ご紹介ありがとうございます。原啓介です。 この会場にご参列の方々の正確に二分の一が、 新郎側主賓のスピーチに軽いカルチャー・ショックを受けたことと思いますが、 数学者はみんな空気が読めないわけじゃないですよ。 披露宴の祝辞でいきなり、後ろ向き確率微分方程式の近似解法の話をするなんてねえ……、 それじゃ誰も分かりません。私ならちゃんと、確率空間の定義から始めますよ。 それはさておき、 私は結婚を一度もしたことがないので、このような席で祝辞を述べる資格もなければ、 また結婚がお祝いに値することなのかどうかも知らないのですが、 人生には "oblige" と言うものがあるようですね。 私は誰のことも自分の弟子だと思ったことはありません。しかし、 もし私のことを師匠だと思ってくれる人がいるならば、 そしてその人の依頼ともあれば、 乾杯の祝辞のために駆け付けるのもまた、"oblige" でありましょう。 では、乾杯の前に、「三つの何か」の小話でもしましょうか。
昔々あるところに新郎と新婦がおりまして、 馬に乗って新婚旅行に出かけました。 新郎の乗った馬が先に立ち、かっぽかっぽとのどかに歩いておりますと、 新婦の馬が木の下を通ってしまい、細い枝がぴしり、と新婦の額を打ちました。 それを見た新郎はひらりと馬から飛び降りて、 新婦の馬の眼を正面からじっと見つめますと、「一つ」と言いました。 またしばらくして、小川のほとりに出た頃、 新婦の馬が今度は小石に足をすべらせて、新婦を振り落としそうになった。 それを見た新郎はひらりと飛び降りて、 新婦の馬の眼を正面からじっと見つめますと、「二つ」と言った。 またしばらく歩いて、広い野原に出た頃、 突然、野兎が馬の前に飛び出してきたものですから、 新婦の馬が棒立ちになり、今度は新婦を地面に振り落としてしまいました。 それを見るなり新郎は「それで三つ!」と叫ぶと、 懐からピストルを取り出すやいなや、馬の眉間を撃ち抜いた! あまりのことに新婦は呆然としていましたが、 やがて堰を切ったように新郎の背中に叫びました。 「一体、あなたは、なんてことをするの! どうしてそんなことをする必要があったの? このかわいそうな動物にどんな罪があったって言うの? あなたは狂ってる、キ印よ、いいえ、はっきり言ってあげましょうか、 あなたは最低、最悪のサディストよ!」。 すると、新郎は静かに振り返り、 新婦の眼を正面からじっと見つめて、こう言いました。 「一つ。」
伊丹十三氏によれば、結婚にはこのくらいの気迫を持って臨みなさい、 とのことです。 さて、乾杯しましょうか。 みなさん、お手元のシャンパンなりビールなりをお持ち下さい。 よろしいですか? では、To survive! 乾杯!