2012年3月31日土曜日

春の嵐/更新終了

また 10 時間くらい寝てしまった。 寝坊したので朝食は珈琲、苺、キウィ、ヨーグルトだけ。 午前中は自宅であれこれ事務仕事と、朝風呂。 湯船の読書は 「デス博士の島その他の物語」(ジーン・ウルフ著/浅倉久志・柳下毅一郎・伊藤典夫訳/国書刊行会)より 「アメリカの七夜」。

雨が降り出さない内に神保町に出て、 カツカレーの昼食でエネルギィを補給してから、明日からスタートする会社のオフィスで肉体労働。 「スーパー総務」こと H さんが昨夜の内に一人で運び込んでくれた荷物を開いて、図書整理など。 作業はすぐに終わったのだが、午後から外は嵐。 読書などして雨風がおさまるのを待ち、夕方帰る。 嵐が過ぎたら、外はまた冬のような冷たさ。 夕食は御飯を炊いて、だしを引き、鶏肉とエリンギの塩だれ丼、冷奴、キャベツ酢漬け、菠薐草と麩の味噌汁。 食後に葡萄を少しと八朔を一つ。

今日をもって "The Return of Dr.Hara" の更新を終了します。
本日付けで今の会社を退職して、明日から始動する小さな小さな新会社に移りますので、区切りの意味で。 明日からは、 "The Adventures of Dr.Hara" で日々のログを更新しますので、またご贔屓に。

2012年3月30日金曜日

懐中時計で角度を三等分する

最近、9時過ぎに眠くなって即、寝てしまう。 風邪もひいているし、旅の疲れが出ているのかも。 朝食は珈琲、果物類とヨーグルト、笹身の塩焼、納豆、御飯、菠薐草と豆腐の味噌汁。 うっかり御飯を切らせて、お弁当はやむなくお休み。 出社して、ときどき肉体労働。 昼食は近所の中華料理屋にて。 夕方から、また肉体労働を少々。 帰宅して、夕食の支度。 菠薐草とエリンギのパスタ、鶏肉のソテーに新じゃが添え。 大した仕事をしたわけでもなく遊んでいたようなものだが、 そんな自分にもお疲れさまの意味で、よなよなエールを一杯だけ。 食後に葡萄を少しと八朔を一つ。

ほとんどの記事は高度過ぎて面白さが分からない "Futility Closet" だが、 数学パズル系と簡単なチェスプロブレム以外にも時々、私のハートにぐっとくる記事が。 例えば最近の、 "Time and Motion". コンパスと定規だけでは任意の角度を三等分することはできない、 という作図の不可能性は良く知られているが、 「懐中時計があればできる」というお話。 正午から、12 時の位置と長針が与えられた角度をなすまで、じっと待つ。 (例えば、90 度を三等分したいなら、長針が 3 時のところに来るまで 15 分間待つ。 ま、実際に待たなくても、竜頭を回せばいいんだけれど。) すると、あら不思議、いや当然のことながら、短針の方は 12 時の位置から丁度、 長針がなす角度の 12 分の 1 だけ進んでいる。 よって、短針のなす角度を倍の倍すれば(これはコンパスと定規で可能)、 それが長針のなす角度の三等分角。 Leo Moser という人の 1947 年のアイデア(と言うよりもジョーク)らしい。

2012年3月29日木曜日

新じゃがバタ

昨夜あまりに早く寝過ぎて、まだ「ラジオ深夜便」が放送されているような時間に起きてしまった。 珈琲と果物で目を覚ましたあと、朝風呂に入ってから、和風朝食の支度。 朝食に作っただし巻の残り半分をお弁当にも入れて、出勤。 午前、午後とお仕事。夕方退社。

夕食は、新じゃがのじゃがバタと、笹身と菠薐草の黄色いスパゲティ(カレー風味)。 パスタ料理に手間をかけた割に、茹でただけの新じゃがバタの方が美味しかった。 料理なんてそんなもの。 食後に苺を少しと、八朔を一つ。 八朔と言っても、今ではこんな時期に食べられるんだなあ。 お風呂に入って、湯船で 「デス博士の島その他の物語」(ジーン・ウルフ著/浅倉久志・柳下毅一郎・伊藤典夫訳/国書刊行会) より「死の島の博士」を読む。

2012年3月28日水曜日

効率

昨夜、食べ過ぎたので、朝食は珈琲、キウィとヨーグルト。 出社して、午前中は昨日の続きの肉体労働。 昨日の夕方と今朝でほぼ完了。成果が目に見える仕事はいい。 今日は週の中日でお弁当はなし。 昼食は近所のインド料理屋にて、骨付き鶏肉とレバーのカレー、ナン、サフランライス、ヨーグルトのデザート。 昼休みに古書店で、 ジーン・ウルフの「新しい太陽の書」シリーズ四巻揃い(表紙が天野喜孝イラストの旧版) を買う。

午後はミーティングから。 そのあとは、Excel に記入して、それを印刷して、それに判子を押して、 それを次の判子を押す偉い人に社内便で送る(社内便は一日一便)、 みたいなどうでもいい仕事。と言うか、仕事ではない。 効率を追求することを何か貧しいことであるかのように言うのが世間では普通だが、 実は、効率を追求して最適化することの方が、豊かなんじゃないだろうか。 余計なウェイトや無駄な余裕を、何故に人は良いことだと思うのだろう……。 と、しばし考察できたのは、余計や余裕や非効率性のおかげでしょうか。

夕方定時に退社して、帰り道のスーパーと果物屋で果物を見てまわって、帰宅。 夕食は鯖を漬け焼きにして、新じゃがと隠元の味噌汁を作り、冷奴、キャベツの酢漬け、御飯。 食後に葡萄と八朔。 夜は 「デス博士の島その他の物語」(ジーン・ウルフ著/浅倉久志・柳下毅一郎・伊藤典夫訳/国書刊行会) より、「アイランド博士の死」を読んだり。

2012年3月27日火曜日

彼女は猫じゃない

5 時くらいに目が覚めてしまった。眠い。 果物とヨーグルトのあと、いつもの和風朝食。 お弁当を作り、朝風呂に入ってから、出勤。 18 日ぶりに出社。 私が休んでいる間に部署の再編に伴う引越しなどがあり、フロアもすっかり様変わりしていた。 午前午後とお仕事(主に肉体労働)。定時に退社して、 ネットワークハッカー N さんとの会食のため移動。

夜は N さんご贔屓のイタリア料理屋にて。 旅の間、猫と家の面倒を見てもらった御礼を兼ねて。 トスカーナのワインと料理をあれこれ。 こんな贅沢も今日を最後にして、明日からはまた、いや、なおさら、つつましく暮らさねば。 昨日も家の猫にシー○・デュオをごく少量与えながら、 「あまり贅沢するとカップケーキ巡査に逮捕されちゃうから」 と諭したところである。 (IE は使ったことがないけれども、 この IE 宣伝ヴィデオに出てくるブサイクな猫は可愛い。 "The browser you Loved to hate" from YouTube. しかし、MSFT には「猫に頼るな」と言いたい。)

2012年3月26日月曜日

死島博士と旅の思い出

8 時くらいまで寝てしまった。果物と紅茶。 朝風呂のあと、洗濯などの家事。 昼食は久しぶりにだしを引いて、切干し大根と若布の味噌汁、梅とおかかのおむすび。 昼寝。午後も掃除などの家事。 夕方になって近所のスーパーへ食材の買い出し。 果物が豊かな食卓っていいな、と旅先で思い、 果物コーナーであれこれ見てみるが、種類が圧倒的に少なくて、圧倒的に高い。 まあしようがないのだが、明日は通勤の通り道の成○石井と果物屋を覗いてみよう。 夕食のメインは生鯖。塩をして常温に戻してから焼き、 他に冷奴、キャベツの酢漬け、御飯、新じゃがと隠元の味噌汁。

「ケルベロス第五の首」(ジーン・ウルフ著/柳下毅一郎訳/国書刊行会)、読了。 書名と同タイトルの最初の短編が面白かった。 次は「デス博士の島その他の物語」(ジーン・ウルフ著/浅倉久志・柳下毅一郎・伊藤典夫訳/国書刊行会)。 これも中短編集だが、「デス博士の島」という物語とその他の物語ではなくて、 「デス博士の島その他の物語」という物語とその他の物語がまとめられている。 特に最初の三篇の題名は言葉遊びになっていて、翻訳ではそれが分かり難いが原題では、 "The Island of Doctor Death and Other Stories", "The Death of Dr.Island", "The Doctor of Death Island". 著者まえがきには「おまけ」として、 "The Death of the Island Doctor" というショートショートも含まれている。 3 の順列は 6 通りあるので、まだ続編が書けるのでは。

旅の思い出その一。 3 月 12 日。気仙沼から一ノ関までのローカル線で、某有名人の御一行と一緒の列車になった。 と言っても芸能人ではないので、乗客は特に反応もなく、あるいは気付いてもいなかった。 単線なので対向列車の遅れが波及してこちらも少し遅れたため、 一ノ関駅でその御方と並んで構内をダッシュ。 ちなみに「ほぼ日」の人。おそらく気仙沼で活動しておられるのだろう。

その二。ブキッ・ビンタン街にて。 路上のテーブルで箸で蠅を追いながら肉骨茶の椀から排骨を手づかみで食べていたら、 通りすがりの観光客らしき小綺麗な女の子に写真を撮られた。 あれが噂の写ガールだろうか。 変なタグを付けてソーシャルネットワークにアップロードされたりしていませんように。

2012年3月24日土曜日

今日は山口

今日は連休最後のイヴェントとして、山口県の山奥にて会食。

新幹線の車中の読書。 「ケルベロス第五の首」(ジーン・ウルフ著/柳下毅一郎訳/国書刊行会)の他、 "This will make you smarter" ed. by J. Brockman, "The information diet" by C. A. Johnson.

2012年3月22日木曜日

Full breakfast

In-Room Breakfast, which is listed as "American" on the menu, but was actually the full English breakfast with baked beans, characteristic sausages, grilled tomatoes, fried mushroom, etc. It's OK and rather comfortable.

It's difficult to spend much money on food outside the hotel. Several kinds of Laksa, Bak-Kut-The (肉骨茶), and local fruits are specially nice and quite cheap.

Readings: "This will make you smarter" ed. by J. Brockman, "The information diet" by C. A. Johnson.

2012年3月21日水曜日

After you

Everyday the weather forecast says "Rainy, 25-32 degrees C". But it's always sunny or cloudy. Walking to Taman KLCC, to Bukit Bintang town, or to Imbi Market. Readings: Japanese translation of "The city & the city" by China Miéville, "This will make you smarter" ed. by J.Brockman.

In the elevator, a gentleman asked me. "What do you think, why I let you go in first?" "Don' kno. Why?" "Because I'm afraid of Booby Traps! HAHAHA!" "... I see... It might be tZhe tLue meaningu of Ladies First." "Right! How are you?" "Good. How ar U?" "Perfect!", he said cheerfully. He must be American.

2012年3月19日月曜日

The city and the cities

The breakfast: coffee, orange juice, many kinds of strange fruits, a kind of Laksa (curry flavour noodle, maybe Malay or Nyonya?), and dim sum.

Walking around the city. It's hot, but not so much. The air is not good in the centre of the city. Sometimes reading (Japanese translation of "The city & the city" by China Miéville) at a cafe or stalls. Iced caffè latte, Nasi Lemak, etc.

The local foods are much mixtured by many cultures: Malay, Chinese, Indian, Islamic, Nyonya, etc. The city is also a "Crosshatch", i.e., a patchwork or a mozaic of many foreign cities, which are super modern, quite antique, high-tech, tropical, Western, or Eastern.

2012年3月18日日曜日

Kuala Lumpur

I arrived at Kuala Lumpur.

I saw a young man reading a book whose cover says 「台所」with the very large fonts. After a few seconds, I solved the little puzzle; that must be The novel by Banana, Y.

2012年3月17日土曜日

今日は東京、神田

今日は東京にいました。東京は雨。 久しぶりに会ったら猫がややツンデレになっていたような。 でもすぐにいつもの感じに戻った。 単に私を忘れていただけのような気がする。 「あんた、誰」ってフリではなくて、実は本当に「あんた、誰」 って思ってた、とか。

夕方から、神田の蕎麦屋にて会食。

2012年3月15日木曜日

昼は小樽、夜はススキノ

札幌にしばらく滞在中。今日は小樽まで鈍行で往復してみた。小樽港で氷点下の吹雪と深い緑色の海に心が洗われた。夜はススキノへ。鮨屋にて、近海もののあれこれ、地元の米と酒。

私は特に鉄道に興味がないのだが、小樽への車窓の風景はなかなか良かった。列車の旅は良いものだな、と。振り返ってみると、一ノ関と気仙沼との間の大船渡線も味わいがあった。二両だけのワンマン電車で、内装はどう見ても市バスなのだが、快速に「スーパードラゴン号」なんて名前がついているところも素敵。

2012年3月13日火曜日

今日は苫小牧

仙台から船に乗って苫小牧に着いた。

船の中で聞いた天気予報では、曇りのち晴れ、とのことだったが、港から雪が降り始めた。最高気温は1度らしい。港から路線バスで苫小牧駅へ。烈しく雪の降るホームで「北斗」を待つ。車中では駅弁のかにちらしと、"This Will Make You Smarter: New Scientific Concepts to Improve Your Thinking" (J.Brockman編/Harper Perennial)から一章。

2012年3月12日月曜日

今日は気仙沼

今日は気仙沼にいました。大船渡線の列車の中では、時折り車窓を眺めながら「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」(杉浦明平訳/岩波文庫)を読んだ。

夜、仙台港から船に乗る。

2012年3月11日日曜日

今日は仙台

今日は仙台にいました。夜は雪。雪ひらが雨のように速く降る。鮨屋にて宮城の酒と魚。

"This Will Make You Smarter: New Scientific Concepts to Improve Your Thinking"(J.Brockman 編/Harper Perennial), 「ゴールデン・パラシュート」(D.ハンドラー著/北沢あかね訳/講談社文庫)など。

2012年3月10日土曜日

今日は東京

今日は東京で、目刺しを焼いたり、出来合いのチキンカツをオーヴントースターで温め直したり、お風呂に入ったり、本を読んだりしていました。

2012年3月9日金曜日

休暇前夜

朝から雨。いつもの目刺し定食の朝食のあと出勤。今朝もツインテール祭りは続いていた。と言うより、3 月 9 日の今日が本番らしい(「語呂合わせか!」と、ようやく気付く)。出社して今日も粛々とお仕事。昼食は近くの鰻屋にて会食。そのあとすぐに幕張に移動し、事務用を片付ける。社員食堂で「千のプラトー」(ドゥルーズ&ガタリ著/河出文庫)を読みながら一服してから、再び神保町に戻る。夕方から、ベルギービール屋にてネットワークハッカー N 氏と会食。明日からの休暇の間の家と猫の世話を頼んだので、その打ち合わせも兼ねて。

明日から 17 日間の休暇をとります。その間、基本的に連絡はとれませんが、私信に限り、メイルや twitter のメッセージに応答するかも。また、休暇中、このページは不定期更新になります。通常リズムの更新に戻るのは、今月 26 日(月)の夜以降です。

