろう、 と仮定して人生設計をしてきた(数字が半端なのは、7 年を単位にしているから)。 しかし、ここまで歳をとってみると、やや虫の良い仮定だろうな、と思う。 人は無限に生きられるように暮らす傾向がある。 それに歯止めをかけるのすらも下手だ。

2011年9月17日土曜日

父母からの手紙

母から、これでたまには美味しいものでも食べなさい、 と手紙を添えた金一封が届いた。 都会の案山子は清く貧しく寂しく過しています……ありがたや。 そして、父からはまたしても、短歌が添えられていた。 「天なるや月日のごとく我が思へる 君が日に異に老ゆらく惜しも」。 今回は万葉集だ。 天にある月や日のように私が思うあなたも、 日々過ぎて年老いていくのは残念なことだよ(拙訳)。 父上……これは嫌味ですか、エスプリですか。

あめなるやつきひのごとくあがおもへる
きみがひにけにおゆらくをしも きみがひにけにおゆらくをしも

2011年9月16日金曜日

休暇入り

仕事に目処もついたので、午後も早い時間に退社。 二度目の夏休みに入る。 神保町のカフェに珈琲豆を買いに立ち寄ってから、洋食屋へ。 いつもの通り、 怖そうなメガネの小柄なマダムがぴしぴしフロアを指揮している。 その勇姿を時々眺めつつ、 「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」 (S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳/ハヤカワ文庫) と生ビール。 そのあと、夕食にはかなり早いけれどもサーロイン・ステーキ。 日が落ちてきた頃、帰路につく。

2011年9月15日木曜日

再度、夏休み

夕方退社後、少し銀座を歩いていたので、帰りが遅くなった。 帰宅して、お風呂に入ってから、夕食。 大豆のきんぴら、里芋の煮物でヱビスビールを少しだけ。 メインは関西風お好み焼き。でもソースはおたふく。

あまりに暑いので、再度、短い休暇をとります。 明日金曜日の夕方から……秋が来るまで。 休暇の定義から自明ですが、その間、公には連絡がつきません。 ただし、一日一度 30 分程度はインタネットに接続しますので、 私用に限り、スロウな連絡は可能です。 あわてないあわてない、ひとやすみ、ひとやすみ。

なお、休暇中もこのページは毎 21 時に更新する心積もりでいますが、 確実ではありません。 内容はその日に読んだ本のタイトル程度の短いメモでしょう。

2011年9月14日水曜日

肩にかけるチェロ

寝台で夢うつつに「古楽の楽しみ」を聞いていたら、 肩にかけて弾くチェロ、 ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラなるものによる、 バッハの無伴奏チェロ組曲一番の演奏が流れてきた。 無伴奏の六番は通常のチェロより高い弦が一本多い楽器で演奏するよう作曲されていて、 それがどういう意味なのか謎なのだが、 このように肩に乗せたり、帯でかけたりして弾く小型チェロが想定されていたのでは、 という説がある。 実際、最近では、 普通のチェロで一本高い弦がないままに高音部を超絶技巧で弾くよりも、 五弦の古楽器で演奏されることも多くなってきた。 今日の演奏は一番のプレリュードだったのだが、 普通のチェロとはまた違った軽快な弓さばきで、面白い。思わず魅き込まれた。 うーむ、ひょっとしてこれがビルスマの言うところの、 「剣の達人、バッハ」("Bach, the fencing master")なのかも知れぬ。 これで六番を聴いてみたい。

昼休憩の神保町散歩。新刊書店で 「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女(上・下)」 (S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳/ハヤカワ文庫) などを買う。夕方、退社。 帰宅してお風呂に入ってから、夕餉の支度。 中秋の名月を忘れていたお詫びに、里芋を煮る。 本当は月に見立てて丸い里芋だけを切らずに煮るのだが、 そんな洒落たことをする柄でもない。普通の煮物。 夕食はひじきと大豆の煮物、切干し大根のはりはり漬け、 里芋の煮物、塩鯖に酢橘、素麺に海苔と酢橘。 食後に梨を一つ。梨が好き。

2011年9月13日火曜日

今日も真夏日

今日もかんかん照り。熱帯夜に真夏日。 夕方退社して神保町のカフェで一服。 そのあと、あまりの暑さに参ってしまって、 近所のバーで白ビールの生。 落ち着いてから、ついでの夕食をとり、 ビールをもう一杯だけ。セゾン・デュポンのバイオロジーク。 徒歩で家まで帰る。

気候が真夏なので、中秋の名月ということをすっかり忘れていた。 明日あたり里芋くらい煮るかなあ。

2011年9月12日月曜日

パワーランチ

かんかん照り。熱帯夜と真夏日はまだまだ続くようだ。 老後はもっと北の方か、もっと高い方に移り住みたいなあ。

いつもの朝食のあと、今日は幕張に出勤。 まず関係者とランチ。景気の良い頃にはこういうのを、 「パワーランチ」なんて言って気取ってなかったっけ。 社員食堂で寄り集まって相談しているだけでも。 そのまま午後も、大小のミーティング続き。 大きい方で十分程度のプレゼンテーション。 夕方終了。 帰宅して、お風呂ののち、夕食の支度。 普段になく昼食をとったので夕食は軽く、作りおきの惣菜と素麺。 食後に梨を一つ。

今日の情報弱者エピソード: その1。 パワーポイ○トでイラストを描く方法が分からず、 いっそのことスライド全部を、 自宅の壁にクレヨンで描いてデジタルカメラで撮影した画像で済ませた。 その2。 自動販売機のジュースを社員証で買う方法が分からず、 通り過がりの人に教えてもらった。 言い訳をするつもりはないが、 ジュースを選ぶボタンを押してから代金を払う(社員証をタッチする)のは、 直感に反するユーザインタフェースじゃないかな。

2011年9月11日日曜日

初秋刀魚

また熱帯夜。今日も真夏日。寝床で、 「パノラマニア十蘭」(久生十蘭著/河出文庫) より「幸福物語」と「手紙」を読んでちょっとしんみりしてから、起床。

洗濯機に洗濯を任せて、朝食の支度。 鯵のひらき、ひじきと大豆の煮物、切干し大根のはりはり漬け、 伊丹流ねこまんま。 お風呂に入ってから、しばらく昼寝。 午後は、 「パーフェクト・ライフ」(M.スチュワート著/高澤真弓訳/創元推理文庫)を読んだり、 掃除機がけをしたり。 そのあと夕方まで FM ラジオを聞きながら、 もどしておいた大豆を使ってきんぴらや酢の物など、 料理の仕込み。

夕食は今年初秋刀魚。さすがにちょっと早いだろうが、 気持ちだけでも秋を迎えるつもりで。 秋刀魚を焼いて、青き蜜柑ではなくて酢橘を搾って食す。 あはれ秋風よ情(こころ)あらば傳へてよ、 男ありて夕餉にひとりさんまを食らひて思ひにふける、と。 ところで、 佐藤春夫は酒を飲まず、食について書いたり言ったりすることを蔑んでいた。 実際、酒や食を歌った詩はほとんどない。 それでも、どうしても秋刀魚にこぼれた苦しみ、 というところに「秋刀魚の歌」の味がある。 同郷の詩人に肩入れするわけではないが、 「さんま苦いか鹽つぱいか。」 の箇所だけを安易に引用されると、 分かっちゃいないな、と一言は言いたくなるのである。 ここは、抑え切れなかった慟哭の味なのだから。

2011年9月10日土曜日

情報弱者

朝風呂。 朝食は煮麺。 そのあとちょっと昼寝、と思ったら 3 時間半も寝てしまった。 夕べは熱帯夜で 8 時間しか眠れなかったからかな。 夕方まで 「パーフェクト・ライフ」(M.スチュワート著/高澤真弓訳/創元推理文庫)を読んだり、 ひじきと大豆の煮物を作ったり。 大豆は前日までに戻して茹でておいたので、あとは簡単。 五目煮にしたかったのだが、外が蒸し暑すぎて買い物に出られず。 竹輪とか練り物を入れると、ぐっと美味しくなるのだが。 夕食は、鯵のひらき、ひじきと大豆の煮物、 切干し大根のはりはり漬け、御飯、若芽と麩の味噌汁。 最近、お味噌汁にお麩を入れるのがお気に入り。

私の勤め先は言わゆるIT企業で、特に携帯端末の関連事業が柱の一つである。 社員には、携帯端末を三種類持って使いこなしている、なんて人が大勢いる。 一方で私は、 実機デモを見るために初めてスマートフォンを手にしたとき、 まず電源を入れられなかった。 次に、「ロック」の外し方が分からなかったし、 さらに、「スイッチはどうやって切るの?」と人に訊いた。 そのとき以来、社内では「情報弱者」の烙印を押されている。 院生時代に、 指導教授がフロッピーディスクのケースを開けられないのを見て、 (影で)笑ったものだったが、 スマートフォンの電源を入れられないのも大差ない。 その他に、最近で使い方がよくわからなかったものとしては、 MSパワーポ○ントや g○○gle 共有カレンダなどがある。 ホワイトボードの方が便利だよ、とか、 紙の手帳の方が便利じゃん、 などと真顔で言っては失笑されている。 デジタルテレビのリモコンも (実際に見たことはないので定かでないが)、 おそらく使い方が分からないと思う。

