いつもの朝食のあと出勤。 昼食は持参のお弁当。里芋、薩摩揚げ、人参と大根の葉のピクルス、昆布佃煮、自家製ふりかけ御飯。 夕方退社して、格安スーパーでお買い物をして帰宅。 夕食の支度。メインは秋鮭ときのこあれこれの炊き込み御飯。 せめて、庶民なりに食卓を秋らしく。 他に薩摩揚げを焼いて生姜添え、 煮大豆の大根おろしポン酢和え、最近定番の超具沢山豚汁。 夜は料理を仕込んだり、読書をしたり。
読書は 「科学の花嫁 ― ロマンス・理性・バイロンの娘」(B.ウリー著/野島秀勝・門田守訳/法政大学出版局)。 エイダ・バイロン(オーガスタ・エイダ・キング・ラブレス伯爵夫人, 1815-1852)の伝記。 チャールズ・バベッジの機械式計算機「解析機関」の開発に協力し、 バベッジのイタリア講演の書籍化を英語訳して膨大な注釈をつけ、 そこに原始的な形の「プログラム」を書き残した。このことから 「人類初のプログラマ」と称されることもある人物。 詩人バイロンの娘でもある。 そのプログラムは、ベルヌーイ数を解析機関に計算させるものだったのだが、 エイダの貢献がどれくらいだったのかには議論の余地がある。 とは言え、伯爵夫人が数学大好き、科学大好きのマニアであり、 恐るべき好奇心と思考力と行動力を持っていたことは明らかで、 自分でもプログラムを書き、 解析機関の原理と可能性を深く理解していたことも間違いない。 とは言え、 訳者あとがきにあるように、 競馬に勝つ確率を頭の中の解析機関で計算していたかどうかは定かではないが (競馬はエイダのマニアックな趣味の一つだった)。 こんな女性がいるならプロポーズしたいくらい興味深い人物で、 もっと長生きしていたらどんな奇妙でスキャンダラスなことをやってのけただろうと思うと、 その早過ぎた死が残念だ。 エイダは子宮癌を患い、 父親と同じ死因(当時の間違った治療法「瀉血」)で、 父親と同じ 36 歳で亡くなった。