2012年3月8日木曜日

青緑色の日

いつもの目刺し定食の朝食のあと、お弁当を作って出勤。私の通り道にある某所はこの頃、きゃりーぱみゅぱみゅが春の卒業生たちに「うぇるかみゅかみゅ」と呼びかけるポスター群でピンク色の雰囲気なのだが、今朝は何となく青緑色のムードの人が集まっている。なぜだろう。

と思いつつ出社。昼食は持参のお弁当。こぶちりめんじゃこ、昆布の佃煮、キャベツ酢漬け、うずら卵の燻製、御飯。午後も淡々と過して、夕方退社。青緑色に集まる人々が数十倍くらいに増えていて、朝の謎が解ける。初音ミクのコスプレをした、少女たちや妙齢の女性たちや妙齢の男性たちで芋の子を洗うかのようになった道をかきわけて何とか通り抜けた。中には普通のゴスロリの女の子たち(と妙齢の女性たち)もけっこういたようだが、初音ミクとゴスロリとは相性が良いのだろうか。そう思ってみると確かに初音ミクのファッションはゴスロリ風味なのかも。

いやあ、東京ちゅところはほんのこつおそろしかところたい、ばってん糸魚川越えた向こうはもう鬼とアヤカシば住むところじゃて婆ちゃんが言っとったのは嘘やなかったと、と思いつつ帰宅。夕食には、メインに出来合いの餃子を焼いて、溶き卵とえのき茸の中華風スープ、玉葱のレモンピクルスとキャベツの酢漬け。デザートにパン・オ・ショコラを一切れ。

2012年3月7日水曜日

背中に猫

昨夜あまりに早く寝過ぎたせいか 4 時に目覚めてしまった。寝床で読書していると、猫がドアの前でうるさい。私の目が覚めたことに敏感に気付き、起きているのならさっさと食事をサーヴしやがれ、あるいは寝室に入れろ、と要求しているらしい。しようがなく部屋に入れてやる。本を読んでいるうちに、猫を背中に乗せたまま二度寝してしまった。7 時起床。珈琲、バナナ、ヨーグルトと苺ジャムのあと、目刺し、納豆、キャベツの酢漬け、青葱の味噌汁、御飯の朝食をとって出勤。昨日の温かさがまだ残っているのか、空気がなまぬるい。

今日は水曜日なのでお弁当はなし。昼食は近所の鮨屋にて。今日は小鰭と干瓢が美味しかった。お鮨はその日に美味しかったものに対して、「やっぱり鮨は、小鰭と干瓢巻だよね」などと思うもので、また別の日には「鮨といったら縞鰺でしょ」なんて思う。でも、やっぱり穴子。いや、煮はま。いや、かすご。

昼休みの散歩に本屋を見て周る。「〜しなさい」とか「〜はやめなさい」とか命令形の本のタイトルが目立つようになったのは、いつ頃からだろうか。相変わらず増えこそすれ、減る気配はない。私もあやかって、「命令形タイトルの本を買うのはやめなさい」っていう自己実現本でも書こうかなあ。

夕方退社。夕食は鰤の漬け焼き、えのき茸のバター炒め、もろきゅう、切干し大根の味噌汁、御飯。

2012年3月6日火曜日

ダブル・ブラインド

今朝も雨。珈琲と果物、ヨーグルトなどで目を覚ましてから朝食の支度。目刺しを鉄網で焼く。他に納豆や、切干し大根と青葱の味噌汁など。手製のサンドウィッチを持って、雨の中を出勤。今朝の雨は温かい。出社して粛々とお仕事。急に事務仕事で忙しくなってきた。何だか気持ちが慌しくて、書き出せば小一時間でできそうなスクリプトに手をつける気がしない。夕方退社。外はやけに温かい。帰宅して夕食の支度。御飯を炊いて、だしを引き、鰤の照り焼き、きゃべつの酢漬け、えのき茸と青葱の味噌汁。

"Edge"というサイトが、毎年、著名な科学者などに質問をする企画があって、昨年は「全ての人の認識方法を改善するだろう科学概念は?」だったのだが、進化生物学者の R.ドーキンスが「二重盲検法」と答えていて、ちょっと感心した(ドーキンスの回答(英文))。二重盲検法とは、実験者と被験者の両方ともが実験対象の性質を知らないままに実験を行う手続きのことである。例えば、ある新薬の効果を人体実験で試すときに、被験者が「こちらが新薬だ」と知っていたら、そう思うだけでその薬が効いてしまったり(「プラセボ効果」)、何かしら結果に影響を与えるかも知れない。また、実験する側も「こちらが新薬だ」と知っていると、そのことが何らかの理由で実験結果や判断に影響を与えてしまうかも知れない。二重盲検法はランダム化などによってこの情報を覆い隠し、両方のバイアスを取り除く。

私は人類の未来に楽観的だが、ドーキンスほどには人間の知性を信じていない。彼の言うように二重盲検法が人々の常識となることによって、「我々はより広く批判的、懐疑的に考える習慣を身につけ、認知的な思考方法が改善されるばかりか、世界を救うだろう」、とまでは流石に思えない。どちらかと言えば、たとえ小学校から全ての人に二重盲検法を教えても、相変わらず人々は占いやおみくじや迷信に夢中で、何かを拝んだり、崇めたりして、自ら不自由に留まり、互いに苛めあい、殺しあっている可能性の方が高いとは思う。それにもかかわらず、ドーキンスの発想は面白いし、おそらく、深い。例えば、日本人の全員が二重盲検法に通じていたら、この一年間はどうだったろう。

2012年3月5日月曜日

雨の月曜日

朝から冷たい雨。レモンティと果物で目を覚ましてから朝食の支度。鯵のひらき、もろきゅう、納豆、切干し大根と麩の味噌汁。お弁当のサンドウィッチを作って出勤。出社して粛々とお仕事。昼食は持参のチーズと胡瓜、卵と胡瓜のサンドウィッチ。夕方退社。外はまだ雨。帰宅して夕食の支度。出来合いの餃子を焼き、キャベツの炒めもの、溶き卵と青葱とえのき茸の中華風スープ。夜は残りのキャベツをザウアークラウト風の漬物にしたりの仕込み作業。

昨日の、地下室のランプの問題の解答。ヒントとして「白熱電球」と強調したので、易し過ぎたかも。地下室で明かりが点いているかどうか確認するだけでは「あれかこれか」しか分からないのに、スイッチは三つある。よって、それ以外の情報を何か得ない限り、問題は解決しない。答の一つとしては、まずスイッチ1をしばらくオンにしておいてから切り、続けてスイッチ2をオンにして、地下室に行く。もし、ランプが点いていればスイッチ2、ランプが点いていなくて、かつ電球を触って温かければスイッチ1、電球が冷たいままならスイッチ3がランプにつながっている。

その他の気の効いた別解としては、スイッチ1をオンしてから数ヶ月ほど待ち、スイッチ2をオンにして地下室に行く。電球が寿命で切れていたら、スイッチ1がランプにつながっている。いや、昔の電球というものはだね、寿命でフィラメントが焼き切れて、電球の中でその焼き切れたものがさらさらと音を立てるので分かったものなんじゃよ、若者たち。

2012年3月4日日曜日

地下室のランプの問題

「古楽の楽しみ」を聴きつつ珈琲を入れる朝。リクエスト特集の日曜日は「定番」に流れ過ぎる傾向があるなあ……それはそれで週に一日くらい良いものだが。バナナ、オリーヴ入りのパン、茹で卵などの簡単な朝食。朝風呂に入って、湯船で「マレー蘭印紀行」(金子光晴著/中公文庫)を読む。午前中は洗濯などの家事やあれこれ。昼食はカレーライス、キャベツの千切り、ペールエールを一本。しばらく昼寝をしてから、午後も家事三昧。掃除機がけ、トイレ掃除、玄関の掃除、エトセトラ。夕食の支度の時間。メインはハンバーグの残りだったのだが、急に何だか足下が冷えてきたので、おかしな食べ合わせだが味噌煮込みうどんを追加してしまった。

重い話が続いたので、お口直しにお気楽なパズルを一つ。P.Winkler によれば、このパズルはかなり前に大流行したらしいが、私は知らなかった。
地下室に続く階段の扉の前に、三つのスイッチがある。このうちの一つは地下室の中の白熱電球ランプにつながっている。残りの二つは完全なダミーで何にもつながっていない。しかし、貴方はどれが本物のスイッチか知らない。残念ながら、スイッチの場所から地下室の明かりを確認することはできない。ここで問題。スイッチをどうにかしてから一回だけ地下室を訪れることで、どれが電灯のスイッチかをつきとめたい。さて、どうすればよいでしょう?

2012年3月3日土曜日

もっと眠れる美女の問題(解答)

今朝もけっこう寒い。 珈琲、ヨーグルトと苺ジャムで目を覚ましたあと、 昨日にアートショップで買った 「フェルメールの食卓 暮らしとレシピ」(林綾野著/講談社)より、 目玉焼きのせチーズトーストを作ってみた。 朝風呂に入ってちょっとゆっくりしてから、 地元の公立図書館に借りていた 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 神々の復活(上・下)」(メレシコーフスキイ著/米川正夫訳/河出書房新社) を返却に行く。昨夜、読了。 昼食は鯵のひらきを焼いて、他にキャベツの炒めもの、納豆、長葱の味噌汁、御飯。 午後は神保町に出て、ミーティング。 そのメンバで夕食はタイ鍋料理屋にて。

一昨日昨日 の「眠れる美女の問題」の解答(?)。
先にお断わりさせていただく。今のところこの問題に正答はないし、今後もおそらくない。 実際、現在も主に哲学の方面で議論が続いている。 数学や数学的確率論に詳しい方々は、まさに今、 「何を言っているんだ、1/3 に決まってるじゃないか。やっぱり文系の人間は馬鹿ばかりだな」 と思ったかも知れないが、まあ、そうでもないから、もう少しお付き合いいただきたい。 少なくとも、数学を適用する側が客観性というものをあまりにナイーヴにとらえていると、 そこに潜む哲学的、意思決定論的、宇宙論的、量子力学的、 エトセトラの重要な論点を見逃すかも知れない。

純粋に数学的確率論の立場から言えば、 この問題は「表が出て、今は月曜の朝」、「裏が出て、今は月曜の朝」、「裏が出て、今は火曜の朝」 の三つの事象にどう確率を割り振るかという問題に過ぎない。 そして、この三つに同じ確率を与えることが、 客観的視点から全てのありうる可能性を公平に数えるという意味で正しい。 さらに、応用的確率論の立場からすれば、 この実験を何度も繰り返したとき、コイン投げの結果が表であった割合が 1/3 に収束する以上は、 本来の一回切りの実験の問題の答も 1/3 でしかありえない。 確かに、「すごく眠れる美女の問題」のように極端なケースを考えると、 ほぼ確実に裏が出た、という一見は直観に反する判断をすることになるし、 さらにこれを敷衍すると、かなり強い形の「人間原理」 ("Anthropic Principle")を認めることにもなりかねない。 しかし、(私も含めて)多くの数学者は 「だからどうした。その通りだ。以上、マル。他に考えたい(もっと大事な)問題があるから失敬。じゃ」 と答えるかも知れない。 「いや、ちょっと待って。だと、輪廻転生も認めるわけ? 輪廻転生が正しい確率の方が無限に高いわけ?」 「ああ、そうそう。その通り。じゃ、多変数複素解析学の講義に遅れるから」。

しかし一方で、もう少し注意深く考えてみれば、 これは数学的な確率論の枠組みがうまく設定できないタイプの問題であることも分かる。 問題は、コイン投げの結果によって「コイン投げで表が出た世界」と「裏が出た世界」 に分かれる一方、それに対して歪んだ形で、 忘れ薬を飲むことにより「月曜日の美女」と「火曜日の美女」 に被験者自身が重複化されることである。 そのため、「同様に確からしい」事象群を設定しようとすると、 (被験者自身の推論において)仮想的な被験者を勘定に入れるか入れないかの選択肢が生じ、 どちらも立脚点としては弱く、問題で設定されたねじれにフィットしない。 念のため繰り返すと、 全ての可能な世界に渡って勘定するのが通常は正しい確率計算の手続きなので、 おそらく数学者には「1/3 説」が強くアピールするのだが、 他ならぬ「私(被験者、美女)」自身も重複化されるため、 主観的な、あるいは客観性が曖昧な状況での、確率判断としては必ずしも正しくない。

そして、ここから生じる矛盾を端的にえぐり出すために、 本来の「眠れる美女の問題」を微妙に変形した数々の問題が知られている。 例えば、日曜日の夜に行うコイン投げは、月曜日の質問の後に行っても同じように思われる (昨日今日とこの問題を深く考えて下さった方にも、この指摘は衝撃的なのではないだろうか)。 また、忘れ薬を飲む代わりに、被験者をコピーして 「美女の生霊」を生成することにしても同じように思われる。 また、コイン投げをやめて、 単に「表の週」と「裏の週」を交代に繰り返すことにしても同じように思われる。 また、コイン投げの代わりに「シュレディンガーの猫」実験を用いて 「シュレディンガーの眠れる猫美女」はどうなのか……。

「眠れる美女の問題」 ("Sleeping Beauty Problem") は、1990 年代あたりに端を発し、 そのあと A.Elga (2000) が「1/3 説」の立場で、 D.Lewis (2001)が「1/2 説」の立場でそれぞれの論文を発表して両陣営の論争が始まり、 その後、今までの十年間に(主に哲学の分野で)多くの研究論文が書かれている。 特に熱心に研究を続けているのは、Oxford 大学の N.Bostrom で、 人間原理バイアスと確率論の関係についての著書 "Anthropic Bias - Observation Selection Effects in Science and Philosophy" がある。 この本はBostrom のホームページからたどって、 pdf の形で無料で読むことができる。 なお、昨日に挙げた「すごく眠れる美女の問題」は Bostrom の ”Sleeping Beauty and Self-Location: A Hybrid Model”. Synthese, 157(1), 59-78 (2007) で提出された変形問題の一つである。 私自身は Bostrom の議論に納得していないが、 この論文には沢山の変形問題が出ていて面白い。

2012年3月2日金曜日

すごく眠れる美女の問題

また急に気温が下がったせいだろうか、ちょっと寝坊してしまった。 慌てて珈琲、バナナ、ヨーグルトと苺ジャムだけの朝食をとり、 超適当なお弁当を作って出勤。 夕方定時に退社して、近所のカレー屋で夕食をとり、渋谷へ。 夜は Bunkamura にて 「フェルメールからのラブレター展」 を観に行く。

昨日の「眠れる美女の問題」 の解答、と言うより解説。
今日のところは、有力な答の候補として「3 分の 1」と「2 分の 1」の二つの主張を紹介する。 さて、どちらが正しいでしょう。または、正解は別にあるのでしょうか。