2011年9月9日金曜日

十蘭文庫

台風の影響なのか、蒸し暑い。秋はいったいどこへ。 夕方退社して、近所のカフェで一服。 短編集 「パノラマニア十蘭」(久生十蘭著/河出文庫) より、「『女傑』号」、「巴里の雨」などを読む。 夜は下北沢の魚屋にて、K 大の S 君と会食。 しばらく帝都に滞在の予定らしい。

十蘭再評価の気運なのか、 最近、文庫で色々な短編集が出るのはジュウラニアンとして嬉しい。 十蘭は文庫にあうような気がする。 もちろん、だからと言って、これを切っ掛けに十蘭の読者が拡がるだろう、 などとは思わない。 十蘭が広い読者層を獲得するなんて天地が返ってもありえず、 十蘭の読者は今も昔も常に極小マイノリティであり、 そのことを「選ばれしもの」として自負しているのである。 ちなみに文庫版十蘭の中で私の一番のお気に入りは、 (ずいぶん古い本だけれども) 「昆虫図」(久生十蘭著/現代教養文庫)。 「昆虫図」、「水草」、「骨仏」 といった数ページの超短篇が収められているのがいい。

2011年9月8日木曜日

秘密基地

台風が過ぎても、まだまだ暑い東京。 夕方退社して、一旦帰宅し、簡単に食事を済ませて再び外出。 夜は、デリバティヴ研究部会のセミナに出席。

昨日の朝、猫が見当らなくて、あちこち探したら、 玄関の靴棚にみっしりと納まり込んで寝ていた。 一見は、棚に灰色の毛布を押し込んだような風情。 玄関の片側が収納兼、作りつけの靴棚になっているのだが、 その扉の下 10 センチほどの隙間を通り抜けて、 中に入れることに気付いたらしい。 ねこは「わたしの秘密基地、発見」 と思っているようなので、私の方は知らないふりをしてやっている。

2011年9月7日水曜日

人生をコンプリートする

朝夕はかなり涼しく感じられてきたが、昼はまだ日差しが厳しくて暑い。 夕方にミーティングがあったので、少し遅い帰宅。 夕食はまた塩鯖。

翻訳に興味があるものだから、英語の文章を読んでいると、 ああこれは訳し難いだろうな、と思うことがある。 うまく言えないのだが、「大き過ぎる」単語があって、 日本語に移そうとするとどうしても一言では言えない。 例えば、C.オコンネルの "Crime School" からの引用の以下の段落では、 "complete" と "home" などがそうだ。(強調は私による)

The little girl was screaming death threats at the top of her tiny lungs while Lou Markowitz grinned broadly and foolishly. His life was complete. His wife was busy ripping the passenger door off its hinges, and Kathy was almost home.

人生が完全になった、満たされた、では少し違う。もっと大きく、重い。 プレスリーの「ラヴ・ミー・テンダー」に、 "You have made my life complete, and I love you so." という歌詞があるが、それも同じだ。 「あなたは私の人生を complete にしてくれた」、 それはどういう状態のことなのか。 単に満たされた、ということではないだろう。 人それぞれによって違うのかも知れない。 あなたにとって、人生が "complete" する、とはどういうことなのか。 やりがいのある仕事に恵まれ、生涯の伴侶と出会い、 愛する人の子を産み、その唇に自分の乳をふくませるときのことかも知れなければ、 あるいは、この世でなすべきことをなし、残したことはない、 と静かに一人孤独の中で死を迎えるときのことかも知れない。 実際、"complete" には生と同時に死の匂いがする。 または、人生が "complete" することなど、誰にとってもありえないのかも知れない。 とにかく、そういうことを全て大きく囲んだ言葉であり、 他の言葉に移し変えるのが難しい。

おかしな喩えかも知れないが、万葉集を読むのに似ている。 万葉歌は大き過ぎて、よく分からない。 直球剛速球に過ぎて、よく見えない。 「こひこひてあへるときだにうるわしき ことつくしてよながくとおもはば」なども、 さすがに私も日本人だから心にじんとは来るのだが、 頭で理解しようとすると子供が詠んだ歌のようにしか見えず、 ああ、この大きさが私には分からないのだな、と思う。 その証拠に、現代語訳をしてみると、なんだか馬鹿馬鹿しい。 「恋しくて恋しくて、会えたときだけでも、 きれいな言葉を尽してください、長く続けようと思うなら」、 としか訳せないが、つまらない。まるで違う。 おそらく、一つ一つの言葉がカバーする領域が今よりずっと大きく、 今では想像もできないほど一つ一つの言葉に力があり、 この歌を声に出して詠めば誰の心も大きく震えるくらいだったのだろう。

2011年9月6日火曜日

ペイジターナ

切り良くすることがなくなったので、午後も早い時間に退社。 スーパーで買い物をして帰宅。 お風呂に入って、湯船で読書。 "Crime School" (C.O'Connell 著/ Jove) が佳境に入り、キャシー・マロリーと犯人「案山子」との対決のシーンに至った。 ペイパーバックを持ったままお風呂から出て、 作りおきの七味蒟蒻、オクラのおひたしなどを順に食べながら、 読み続ける。 ちゃんとした料理を作る暇が惜しくて、 最後はサッポロ一番みそラーメン。 そして、読了。面白かったなあ……。 次はシリーズ 7 作目の "Dead Famous" だが、 ちょっと休憩して、他のものを読もう。

2011年9月5日月曜日

サバかタチウオ

曇り空の一日。 夕方、退社。近所のカフェで一服してから帰る。 夕食のメインは塩鯖。 他に作りおきの二品と、しめじとお麩の味噌汁、御飯。

私が子供の頃、魚と言ったら鯖か太刀魚で、 あまりに食卓に上るのでうんざりしていたくらいだが、 今になってみると懐しい味。 鯖は塩鯖を焼くか、梅干しと一緒に濃口に煮付ける。 太刀魚は塩焼か、薄く煮付けるかのどちらかだった。 これがヘヴィ・ローテーション。 貧しかったんだねえ…… 鯛なんて正月だけだった。 大晦日に何とも筆舌に尽し難い香ばしい匂いが漂ってきて、 裏庭で一斗缶に炭を入れて大きな鯛を焼いているのを見つけると、 「おお、たいだぞ、たい。たいだ、たいだ」と高揚したものだ。 喩えて言えば、 長年の撤退戦の果てに海に辿り着いて 「タラッタ、タラッタ(海だ、海だ)」と一同抱き合って泣いた、 という「アナバシス」のギリシア兵なみの高揚感だった。

それが今や、鯛はやっぱり桜蒸しだよね、純米酒には一番あうよね、 賀茂鶴純米ありますか、なければここは敢てシャブリでも悪くない、 キリメンジャンじゃないよキンメリジャン、 なんて通ぶったことを言ってるわけだ。 大人になるまで刺身も食べたことがなかったのに。 これをスノッブと言わずして、何と言う。 ほんと、恥ずかしい。強く反省したい。 魚は鯖か、太刀魚だよ。

2011年9月4日日曜日

トゥ・ビー・コンティニュード

ああ良く寝た。週末用の和風朝食。 朝風呂。 今日は NHK-FM が一日ジャズ特集をしているので、 ずっと BGM に聞き流しながら、洗濯や掃除機がけなどの家事。 それ以外の時間は、"Crime School" (C.O'Connell 著/ Jove) の最後のあたりを読んでいた。あと数十ページは、 明日からの週の楽しみにおいておこう。 まだまだ蒸し暑いけれども、 個人的に夏の終わりを祝ってみようかな、と思い、 夕食はキリンの「秋味」ビールに、 ソース焼きそば、ポテトサラダなど。 ささやかでちっちゃな幸せを満喫。 自家製のザウアークラウトも順調に発酵しているみたいだし。

シリーズ第四作の「天使の帰郷」(C.オコンネル著/務台夏子訳/創元推理文庫) で西部劇のモチーフが登場したが、 第六作 "Crime School" でも再び西部劇テーマが現れ、 架空のB級西部劇小説「ウィチタ・キッド」シリーズが物語の鍵になる。 この架空の小説の主人公は通称ウィチタ・キッドと保安官の二人で、 保安官は犯罪者であるキッドを常に追跡し、 キッドは秘密を胸に秘め逃亡生活を送っている。 そして、どの巻もキッドが絶体絶命の状態で終わる。 しかし、次の巻の冒頭では思いがけない方法で危機を脱出し、 巻末ではまたしても次の危機にあう。 これが延々と繰り返されていくシリーズらしい。 昔の連続短篇映画みたいなもので、 主人公が簀巻きにされて線路に放り出され、 向こうから機関車が近付いてきたところで、 "To be continued..." となるわけだ。 架空の小説なので絶対に読めないのだが、 「ウィチタ・キッド」シリーズ、読んでみたい。 "Crime School" の終わりのあたり、 この「ウィチタ・キッド」シリーズの各々別の一冊を十五年前に読んだ老売春婦たち一人一人に、 シリーズを読破した天才チャールズ・バトラーがその「つづき」 を教える代わりに目撃証言を集める、という印象深いシーンがある。 よくこんな変なことを思いついたものだ。