ではまず、「3 分の 1」説から。 一言で言えば、眠れる美女が目覚めて質問を受けた時点で、 「表が出て、今日は月曜日」、「裏が出て、今日は月曜日」、「裏が出て、今日は火曜日」 の三つの可能性があり、これらは彼女にとって「同様に確からしい」からである。 もしコイン投げの結果が裏ならば、 彼女は月曜の質問のあとにその記憶を完全に失うので、 月曜の目覚めと火曜の目覚めは全く同じであり、確率も等しい。 また、月曜日の目覚めの時点において、 昨夜のコイン投げで表と裏が出た確率が等しい、ということも正しいだろう。 実際、眠れる美女が月曜に目覚めた時点で、私が「今は月曜日の朝です」 と教えてから質問をしたと想像してみればよい。 以上の二つを認めれば、単純な算数で、上の三つの可能性の確率は等しい。 よって、確率は 3 分の 1 でなければならない。

一方の「2 分の 1」説。 美女が日曜日に眠りについた時点では、 彼女はコイン投げの結果について表が出る見込みは 2 分の 1 と判断するはずだ (コインは公平であるという事実に基いて)。 そして、今、眠りから目覚めた時点において、 彼女は日曜日の夜より何ら新たな情報を持っていない。 月曜の朝なら昨夜から寝ていただけだから何も知らないし、 火曜の朝なら昨日の記憶は失っているのでやはり何も知らない。 したがって、表が出た見込みは彼女にとって 2 分の 1 のままでなければならない。 上の「3 分の 1」説の誤ちは、 今日が月曜日であるときに表と裏が出た確率を同じとしたところにあり、 実際は、表の確率は 2/3 である。 なぜ、1/2 より多いかと言えば、 「今日は月曜日」という情報を得た分である……

しかし、「3 分の 1」説からすれば、 美女が日曜日の眠りにつく時点で、いや実験の内容を承知した時点ですら、 「3 分の 1」と(未来の自分は)判断するべきだ、ということになり、 「2 分の 1」説の論拠自体が既におかしい。 実際、この実験を何回も、例えば千回繰り返してみたらどうか。 千回のうち 500 回ずつ表と裏が出る、と単純化してよいだろう。 裏が出た 500 回では美女は月曜と火曜の両方で質問を受けるので、 最初に挙げた三つの可能性が 500 回ずつ合計で 1500 回起こることになり、 そのうち、表が出たのは 500 回である。 貴女が毎回賭けをするならば、表が出る確率は 1/3 と判断するべきではないのか……

もう一日、悩んでいただくために、 さらに実験を極端にして、「すごく眠れる美女の問題」を考えてみよう。 この実験の条件は上とほぼ同じだが唯一の違いとして、 コイン投げで裏が出た場合に月曜と火曜の二日だけではなくて、 百万日の間、実験が続けられる (眠れる美女は睡眠と忘却のおかげで歳をとらない)。 美女は毎回、質問のあとに薬を飲んでその日のことを忘れるので、 目が覚めた時点では常にそれが何日目なのか、 はたまた、表が出て、ただ一回だけの月曜日なのか、分からない。 この場合、「3 分の 1」説ならば、表が出た確率は 100 万分の 1 以下になる。 これは何だかおかしい。 一方で「2 分の 1」説ならば、 今日が月曜日だと知ったときには、表が出た確率は裏より 100 万倍ほど高いと判断しなければならない。 これも何だかおかしい。 さらなる解説は明日に続く。

2012年3月1日木曜日

眠れる美女の問題

6 時に起床。 猫のそっけなさからして、今朝は温かいのだな。 珈琲、自家製の苺ジャムとヨーグルト、バナナ、 ハムエッグ、玉葱のピクルス、オリーヴ入りのパン。 朝食のあと、お弁当用のサンドウィッチを作って、出勤。 人はパンのみにて生くものにあらず、されどまたパンなくして人は生くものにあらず。 「貧乏物語」(河上肇著/岩波文庫)より。 昼食は持参のお弁当。チーズと胡瓜、ハムと胡瓜のサンドウィッチ。 昼休憩にハンドラーの新刊「ゴールデン・パラシュート」(D.ハンドラー著/北沢あかね訳/講談社文庫) を買った。 夕方、定時に退社。 夕食は御飯を炊いて、ハンバーグ、千切りきゃべつの炒めもの、 干し大根と干し人参のお味噌汁。食後に紅茶とパン・オ・ショコラを一切れ。

「眠れる美女の問題」というものを知った。
貴女は以下の実験の手順を知った上で、被験者になることに同意した。 貴女は日曜の夜に眠りにつく。そのあと私が密かに、公平なコインを投げる。 もし表が出たならば、貴女は翌日の月曜日に目覚めたときに、私から質問を受け、 そこで実験は終了する。 もし裏が出たならば、貴女は同じく翌日の月曜日に目覚めたときに、私から質問を受けるのだが、 月曜にあったことを完全に忘れる薬を飲んで再び眠りにつき、 火曜日に目覚めたときに私から再び質問を受け (しかし貴女は昨日の記憶を失っているので「再び」とは気付かない)、 そこで実験が終了する。 以下のように、尋ねられる質問は全て同じである。 今、貴女は眠りから目覚めた。目の前にいる私が寝台の傍らで貴女に訊く。 「日曜の夜にコインの表が出た、ということの確からしさはいくらでしょう?」。 言い換えれば、これが賭けなら表に賭けますか、裏に賭けますか。 そのオッズがどれくらいなら賭けますか?

2012年2月29日水曜日

雪見蕎麦

昨夜は遅かったので、少々寝不足ながら起床。 猫がやたらになついてくるところを見ると、今朝は寒いらしい。 カーテンを開けると外は真っ白。雪がじゃんじゃん降っている。 珈琲とヨーグルトと果物だけの控えめの朝食。 水曜日なのでお弁当作りもなし。

雪の中を出勤。 昼食は近所の蕎麦屋にて、けんちん蕎麦。 暖簾の向こうに雪を見ながらの雪見蕎麦だ。 雪は午後の中程まで続いていた。 夕方退社。 帰り道のスーパーで小粒の苺を半額で安売りしていたので、買って帰る。 帰宅したら税務署から還付金の振り込み通知が届いていた。 素早いな。 夕食は鶏鍋と、そのあとのうどん。

夜は苺のジャムを煮て、 その間にパンを薄切りして、ラップに包んで、の冷凍処理。 最後の最後でラップを使い尽してしまい、 やむなくパン・オ・ショコラを二切れほど食べる。

2012年2月28日火曜日

カンパーニュ

少し早く目が覚めたので、寝床で 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 神々の復活(下)」(メレシコーフスキイ著/米川正夫訳/河出書房新社) を読む。 故郷を訪れていたレオナルドに、 チェーザレ・ボルジアから出陣要請の手紙が届くところまで。 6 時半くらいに起き出して、「古楽の楽しみ」を聞きながら朝食の支度。 御飯がなかったので、今日は洋風の朝食。 いただきもののミッシュ・パン・ド・カンパーニュを食べ始める。 これでも小さめのサイズらしいのだが、私には十分に巨大。 他にオリーヴ入りとショコラ入りのパンが二つあるし、食べ切れるのか心配だ。 同じくカンパーニュでお弁当のサンドウィッチも作り、出勤。

今朝もまた寒い。少し温んでいた気候が真冬に戻った感じ。 出社してお仕事。 昼食は持参のお弁当。胡瓜とチーズ、胡瓜とハムのサンドゥッチ。 昼休みの読書も「神々の復活」。 レオナルドはチェーザレ・ボルジアのもとへ旅する途中、 旅籠でニッコローという奇妙で可笑しな人物と同室になる。 もちろん、ニッコロー・マキアヴェッリである。 レオナルドは自分で発明した自動調節串焼き機を旅籠のキッチンに取り付けたりと快調。 午後も午前と同じ調子。

夕方退社して、西荻窪へ。 夜は、S 大の H さん、G 大の N さんと会食をご一緒する。

2012年2月27日月曜日

平均とは

また気温が急激に下がったようだ。 と、猫との距離感で知る。 いつもの和風朝食のあと、適当お弁当作り。 折角、親切な方から良いパンをいただいたところなので、 久しぶりに腕によりをかけてサンドウィッチを作ろうと思っていたのだが、 少しの寝坊と寒さに躓いてしまった。

そして今週も、 ごくごく普通であくまで平均的で容姿も力量もまさに人並みな四十代サラリーマン安倍礼司のように、 オフィスビルへと急ぐのであった。 時代が変わってもサラリーマンのヒーロー像には、 平均(たいら・ひとし)、江分利満(えぶり・まん)、安倍礼司(あべ・れいじ)、 のように「普通」を強調した名前がつくのは何故だろう。 しかし、その意味は違う。 植木等が演じた平均は、どこにも平均的なところのない超人であり、 周りの人々は彼に呆れながらも、彼だけが天才であり、 自分たちはどう逆立ちしても彼にはなれない凡人であり、 舞台の書割であるに過ぎない哀しみを抱えている。 それはまさに、「フェリスはある朝突然に」と同じ構造だ。 一方、阿倍礼司はイベント企画会社に楽しく手堅く勤め、妻と息子がいて、 休日には(スポンサーの)ニッサンに乗って遊園地へ行く。 それはアベレージであって同時に多くの人にとっての「夢」であるが、 それは彼が天才だからではない。まさに平均だからなのだ……

とか歩きながら「平均」について考えているうちに到着。 出社してお仕事。昼食は持参のお弁当。 夕方、定時に退社。寒い。北風も強く、体感は氷点下。 家の近くで道の前を白黒のホルスタイン柄の猫が横切って行った。 また新顔だ。このあたりは猫にとって暮らし易いのかも。 帰宅して夕食の支度。 寒さのあまり予定を変更して鶏鍋にする。鍋のあとは饂飩。 うどんはいいね。だいすき、うどん。 平均的な嗜好だけれども。

2012年2月26日日曜日

ボビー・フィッシャー「60」とドラゴン・タトゥーの女

今日は、ちょっとは温かい。 風邪がまだ残っているようだが、今日ゆっくりすれば完治しそう。 鯵のひらきを焼いて、納豆、胡瓜とじゃこの酢の物、豚汁、御飯の朝食。 洗濯をして、朝風呂に入ってから、 猫を湯湯婆がわりに足下に置いて寝床で読書など。 昼食は、しめじのアーリオオーリオと、ハムのオムレツ。 二時間ほど昼寝して、午後も午前と同じ調子で暮らす。 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 神々の復活(上)」(メレシコーフスキイ著/米川正夫訳/河出書房新社) 読了。下巻に入った。 お三時に緑茶とパン・オ・ショコラを一切れ。 夕方近くなってから、掃除機がけなど掃除をあれこれ。 夕食はピェンロー鍋。そのあと少し豆板醤を足して、雑炊にする。

だから何と言うことでもないのだが、 ハリウッド版の映画 「ドラゴン・タトゥーの女」 の中に、ボビー・フィッシャーの「60」がちらっと出てくる。 ドラゴン・タトゥーの女こと、調査員のリスベットが、 チェスの相手と待ち合わせをするカフェでテーブルに置いている本は確かに、 これだった。 (ちなみに、この古典的な本は割と最近、日本語に翻訳され、 「魂の60局」 として出版されている。) おそらく、日本でこの映画を観て、かつ、これに気付く人は稀だと思うので、 ここにリマークしておく。 リスベットは人間関係をうまく持てず、精神障害の烙印を押されながらも、 実は完璧な記憶力と思考力を持つハッカーで超一流の調査員という設定なので、 そのあたりの人格を映像で表現する助けとして登場させたのかも知れない。 実際、原作の方でも彼女がチェスを指すシーンがあるが、 フィッシャーへの言及はない。

そして、映画は原作をかなり忠実に映像化している上に、 雪景色の美しさはもちろん、他にもクールな映像美が冴え冴えで、なかなかよくできていた。 特にリスベットを演じたルーニー・マーラがいい。 しかし、原作に忠実、ということから想像されるように、 性的暴力を描く過激な場面が多いし、例えば、「カップルで楽しくデート」向きではない。 また、 犯人が脅迫目的で家の前に残した猫の惨殺死体を主人公たちが発見するシーンがあり、 これが相当にリアルなので、猫好きの方は観ない方がいいかも知れない。 または、ミカエルが家を出たとたんに「マイガ!」と叫んだら、 そのあと数分間、目を閉じるといい。

2012年2月25日土曜日

張三李四

「音楽の泉」を聞きながら、御飯を炊いて、朝食の支度。 鯵のひらきを焼き、他に胡瓜の酢の物、納豆、豚汁。 外はまだ暗く、冷たく雨が降っているようだ。 朝風呂のあと、寝床で猫と読書など。

「レオナルド・ダ・ヴィンチ 神々の復活(上)」(メレシコーフスキイ著/米川正夫訳/河出書房新社) を読む。 サヴォナローラに扇動された小児審問官の神聖軍が、 フィレンツェの町から科学や芸術や古典書籍などの「罪」を徴収し、 広場に山と積み上げて焼く場面など。 子供たちに書庫を襲撃された愛書家の老人が、 ソフォクレスだけは勘弁してくれと訴えて蹴り出されるところを読んで、 開高健が「最後の晩餐」に書いていた老舎の闇鍋のエピソードを思い出した。 その大釜のまわりにいるのはチャンサンリースーという人たちです、か……

昼食はカルボナーラ。午後も同じ調子で過し、 夕食はタイ料理風の豚肉炒めものかけ御飯と、同じくタイ風の葱としめじのヌードルスープ。 丁度、知り合いからパンが大量に届いたので、 そのうちからパン・オ・ショコラを一切れ、食後に紅茶と。 夜も読書と書き物など。

2012年2月24日金曜日

確率コンピュータ

今日はずいぶんと暖かい。 珈琲と果物などで目を覚ましてから、 「古楽の楽しみ」を聞きながら御飯を炊き、いつもの朝食。 お弁当を作って出勤。 午前午後とお仕事。 やはり少し体調不良で、首筋もぞくぞくしてきた。念のため、ちょっと早く帰ることにする。 夕食はカレーライスとマカロニサラダの残り。

プレプリントなど流し読みしていて、"stochastic computing" なるものを知る。 数値を確率で表現することで、計算する方法。 この計算では、例えば、0.25 という数が、 確率 0.25 で "1"、それ以外は "0"が現れるランダムなビット列として表現される。 それで何が嬉しいかと言うと、 例えば、0.25 かける 0.25 という計算が、 確率 1/4 で表が出るコインを二枚投げて同時に表が出る確率はいくらですか、 という問題に翻訳されるのである。 つまり、二つのビット列の流れを入力として、同時に "1" が入ってきたときだけ (「両方、表が出たときだけ」) "1"を出力すれば良い。 つまり、かけ算が AND ゲート 1 つでできちゃうのですよ。 一瞬、「すごいよ、そんなことを思いついた天才はどこのどいつなんだ? これからの時代は確率コンピュータなのか?」 と思ったのだが、 十分な精度の答を得るには相当長いビット列が必要なので、 実際にかけ算をするより効率が良いかどうかは怪しい。 さらに、そもそもどうやってランダムなビット列を生成するのか、 また、どうやって保存するのか、色々悩ましい。 しかし、いずれにせよ面白いアイデアではあり、 世の中には色々と知らないことがあるなあ、と思ったことである。

クイズ:この確率コンピュータのアイデアを最初に提唱した人は誰でしょう?
(答は Wikipedia の Stochastic computing の項目でチェック。 確かに、この人 を天才と呼ぶことに反対する人はあまりいない。)

2012年2月23日木曜日

トゥイードゥルダムとトゥイードゥルディー

ちょっと風邪気味かな……鼻水が止まらない。 いつもの朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。外は冷たい雨。 午前中は虫取り。 正しいデータ群に対して正しい計算をしているようなのに何故か答が常に「空」、 という神秘的なバグ。 実質一時間ほど格闘したあげく、変数名のタイポを見つけた。 ペアになっている二つの変数に、洒落たつもりで 「トゥイードゥルダム」と「トゥイードゥルディー」みたいな対の名前をつけていたのだが、 うっかり(おそらくエディタの補完機能のせいで)互いを呼び間違えてしまい、 ロジックの中のある種の引き算の結果、常に自分自身と打ち消しあっていた。

昼食は持参のお弁当。新巻鮭の切り身、マカロニサラダ、うずら卵の燻製、昆布の佃煮、御飯。 昼休憩に、 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 神々の復活(上)」(メレシコーフスキイ著/米川正夫訳/河出書房新社)を読む。 修道士に先導された蒙昧な群集がダ・ヴィンチの家を襲いに来るところまで。 世の中で一番恐しいものは、感情的な群集だなあ……。 レオナルド先生危機一髪!と、なったところで章が終わって、 次の章は時を遡り、ダ・ヴィンチの弟子ジョヴァンニの日記が弟子入りの日から始まる。 うーむ、心憎いまでの講談調。 夕方退社。 帰宅して夕食の支度。マカロニサラダ、もろみ胡瓜、卵と長葱の炒飯、豚汁。 食後にザッハ・トルテの最後の一切れと紅茶。

昨日の「5」のパズル の解答。 3909511 以外にそのような数は存在しない。 もし、9 桁の数でそのような数があったとすると、 その数はもちろん 100,000,000 以上だが、 "5" を各桁の数字でべき乗した数の和は高々 5 の 9 乗の 9 倍以下、 つまり、17,578,125 以下であるから、 この二つが一致することはありえない。 10 桁以上の数については、 上の差がさらに開くことになるので、やはり同じ理由で存在しない。 また、8 桁以下の数については昨日のコードで、 3,909,511 だけしか存在しないことがチェック済みである。

2012年2月22日水曜日

5 の話

ちょっと寝坊。 昨夜食べ過ぎたので、朝食は珈琲と果物とヨーグルトだけ。 今日は水曜日なのでお弁当作りは休み。 出社してお仕事。 昼食は近所の中華料理屋にて、汁なし担々麺、小籠包、肉団子炒め。 午後は週一回から月一回に変わった全社ミーティングなど。 夕方退社。 夕食はハムエッグ、マカロニサラダ、豚汁、御飯。 デザートにザッハ・トルテと紅茶。 夜は胡瓜とちりめんじゃこの酢の物を作ったり、読書をしたり。

2 月 22 日だからと言うわけでもないが、数字の話。 一昨日の Futility Closet で、次の等式が成り立つことが指摘されていた ("**" の記号はべき乗の意味とする。つまり 5**3 は 5 の 3 乗で 125、など)。 3909511 = 5**3 + 5**9 + 5**0 + 5**9 + 5**5 + 5**1 + 5**1. つまり、各桁の数字を "5" の肩に乗せたべき乗の和に、元の数自身が等しい。 これはどれくらい珍しいのだろうか。 以下のようなプログラムを書いて試してみたところ、 1 億以下にはこの一例しかない (脊髄反射で書いた書き捨てコードなので、中身は批評しないで下さい)。 では、パズル。 この性質を持つ数は他に存在するでしょうか? 存在するならその例を挙げ、存在しないなら理由を説明して下さい。 (ヒント:"5" の代わりに "2" なら、いっそ "1" なら、どうでしょう。)

>>> for i in range(100000000):
...     m = [ int(d) for d in str(i) ]
...     if i == sum([ 5**x for x in m ]):
...         print i
... 
3909511
>>>

2012年2月21日火曜日

赤ちょうちん

今日もやや暖かい。 いつもの朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 午前、午後とお仕事。 昼食は持参のお弁当。しめじと大根と人参の炊き込み御飯、新巻鮭の切り身、マカロニサラダ。 昼休憩に新刊書店で 「都市と都市」(C.ミエヴィル著/日暮雅通訳/ハヤカワ文庫) を買う。夕方退社して会食に向かう。

サラリーマンの聖地こと新橋に訪う。これを略して、新橋なう。 浅草無頼ことネットワーク・ハッカーの N 氏と、小石川無縁こと私の二人で、 うらぶれ通りのうらぶれ赤ちょうちんでうらぶれ会食。 来月あたりちょっと短い休暇でもとろうかと思わなくもないので、 その間、猫の世話を頼めるかどうか打診する。 しみじみと飲みながら、他に話したことは、 万が一、外でニュース番組の街頭インタビューを頼まれたらどうしよう、とか。

2012年2月20日月曜日

神々の復活

寝室を出たときに分かる猫との距離感によると、今朝は少し暖かいようだ。 珈琲、ヨーグルト、果物類で目を覚ましたあと、 朝食の支度。新巻鮭の切り身を焼き、納豆、玉葱のピクルス、しめじの味噌汁、御飯。 お弁当を詰めて出勤。 通り道の前を黒猫が横切って行った。初めて見る顔だ。どこからか流れてきたのだろうか。 私は猫の種類の中では黒猫が一番好きだ。今のところ縁はない。

出社して、午前、午後とお仕事。 昼食は持参のお弁当。しめじと大根と人参の皮の炊き込み御飯、新巻鮭の切り身を焼いたもの。 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 神々の復活(上)」(メレシコーフスキイ著/米川正夫訳/河出書房新社) を読む。 まだ序盤だけれども、これは面白い。 ダ・ヴィンチを中心にした歴史小説で、 ルネサンス期の有名人(チェーザレ・ボルジアとか、ミケランジェロとか、 天才、英雄から大悪役まで勢揃い)がじゃんじゃん出てきて、 キリスト教封建世界とルネサンスの対決が描かれてゆく。 高級な司馬遼太郎とでも言いますか。 これが品切れで入手困難なのは勿体ないんじゃないかなあ。 夕方、退社して、食材を買って帰宅。

帰宅して、夕食の支度。 御飯を炊き、並行してマカロニサラダと豚汁を作る。 他に鰯の生姜煮。 マカロニサラダは軽く 5 食分は作ってしまったので、しばらく続きそう。 食後にザッハ・トルテと珈琲。 夜は豚肉の水煮を作っておいたり、家事をあれこれ。

2012年2月19日日曜日

カルボナーラ

寝坊したので、朝食は苺とヨーグルトだけ。 洗濯をして、お風呂に入る。 もう少し家事を片付けたのち、昼食の支度。 「いちょう並木のセレナーデ」など口遊みつつ、カルボナーラを作る。 珍しく、カルボナーラにたっぷり生クリームを使った。 カルボナーラは卵かけ御飯のような単純さが本当だと思うので、 生クリームを使ったり、卵の黄身と白身を分けて比率を変えたり、 というような凝ったことは、普段は一切しない。 または生クリームは言ってみりゃボディー・ブローなので、 私のような年配者の胃にはちょっと重い。 とは言え、食後にザッハ・トルテを一切れが最近の義務。 おやすみなさい仔猫ちゃん!と声をかけて、しばらく昼寝。 と思ったら、また三時間近くも寝てしまった。 きっとボディ・ブローのせいだろう。

午後も掃除など家事三昧をしてのち、夕食の支度。 鰯の生姜煮、玉葱のマリネと茹で卵のサラダ、しめじの味噌汁、 しめじの炊きこみ御飯。 少々高価なしめじだったので使い方をケチったら、 米を炊くためのだしを作った段階でかなり寂しい分量。 大根と人参の皮を干してあったものを刻んで加えてみた。 食後に蜜柑を一つ。

夜は 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 神々の復活(上)」(メレシコーフスキイ著/米川正夫訳/河出書房新社) など。

2012年2月18日土曜日

猫と気温

夜の間に、少し降ったようだ。外にうっすらと雪が積もっている。 朝食は珈琲、苺とヨーグルト、ザッハトルテと生クリーム。 猫がいつになく親しげなのは、寒さのせいだろう。 私の観察によれば、 猫と私の間の平均距離と気温は正比例し、 猫の懐き度は絶対温度での気温に反比例する。

少し雑用のあと、 近所の公立図書館に本を返しに行く。外は素敵に寒い。 返却のついでに、 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 神々の復活(上・下)」(メレシコーフスキイ著/米川正夫訳/河出書房新社) を借りちゃった。 少し寄り道をして、スーパーで食材を買って帰る。 昼食には、カレーライスの半熟茹で卵添えと豚汁を作った。 午後は神保町に出て、ミーティング。 夕方帰宅して、夕食の支度。 新巻鮭を焼き、筑前煮、豚汁、御飯。

2012年2月17日金曜日

LIFE

朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 週末の景気付けにラヴリィな曲を、 と思って「ぼくらが旅に出る理由」など聞きつつ、 仮想的な多幸感に包まれながらスケッチ的なスクリプトを書き散らす。 とても素敵な長いコードさ。何を書いたかは内緒なのさ。 昼食は持参のお弁当。 今日はうずら卵の燻製が二つ入っていたよ、幸せ。 夕方退社して、 靖国通りに面した洋食屋で夕食。

2012年2月16日木曜日

経路積分

今日も寒い。 今朝はちょっと目先をかえて煮麺中心の朝食。 お弁当を詰めて出勤。 今日のお弁当には、うずらの卵が入っているよ、楽しみだなあ。 午前、午後とお仕事。 昼休みに 「ファインマンさんの流儀」(L.M.クラウス著/吉田三知世訳/早川書房) を読了。 この本の最後のエピソードを読み終えて、 「よし、明日からは、毎日違う経路で通勤通学するぞ」 と決心した徒歩通勤通学者は多かろう。 夕方定時に退社。

夕食は、御飯を炊いて、 豚肉と玉葱の生姜焼き、菠薐草のおひたし、大根の漬物、 切干し大根と麩の味噌汁、御飯。 食後に紅茶と、ザッハ・トルテ。 ザッハ・トルテ、美味しいのだけれど、 円グラフで言って、まだ後 70 パーセント近くも残っている。 一週間以上、毎日食べることになりそう。

2012年2月15日水曜日

たべものの話

普通の水曜日があまりに普通なので、食べたものの話で押し通してみよう。

珈琲、苺とヨーグルトで目を覚ましてから、 いつもの和風朝食の支度。 鰯の生姜煮、納豆、生卵、大根の漬物、春菊の味噌汁、御飯。 鰯の生姜煮と大根の漬物は実家の母の手製。 週の中日でお弁当作りは休みなので、ちょっとゆっくり。 家を出て、BBC Radio4 の "In Our Time" より、「カーマ・スートラ」の回を聴きながら出勤。 出社して、午前午後とお仕事。 普段は鰯や鰊の煮付けを食べ過ぎているせいか、 たまの、たまには、生魚が食べたくなって、昼食は近所の鮨屋にて。 でも一番ぐっときたのは生魚より穴子を炙る芳しい香り。 本屋で「道徳の系譜学」(F.ニーチェ著/中山元訳/光文社古典新訳文庫) を買って社に戻る。 夕方退社。

帰り道にスーパーに立ち寄る。 ヴァレンタイン・デーが過ぎたからか生クリームが値下げされていたので購入。 菠薐草がたった四株で 198 円とは都会暮らしの庶民の足下を見やがって…… としばらく悩んだが、今夜の予定の常夜鍋にはほぼ必須なので、思い切って買った。 さらに、ふと魔が差して、レジの脇で目に入ったうずら卵の燻製も購入。 いや、お弁当のいろどりにね。

帰宅して夕食の支度。豚肉と菠薐草の常夜鍋と、そのあとの雑炊は長葱と溶き卵で。 酒を冷やで一合ほど。 食べものや飲みものについて銘柄や産地や店名など固有名詞を口にしたり書いたりすることは、みっともない、 と思って普段は控えているのだが、 今日は特別、酒は「酔鯨」の特別純米酒でした。 食後には、生クリームを泡立てて、 常温に戻したザッハ・トルテ一切れに生クリームを添え、ウィンナ・コーヒーと。 お風呂に入ったあと、蜜柑を一つ。 丁度だしが切れていたので、 明日の朝食のために、これからだしを引いたりの料理の仕込みの予定。

うーん、何だか、いつもの記述と大差ない。

2012年2月14日火曜日

キャット・キング

今にも雨になりそうな曇り空。 朝食は、鰯の生姜煮、黒豆(ついに食べ切った)、 卵かけ御飯、春菊の味噌汁。適当にお弁当を詰めて出勤。 午前、午後とお仕事。 お弁当は筑前煮、大根の漬物、自家製ふりかけ、御飯。 最近の昼休みの読書は 「ファインマンさんの流儀」(L.M.クラウス著/吉田三知世訳/早川書房)。 夕方退社。

昼から降りだした雨は、小康状態。 私の住処の近くは猫が多く、一匹の猫とも出会わない日は珍しいくらい。 今日は帰り道にふと目をやると、暗闇に奇妙な風景が。 よくよく見ると、自動車の下に猫が集団で集まって、 一匹の巨大猫がみっしり挟まりこんだみたいになっていた。 ラット・キングならぬ、キャット・キング状態。 停車したばかりで、エンジンが温かいのだろう。

帰宅して夕食の支度。 豚丼、大根の漬物、長葱のスープ。 食後に紅茶とザッハトルテを一切れ。 夜は 「母への手紙・若き日の手紙」(サン=テグジュペリ著/清水茂・山崎庸一郎訳/みすず書房) を読んだり。

2012年2月13日月曜日

読むと天才になれる本

今日も寒い。珈琲とヨーグルトと苺で目を覚ましてから、 「古楽の楽しみ」を聞きながら朝食の支度。 春はまだ遠く、この時間、外はまだ暗い。 鰯の生姜煮、納豆、生卵、大根の漬物、御飯、春菊の味噌汁。 お弁当を詰めて出勤。 途中で税務署に寄り道して、確定申告書を提出。 出社して午前、午後とお仕事。 昼食は持参のお弁当。筑前煮、黒豆、昆布の佃煮、こぶちりめんじゃこ、御飯。 夕方退社。 帰宅して夕食の支度。 豚肉と水菜の常夜鍋。あとは長葱を一本分入れて蕎麦にした。 初めて試したが、常夜鍋のあとを蕎麦にするのは悪くない。 食後に紅茶とチョコレートを少し。

湯船で、 「知的生産の技術」(梅棹忠夫著/岩波新書)を読む。 子供の頃から何度か読み返しているが、今回は久しぶりだ。 こんなことが書いてあったっけ、と思うこと、しきり。 そう言えば、この本の最初の方に、 著者が「発見の手帳」を持ち歩いて何かと記録し始めたきっかけとして、 高校生の時にメレジュコーフスキイの「神々の復活」という本を読んだことが書いてある。 レオナルド・ダ・ヴィンチの伝記的小説らしい。 岩波文庫に入っていたこの本が若き著者の仲間たちの間でブームを巻き起こし、 著者の他にも川喜多二郎などの天才を生んだと言う。 昔、この箇所を読んだときに、 「そうか、僕がダメだったのは、『神々の復活』を読んでいなかったからか。早速、読まなければならんぞ」 と思ったものだが、絶版か品切れで入手できなかった。 今、amazon で調べてみたところ、やはり品切れのままである。 もちろん、今なら図書館で借りることも、 神保町の岩波文庫専門の古書店で買うことも可能なのだが、 「あれさえ読めば、私も天才になれたのだがなあ……ざんねんざんねん」 と思えることは貴重なので、 読まないままにしている。