「ええと、『帰郷』では、最初に死んだカウボーイが実は殺人者だったことが分かるんです。奴はギャングの仲間で、ウィチタの父親を殺し、牛を盗んだ犯人だった」
「だから、キッドの母親はダンスホール勤めになったのね、ずっと不思議に思ってた。彼女はフランクタウンで唯一、教会に通う売春婦だったんだから」
「そうですね」とチャールズは言った。「酒場で働くか、飢え死にするしかなかった。子供がいたし。それで、この本では、ウィチタは目的をほとんど果たして、フランクタウンに隠れていたギャングの最後のメンバーを追い詰める。そして決闘で殺す」
「保安官はキッドを逮捕するの?」
「いいえ」
「じゃあ、キッドは街を離れるのね、でしょ?また逃げるのね?」
「いや、今度は違うんです」チャールズは気付いた。彼女は『帰郷』がシリーズ最終巻だと知らないのだ。
「ウィチタが諦める、って言うの?」彼女はチャールズの見えすいた表情から、もっと悪い運命を読みとった。「いやよ……キッドが死んだなんて言わないで!絶対にそんなこと言わないで!キッドが死ぬなんてありえないのよ!」
部屋の中で全ての会話が止まり、十人の売春婦がウィチタ・キッドの喪に服した。

マロリーは暗闇の中に座り、目を閉じて、頭をゆっくりと左右に振っていた。
彼女には『帰郷』という本のことは思い出せなかった。

ライカーは沈黙がやむのを待っていた。やがて、売春婦たちが寄り集まった。まだ解けていない問題があったから。
「じゃあ、馬がどうなったのか教えて」ミニーが言った。「ブレイズ号は本の最後で断崖から転げ落ちた。せめて、あの馬は死ななかったと言って」
「そうだな、ブレイズの奴が酷い目にあったらしいことは俺も知ってるよ。だが、あの馬は次の本でまた登場する。実は、あのインディアンの少女が……」
「灰色鳥ね?ウィチタ・キッドのことが好きだった。キッドはほとんどの本の中で、あの娘の話をするのよ」
「そう、その娘だ。彼女は魔法と薬草で馬を看病する。その娘は身代わりに死ぬが、馬は新品同様に元気になるのさ」
「ロマンチックじゃない?」
「ああ」

"Crime School" (C.O'Connell/Jove) より。訳文は原による。

2011年9月3日土曜日

ザウアークラウト

珈琲で目を覚ましたあと、しばらくして遅めの朝食。 週末用の和朝食。 鯵のひらき、蒟蒻としめじのきんぴら、納豆、 小松菜と油揚げの味噌汁、御飯。 朝風呂に入って、湯船で 「交遊録」(吉田健一著/講談社文芸文庫) より「吉田茂」の章を読み、「交遊録」を読了。 お風呂のあと、 寝台に横になってステイシー・ケントのアルバム "Breakfast on the morning tram" を聴いていたら、 いつの間にか、いつものように 3 時間ほど昼寝してしまっていた。

昼寝のあとは、某雑誌の書評原稿の校正をしたり、 お仕事用の資料としてクレヨンで壁にマンガを描いたり、雑用を少々。 合間にポテトサラダを作り、 じゃが芋を蒸している間に、七味蒟蒻と、オクラのおひたしも作った。 夕食はポテトサラダ、トマトと玉葱のスライス、 しめじとベーコンのアーリオオーリオ。

この blog 記事 'Easy Sauerkraut' (from 'Stumbling Homestead') を読んで、 ザウアークラウトを仕込んでみたのだが、 こんな簡単なことでうまくできるのだろうか……、 と毎日、瓶の中の様子を見ている時間が、最近のささやか過ぎる小確幸。

2011年9月2日金曜日

トランプを覚える

夜中に激しい雨が降っていたような気がするのだが、 目が覚めたら窓の外は強い日差し。 いつもの朝食。 珈琲、オレンジジュース、バタートースト、ベーコンエッグ、小松菜ソテー、トマト、 ドライフルーツ入りのヨーグルト。 朝から蒸し暑い中を歩いて出社。 夕方、退社。 不穏な黒い雲が空にもくもくと流れているのに、 今日もまた、雨が全く降らず蒸し暑いだけ。 北極圏の "Ice hotel" は無理でも、銀座の "Ice bar" に行きたいくらい。 とは言え、地下鉄に乗る元気もなくて、 近所のカフェで一服。豆 100g を買って帰る。

「 ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由」 (J.フォア著/梶浦真美訳/エクスナレッジ) を読んで、 これなら出来るんじゃないかな、と思い、 でたらめに切ったトランプの順番を覚えるという芸当を暇なときに訓練している。 今のところ、各スートのAから6まで合計 24 枚の順番を数分程度で暗記できるようになった。 まだ 52 枚すべての半分にも満たないが、「やればできるな」という印象。 ただし、記憶力競技の世界レベルでは 52 枚を 30 秒以下で暗記するらしく、 タイムトライアルの意味では全然その水準におよびそうにない。 しかし、おそらく 10 分で全カードを覚えるのは可能、と見た。 とは言え、覚えるのに 10 分もかかるようでは芸にもならず、 それが何の役に立つのか、と訊かれると大変に弱るのだが。

2011年9月1日木曜日

あなたと氷ホテルへ

奇妙なくらい蒸し暑くて寝苦しい夜だった。 今日も、今にも雨が降り出しそうなのに一滴も降らず、 蒸し暑いだけの一日。 夕方、退社。 帰宅してお風呂に入ってから、 ステイシー・ケントの歌声を聞き流しながら、夕食の支度。 鰤の照り焼き、しめじと蒟蒻のきんぴら、納豆、 小松菜と油揚げの味噌汁、御飯。 その合間に、キャベツの漬物も仕込んだ。

小説家のカズオ・イシグロはステイシー・ケントの大ファンらしくて、 主にスタンダートしか歌わないケントに、いくつかオリジナル曲用の詩まで提供している。 このつながり、分かるような分からないような。 その提供曲の中に "The ice hotel" という曲があって、 夏が大嫌いな私にぐっとくる。 あなたと二人旅行をするなら、北極の「氷ホテル」に行きましょう、 という歌詞。行きたいなあ、氷ホテル。 どこもかしこもマイナス5度で、何もかも氷で出来ているらしい。 寝台の形に切った氷の塊の上にトナカイの毛皮にくるまって寝て、朝になって無事だったら、 外に散歩に出て、氷原に昇る日の出を眺めるんだそうだ。ラヴリィ、インディード…… 行きたいなあ、氷ホテル。

2011年8月31日水曜日

美容術としての読書

雨が降り出しそうな曇り空で、蒸し暑い。 いつも通り夕方に退社して、 神保町のカフェで "Crime School"(C.O'Connell 著/Jove) を読む。 英文では読むスピードが三分の一以下になる。 ようやく真ん中を越して後半に入った。 事件そのものより、ストリートチルドレン時代のマロリーがどうして、 下らない西部劇小説を何度も読み返していたのか、という謎の方が気になる。

夜は「夷齋筆談」(石川淳著/富山房百科文庫) を読んだり。

「黄山谷のいふことに、士大夫三日書を讀まなければ理義胸中にまじはらず、面貌にくむべく、ことばに味が無いとある。いつの世のならはしか知らないが、中華の君子はよく面貌のことを氣にする。明の袁中郎に至つては、酒席の作法を立てて、つらつきのわるいやつ、ことばづかひのいけぞんざいなやつは寄せつけないと記してゐる。ほとんど軍令である。またこのひとは山水花竹の歡賞法を定めて、……」
「夷齋筆談」(石川淳著/富山房百科文庫)、「面貌について」より

ここで「書」と言っているのは、もちろん詩か随筆のことなんだろうなあ。

2011年8月30日火曜日

クイックセレクション

ああ、目覚めの珈琲は美味しい。 湿度はかなり低いが、相変わらず日射しは厳しく、暑い。 夕方帰宅。 お風呂に入ってから夕食の支度。 御飯を炊いてだしをひき、 鰤の照り焼き、高野豆腐と若芽の卵とじ、小松菜のおひたし、もろきゅう、 油揚げと葱のお味噌汁。 一汁三菜のつもりだったのだが、手を止めないようにしていたら一品多く作ってしまった。 今日もまた、小麦粉を塗るための刷毛が欲しいな、と思ったのだが、 常に「またこんど」になる。

でたらめに並んだものを正しい順番に並び換える、という事務仕事はしょっちゅうある。 言わゆる「ソート問題」だが、これには「クイックソート」と呼ばれる素晴しいアルゴリズムがある。 これを知っていると日常でもけっこう役立つ。 沢山の伝票を何かの順番に並び換えたいとしよう。 まず適当に一つ伝票を選ぶ。そしてこれよりも「大きい」伝票たち、 「小さい」伝票たちに分ける。 日常では大抵、これだけで手頃なサイズの二グループに分けられるので、 それぞれ自分流に並び換えて重ねればOK。 伝票の数がもっと多い場合には、各グループ内で再度同じことをすればよい。 この手続きを最後まで繰り返すことが、 アルゴリズムとしてのクイックソート、ということになる。

一方で、全体を並び換える必要はなくて、 並び換えたあとの何番目かだけを知りたい、ということも良くある。 簡単なのは最大値と最小値だが、この場合は考えるまでもない。 しかし、丁度真ん中だけを知りたいとか、 上からベスト3の三つだけを知りたい、という問題は自明でない。 これについても「クイックソート」の応用で、「クイックセレクション」と呼ばれる名案がある。 例えば、上から 5 番目だけを知りたい、としよう。 まず、適当に一つを選ぶ。 そしてそれより大きいものと小さいものにグループ分けする。 大きい方のグループに5つ以上要素が含まれていれば、この中に答がある。 小さい方は調べなくてよい。 大きい方のグループに4つ以下しかなければ、逆に小さい方のグループに答がある。 例えば三つしかなければ、小さい方のグループの 5-3=2 番目を探せばよくて、 大きい方は調べなくてよい。 これを繰り返せば、すぐに答に辿り着く。 ベスト3だけを知りたいという問題も同じようにできる。 こちらは「部分ソート」と言ったりする。