2012年2月12日日曜日

ウメサオ

またかなり寝坊してしまった。いくらでも眠れる。 朝食は珈琲、苺とヨーグルト、薄焼き煎餅。 洗濯と片付けをしてから、朝風呂に入る。 湯船の読書は 「旅する哲学」(A.ド=ボトン著/安引宏訳/集英社)。 今さらながらだが、今年の方針は「日常を旅する」にしようかなあ、 と思っていて、その教科書として。 昼食は、身欠き鰊の漬け焼き、黒豆、大根の漬物、春菊の味噌汁と御飯。

随分と天気も良いことだし、 あと一週間ほどで会期が終了する 「ウメサオタダオ展」 を観に、日本科学未来館に行く。 昨年、大阪の国立民俗学博物館で開催されていたもの。 すごいよ、梅棹先生。 ウメサオは情報社会の先駆者ではなく、むしろ未来だ。 この圧倒的な情報量を前にすると、 嗚呼、私は四十年以上もかけてしたことなんて質と量の両面でネグリジブルだよね、 と、ある意味、清々しいほどの虚しさを感じた。 そこで猛反省すれば良いのだが、 嬉々として民博版と未来館版の両方のスタンプを手帳に押して帰ってくる私だった。

夕方帰宅して、掃除に洗濯など家事あれこれ。 夕食は、鰊蕎麦。昼も夜も鰊で、ようやく食べ尽した。 夜は 「母への手紙・若き日の手紙」(サン=テグジュペリ著/清水茂・山崎庸一郎訳/みすず書房) を読んだり。

2012年2月11日土曜日

釣れまいと思う所に魚あり

また十時間寝てしまった。 寝坊したので朝食は、珈琲、苺とヨーグルトのみ。 朝風呂に入って湯船で「記号と事件 1972-1990年の対話」(G.ドゥルーズ著/宮林寛訳/河出文庫) を読む。 「母への手紙・若き日の手紙」(サン=テグジュペリ著/清水茂・山崎庸一郎訳/みすず書房) を少し読んで、昼食の支度。 御飯を炊いて、昨夜からたれに漬けておいた身欠き鰊を焼き、 黒豆、卵かけ御飯、切干し大根と長葱の味噌汁。

午後、母より実家の庭と畑産の食材と料理などが届く。 人生色々あるだろうが食べるものさえあれば生き延びられるだろう、 とのことである。 親としては子に色々と期待していたのだろうが終に、 どこかで生きていてくれればよい、という悟りの境地に逹したと思われる。 そしてまた、父からの手紙が入っていた。 短歌に飽きて名言集の類にでも凝っているのか、 いつもの最後の一句は 「機会はどの場所にもある。釣り針を垂れて常に用意せよ。釣れまいと思う所に常に魚あり」 (オヴィディウス)。 オヴィディウスって、古代ローマのポルノ詩人だったっけ……。 漁色の心得か何かだろうか。

午後はうっかり寝床に横になったら、また三時間近く昼寝してしまった。 Linux のマニュアルなど読んでいうちに夕方。 夕食は実家からの荷物に入っていた母手製の稲荷鮨、筑前煮、大根の漬物で済ませることにして、 だしを引いて春菊の澄まし汁だけを作る。 救援物資のすきまに何故か、「チーズたら」が入っていたので、 夜は熱燗少々で晩酌。自分では「チーズたら」なんて買ったことも食べたこともない。 たくさん食べ物を送ってくれるのはありがたいが、 その口振りと様子からして、 両親は私のことを、ゴミに埋もれて暮らしている住所職業不定でアル中で極貧の駄目中年、 くらいに思っているんじゃないだろうか、と、ちょっと不安だ。

2012年2月10日金曜日

ココット鍋

昨夜早寝し過ぎて、早く目が覚めてしまった。 和風朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 午前、午後とお仕事。 昼休憩に新刊書店で 「数学の好きな人のために」(志村五郎著/ちくま学芸文庫) を買う。 「数学をいかに使うか」の続編、という位置付けなのだが、 それと同じくタイトルがややミスリーディングか。 対象読者は、単に「数学の好きな人」ではなくて、 理系の大学教養課程の微分積分と線形代数を完全に理解した上で、 数学科かそれと同等の学部教育を一通り受けた人かも知れない。 いや、そういう人を「数学の好きな人」と呼ぶのかも知れないけれども……。 私の定義における普通の数学好きの人でも楽しく読めそうな章は、 第3章の「確率についての雑感」かな。 夕方、退社。

冷蔵庫や献立の諸々の都合によって、近所のバーで夕食。 きのこ類のトマトソースパスタ、 仔羊の背肉のローストを大蒜丸ごと一つとエシャロットと一緒にココットに仕立てたもの、 モンク・スタウトとサン=フーヤン・ノエルを一杯ずつ。 ココット鍋って可愛らしくて、ちょっと欲しいのだけれど、 そんなのを持ってる男性って何かしら問題があるような気がするし、 けっこう高価なものなので我慢しておこう。

2012年2月9日木曜日

金融ホラー・ショウ

今日も爽やかに寒い。 いつもの和風朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 午前、午後とお仕事。 お弁当は、薩摩揚げ、黒豆、自家製ふりかけの御飯。蜜柑を一つ。 夕方退社。 帰り道の魚屋で、身欠き鰊を買う。 身欠き鰊と言っても、戻す手間がかからない半生(?) 的なものだし、かなり安かったので。 本格的な干物の身欠き鰊は、米の磨ぎ汁に 一週間ほど 漬けて戻します、 などという気の長い食材なので、流石に普通は手が出ない。 帰宅して、御飯を炊き、 身欠き鰊を焼いて、だし巻き卵、黒豆、長葱と麩の味噌汁。

夜は、 「ブーメラン」(M.ルイス著/東江一紀訳/文藝春秋) を読む。 うーむ、すごいね、アイスランドもギリシャも。 コミックと言いますか、ファンタシーと言いますか、 非現実的かつSF的なレヴェルにまで逹した、金融ホラー・ショウ。 ドキュメンタリーなんだけれども、 ある意味、「ガリヴァー旅行記」を越えたかも。 著者はアイスランドとギリシャから名誉毀損で訴えられないのだろうか。 少くとも二度と入国できないような気はする。

2012年2月8日水曜日

集合のセンス

温かかったのは昨日の午後だけで、また真冬。 今朝も寒い。 珈琲、ヨーグルト、苺で目を覚ましたあと、 いつもの和風朝食。 週の中日はお弁当なし。 出社して、お仕事。 昼食は近所のタイ風カレー屋にてチキンカレー。 夕方、退社。 夕食は、御飯を炊いて、鶏肉と長葱と大蒜のオリーヴオイル焼き、 黒豆、キムチ、実家製の切干し大根と麩の味噌汁。

昨日の「酒飲みの町」パズル の解答。 四種類全部を飲む人はいないのだから、この町の人は皆それぞれ何か飲まないものがある。 しかし、珈琲、紅茶、ウィスキー、ジンを飲まない人の割合はそれぞれ 1 割、2 割、3 割、4 割であって、 これを足すと十割、つまり全体になっていることから、 この「〜を飲まない人」の四つの分類には 重なりがない。 (なぜなら、もし重なりがあると、住民全体で十割に足りなくなってしまう。) よって、特に、ウィスキーとジンの両方を飲まない人もいない。 つまり、この町の人は全員、酒を飲む。答は十割である。

この問題は簡単そうに見えるが、集合(or 論理)についての直観が必要なので、 なかなか難しいと思う。 これだけの情報から、実はどの住民も一つだけ飲まないものがある、 という事実が導かれるところが意外だ。 とは言え、 非常に数学的センスのある人には、直ちにそれが「見える」のかも知れない。

2012年2月7日火曜日

酒飲みの町

朝は雨。 一週間以上続けているので定着した、と言ってもよかろう、和風の朝食。 お弁当を詰めて、雨の中を出勤。 午後は気温が急上昇するとの話だが、朝はやはり寒い。 午前、午後とお仕事。 昼食は持参のお弁当。 黒豆、高野豆腐、薩摩揚げなどと御飯。 夕方退社。外は生あたたかい。 帰宅して夕食の支度。 豚キムチのソーミンチャンプルーと、黒豆。食後に蜜柑を一つ。

また Futility Closet ブログで知った、面白いパズル。 ある町では人口の 9 割の住民が珈琲を飲み、 8 割の住民が紅茶を飲み、 7 割の住民がウィスキー、6 割の住民がジンを飲んでいる。 しかし、この四種類の全部を飲んでいる人はいない。 さて、酒を飲む(つまりウィスキーか、ジンを飲む)住民は人口の何割か? 答は明日。

2012年2月6日月曜日

行末の空白/猫の機嫌

ちょっと寝坊して起床。今日も寒い。 風邪は抜け切っていないが、日常生活に支障なさそうだ。 納豆、黒豆、キムチ、御飯、豚汁の朝食のあと出勤。 自分では、風邪はほぼ完治、くらいの気持ちでいたのだが、 声を出してみるとすごい鼻声で驚いた。 今日は過去のデータのアーカイヴを整理したり、 .vimrc を一から書き直したり、優先度の高いクリティカルな仕事を粛々とこなす。 あ、カラースキームのせいで、行末の空白のハイライトが効いてなかった。 ショック。どうやら、しばらくの間、行末にスペース入れ放題だったらしい。 まあ、こんなことが発見できて訂正できることが、 優先度の高いクリティカルな仕事のいいところだ。

風邪を言い訳にしてお弁当作りをサボったので、 昼食は近所の中華料理屋にて。 丁度昼休みのあたりから冷たい雨が降り出した。 夕方、退社。雨の中を凍えながら帰る。

帰宅。 何故なのか理由はまったく分からないが、異常に猫の機嫌が良い。 私のいない間に親切な泥棒でも入って、したびらめのムニエルでも置いていったのか。 眼をいたずらっぽくキラキラさせてじゃれついてくる猫を足で遠ざけながら、夕食の支度。 黒豆、半熟茹で卵とカレーライス、食後に苺とヨーグルト。

2012年2月5日日曜日

安息日

8時頃起床。体調はかなり良くなったような。 朝食は珈琲、林檎、ヨーグルトだけ。 寝床で 「サン=テグジュペリ著作集4 『母への手紙・若き日の手紙』」(サン=テグジュペリ著/清水茂・山崎庸一郎訳/みすず書房) を読む。アントワーヌが二十歳になるあたりまで。 昼食は御飯を炊いて、鰯の丸干しを焼き、他に納豆、黒豆、 自作の漬物類の残り、豚汁。 三時間以上も昼寝。 夕食はうどんすき。 今日はなんとか洗濯だけはこなした。でも掃除は全面的にサボり。 まだ完治とまでは言えないが、明日からは平常通りに過せそう。

「Founders at Work」(J.Livingston 著/長尾高弘訳/ASCII) から時々、一、二章ずつくらい読んでいる。 今日は、”Research in Motion" の M.ラザリディスと、 ”Marimba” の A.ヴァン・ホフの章。 RIM は今後どうなっていくのかなあ……。 それはさておき、 マリンバが設立されたときには、 何をするかも決めていなかった、 とは。

2012年2月4日土曜日

ねこの慰め

起床。朝食は珈琲と林檎とヨーグルトだけにして、 寝床で安静にしている。 昼前にお風呂に入ってのち、肉たま蕎麦を作って昼食。 再び、寝床へ。三時間ほど昼寝。 夕食の支度。鶏肉と豚肉のキムチ鍋。そのあとの雑炊。 再び、寝床へ。 今日は、 「猫はスイッチを入れる」(L.J.ブラウン著/羽田詩津子訳/ハヤカワ文庫) と 「ジーヴスとねこさらい」(P.G.ウッドハウス著/森村たまき訳/国書刊行会) を読了した。 「ファインマンさんの流儀」(L.M.クラウス著/吉田三知世訳/早川書房)、 「Founders at Work」(J.Livingston 著/長尾高弘訳/ASCII) などが読みかけ。

猫というものは飼い主の心の内や体調を敏感に察して、 傍らに寄りて優しく頭を押しつけてきたりするものだ、 と世間の猫好きの間では聞く。 猫は優れた心理学者にして、偉大なる癒し手である、と。 しかし、 私が国を離れていた年月を除いても十年以上の付き合いであるうちの猫(クロソフスカヤ、愛称「くろ」) に、そんな気遣いを感じたことはない。 頭を押しつけてくることはあるが、それは耳の後ろがかゆいか、 何か気に入らないことがあって頭突きしているだけだろう。 今日も五つの本棚がひしめく小さな台形型の寝室にこもって静養しているところに、 ドアの前で「自分だけ暖房をかけるな」と激しく抗議して、 入れてやると寝台の私の胸の上に乗って盛大に鼾をかいて寝る。 重いし、うるさい。 しばらく格闘のあげく、何とか足元のあたりに落ち着いてもらった。

2012年2月3日金曜日

小川の蟹

今朝は東京も氷点下。すっかり鼻風邪っぴきさん。 珈琲とヨーグルトの目覚しののち、朝食の支度。 今日の「古楽の楽しみ」はバッハ関連で弟子のクレープス。 清らかなオルガン曲を聞きつつ、豚汁を作る。 他に、納豆、生卵、黒豆、蕪の酢漬け、御飯の朝食。 お弁当を作って出勤。やはり今日は一際、寒い

出社して粛々とお仕事、と言いつつ、明らかに流し打ち。 昼食は持参のお弁当。 鰻のひつまぶし、高野豆腐、黒豆、玉葱のレモンピクルス。 夕方退社。帰りも寒い。 スーパーに寄り道して食材を買う。 店内に海苔巻の山ができていて、「ああ節分か」と気付く。

帰宅して、夕食の支度。 ピェンロー鍋。白菜の値段がまた高くなっていたけれど、 ここはやむをえない。あとは雑炊。あったまりました。

何とか週末に到達。土日は家にこもって静養しよう……

2012年2月2日木曜日

いわし

やはり風邪を引いたようだ。 でも、熱は大したことがないし、症状も軽い。 「古楽の楽しみ」でバッハのカンタータを聞きながら、真鰯の丸干しを焼く。 他に、納豆、玉葱のレモンピクルス、黒豆、しめじと若布の味噌汁、御飯。 鰯は安くて美味しい。やはり二月は鰯だ。ありがとういわし、だいすきいわし、 さかなへんによわい、ってかくけど、ほんとはすごいよえらいよいわし。 ありがとういわし、にがつはいわし。 いわし賛歌を歌いながらお弁当を詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。 高野豆腐、黒豆、蕪の酢漬け、こぶちりめんじゃこ、御飯。 午後に一つミーティングがあった他は、いつも通り淡々とお仕事。 鼻水とくしゃみが止まらないが、それほど苦しいわけではない。 夕方に退社。 夕食は、風邪対策として、うどんすきにした。あったまるなあ。