プログラミングをしていると、ソートについては大抵ライブラリにあるので、 自分で実装する必要はないし、実装しようとしてはいけない。 しかし、セレクションはライブラリにないことが多い。 すると、賢い人は上のアイデアを知っているので(あるいは自分で思いついて)、 自ら実装しようとしてしまう。 でも、これはよろしくない。 このアルゴリズムを完全に正しく、かつ効率良く実装するのは、腕利きにとっても想像以上に難しい。 自分で書くと大抵バグ入りで、かつ、それほど速くないのだ。 一方でライブラリの中のソートや最大最小値関数は、 枯れ切っている上に超高速実装されている。 だから、本当の本当にその必要がない限りは、 これらを使ってダサい次善策をとるのが筋だろう。 こういう見極めが状況に応じてできるのが、プロというものである。

2011年8月29日月曜日

カフェイン切れ

悪い夢を見た。私は陶器が専門の泥棒で、夜の間ずっと官憲と名探偵から逃げ続けていたのだ。

珈琲のない朝は辛い。 やむなく台湾土産の茉莉花茶を飲んだところで、逆に眠けが増してしまう。 いつもの朝食のあと、出勤。 出社してオフィスのエスプレッソマシンでカフェインを摂取するも、低調なまま。 私は嗜眠症なので、カフェインを摂取した直後しばらくだけが通常営業時、 つまりエルデシュの言うところの "My brain is open" な状態で、 それ以外のときは実は常に開店閉業状態、つまり、目を開けて寝ているのである。 言わば、"My brain is almost always closed". きっと日常生活は脊髄反射か、恐竜のように背骨にある第二の小脳だかが行っている。 夕方になって、 近所のカフェに行き、品質の高いカフェインを飲んでようやく一息つく。 もう退社したあとだけれども。 ついでに珈琲豆も購入して帰る。これで明日の朝は大丈夫だ。

夜は 「夷齋筆談」(石川淳著/富山房百科文庫) を読んだり。

2011年8月28日日曜日

菊正宗とツヴァイク

いつものように 10 時間ほど寝て、起床。 珈琲のあと、朝食の支度。 伊丹流の猫まんま、若芽とブロッコリの軸のお味噌汁、 牛蒡と人参のきんぴら。 洗濯を洗濯機に任せて、その間に朝風呂。 湯船では会計の教科書を読んだ。 いつものように 3 時間ほど昼寝。 お茶を飲んで一服してから、掃除機がけをして、洗濯物を畳む。 冷蔵庫がほとんど空だが、買い物に出るのが面倒なので、 夕食は乾物でどうにかすることにする。 珈琲豆も切れていて明日の朝が確実に辛いことも、 外出の億劫さには勝てなかった。 夕食は、高野豆腐と乾燥若芽を戻して煮物にし、 他にきんぴらと、稲庭饂飩で済ませておく。 つゆは一番だしに薄口醤油と味醂をあわせた八方地。

お風呂に入って、湯船で 「交遊録」(吉田健一著/講談社文芸文庫) より「木暮保五郎」の章。 木暮保五郎は文士でも学者でも政治家でもなく、 「菊正宗」の醸造家。おかげで他の章と違う味わいで、 吉田健一の酒飲みの部分が出ていて面白い。 夜はツヴァイクの短編などを読む。 ツヴァイクは普通の日にいい。 最近亡くなった俳優の児玉清は、ツヴァイクを愛読していたそうだ。 特に短編「チェスの話」が好きだったとか。 私なら「書痴メンデル」かな。

2011年8月27日土曜日

命名規則

朝飯前に一作業。 週末用の和風の朝食。 お風呂に入って湯船で、 「IBM 奇跡の"ワトソン"プロジェクト — 人工知能はクイズ王の夢をみる」(S.ベイカー著/土屋政雄訳/早川書房) を読む。読了。 今日の昼間はほとんどインストール作業をしていた。 正しくは、再インストール、および、再再インストール。 合間に、ツヴァイクの短篇を一つ読んだ。 夕食は、牛蒡と人参のきんぴら、トマトとブロッコリのサラダ、 錦糸卵とハムと海苔で素麺。 ちょっと疲れたので、夜はボッケリーニの協奏曲を BGM に流しながら、 床に猫と寝転がって静かに "Crime School" (C.O'Connell 著/ Jove) を読んだり。

ネットワーク上のコンピュータには普通、インストール時に「名前」をつける。 一つの組織の中に複数のマシンがある場合には、 関連のある名前がつけられていることが多い。 例えば、数学科の研究室だと、歴史上の有名数学者の名を順につけている、とか。 この手はネタ切れしなくていい。 太陽系の惑星と衛星の名前をつけるのが流行ったこともある (多分、「セーラームーン」のせいじゃないかと思うのだが)。 ちょっと変わったところでは、お酒の好きな人が、 ラム酒の銘柄を順につけているのを見たことがある。 あえてラム酒、というところが渋い。 私は若い頃、自宅の pc に香水の名前をつけていた時期がある。 "samsara", "dune", "mitsuko" など。 自分で言うのも何だが、ちょっと洒落てるね。 最近は、本物の人間の話し相手がほとんどいないせいか、人間の名前をつけている。 ちなみに最近買ったワークステーションは "michiru" と命名した。

2011年8月26日金曜日

餃子

まだ蒸し暑く、早朝から蝉も鳴いている。 今日は幕張に出勤。 現在は、ほとんどの部署が幕張に移動し、あちらが本社ビル。 東京側には、メディア系の部署、 サーバ系の技術開発部門、 それから私の属する、社内で最も謎めいた小さな部署(の一部) などがある。

電車の中では、 「IBM 奇跡の"ワトソン"プロジェクト — 人工知能はクイズ王の夢をみる」(S.ベイカー著/土屋政雄訳/早川書房) を読む。 公共交通機関で通勤するって大変だなあ……。 幕張には居場所がないので、社員食堂で待機。 夕食は、本社で月に一度開かれている宴会企画に忍び込んで (いや、堂々と参加して)、立食で済ませる。餃子パーティでした。 多分、今ははるばる帰路の途中。

2011年8月25日木曜日

「チェスの話」

雨模様。蒸し暑くて敵わない。早く秋にならないかなあ。 昼休憩に新刊書店で、 「チェスの話 ツヴァイク短篇選」(S.ツヴァイク著/辻瑆・関楠生・内垣啓一・大久保和郎訳/みすず書房)、 「IBM 奇跡の"ワトソン"プロジェクト — 人工知能はクイズ王の夢をみる」(S.ベイカー著/土屋政雄訳/早川書房)、 「テロリズム 聖なる恐怖」(T.イーグルトン著/大橋洋一訳/岩波書店)、 の三冊を買って戻る。 夕方退社して、神保町のカフェにて一服。 "Crime School" (C.O'Connell 著/ Jove) を少し読んでから帰る。

帰宅して、お風呂に入り、湯船で 「交遊録」(吉田健一著/講談社文芸文庫) より「ドナルド・キイン」の章。 夕餉の支度。 御飯を炊いて、味噌汁を作り、残りものなどで済ませる。 菠薐草のおひたし、牛蒡と人参のきんぴら、納豆、いかなごの釘煮。

2011年8月24日水曜日

蝉と蜩

昨夜、つい 「狂風記」(石川淳著/集英社文庫) を読み耽ってしまい、少し寝坊。 せみの鳴き声で目が覚めた。どう聞いても、ひぐらしではないなあ。 いつもの平日用の朝食のあと、 普段より遅く出社。次の私的プロジェクトのための勉強など、 軽いジョブで流して、午後も早い時間に退社。 外はやはりまだ、夏。

自宅で少し休憩。湯船で 「交遊録」(吉田健一著/講談社文芸文庫) より「石川淳」の章。 風呂のあと身支度をし直して、再び出かける。

馬喰横山へ。日本橋の鮨屋にて会食。

2011年8月23日火曜日

xkcd式パスワード

やはりまだ夏、だなあ……。 16 時頃に退社して、近所のカフェで一服。 "Crime School" (C. O'Connell 著/ Jove) を少し読む。 帰宅してお風呂に入り、湯船での読書は 「交遊録」(吉田健一著/講談社文芸文庫) より「福原麟太郎」の章 。 夕餉の支度。 菠薐草のおひたしと、牛蒡と人参のきんぴらを作り、 塩鮭を焼いて、あとは素麺。

今はインタネット上に色んなサーヴィスがあるので、 そのたびにパスワードを考えなければならず、面倒で悩ましい。 簡単なパスワードでは総当たりで破られてしまうし、 かと言って、こり過ぎると自分が覚えられない。 それで色々な方法が提案されているのだが、 最近、 xkcd の漫画 で、意表をつくアイデアが披露された。 「普通の単語をランダムに四つ選び、 それをそのままパスワードに使う」のである。 例えば、"superman book vacation tomato" を続けて一つのパスワードとする。 スーパーマンが本を持って休暇に行ってトマトまみれになった、 くらいに覚えれば良いので暗記は楽勝だが、 一見して、安全性は大丈夫なのか?と思ってしまうところだ。 しかし、「普通の単語」と言っても 2 千個(約 11 ビット)以上はあるだろう。 それを四つ独立に選べばその 4 乗、 つまり 16 兆通り(約 44 ビット)以上の可能性があることになる。 これは総当たり式のクラックに対して十分、安全と考えられる。 それに対して、複雑な単語の文字のいくつかを数字や大文字に変えて、 先頭と末尾に記号や数字をつけるなど、 専門家が良く推薦している方法は、 実際には十分にヴァリエーションが多くないじゃないか、 と言うのである。 xkcd らしい、逆説的で、考えさせられる提案である。

しかし、xkcd の提案の真意が伝わらなかったのか、 あるいは全く誤解したのか、 ライフハッカー日本版の記事 などでは、 この四つの単語の先頭の文字を拾ってパスワードに使うと良い、 というポイントのずれた解説がされていたりするのが残念。

2011年8月22日月曜日

老学徒はかく語りき

一日しか静養できなかったので、ちょっと辛い朝。雨で涼しい。 昼休みに、三省堂本店で開かれている古書フェアで 「狂風記 (上・下)」(石川淳著/集英社文庫) を見つけて購入。 確かに持っていたはずなのに、いつの間にか書庫から紛失したので。 他に新刊の 「殺す」(J.G.バラード著/山田順子訳/創元SF文庫)。 調子がもう一つだったので、15 時過ぎに退社。

歳をとると自分の写真を見ることがほとんどない。 つまり、自分の気が緩んでいるところの顔を知らない。 T 君の披露宴で隣の席だった A 先生がいつの間にか撮ってくれた写真を見て、 すっかり枯れた初老の学者、という風情になってきたなあ、と思った。 実際は、学者じゃなくて、ヒラの会社員ですけれどね。 あと、久しぶりに会う元学生たちに気を遣わせるほど痩せたことも、 ようやく実感として自覚。

あ、ちなみに乾杯のスピーチは、 新郎が私のゼミでいかに優秀だったかをベタ誉めしたあと (最高に優秀だったことは事実ですが)、 "oblige" という単語の語源などを説明しました。 「三つ数える」小話(8/20記)は、 ややエキセントリックな新郎への web 版だけのサーヴィスです。

2011年8月21日日曜日

食事の支度

雨で涼しい。おかげで良く眠れる。秋雨の朝の涼しさは格別だ。 秋立ちて幾日もあらねばこの寝ぬる……、か。 朝風呂に入って湯船で、 「交遊録」(吉田健一著/講談社文芸文庫) より 「横光利一」の章を読んだ。 昨日、一昨日と私にしては食べ過ぎに飲み過ぎだったので、 身体を休めるために朝食を抜く。 代わりにココアなど飲み物を少しだけ。 しばらく昼寝。そのあと、午後は掃除や洗濯などの家事。 夕食の時間まで "Crime School" (C. O'Connell 著/ Jove) を読んだり。

今日初めての食事として、夕食を支度。 食事の支度というものは、毎日毎食続けないとうまく回っていかない。 外食などの都合で少し間が空くと、おかしな組合わせの食材だけが残っていて、 変てこな食卓になってしまう。例えば、 御飯と焼き海苔といかなごの佃煮と、納豆汁と……麻婆豆腐。 夜は読書や趣味の数学など。

2011年8月20日土曜日

名古屋の結婚披露宴会場にて

ご紹介ありがとうございます。原啓介です。 この会場にご参列の方々の正確に二分の一が、 新郎側主賓のスピーチに軽いカルチャー・ショックを受けたことと思いますが、 数学者はみんな空気が読めないわけじゃないですよ。 披露宴の祝辞でいきなり、後ろ向き確率微分方程式の近似解法の話をするなんてねえ……、 それじゃ誰も分かりません。私ならちゃんと、確率空間の定義から始めますよ。 それはさておき、 私は結婚を一度もしたことがないので、このような席で祝辞を述べる資格もなければ、 また結婚がお祝いに値することなのかどうかも知らないのですが、 人生には "oblige" と言うものがあるようですね。 私は誰のことも自分の弟子だと思ったことはありません。しかし、 もし私のことを師匠だと思ってくれる人がいるならば、 そしてその人の依頼ともあれば、 乾杯の祝辞のために駆け付けるのもまた、"oblige" でありましょう。 では、乾杯の前に、「三つの何か」の小話でもしましょうか。

昔々あるところに新郎と新婦がおりまして、 馬に乗って新婚旅行に出かけました。 新郎の乗った馬が先に立ち、かっぽかっぽとのどかに歩いておりますと、 新婦の馬が木の下を通ってしまい、細い枝がぴしり、と新婦の額を打ちました。 それを見た新郎はひらりと馬から飛び降りて、 新婦の馬の眼を正面からじっと見つめますと、「一つ」と言いました。 またしばらくして、小川のほとりに出た頃、 新婦の馬が今度は小石に足をすべらせて、新婦を振り落としそうになった。 それを見た新郎はひらりと飛び降りて、 新婦の馬の眼を正面からじっと見つめますと、「二つ」と言った。 またしばらく歩いて、広い野原に出た頃、 突然、野兎が馬の前に飛び出してきたものですから、 新婦の馬が棒立ちになり、今度は新婦を地面に振り落としてしまいました。 それを見るなり新郎は「それで三つ!」と叫ぶと、 懐からピストルを取り出すやいなや、馬の眉間を撃ち抜いた! あまりのことに新婦は呆然としていましたが、 やがて堰を切ったように新郎の背中に叫びました。 「一体、あなたは、なんてことをするの! どうしてそんなことをする必要があったの? このかわいそうな動物にどんな罪があったって言うの? あなたは狂ってる、キ印よ、いいえ、はっきり言ってあげましょうか、 あなたは最低、最悪のサディストよ!」。 すると、新郎は静かに振り返り、 新婦の眼を正面からじっと見つめて、こう言いました。 「一つ。」

伊丹十三氏によれば、結婚にはこのくらいの気迫を持って臨みなさい、 とのことです。 さて、乾杯しましょうか。 みなさん、お手元のシャンパンなりビールなりをお持ち下さい。 よろしいですか? では、To survive! 乾杯!

2011年8月19日金曜日

泥棒か貴族

今朝はまだ暑かったが、大雨が秋を連れて来るらしい。 すぐに、朝明の風は手本寒しも、となるのだろう。 いつもより少しゆっくりしてから家を出る。

夕方退社して近所のカフェで一週間の反省と読書。 のち、下北沢に移動。下北沢は私の青春の街なので、 特に何と言うこともなくても、訪れると常に少し胸が痛む。 一方、青春時代は横浜無宿、大人になった今は浅草無頼の N さんと夕食。 そのあと、最近の私としては珍しく、 少々お酒をおつきあいする約束なので、 おそらく今は青山の骨董通りのバーにいるはず。

あるエッセイを読み返していたら、確か石川淳の小説の一場面だったはず、 として次のような話が紹介されていた。 主人公が屋根裏部屋みたいなところで音もなく素早く食事を済ます、 するとそれを眺めていた女が、 ア、おまえさんは私達の仲間だね、 音を立てずに素早く食事をするのは泥棒か貴族に決まってるのよ、なんて言う。 この小説が何なのだか分からない。 「狂風記」のような気がするのだが、 数回の引越のどこかでなくしたらしくて書庫に見当たらず、確認できない。

2011年8月18日木曜日

交遊録

夕方、退社。 帰宅してお風呂に入り、 湯船で 「交遊録」(吉田健一著/講談社文芸文庫) より「F・L・ルカス」の章を読み終え、 「河上徹太郎」の章に入ったところまで。 湯上がりに冷たいものを少し飲んでしばらく休んでから、 夕食の支度をして済ませ、 夜は「交遊録」の続きや、 "Crime School" (C.O'Connell著 / Jove) など。

2011年8月17日水曜日

メンチカツとビールと吉田健一

夕方に退社して、近くのカフェで一服。 外に出たら、まだ暑くて喉が乾く。 昼間からビールを出す近くの洋食屋へ。 私は大年増好きなので、この店のちょっと怖い感じの小柄な女主人も好きだ。

夕食に、冷えた生ビールとメンチカツ。 ビールを飲みながら、店にあわせて吉田健一の 「交遊録」(講談社文芸文庫)から「牧野伸顕」の章を読む。 ちょっと泣けてくるくらい良い文章だ。 著者は自分の最初の「友達」として「牧野さん」のことを書くのだが、 言うまでもなく、牧野伸顕は著者の実の祖父である。 しかし、どこにも自分の祖父だとは書いていない。 通常、吉田健一の文章は一文が無闇に長くて、諧謔と逆説に満ちていて、 しかもその途中でくるくると印象が変わり、 本当はどちらを支持しているのか分からなくて、 句点の直前で背負い投げにされたりするのだが、 この本については全面的に愛情で書かれていて表裏がない (しかし、注意深く読まないと本意がとれなくて、 それだけ注意深くなる価値があるのは同じ)。 ほんとうにしみじみとして、美味いビールだった。

牧野さんもそのように生活を楽しんだ。或はその形でただ生活した。それでその前に出るとただそれだけで豊かな感じがしたもので、このことをもう少し説明するとそこには二十歳で英国に渡った時の航海もロンドンの霧も鹿鳴館の煌きもフランツ・ヨゼフの宮廷も、そして又山形有朋との暗闘もクレマンソオとの交渉も牧野さんとともにその歴史としてあって、それが普通の人間に余りないことなのではなくてその底流をなすものが普通の人間の生活であるのが明かであることがその普通の人間というものがもしあるならばその生活の奥行きを示してそれを豊かにするのだった。その普通ということだけ余計に思われて凡ての人間に共通であるただ一つのことが人間であることならば一人の人間が地道に生きて行くことで始めてその人間が接するものも光を増し、そのありのままの姿を見せるものであることが牧野さんを通してそれを意識していないものにも朧げにでも解った。例えば食通を以て任じているものには食べものはその味がしない。又自分が絵画の専門家だと思っているものの眼に絵は見えはしないのである。これは澄んでいて静かな水が一番よくものを映すようなものだろうか。