寒波で明日の朝は東京も氷点下かも、とのこと。 明日を何とか流し打ちでしのいで、土日でゆっくり治すプラン。

2012年2月1日水曜日

鼻の頭

ちょっと体調が悪い。猫や犬で喩えれば、鼻の頭が乾いているような感じ? 今朝も和風朝食。 黒豆、蕪の酢漬け、納豆、ベーコンエッグ(和風?)、しめじと若布の味噌汁、御飯。 これで三日坊主のレベルには達した。 でも、お弁当作りはサボって出勤。

出社して、お仕事。 昼食はインド料理屋にて、めかじきのカレー、タンドリーチキン、シシカバブ、 ナン、サフランライス、デザートのヨーグルト。 夕方退社。昼間は温かかったが、既に昨日までと同様の冷たい風。 帰宅して夕食の支度。 しめじと干しくず野菜と若布のかけ蕎麦。 食後に林檎を一つ。

今日は温かくして、いつも以上に早く寝よう……

2012年1月31日火曜日

ねこさらい/パスタの種類の問題

珈琲と林檎のヨーグルト和えで目を覚ましてから、 今朝も和風朝食を何とか用意。 だし巻き、納豆、黒豆、玉葱のレモンピクルス、しめじと若芽の味噌汁、御飯。 出社して、午前午後とお仕事。 昼食は持参のお弁当。 だし巻き卵の残り、黒豆、蕪の酢漬け、こぶちりめんじゃこ、御飯。 昼休憩に新刊書店で 「ジーヴスとねこさらい」(P.G.ウッドハウス著/森村たまき訳/国書刊行会) を買う。 ウッドハウス・コレクションの偉業もこれで完結。これが最後とは残念だなあ。 夕方退社。

身体が冷え切ったので帰宅してすぐにお風呂。 湯上りに玉葱のレモンピクルスと黒豆でペールエールを一杯。 そのあと、さて、しめじとベーコンのアーリオオーリオを作ろうかな、 と思ったら、細いパスタが在庫切れ。 かなり悩んだが、思い切ってフィットチーネで作ってみた。 もちろんパスタにあわせてソースの方をお変えになっては? と貴方はおっしゃるかも知れないが、 「しめじのアーリオオーリオが食べたいな」と思っていた私の気持ちはどうしてくれる。 さらに言えば、饂飩で作る、素麺で作る、という選択肢もあった。 しかし、それはちょっと違うだろう。それはパスタ料理ではない。 そんなわけで、きしめんみたいなアーリオオーリオ完成。 新鮮な食感と言うか、まるで新しい料理と言うか…… 正直に言って、二度と作らないと思う。 やはりパスタの太さにはそれなりの理由があるのだね。

夜は確定申告の申請書類を書いたり。

2012年1月30日月曜日

姉弟の仲

今朝から朝食を和風にしてみることにした。 納豆、生卵、黒豆、蕪の酢漬け、御飯、里芋と蕪の味噌汁。 お弁当を詰めて、出勤。9 時前に出社した。 午前、午後とお仕事。 昼食は持参のお弁当。鰻のひつまぶし、蕪の酢漬けと……黒豆。 昼休憩に新刊書店で「ファインマンさんの流儀」(L.M.クラウス著/吉田三知世訳/早川書房)、 古書フェアで雑誌「現代思想」(青土社)のドゥルーズ緊急特集号(1996 年 1 月号) を買う。 夕方、退社して、果物屋で悩んだ末に林檎を買って帰宅。 夕食は御飯を炊いて、真鰯の丸干しを焼き、高野豆腐の煮物、しめじと若布の味噌汁と……黒豆。 鰯はちょっと焼き過ぎた。干物を焼くのは難しいな。

「緊急特集号」は言うまでもない、ドゥルーズの自殺事件を受けての特集。 フランス現代思想が何故か日本で大ブームになった時代に若者だったので、 私も色んな意味でその影響を受けていると思う。 と、最近、自分で認められるようになった。 昔はそういう知的スノビズムみたいなものが嫌でたまらなかったが、 今はけっこう素直に、 私はバルト、フーコー、ドゥルーズ(&ガタリ)については好きだし、 影響も受けています、と答えられる。 この三人は既に故人だがそれぞれに、交通事故、エイズ、自殺という、 どことなく各々の思想について考えさせられるような亡くなり方をしたのが興味深い。 良く指摘されることではあるけれども。

ところで、この特集号に香山リカさんが寄稿した文章を読んで、 彼女の弟との仲の良さとYMOオタクぶりは、 昔から一貫しているなあ、と変なところに感心した。 つい先日、この姉弟の二人がラジオのYMO特集番組のパーソナリティをしているのを聴いて、 どこまで仲ええねん、 と思ったばかりだったので。

2012年1月29日日曜日

必要経費の謎

ちょっと寝坊。 いつもの朝食。 朝風呂に入ってから、洗濯などの家事。 昼食はベーコンと干し野菜のサッポロ一番味噌ラーメン、バター入り。 午後も掃除や料理の仕込みなどの家事。 月末も近いので、主に乾物でしのいでいるのだが、味噌が切れそう。 味噌がなくてはやっていけないので、やむをえず買い出しに行く。 今日も気温が低く、風が冷たい。 夕食は冷凍保存してあった牛肉の残りで牛丼。 他に蕪の酢漬けに、里芋と蕪の味噌汁に……もちろん黒豆。 夜は読書など。 「サン=テグジュペリ著作集4 『母への手紙・若き日の手紙』」(サン=テグジュペリ著/清水茂・山崎庸一郎訳/みすず書房)。

雑所得の印税から必要経費を差し引こうと思っていたら、 経費を翌年以降に繰り越せないという落とし穴が。 経費を使ったのは本を書いているときで、 印税が入るのはその翌年以降に本が売れてからなので、 経費の発生と所得申告の年度がずれてしまう。 雑所得にも必要経費は認められているが、 事業所得などと違って経費を繰り越せないため、 印税について言えば、事実上、必要経費のほとんどを控除できない。 と、思うんですけれど……この理解はあってますか? いや、まあ私の印税なんて雀の涙程度なので、 実利面ではどうでもいいんですけれど、 あくまで理論的興味としてね。

2012年1月28日土曜日

黒豆

いつもの朝食のあと、 一晩置いた黒豆の水煮を煮返して味つけをし、 味を含ませるためにそのまま放置。 土鍋一杯分も作ってしまったので、しばらく黒豆地獄。 あとはだしを引いたり、 確定申告用の書類を整理したり。 朝風呂に入って、湯船で 「記号と事件 1972-1990年の対話」(G.ドゥルーズ著/宮林寛訳/河出文庫) を読む。

昼食は御飯を炊いて、 鰯の丸干しを焼き、納豆、黒豆、蕪の酢漬け、里芋の味噌汁。 午後は神保町に出て、勉強会など。 外を歩いていると、今日はことさらに風が冷たい。 夕方帰宅して、夕食の支度。 黒豆を肴にギネスを一杯。黒豆に黒ビールは悪くないね。 そのあと、カレーライス、蕪の酢漬け。食後に林檎を一つ。

2012年1月27日金曜日

金太郎鰯

「古楽の楽しみ」を聞きつつ、いつもの洋風朝食。 古楽なんて狭いジャンルで良くも毎日、種がつきないなあ…… 今朝は 8 時台に出社してみた。 午後からは所用のため、幕張オフィスに移動。 毎週恒例の全体ミーティングも幕張側で参加してのち、夕方退社。 千葉よりはるばる帰宅。身体が冷え切った。

凍えた身体を解凍すべく、 金太郎鰯の丸干しを焼いて、熱燗を五勺ほどつける。 生き返った心地。 金太郎鰯なんて威張ってみても鰯は鰯なので、大変にお買い得だった。 そのあと、手製の干し大根と干し人参を使ったかけ蕎麦を作る。 折角いただいた立派な大根と人参だったので、 剥いた皮を千切りにして干しておいたのである。 だから正確に言えば、干し野菜皮入りのかけ蕎麦。

夜は読書をしたり、これまた昨年末にいただいた黒豆を煮たり。 もちろん、お年始用にどうぞ、という意図で送って下さったのだと思うが、 乾物は長持ちするので後回しになってしまっていた。

今週はあれこれと、けっこう動いたなあ……

2012年1月26日木曜日

名古屋出張

起床して、ホテルの和風朝食。 ホテルの近所のカフェで、 講演資料をちょっとおさらいしてから、名古屋大学へ。 いつの間にか「名古屋大学駅」が出来ている。 名古屋駅方面からだと本山駅で乗り換えて一駅なので、 長々と歩く必要はなくなったとは言え、通勤時間の短縮にはならず。

研究会の2日目。 私の講演は、午後の一番目。 英語講演だったので、(いつも通り)後に行くに連れてぐだぐだな感じに。 講演終了後は常に、深く、深く、反省するのだがなあ……。 夕方、終了。 締めの挨拶で主催者が、「ラフパス解析」を冠した研究会は日本で初めて、 とおっしゃっていて、ちょっと驚く。 でも言われてみれば、そうだろうなあ、と腑に落ちる感じも。

新幹線で東京に戻る。 名古屋出張を記念して、味噌かつ弁当とヱビスビールの夕食。

2012年1月25日水曜日

黒石と白石

今朝は快晴。 外を見ると、屋根の上などに雪が残っている。 いつもの朝食のあと、東京駅へ。 新幹線で名古屋に移動。 午後から、名古屋大学で研究会に参加。

昨日の「袋の中の小石」問題 の答。 16 個の小石の入った袋の中から二個とりだす方法は、120 通りある (16 かける 15 割る 2)。 その二個が黒石と白石である可能性の数が、120 通りの丁度半分の 60 通りなら良い。 これは黒石の数かける白石の数であり、 一方で黒石と白石は合わせて 16 個あったから、 かけると 60、足すと 16 になる数を求めれば良いが、 その二つの数は 10 と 6 である(これは二次方程式の解として得られる)。 よって答は、黒石が 10 個と白石が 6 個か、その逆。 当たり前ではあるが、 黒石と白石が同数 8 個ずつが答のようで違うところが面白い。 実際、8 個ずつだと異なる色を取り出す確率の方がちょっと高い (これを悪用しないように!)。

2012年1月24日火曜日

袋の中の小石

窓を開けると一面、眩しい雪。 いつもの朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 昼食は昨日と同じ内容のお弁当。 夕方、面談一つのあと、退社。 雪はもうほとんど消えているが、足元が冷たい。 帰宅すると、確定申告書用紙が届いていた。 そう言えばそんな時期だった。 夕食の支度。寒い夜には、うどんすき。

Futility Closet で知った、簡単な確率の問題。 典型的な「袋の中の小石」の設定だが、この問い方は新鮮かも。 「袋の中に黒い石と白い石があわせて 16 個入っています。 この中から二つでたらめに取り出すとき、 同じ色同士になるかならないかの確率が丁度半々です。 袋の中に黒石と白石はいくつずつ入っているでしょう」。 答は明日。

2012年1月23日月曜日

表計算ソフトの曙

いつもの洋風朝食。自家製のザウアークラウトを食べ尽したので、 今朝から添え野菜は玉葱のレモンピクルス。 他にベーコンエッグ、チーズトースト、ヨーグルト、果物、珈琲。 朝食は和風にしようかなあ、とよく思うのだが、 手軽で低コストな今のスタイルから切り替えられないでいる。

霧のような小雨の降る中を出勤。 昼食は持参のお弁当。 ひょうたんかぼちゃの煮付け、蕪の酢漬け、こぶちりめんじゃこ。 夕方退社。 外は雨。誰かが間違えて持って行ってしまったのか、置き傘がなくなっていたので、 止むをえず、濡れて帰る。 まだそれほど寒くないが、夜には雪に変わりそうだ。 帰宅して夕食の支度。 昨日作った鰤大根の残りで熱燗を五勺ほどつけ、 そのあと納豆かけ御飯、蕪の酢漬け、豚汁。 食後に緑茶。 寒い日は熱々の鰤大根に燗、そして豚汁。 鰤だけはちょっと高かったが、安上がりで結構な献立だった。

お風呂に入って湯船で 「Founders at Work」(J.Livingston 著/長尾高弘訳/ASCII) を読む。 ビジカルクの章と、ロータス1-2-3の章。対比が面白い。 夜は、 「記号と事件 1972-1990年の対話」(G.ドゥルーズ著/宮林寛訳/河出文庫) など。

2012年1月22日日曜日

手紙

今日も雨模様。 いつもの朝食のあと、朝風呂に入る。 午前中は洗濯などの家事。 昼食はカレーライス、玉葱のピクルス、林檎一つ。 一時間ほど昼寝のあと、 午後はあちこちの掃除。 夕食は鰤大根、ひょうたんかぼちゃの煮付け、蕪の酢漬け、豚汁、御飯。 食後に緑茶。 夜は読書。 「サン=テグジュペリ著作集4 『母への手紙・若き日の手紙』」(サン=テグジュペリ著/清水茂・山崎庸一郎訳/みすず書房) など。

「母への手紙・若き日の手紙」はテグジュペリの書簡集二冊の合本。 「母への手紙」は少年時代から死の直前までの 34 年間に主に母宛てに書かれた 110 通の手紙 (最後の手紙は 1944 年 7 月の日付なので 44 歳で亡くなるまさにその月に書かれたもの)、 「若き日の手紙」は 20 歳から 30 歳までの十年間に友人ルネ・ド・ソーシーヌ宛てに書かれた 25 通の手紙。 「母への手紙」の序文には、マリ・ド・サン=テグジュペリ、 つまりテグジュペリの母本人の談話が使われているのだが、これが凄い。 アントワーヌ以上に詩人だ。

2012年1月21日土曜日

冷蔵庫との対話

曇り空。今朝も寒い。 いつもの朝食。朝風呂。 本を読んだりして、のんびり。 「ドゥルーズ 解けない問いを生きる」(檜垣立哉著/NHK出版、シリーズ・哲学のエッセンス) など。 昼食は蕪入りの鰊蕎麦。 しばらく昼寝ののち、 冷たい小雨の降る中、近所の公立図書館へ。 借りていた本を返却し、ついでに少しばかり調査をして、また本を借りて帰る。 「サン=テグジュペリ著作集4 『母への手紙・若き日の手紙』」(サン=テグジュペリ著/清水茂・山崎庸一郎訳/みすず書房)、 など。 帰り道のスーパーで食材を買って帰宅。

午後は読書と、料理の仕込み。 玉葱のピクルスと、豚肉の水煮を作っておく。 夕食は御飯を炊いて、 鰤の照り焼き、ひょうたんかぼちゃの煮付け、蕪の酢漬け、豚汁、御飯。 久しぶりに「有次」の料理用刷毛が活躍。今日のメニュは我ながら完璧だった。 食後に緑茶。 夜も、「ドゥルーズ」など。

私は学生の頃に買った冷蔵庫をいまだに使っていて、 おそらく二十年は生活を共にしてきた。 もちろんあちこち調子が悪くなっていて、 冬などは普通の冷蔵室が冷凍になったり、 逆に勝手に霜取りモードになったり、なかなかに扱い難い。 温度設定のダイヤルが内部に一つあるのだが、 これも絶妙の調整が必要で、 世界広しと言えども私にしか、まともに使えないだろう。 感覚で大体のところにセットしてから、 そのときの気温や湿度や冷蔵庫の中身にあわせて直感で、チョンと上か下に押す。 「この機械でコンマ・ゼロ1ミリを出せるのは、 こいつと毎日二十年間つきあってきた俺の指先だけ、 俺がやらなきゃスペースシャトルも飛ばないんだぜ……」 と町工場のシボリの達人みたいな台詞を猫に語りつつ、 今日も私は冷蔵庫と対話している。 ただ一つの気掛かりは、この技術の継承者がいないことである。

2012年1月20日金曜日

鰤と熱燗とけんちん蕎麦

朝から外は霙雨。時々、雪に変わったり、 また雨に戻ったり。 いつもの朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。 ひょうたんかぼちゃの煮付け、蕪の酢漬け、紫蘇葉の醤油漬け、 若布ちりめんじゃこ。 夕方、毎週定例の全体ミーティングのあと、 しばらくしてから退社。 外は小雨。冷たい風が強く吹き付け、かなり寒い。 近所の魚屋に立ち寄り、しばし熟考ののち、鰤を買う。 これはかなりの出費だな……心を込めて調理させていただこう。

帰宅して、夕食の支度。 鰤の塩焼とひょうたんかぼちゃの煮付けに、熱燗を五勺ほどつける。 鰤の脂と熱燗が身体に沁みる。 そのあと、根菜類をたっぷり使って、けんちん蕎麦。 食後にレモンティとティラミスゥ。林檎を一つ。 読書は、 「Founders at Work」(J.Livingston 著/長尾高弘訳/ASCII)、 「猫はスイッチを入れる」(L.J.ブラウン著/羽田詩津子訳/ハヤカワ文庫) など。

2012年1月19日木曜日

愛するとは同じ方向を見ること

いつもの朝食のあと出勤。 今日は冷蔵庫事情によりお弁当はお休み。 昼食は近所の中華料理屋にて。 夕方退社。 夕食はひょうたんかぼちゃの煮付け(まだ残っている)、 蕪の酢漬け(まだまだ残っている)、カレーライス、 食後にレモンティとティラミスゥ(まだ食べ切れない)。 夜は読書など。 「サン=テグジュペリ著作集3 『人生に意味を』」(サン=テグジュペリ著/渡辺一民訳/みすず書房)、 読了。

サン=テグジュペリに、 「愛するということは、おたがいの顔を見あうことではなくて、 いっしょに同じ方向を見ることだ」 という言葉があって、 幸せなカップルによく引用される。 しかし、それは誤読とまでは言わないが、やや不適切な引用なのではないか、と思う。 この言葉は「人間の土地」(堀口大學訳/新潮文庫)にあるのだが、 それが書かれている箇所は有名な「軍曹の目ざめ」のエピソードの直後である。 ある男が穏やかな日常生活を捨てて、ある日、戦地に赴き、死を目指す。 まさに機関銃の前に身を踊らせようとする前夜の眠りと目ざめを描写した場面だ。 「同じ方向」とはこの男の視線の方向だろう。 ここには、同じく有名な「家鴨」と「羚羊」のエピソードも含まれる。 渡り鳥の季節になると、家鴨も飛ぶ真似をし始める。 家鴨の暗愚な頭の中に突如、見たこともない巨大な空の旅の海図や潮の香りが、 朧げに浮かぶのである。 家鴨は突如として、地面を、蚯蚓を、蔑む。 飼われて育った羚羊がある時、何故かしきりに柵を頭で押す。 自分でもどうしてか分からないし、一度もそうしたことさえないにも拘らず、 羚羊の本然が全力で走ることを、そしてその最高点でライオンに食われても、 全力で跳ぶことを求めるのだ。

テグジュペリがそこで書いたことは、 フランスが戦争の中で全体主義に押しつぶされ滅びそうになっていたときに、 彼が「行動」によって辿りついた思想のエッセンスであり、 それはテグジュペリの最良の部分であって同時に、最も危険な部分でもある。 実際、彼自身も自分の思想が、彼が戦おうとした敵の思想とどこが違うのか、 きちんとは分析できなかった。 この「同じ方向」とは、 そこで人間の本然が真に自由に解放され、 人間の生きる意味が完全に明らかになる方向、 そこで人間が成就し、消滅するかも知れない地点だろう。 私は無神論者だが、敢て喩えれば、神と「顔を対せて相見ん」時かも知れない。 その意味では、この非常に有名な言葉が引用されるときは、 正反対を指してしまっているか、 またはあまりに概念が違うために間違いですらない、 という場合がけっこうあるんじゃないかと思う。

なお、この「軍曹の目ざめ」、「家鴨」と「羚羊」のエピソードは、 スペイン内戦時のルポルタージュに初めて現れ、 後に「人間の土地」にまとめ直されたものである。 以下はそのルポの最後で、テグジュペリが「軍曹」に捧げた結語。

「きみに失うべきなにものがあろうか? きみがバルセローナでしあわせでいたとすれば、 きみのその幸福をそこなわずにすんだであろう。 しかしきみは、あらゆる愛情がもはやひとつの尺度しかもたぬ高みに逹したのだ。 きみが苦しんだとしても、きみが孤独であったとしても、 きみのからだが赴くべきいこいの場所をみいだしえなかったとしても、 いまきみは愛によって受けいれられるのだ」。
(「人生に意味を」所収、「マドリード」より)

2012年1月18日水曜日

週の中日を淡々と

今朝も良い天気。 昨夜食べ過ぎたので、朝食は軽めに珈琲、ヨーグルト、果物。 お弁当を適当に詰めて出勤。 昼休憩にニュースを見ていて、 チェンバロ演奏家の G.レオンハルトが亡くなったことを知る。 夕方退社。 帰宅して夕食の支度。 御飯を炊いて、 牛丼、ひょうたんかぼちゃの煮付け、蕪の酢漬け、 里芋と大根と人参の味噌汁。 食後にレモンティとティラミスゥ。 夜の読書は、 「サン=テグジュペリ著作集3 『人生に意味を』」(サン=テグジュペリ著/渡辺一民訳/みすず書房) など。

2012年1月17日火曜日

風上に向かって飛べ

今朝も曇り空。気温も低い。 いつもの朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。 ひょうたんかぼちゃの煮付け、焼豚、蕪の漬物、昆布の佃煮、 若芽ちりめんじゃこ。 夕方退社して、代々木へ向かう。

代々木にて、サーバ関連の一人会社社長兼社員ネットワークハッカー N さんとほぼ月例の会食。 前回はしみじみおでんだったのだが、今回は豪勢に河豚尽し。 N さんも明日をも知れぬ緊張感のある身として、 最近の私のリスク・オンな状況を敏感に感じとったらしく、 お互いまだ余裕のある内に一つ贅沢しておきませんか、と提案していただいたので。 いやいや、来年だって再来年だって季節になれば河豚くらい食べられるさ、 一年に一回なら、何とか……なるんじゃないかな。そうだといいな。

ところで、不言実行はなかなか実現しない割に、有言実行は自然に満たされることが多い。 私は昔よく学生に、 「迷ったら難しい方を選べ」とか、 「風上に向かって飛べ」 とアドバイスしていたものだ。 向かい風でないと離陸はできない。飛びたいのなら抵抗が必要なのだ。 そして、そう言いながら、「私はもう年寄だから当てはまらないけどね」 と思っていたのだが、それ以来、 教え子はともかく私については常に向かい風が吹いているような気がする。 有言実行の神秘である。

2012年1月16日月曜日

低調な月曜日

今朝は曇り空。かなり寒い。 いつもの朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 今日はあまり気分が乗らず、流し打ち気味。 土日に(家事で)働き過ぎたかなあ……。 昼休憩に古本屋で 「猫はスイッチを入れる」(L.J.ブラウン著/羽田詩津子訳/ハヤカワ文庫) を買って、カフェで二章ほど読んだ。 最近、統計データを読むのが半分(いやほとんど全部かも知れないが)趣味なので、 今日午後に発表された日本銀行の地方別景気判断、「さくらレポート」を読む。 どうして「さくらレポート」なんて変な通り名がいるのだろう。 「地域経済報告」で十二分に分かり易いと思うのだが。 漢字の読めない大学生にでも愛されたいのだろうか、 などとシニカルなことを考えてしまうところからして、今日は確かに低調だ。 夕方退社。寒い。

帰宅して夕食の支度。 肉じゃがの残り、ひょうたんかぼちゃの煮付けを温め直して、 五勺ほど熱めの燗をつける。 あとで鰊蕎麦。もちろん身欠き鰊の甘露煮は出来合い(これもいただきもの)。 食後に紅茶、檸檬の砂糖漬け、ティラミスゥ。 読書。 「サン=テグジュペリ著作集3 『人生に意味を』」(サン=テグジュペリ著/渡辺一民訳/みすず書房) など。

2012年1月15日日曜日

かぼちゃ、ギネス、コロンブスの卵丼

今朝も良い天気。いつもの朝食。 洗濯ものを干してから、朝風呂。 湯船で日本版 "Wired -01.02" を読む。 昼食はカレー饂飩。 家でカレー饂飩を食べるのって初めてだ。 一服したのち、掃除機がけや、ゴミ出しのまとめ作業や、トイレ掃除や、 料理の仕込みや、家事のあれこれ。 近所のスーパーに行って線形計画法の応用問題を解く。 今日は鰤を含む解が存在するかどうかが焦点だったが、 残念ながら実行可能領域に入っていなかった。 帰宅して、ひょうたんかぼちゃを煮て、洗濯物を取り入れる。 夕方、一週間分の家事を終えて、ほっと一息。 ひょうたんかぼちゃの煮付けを肴に、ギネスを一本飲んで寛ぐ。 今日はこの1パイントに値するくらいの仕事をしただろう。

夕食は、御飯を炊いて、肉じゃが、ふろふき大根など残りもので済ませる。 それだけではちょっと侘しいので、御飯は「コロンブスの卵丼」 (版画家の池田満寿夫氏の考案)にしてみた。

出版されてから一年以上経つが「世界を変えた手紙」(K.デブリン著/岩波書店)を、 今月号(2012 年 2月号)の「数学セミナー」(日本評論社)の書評コーナーで紹介していただいた。 評者はパズル・デザイナーの岩沢宏和さんという方。 pdf ファイルは出版社から送っていただいているのだが、 明日、新刊書店に実物を見に行こう。

2012年1月14日土曜日

「モンテ・カルロは気の毒ね」/巴里の貧乏

今朝は上天気で温かい。 「音楽の泉」を寝床で聞いてのち、いつもの朝食。 朝風呂に入ったり、のんびり。 昼食はカレーライス、蕪の漬物、タイ屋台風スープ。 午後も読書などで、のどかに過す。夕食の支度。 鰻の櫃まぶし、ふろふき大根に柚子味噌、蕪の漬物、里芋と人参と長葱の味噌汁。

「十蘭レトリカ」(久生十蘭著/河出文庫)より、 「モンテカルロの下着」を読む。 巴里に留学中のお嬢さんの同居二人組が(一人は理系、一人は文系)、 貧乏からの華麗なる脱出を狙って、モンテカルロで振袖姿も勇ましくルウレットの大勝負に挑む、 という短編。 十蘭とルウレットと言えば名品「黒い手帳」だが、 こちらは楽しくも微笑ましい冒険譚。 ちょこっと「ロオ・ド・グラン・ノンブル」(「大数の法則」)や、 数式が出てくるのも御愛嬌、という感じ。 文章がまた可笑しい。 理系お嬢さんがルウレット必勝法を閃いて、 「モンテ・カルロは気の毒ね」 と言い放つところとか、 いよいよ大勝負に挑むその時に文系お嬢さんが理系お嬢さんの手を 「ミシミシと握りしめ」て、 「負けちゃいなサイ」 と励ますところとか。

貧乏話も可笑しい。 朝の七時前に巴里中央市場(レ・アール)に行くと、 二法(フラン)で生きのいい鰯を十六匹と、 他に景品のレモンを一つくれる。 鰯を日本風のぬたや、伊太利(イタリー)風の鰯の塩汁(ミネストラ・ディ・サルディラ) に至るまで千変万化に用いて取っ換え引き換えしていると、 「必ずしも飽くということはない」、そうだ。 かつ、 「レモンのほうは輪切りにして紅茶の上に浮かし、 さんざしゃぶったあとその皮は砂糖壺の中へ押し込んで文旦漬をつくり、 これをゆうゆうとお茶請けにする」。 このように、巴里在住の実直な日本人の間に一時、 ブルタアニュの油鰯が猖獗したことがあった、と言うのだが、 十蘭自身の経験だろうか(十蘭も若い頃、巴里にレンズ工学を学んだ)。 「黒い手帳」とはネガとポジの関係と言えるかも知れない、 「モンテカルロの下着」でした。

2012年1月13日金曜日

邪悪な統計家を統計する

いつもの朝食のあと出勤。 今朝も気温は低いが、風がなく、天気も良いので温かい。 昼食は持参のお弁当。 毎週定例の全体ミーティングのあと、夕方帰宅。 夕食は、白菜と牛肉のタイ風炒めもの、 蕪の漬物、大根と里芋と人参の味噌汁、御飯。 夜は、晩酌をしながら読書など。 蕪を網で焼いて、もろみを添え、酒を冷や(常温)で五勺ほど。

昨日の 「邪悪な統計家の問題」 について。 もし彼が正直な統計家なら何も問題はない。 彼は何故か 3022 回という実験回数をたまたま選んだのだろう。 そして、コインは高い確率で歪んでいる。 しかし、彼が邪悪な統計家で、望む結果になったところで実験を止めたならば、 3022 回の内 1583 回表が出た、という数字には意味がない。 確率論に詳しい方なら、望みの結果が得られるまで 3022 回の実験が必要だった、 という事実から何か評価を導こうとするかも知れないが、 それにはさらに多くの仮定が必要であり、(乱歩の演習問題としては面白いが)有効とは思えない。 そして、困ったことに、私は彼がズルをしたのかどうか知らない。 少なくとも頻度統計の立場からは、この状況から何の結論も導けそうにない。

しかし、ベイズ推定の立場から考えることができる、という主張が "Ted Bunn's Blog" の こちらの記事。 ベイズ推定では、 私がそのコインに対して事前に持っていた信念を表す確率(事前確率)が、 実際の実験結果によって更新される、と考える。 そしてこの場合、実験をした統計家が正直だろうと邪悪であろうと、 「関係ない」。 とにかくデータが増えていけば、私の心の中の主観的な確率である、 コインに対する信念を表す確率は更新されていく。 さらに、適当な仮定の下で、このベイズ推定の結果、 私はこの実験結果からコインの公平さについての信頼を 「高める」だろう (具体的な計算例は、リンク先の Ted Bunn の記事にある)。 通常の仮説検定では 99% の信頼区間で、公平でないと判断する、まさにその同じ実験結果によって、 私は実験前よりもコインはより公平であると(信じられると)、判断する。 これは見かけほど意外ではない。 実験前には私はこのコインの公平さについて確信していたわけではないが、 実験後には、3022 回中で表が 1583 回というかなり半数に近い数字を得たのだから。