「交遊録」(吉田健一著/講談社文芸文庫)、「牧野伸顕」より

2011年8月16日火曜日

企業買収

google がモトローラ・モビリティを一兆円近い金額で買収した、 というニュースの激震で、日本時間で昨日の深夜から業界は騒然。 しかし、それで何がどうなっていくのか全く分からない。 少なくとも、 今日あちこちで読んだ証券アナリストたちの見解は、 「風が吹けば桶屋が儲かる」程度の戯言としか思えない。 取り敢えず、弊社の株価は急騰していたので、おとぎ話でも戯言でもありがたいけれど。

そんな業界激震の日であっても、平凡な日常が過ぎていくのは、 ドライマティーニの中の二粒のオリーヴの実のごとし(ひさびさの意味なしジョーク)。 ちまちまとコードを書いたり、 ドキュメントを作ったり、 西海岸にいる CTO とテレカンで期初の面談をしたり、 でたらめに切ったトランプの順番を覚えようとしたり、 マイクロソフトが頭に血が昇ってノキアを買収しようとするかどうか議論したり、 そんな一日。

2011年8月15日月曜日

残暑

暦で立秋を過ぎた以上は「残暑」と呼ぶのが正しい、 って言うけど、 夏については流石に意味ないんじゃないかな……暦。

久しぶりに出勤。 やや人の少ないオフィスに出社。 自分が何をしていたか思い出す目的も兼ねて、コードのクリーニングなど。 cleaning_up と名付けたブランチで、ちまちまと手工業。 夕方退社して、スーパーで食材を買って帰宅。 お風呂に入って、湯船で "Cauchy-Schwarz Master Class" (J.M.Steele 著 /Cambridge)。 夜は作業や仕事をするのはよして、安静に過す。

2011年8月14日日曜日

フラワー通りにあるコーンビーフを食べさせる店

"Crime School" (C. O'Connell著 /Jove) を少し休憩して、 「ロング・グッドバイ」(R.チャンドラー著/村上春樹訳/早川書房)。

チャンドラーは気になる細部が多い。 例えば、主人公のマーロウが一度だけ立ち寄って食事する店。 女性と犬は立ち入り禁止の店らしい。 とても乱暴な店で、ろくに髭も剃っていないウェイターが料理の皿を投げ、 勝手にチップを差し引くらしい。 そもそも、「コーンビーフを食べさせる店」って、何が出てくるのだろう。 手の込んでない料理だが味は申しぶんなかった、らしいし、 スウェーデン製のブラウン・ビールがマティーニのようにきりきりしていた、 らしい。 数行ほど描写されてそれでおしまいの、 専門用語で言うところの「捨てカット」なのに、 キャラクタが立っていて、変に印象に残って、何故か気になる。 そんな場面がチャンドラーには多い。

2011年8月13日土曜日

ロング・グッドバイ

「ロング・グッドバイ」(R.チャンドラー著/村上春樹訳/早川書房)。 訳者ほどではないが、 「グレート・ギャツビー」(「華麗なるギャツビー」)と同じく、 「ロング・グッドバイ」(「長いお別れ」)も時々読み返す小説。 どちらも読み飽きない。

2011年8月12日金曜日

夏の香り

某所にて、"Bass" のペイル・エイルで軽い夕食。 オコンネルの "Crime School" (C. O'Connell著 /Jove)を読む。

2011年8月11日木曜日

トラウマ的シンプレジア

とっておきの 「感謝だ、ジーヴス」(P.G.ウッドハウス著/森村たまき訳/国書刊行会)、読了。 嗜眠症のねこのオーガスタスがかわいい。 私自身がねこなみに寝るので親近感。 きっと私もトラウマ的シンプレジアに違いない。 ああ、あと一冊、「ジーヴスとねこさらい」を残すのみなのか。 そのあと何を支えに生きていけばよいのか、故エリザベス皇太后に尋ねたい。

2011年8月10日水曜日

マロリー・サーガ

「魔術師の夜 (下)」(C.オコンネル著/務台夏子訳/創元推理文庫)、読了。 相変わらずのオコンネル節。例えば、登場人物表に四人も「故人」がいる。 ずっと昔に亡くした妻が幽霊として傍に存在するという現象を、 日常でも演じ続ける狂気の天才マジシャンという設定も、いかにもオコンネル。 第五作に至って、マロリーは随分と人間らしくなってきた。 ここまでしか翻訳されないまま品切れ状態なので、 以降のマロリー・サーガは原書で読まざるを得ない。 「数学基礎論講義」(田中一之(編著)・鹿島亮・角田法也・菊池誠/日本評論社)、 ゲーデルの第一不完全性定理の証明。 こんなに簡単だったっけ。

2011年8月9日火曜日

夏休み

朝風呂の湯船で「数学基礎論講義」(田中一之(編著)・鹿島亮・角田法也・菊池誠/日本評論社)、 再帰的関数の章を終えた。 「魔術師の夜 (上)」(C.オコンネル著/務台夏子訳/創元推理文庫)、読了。 休暇中の就眠儀式本は、 「ツァラトゥストラ (上)」(F.ニーチェ著/丘沢静也訳/光文社古典新訳文庫)。

2011年8月8日月曜日

魔術師の夜

休暇用にとっておいた 「魔術師の夜 (上)」(C.オコンネル著/務台夏子訳/創元推理文庫) を読み始める。 「数学基礎論講義」(田中一之(編著)・鹿島亮・角田法也・菊池誠/日本評論社)、 再帰的関数について。

デリバティヴ研究部会のセミナと、そのあとゲストを交えての会食。

2011年8月7日日曜日

グレート・ギャツビー

なつやすみだから、「グレート・ギャツビー」を読もう。

朝風呂の湯船で、 「数学基礎論講義」(田中一之(編著)・鹿島亮・角田法也・菊池誠/日本評論社)。 そのあと一日をかけて、 「グレート・ギャツビー」(S.フィッツジェラルド著/村上春樹訳/中央公論新社) を読む、読了。加齢とともにか、なお深く感動。

明日は、デリバティブ研究部会のセミナに出席する予定です。

2011年8月6日土曜日

ねじまき少女

私が遊んでいる間、代わりに仕事をしてもらうため、 自宅ワークステーションのアイドリング中の演算能力を寄付するよう設定。 GPGPU に対応しているプロジェクトから、 たんぱく質構造予測(GPUGrid)と素数探求(PrimeGrid)の2つを選んだ。

「数学基礎論講義」(田中一之(編著)・鹿島亮・角田法也・菊池誠/日本評論社) 、 3.2「ゲーデルの完全性定理」の終わりまで。 「ねじまき少女 (下)」(P.バチガルピ著/田中一江・金子浩訳/ハヤカワ文庫)、読了。 「ツァラトゥストラ (上)」(F.ニーチェ著/丘沢静也訳/光文社古典新訳文庫)、開始。

2011年8月5日金曜日

記憶の宮殿

「ねじまき少女 (下)」(P.バチガルピ著/田中一江・金子浩訳/ハヤカワ文庫)、読みかけ。 「Coders at Work」(P.Seibel 著/青木靖訳/オーム社)、 仕事の合間合間に少しずつ読み、ようやく読了。 こういう本を楽しんで読めるというだけでも、プログラミングを学んだ価値があった。 「 ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由」 (J.フォア著/梶浦真美訳/エクスナレッジ)、 面白いし翻訳水準も高いのに、この邦題はどうかなあ。 ちなみに、原題を直訳すると、 「アインシュタインとのムーンウォーク (すべてを記憶する技芸と科学)」。 これじゃ日本では売れない、と思ったのだろうか。

夕刻より、短期休暇スタート。夜は京橋のリストランテで N さんと会食。

2011年8月4日木曜日

休暇と緊急要請

晴れたり、曇ったり、雨が降ったりの変な天気。 暑いような、涼しいような、やっぱり蒸し暑いような。 今日は何故か仕事に身が入らず、さっさと切り上げる。 新刊書店で、 「7つの言語 7つの世界」(B.A.Tate 著/まつもとゆきひろ監訳・田和勝訳/オーム社) などを買った。

暑いので、明日 5 日(金曜)の夕方から、短い休暇に入ります。
期間は 8 月 15 日(月曜)の朝まで。 この間も一日一回 30 分程度だけインタネットに接続するよう心掛けますので、 私用に限りメイルでの連絡は可能です(多分)。 急ぎの連絡はあきらめて下さい。 たった十日間くらい遅れてもいいじゃないですか、 あわてないあわてない、一休み、一休み。

と言いつつ、仕事で緊急の連絡が入ったことなんて、 これまでの人生でたった一度しかない。 そのせいか、むしろそういうことに憧れがあるかも知れない。 何だか自分が重要な仕事をしているように錯覚できそうで。 私のたった一度の経験は、残念ながらかなり、ささやかだった。 十五年くらい前だろうか、 銀座の画廊勤めの女の子たちとデートしている時のことだ。 あまり繰り返すと虚しい気持ちになるばかりだが、当時の私はとてもモテた。 今ではまったく想像もできない。 超常現象としての「モテ期」は存在すると思う、ほんと。 閑話休題、と書いて、それはさておき。 そのデートの最中、PHS に某天才プログラマから連絡が入った。 かなり夜も遅い時間だったと思う。 いきなり、 「ヴァージョン2とヴァージョン3の判定ってどうなってんの?」 という質問に、 「2で話しかけて、通じなければ3に切り変えてやり直す」と答え、 「わかった」と言うので、30 秒で通話は終了した。 それが今までで唯一の、業務時間外の緊急(?)連絡だった。 今後についても、ないと思う。

なお、この休暇中も、このページはいつもの通り定時に更新されますが、 内容はその日読んだ本のタイトルが書いてある程度のショートヴァージョンです。 昔のモテ期の思い出をしつこく繰り返す、老人の自慢話などは書きません。

2011年8月3日水曜日

トートロジ

今日もまだ涼しい。 夕方退社して、神保町のカフェで 「数学基礎論講義」(田中一之(編著)・鹿島亮・角田法也・菊池誠/日本評論社) を読む。

第二講「命題論理」を終えた。 気持ち良いほどにトリヴィアルだ。 クリスタル・クリアとはこういうことを指すのだろう。 トートロジに心洗われる。 常に正しい命題、略して恒真命題、英語ではトートロジ。 例えば、「AならばA」、これはトートロジ。 「Bならば「AならばB」」、これもトートロジ。 「「Aかつ「Aでない」」ならばB」、これもトートロジ。 嗚呼、常に正しい、って素敵。 でも第二講の終わりにコンパクト空間の話が出てきて、 その馴染み深さでふと正気にかえった。 基礎論も解析学も同じ数学ですよね、当然ながら。

2011年8月2日火曜日

ロジック

今日も涼しい。 これなら昼休みに神保町散歩が出来る。 新刊書店で「数学基礎論講義」(田中一之(編著)・鹿島亮・角田法也・菊池誠/日本評論社) を買った。

夜は「数学基礎論講義」を読んだり。 基礎論や記号論理学は、普通の(?)数学とはまた違った面白さがある。 専門家に怒られそうだが、意味のないところがいい。 無意味さに心が洗われる感じ。 「Aでないならば『AならばB』」はいつも真です、とか。 いや、その意味ではどんな数学にも意味はない、と言われるかも知れないが、 もう一段深い意味で、意味がない、感じがする。 うまく伝えられないけれど、そんな感じ。 私の基礎論の知識は、通俗的な読書を除けば、 学生時代に教養課程の講義で「記号論理学」を履修したのと、 やはり学生時代に自分でゲーデルの論文を読んだのがほぼ全てなので、 分野自体を大いに誤解している可能性はある。

2011年8月1日月曜日

コラール

昨夜、締切より二ヶ月ほど早く、書評の原稿を提出。 今日も涼しい。昼食はとらない習慣だが、 外国支社のVPが仕事で一時帰国していたので、 近所の蕎麦屋で昼食をご一緒する。

今日の音楽は、 "Preludi ai Corali" (J.S.Bach / Quartetto Italiano di Viole da Gamba). バッハのコラールはいい。 ヴィオラ・ダ・ガンバがまたいいね。

2011年7月31日日曜日

オプトイン、オプトアウト

週末用の和風朝食のあと、洗濯などの家事。 朝風呂に入って、湯船で "Everything is Obvious" を読む。 読書、コンピュータ、原稿書き、マカロニサラダ作り。 今日の音楽は "Undercurrent" (B.Evans and J.Hall).

"Everything is Obvious" (D.J. Watts 著/ Crown Business) によれば、 自分の臓器の移植を認める人の割合はドイツでは 12 パーセント、 その隣のオーストリアでは 99.9 パーセントだそうだ。 非常に良く似たこの二つの国の、この巨大な差は何が理由なのか? 実際、ヨーロッパの他の各国もこのような極端な傾向に分かれる、 という調査があって、その「原因」が共通していることが報告されている (E.Johnson and D.Goldstein, 2003)。 その原因は、デフォルトの選択がどちらになっているか、 だけのことらしい。 移植を認める意思を明示しない限り反対であることになる、 つまりデフォルトの選択が「ノー」であるか、 移植に反対の意思を明示しない限り認めたことになる、 つまりデフォルトの選択が「イエス」であるか、だけの違いだそうだ。 ちょっと怖いような、深く考えさせられる話である。 ちゃんと個々人の意思による選択は全く自由に認められている。 ただ、デフォルトの値がどちらになっているかだけなのだ。

私が今関わっているプロジェクトでもこれに似た話を良く聞く。 キーワードは「オプトイン」と「オプトアウト」。 「選択(opt)」としての「参加/拒否(イン/アウト)」 という意味で、最近は専らプライバシィ問題の文脈で使われる。 スマートフォンや携帯電話、携帯端末、コンピュータ、 その上の様々なサーヴィス、ソーシャルネットワーク、ソーシャルゲームなどで、 個人情報の扱いをどうするか、という問題だ。 特にホットなのは個人の行動情報、 あなたが、いつ、どこで(GPS データ)、何をしたか、しているか、何が好きか、嫌いか、 という情報をサーヴィス側が取得し、収集し、分析し、 利用することの法律と倫理の問題である。 結局この問題は、個々人の選択に任せる、 という「手法」でほぼ決着しているようだ。

この手法によって、 あなたが個人情報を渡すか渡さないかの選択は全く自由で、 あなたの意思と判断に任されている。 だから、法律上の問題は生じないし、 倫理的問題すら何ら生じないと考える人もいる。 しかし、デフォルトの値がある。 デフォルトでは自分の私的な情報を渡さないことになっているが、 サーヴィスと交換に情報を渡すことを選択できる「オプトイン」と、 デフォルトでは私的な情報を渡すことになっているが、 情報を渡さないことと交換にサーヴィスを受けない選択ができる「オプトアウト」 である。 どちらが(圧倒的に)主流かは、言うまでもない。

2011年7月30日土曜日

心のダム

注文していたワークステーションが届く。 暑さのせいで心のダムがあふれて買ってしまったのだが、 この演算能力を自宅で何に使うつもりなのか、自分でも不明。 ダムの設計でもするのか、私。 とりあえず 64ビット linux と CUDA 環境をインストールして、試運転。 CPU たちは水冷なのだが、GPGPU などの空冷ファンがぶんぶん回るので、 自宅に置くにはぎりぎりの静音性か。 購入時に一瞬だけ、 マシン内部全体を冷却液に漬けた液浸式に心が動いたのだが、 メンテナンスできないのと、値段が倍くらいだったので諦めた。

流石に何か仕事をさせないと膨大な電気の無駄遣いなので、 他のマシンにさせているネットからのデータ取得を密度 10 倍にして肩代わりさせるべく、 スクリプトを移植するところから始める。

夕食はチキンカレー。トッピングはオクラ。 カレーはちょっとだけ作るわけにいかないので、やむをえず 5 食分ほど。 残りは冷凍。

2011年7月29日金曜日

"Give me 4!"

微かに小雨の降る中、濡れながら出勤。 どうやら西日本の人には、 東京では放射能を含んだ酸性雨が降り、 東京は植民地惑星に移住しなかった無職の負け犬だらけで、 東京人の朝食は道端の屋台で、 「ふたツデじゅーぶんデスヨー」と言われながら食べる、 色の悪い海老を乗せた謎ライスだと思われているようだが、 まだそこまで事態は進行していない。 まあ、時間の問題かも知れないけれども。

夕方退社して、神保町のカフェで一週間の反省。 そのあと、家まで歩いて帰る。 お風呂に入って、湯上がりに巴旦杏を食べながら、 ステイシー・ケントの歌声を聴く。 フレッド・アステアものを集めた CD で。 フレッド・アステアと言えばダンスだが、音楽もいい。 数理ファイナンス業界の人には、 名曲 "I'm putting all my eggs in one basket" などおすすめしたい。

2011年7月28日木曜日

巴旦杏

16 時に退社。 帰宅して、まずお風呂。 湯上がりに、冷やした巴旦杏を食べる。 巴旦杏はバタンキューに似ているね。 バタンキューの「キュー」って何だろう。 猫を踏むと「きゅーっ」と鳴ることと関係があるのだろうか。

そのあと夕餉の支度。 新「オバケのQ太郎」の歌を口遊みながら、伊丹十三流の親子丼を作る。 あのねQ太郎はね、なにもできないけれどきえちゃうんだよ、 オバケなんだオバケなんだオバケなんだけれど、 ズッコケなんだ、あわてんぼなのさ、いつもしっぱいばっかりしてるんだよ。 だけど、かっこいいつもりなんだって、さ。 他に赤だし、焼き柳葉魚、冷奴。

夜はキース・ジャレットの "Melody at Night with You" など聞き流しつつ、 書評の原稿を推敲したり、初等的な不等式と遊んだり。 "My Wild Irish Rose" がいいなあ。

2011年7月27日水曜日

古書街で夕涼み

昼間が蒸し暑いので、 昼休憩の散歩の習慣は止して、夕方に変更した。 とは言え、私は 16 時くらいに退社するので、 その時間はまだ日が高くて暑い。 そこで、神保町の某カフェへ。 フォン・ノイマンの伝記や、 子供向けのニーチェ入門、「ニーチェはこう考えた」(石川輝吉著/ちくまプリマー新書) を読む。 そのあと夕涼みがてら、古書街を散歩。

2011年7月26日火曜日

方便と旦那

土曜日で TV 放送が終了したはずなのに、 そのあと試しにスウィッチを入れてみたら、同じように放送が続いていた。 画面の右上の方に「デジアナ」 という謎のキーワードが表示されているのが唯一の違いで。 TV 放送終了のアナウンスは、 国民を善導するための国家的方便だったのに違いない。 私も、TV は終了したものと思って、観ないことにしよう。

ところで私の中学高校は仏教系だったので、仏教の授業があった (おかげで私は今でも般若心経を暗唱できる)。 そこで「方便」というのは仏教用語だと習った。 いずれ真理に導くために、その途中、途中に仮に設けた嘘の教えのことだそうだ。 例えば、地獄だとか、天国だとか、仏様だとか、輪廻だとか、 そういうのは全て「方便」であって、 真実は色即是空、空即是色の悟りだけなのですよ、と。 今、思えば非常に深い内容を教わっていたようである。 全く関係ないが、「旦那」という言葉はサンスクリット語だ、とも習った。 その意味は「布施(ダーナ)」、あるいは「布施をくれる人(ダーナパティ)」であり、 つまり、哀れなあなたにものをめぐんでくれる人のことである。

2011年7月25日月曜日

バチガルピ

やはり夏。昼休みに新刊書店で 「感謝だ、ジーヴス」(P.G.ウッドハウス著/森村たまき訳/国書刊行会) を買う。 おお、もう次がウッドハウス・コレクションの最終回なのか。 残念だ、永遠に続いて欲しかった。 最終回のタイトルは「ジーヴスとねこさらい」だそうだ。 「ねこ」と平仮名で書くところが、この訳者らしい。 「感謝だ、ジーヴス」も次に心が弱ったときのために、読まずにとっておこう。

帰宅してお風呂に入り、湯船で 「ねじまき少女」(P.バチガルピ著/田中一江・金子浩訳/ハヤカワ文庫) の上巻を読み始める。 ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、キャンベル記念賞と、 主要SF賞を次々受賞した話題作。 バチガルピ、という名前にインパクトがあることは間違いない。 物語の舞台は近未来のバンコクなので、東南アジア系の名前かと思ったら、 イタリア系らしい。 私のクイック調査によれば、 バチガルピ("Bacigalupi")は、 父祖が "Bacigalupo" であると示す派生形か、複数形。 "Bacigalupo" は南イタリアによくある姓だそうだ。 由来については不明で、 "lupo" が「狼」を意味するという点では一致しているものの、 前半の "baciga" の部分には色々な説があるようだ。

2011年7月24日日曜日

天使の帰郷

やはり夏が戻ってきたようだ。 外に出なかったので、それほど実感はしていないけれど。 珈琲のあと、洗濯機をしかけてから、朝食の支度。週末は典型的な和朝食。 洗濯物をベランダに干して、お風呂に入る。 湯船の読書は "Everything is Obvious" (D.J.Watts 著/ Crown Business). 湯上がりにヱビスビールを飲みながら 「天使の帰郷」(C.オコンネル著/務台夏子訳/創元推理文庫) を読む。 春あたりから、自宅ではアルコール類を飲まないことにしているので、 今日はたまの贅沢。そして、もちろん昼寝を二時間ほど。 サマータイム制よりも、シエスタ制を支持。

昼寝のあと午後からは、洗濯ものの取り入れや掃除機がけなどの家事の他、 書評原稿の推敲、趣味の不等式研究、読書など、いつもの通り。

「天使の帰郷」(C.オコンネル著/務台夏子訳/創元推理文庫) 、 読了。 マロリー・サーガの第四作。うーむ、素晴しい。 電柱の上のラヴ・シーンの美しさも泣けるし、 最高に格好良い西部劇のようなクライマクスも抜群。それに、 いつものオコンネル節が今回も冴えている。 つまり、規格外であるがために世の中に受け入れられない天才的な登場人物たち、 彼等の孤独な魂と報われない愛、独自の世界に生きる強靭さと切なさ、 同じように孤独で、ずば抜けて聡明な同種との束の間の交感、 唯一の理解者である死者たち、 といったオコンネル作品の特徴が今回もまた全部そろっている。 古本屋の百円均一棚を周ってこつこつ集めてきたが、 第五作の「魔術師の夜 (上・下)」は即、amazon マーケットプレイスで注文してしまった。 第五作のあと翻訳がストップしているので、 そこからは原書で読まざるを得ない。

2011年7月23日土曜日

サスペンス

今日もまだ比較的、涼しい。 トマトと胡瓜とハムを出来合いの盛岡冷麺に乗せて朝食。 朝風呂に入って、湯船で吉田健一のエッセイを一つ読む。 そのあとは勿論、昼寝。 午後は「天使の帰郷」(C.オコンネル著/務台夏子訳/創元推理文庫) を読んだり。 やはりオコンネルはいいなあ。 どうして最初に翻訳されたときに見逃していたのか分からない。 夕方になって段々と蒸し暑くなってきた。 束の間の秋の風情はもう店仕舞いらしい。 夕食の前後に、某科学雑誌に依頼された書評書き。

さて、もう今日で TV 放送も終了らしいので、 最後に TV 視聴でもしてみるかな、と思って、番組表を見る。 えーっと、そうだな最後に相応しく、 21 時からのこの二時間サスペンス 「西村京太郎トラベルミステリー第 56 弾『生死を分ける転車台』 駅舎と列車が大炎上!?天竜浜名湖鉄道~青いコートの女の罠」 を観てみよう。 第 56 弾って、普通どんなものでも弾数は尽きているはずだが。 それはさておき、森本レオってまだ十津川警部配下のヒラの刑事なのかなあ。 まあ連れ込み宿の居候よりは、出世したと言えるかも知れないが。

2011年7月22日金曜日

恐怖の東京ミッドタウン

今日も涼しい。 朝から東京ミッドタウンへ。お仕事で某ワークショップに参加。 夕方終了。神保町で途中下車して一服。 モルトビネガーをつけてもらったフリッツをつまみながら 「天使の帰郷」(C.オコンネル著/務台夏子訳/創元推理文庫) を読む。 神保町からは徒歩で帰る。帰り道のスーパーで桃を買った。

初めて東京ミッドタウンに行ったときのこと、 正確に言えば、美術館に行くために東京ミッドタウンを通り抜けたときのことである。 私はゴージャスな美容院らしき店の前を通りかかった。 すると、ガラス張りの店の中には、 アンティークと思わしきソファが置いてあって、 そのソファの上とその前のあたりの絨毯には薔薇か蘭かの花弁が散らされており、 一匹の美しいアフガンハウンドがそのソファの上に背筋を伸ばして座って、 順番待ちをしていた。 ペット用の美容院だったのである。 君はどこもカットする必要ないんじゃないの、と思ったとき、 その犬と目があった。 「噂には聞いちょったが東京はほんのこつ、おそろしかところばい、つるかめつるかめ…… 上野はーおいらのこころーの駅だー♪」 と思ったことである。 おそらく、週一回のシャンプー&セットにでも来ていたのだろう。

東京に出てきたばかりの十八の頃、井の頭公園で、 子馬か鹿みたいな犬を大勢連れて散歩する御婦人を見たときと同じ種類の軽い衝撃であった。

2011年7月21日木曜日

観覧車に乗る

朝から涼しい。 もうすぐ TV 放送が終了するらしいので、 朝食をとりながら久しぶりに TV を観てみる。 テレビやマスコミは一体だれのもの、とってもさびしいからとりあえず点けてます、 と口遊みつつスウィッチを切り、家を出る。 楽しくスクリプト書き。

夕方、帰りにいつものように遊園地を通り抜けるとき、 今日は秋のように涼しいし、人もいないし、 観覧車に乗ろうかなと思い、実行する。 そうだ、なぜ、観覧車に一人で乗っちゃいけない。 お客は私だけのようだった。 「初老の男子一名ですが、何か?」 という堂々たる態度で、チケットを買う。 十五分ほどの観覧車の中では、今日昼間に買った 「善悪の彼岸」(ニーチェ著/中山元訳/光文社古典新訳文庫) から第2篇「自由な精神」の冒頭を読んだ。 ……身の回りには、庭園にふさわしい人々を集めたまえ。 あるいはすっかり日の暮れた頃に、一日がすでに記憶となろうとしている夕暮れどきに、 水辺を流れる音楽のような人々を集めたまえ。 善き孤独を、自由で気ままで軽やかな孤独を選びたまえ…… 時間が短過ぎる。観覧車の半径を二倍から三倍くらいにして欲しいものだ。 たまに来る一人の客のために巨大な観覧車を動かし続ける。 何というエネルギィの無駄遣いだろう。 しかし、これが文明だ。巨大な大学図書館の冷房の効いた誰も来ない部屋の片隅で、 読まれるのを待っている 97 年前の論文のようなものだろうか。

それほど遠くない未来に、紙の本に装丁した論文集を納める図書館はなくなり、 全て純粋な情報としてだけ保存されるようになるだろう。 そして、観覧車もただのデータの流れに、つまり、ヴァーチャルなものになる。 今の技術でもヴァーチャルな観覧車は作れるが、コストがかかり過ぎるし、 おそらく私の世代の人間はそれを心からは楽しめない。 しかし、次か、その次の世代以降は、また違うだろう。 その頃には、人間はエネルギィを何に無駄遣いしているだろう。 想像はつかないが、それがその時の文明の高さを示すだろう。 つまり文明の高さとは、観覧車の高さだ。