もう一つ、面白い主張をしていたのは、 "Probably Overthinking It" blog の こちらの記事。 私はこの状況から、 「統計家が正直か邪悪かを」統計的に推測できる。 論法は以下の通り。 彼が邪悪な統計家であったときにコインが歪んでいるという結果が出る(条件付き)確率はほとんど 1 である。 一方で、彼が正直な統計家であったときにコインが歪んでいるという結果が出る確率は、 コインは公平であるのに(誤って)歪んでいるという結果が出る確率と コインは歪んでいて正しくそれが検出される確率の和である。 これらはコインが公平である確率が与えられれば計算できるが、 実験前における私のコインの公平さへの信念(事前確率)を流用してよいだろう。 よって上の確率は計算可能であり、 二つの条件付き確率の比から、統計家が邪悪かどうか推定できる。 実際、リンク先の記事では、 適当な仮定の下、この統計家が高い確率で邪悪である(!)ことが導かれている。

2012年1月12日木曜日

邪悪な統計家の問題

いつもの朝食のあと、出勤。 昼食は持参のお弁当。 実家でもらった御節用の蒲鉾と焼豚、 大根の漬物、春菊のおひたし。 夕方退社。 スーパーで一個あたり 30 円強の玉葱をまとめ買いすべきか、しばし熟考。 私も、天下国家を考えることだけに集中して、 こういった雑務はすべて秘書に任せたいのは山々なのだが、 そんな贅沢は許されていない。 「生きることなんて、召し使いに任せておけ」と言ったのは、誰だったかなあ。 ヴィリエ・ド・リラダンだっけ、レーモン・ルーセルだったっけ。 夕食は御飯を炊いて、メインは肉じゃが。 他に、春菊のおひたし、蒲鉾、里芋と自家製干し大根の味噌汁。

確率・統計系の blog でちょっと話題になっていた問題。
いま、あるコインが歪んでいないか、検証したい。 そこで、知り合いの統計家に検定を依頼した。 彼が言うには、「このコインを3022 回投げて実験したところ、 半分丁度より 72 回多い 1583 回表が出ました。 公平なコインで偶然にこのような偏りが起こる理論的確率は 1 % 以下と非常に低いですから、 このコインは表側に偏っていると判断します」、 とのこと。教科書通りの典型的な統計的検定である (有意水準 1%、信頼区間 99% の仮説検定)。 その実験の記録も残っていて、数字に間違いはない。 私は、なるほど、と一旦は納得したのだが、後でふと疑惑が浮かんだ。 3022 回という中途半端な実験回数は変ではないか? 普通なら千回など、切りの良い回数にするものだ。 ひょっとしたら彼は、 表裏の割合が望みの有意水準に入るまでコインを投げ続け、 それが達成されたタイミングで 実験を止めたのではないか?

まず注意として、 公平なコインでも投げ続ければいずれどこかで、 1% の有意水準に入る歪みが(確率 1 で)得られる。 したがって、 もしも彼にこのコインを貶める邪悪な意図があれば、 このズルは(ほとんど)確実に可能だ。 その場合、実験結果は(ほとんど)確実に起こることが起こっただけであり、 結果には何の意味もないのではないか。 私は一体、どう考えればいいのだろうか。 疑惑が生じた以上、単に「この実験はナンセンス。」でお仕舞いなのか、 それとも、この問題について何か統計的な判断が可能なのか?

(かなりの難問で、対象はセミプロ以上。 プロであっても明快な説明ができる人、or 統計的推論に明晰な信念を持っている人は稀だろうと思います。 明日、答に関連する blog とその内容をいくつか紹介しますが、 おそらく本当の「答」はないです。)

2012年1月11日水曜日

普通の水曜日

今朝は曇り空。 いただきものの餅を食べ尽して、いつもの洋風の朝食にスイッチ。 適当にお弁当を詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。 塩鮭、蒲鉾、大根の漬物、春菊のおひたし。 夕方退社。 急激に気温が下がってきたようだ。冷たい風が吹き、 夜空には黒々とした雲が流れて行く。

帰宅して夕食の支度。 肉じゃがのつもりだったが予定を変更して、鶏の水炊き鍋にする。 手製のポン酢にて。 後はラーメンにしてみた。 鍋の残りに塩だけで軽く味をつけ、長葱の青いところを沢山切って入れる。 インスタントラーメンを煮て、胡麻油少々で仕上げ。

夜は読書など。 「猫はソファをかじる」(L.J.ブラウン著/羽田詩津子訳/ハヤカワ文庫)、 「サン=テグジュペリ著作集3 『人生に意味を』」(サン=テグジュペリ著/渡辺一民訳/みすず書房) よりモスクワ滞在の記録。

2012年1月10日火曜日

数独の最小の鍵数

今朝は良い天気だ。 最後の蓬餅をチーズを乗せて焼いて、他に珈琲、ヨーグルトの朝食。 昼食は持参のお弁当。 塩鮭、蒲鉾、大根の漬物。 昼休憩に新刊書店で 「十蘭レトリカ」(久生十蘭著/河出文庫)、 古書店で 「猫はソファをかじる」(L.J.ブラウン著/羽田詩津子訳/ハヤカワ文庫) を買った。 カフェで珈琲豆を買うついでに、 一服しつつ「十蘭レトリカ」より僅か 5 ページの瞬編「胃下垂症と鯨」を読んで後、オフィスに戻る。 夕方退社して帰宅。 夕食は牛鍋。 実家からもらった牛肉を土鍋でさっと焼き、 塩少々を振って酒を加え、白菜、長葱と春菊(実家の庭産)を並べて、 醤油少々をかけて蒸し焼き風にする。 最後に適当にかき混ぜてから、並べ直して完成。溶いた生卵につけて食べる。 後は饂飩にした。大根と蕪の漬物。

数独の最小の鍵数(問題図で見えている数字の数)は、 答が一つだけあるという条件の下で 17 だと判明したらしい ("There is no 16-Clue Sudoku" arXiv:1201.0749)。 鍵数 17 の問題は知られていたが、 鍵数 16 で作れるのかどうかは今まで不明だった。そこに、 コンピュータを使った虱潰しで鍵数 16 の問題が存在しないことが分かった、というプレプリント (この内容を投稿できる査読付き論文誌があるのだろうか……)。 虱潰しとは言え、探索する空間があまりに膨大なため、 現実的な時間で計算可能な程度までいかに空間を削るかが肝で、 なかなか難しい問題だったようだ。 とは言え、 「だから何なんだ」と普段から言われがちの数学者ですら、 「だから何なんだ」と言いたくなるタイプの問題と成果ではある。

2012年1月9日月曜日

認知バイアス

ちょっと寝坊。 珈琲、蓬餅にチーズ、果物の朝食。 朝風呂に入ったあと、洗濯などの家事。 昼食にはカルボナーラを作った。 実家から荷物が届いた。 主に食材のあれこれ。しばらく食べるのには困らないなあ。 午後も家事と読書など。 小腹が空いたので、長葱を切って、かけ蕎麦にして食べた。 夕食は、御飯を炊いて、 豚肉と白菜と長葱とえのき茸の塩炒め、黒豆とあれこれの煮物、大根の漬物、豚汁。

G.K.チェスタトンの短編小説に、 自分が神だと信じてしまいそうになる(つまり、発狂しそうになる) 男の話がある。 主人公の「探偵」は、 その男が窓に流れる雨の水玉に熱心に見入っているのを見て、 彼が発狂しそうになっていることを見破る。 男は、どちらの水玉が先に窓の下に辿り着くかを当てる一人ゲームをしていたのである。 自分の選んだ水玉が勝ったときは強く印象に残り、 そうでないときは印象に残らない。 さらには、自分が選ばなかった方の水玉が勝ったときすらも、 そちらの方を自分は選んでいたのだ、と後から思ってしまう。 ついには、自分には水玉の行方を左右する力や予言の力があるのだ、 実際その力がこのように完璧に発揮されているではないか、 と信じ込むようになる。 現代の心理学や行動経済学で言うところの「認知バイアス」だが、 別に新しい概念ではないし、 その様子を極端かつヴィヴィッドに描いた文章も、このように古くから存在している。

2012年1月8日日曜日

カジノの内と外

今朝は良い天気。 珈琲、チーズ蓬餅、ヨーグルト、果物の朝食。 朝風呂に入って、湯船で読書。 昼食は親子丼、春菊のおひたし、大根と麩と浅葱の味噌汁。 午後は少し神保町を散歩してから、某所にて勉強会。 その後、夜は同じメンバで会食。

「競争優位で勝つ統計学」(J.マー著/須川綾子訳/河出書房新社)を読む。 MIT の学生たちがカード・カウンティングと数学を武器にブラックジャックで大儲けをする 「ラスヴェガスをぶっつぶせ!」の主人公のモデル、 ジェフリー・マーによるビジネス本。 マーの偉いところは、確率論や統計学を使って金融市場で儲けようと 「しなかった」ところだと思う。 確率論や統計学は確かに、純粋なギャンブルに対しては強力な武器に、事実上、最終兵器になる。 (多くの場合、結論は「そのギャンブルをしてはいけない」or「胴元になれ」だが。) しかし、一度カジノの外に出ると、その力は一気に弱まる。 20 世紀末あたりには多くの優秀な数学者の卵が、金融市場で一儲けしようとしたものだが、 金利や株価はカードやサイコロやルーレットとはまるで違う。 そこにはルールや枠組みや前提の恣意的かつ頻繁な変更、情報の激しい非対称性など、 少くとも現状の数学で扱い切れない問題が数え切れないほどある。 それなら、純粋なギャンブルの方が安全で確実だ、 ときっぱり判断したところが偉い。

著者は今ではスポーツ賭博の世界でビジネス展開しているようだが、 それも優れた判断だと思う。古典的な統計学や確率論の応用先をカジノの外で探すことになれば、 有力なフィールドの一つはスポーツ賭博だろう。 ちなみにこの本は、そんな著者がビジネスに統計学を使う方法を指南する、 という意味で矛盾であり、 ギャンブル的状況での心構え指南という以上には役立たない。 その矛盾を認識することが、この本を読む価値だろう。

2012年1月7日土曜日

猫と「ツバメ」

チーズをのせた蓬餅を焼いて、朝食にする。 他に珈琲と果物。 朝風呂に入って湯船で 「言語設計者たちが考えること」(F.Biancuzzi & S.Warden 編/村上雅章・佐藤嘉一・伊藤真浩・頃末和義・鈴木幸敏訳/オライリー・ジャパン) を読む。 近所の公立図書館まで散歩。 「競争優位で勝つ統計学」(J.マー著/須川綾子訳/河出書房新社)、 「サン=テグジュペリ著作集3 『人生に意味を』」 (サン=テグジュペリ著/渡辺一民訳/みすず書房) を借りて帰る。

昼食は、豚肉と白菜のタイ風炒めものかけ御飯、タイの屋台風スープ。 香菜は保存用に自分で干しておいたものを使ったのだが、やはり香りは生に及ばない。 食後に蜜柑を一つ。 二時間ほど昼寝ののち、午後は読書の他、 紙で作ったツバメを毛糸に結んで、 クロと血沸き肉踊る「ツバメ」ゲームをしたり。 今日の猫 vs. 人間の戦いは 53 点対 49 点で接戦だった。

夕食はまたピェンロー鍋。鍋のあとは、 少し大根と金時人参と春菊を加えて雑炊にする。黒豆の煮物。

2012年1月6日金曜日

AWK

今朝は曇り空。 いつもの朝食のあと出勤。 昼食は持参のお弁当。昨日と同じ内容。 昼休憩に近所の理工書専門の古書店で、 「言語設計者たちが考えること」(F.Biancuzzi & S.Warden 編/村上雅章・佐藤嘉一・伊藤真浩・頃末和義・鈴木幸敏訳/オライリー・ジャパン) を買う。 夕方退社。近所のバーで、 玉葱のみのキッシュとフリッツでベルギービールを一杯だけ飲んで帰る。

帰宅して、野菜と豚肉を炒め、サッポロ一番に。 お風呂に入って湯船で 「言語設計者たちが考えること」 を読む。 有名なプログラミング言語の設計者たちへのインタビュー集。 やっぱり自分が好きな言語のところから読んでしまう。 私の場合は、Python と AWK。 Python はさておき、AWK が好きと言うと大抵、首をかしげられる。 いいと思うけどなあ。 AWK の章は開発者が三人いるせいか(エイホとワインバーガーとカーニハン)、 他の章に比べて圧倒的に充実していて、 私としては大変楽しめた。 夜は、 「猫は手がかりを読む」(L.J.ブラウン著/羽田詩津子訳/ハヤカワ文庫) を読んだり。

2012年1月5日木曜日

たまの贅沢

今朝は良い天気だ。 猫も仕事始めだろうと思って、 今日はレトルトの柔かいキャットフード。 いつもの二倍くらい機嫌良く食べていた。 これが毎日続くと思われては困るので、 「タマの贅沢だから美味しいのですよ」と、言い聞かせておく。 とは言え、たまのたまにの贅沢に、 鮪の刺身とか、松坂牛の細切れのブイヨン仕立てとか、与えてみようかな……。 しかし、私のような下々の民草に飼われている庶民猫なので、 そもそも食べ物だとは気付かない、あるいは、お腹を壊すのがオチのような気もする。

さて、今年も猫と私の食費を稼ぐために頑張ろう。 と、ちょっと気合を入れて 9 時に出社してみたら、フロアに二番乗りだった。 昼食は持参のお弁当。 黒豆と人参と里芋と高野豆腐の煮物(実家製)、 大根の漬物(実家製)、若芽ちりめんじゃこ(いただきもの)、海苔。 昼休憩に本屋を周るついでに、カフェで珈琲豆を買って一服。 定例の全体ミーティングのあと、夕方退社。

帰宅して、夕食の支度。 知人から送っていただいた白菜でピェンロー鍋。 いい具合に虫食いの入った、巻きのきつい、綺麗な小振りの白菜で、 ピェンローにするのを楽しみにしていた。 あとはもちろん、雑炊。 同じくいただいた蕪で作った酢漬けと。

2012年1月4日水曜日

猫レシピ

今朝は良い天気。 いつもの珈琲と朝食。 少しドキュメントを書いたりしてから、 朝風呂に入る。湯船で 「ラバー・バンド」(R.スタウト著/斎藤数衛訳/ハヤカワ・ミステリ文庫) を読む。読了。 昼食はお好み焼き(豚玉)、チーズ焼き餅、ペールエールを一杯だけ。 お好み焼きのキャベツもお餅もいただきもの。 小一時間ほど昼寝のあと、 午後は今月下旬にある研究会での講演資料作りの下準備を少し。 なかなかやる気にならないので、外堀から埋めている。

御飯を炊いて、筑前煮、牛蒡巻き、大根の漬物、豚汁。 お風呂に入って湯船で 「猫はキッチンで奮闘する」(羽田詩津子著/ハヤカワ文庫) を読む。 「三毛猫ホームズ」ならぬ名探偵「シャム猫ココ」のシリーズ (L.J.ブラウン著)に登場する(人間用)料理のレシピ集。 もっと正確に言えば、アメリカで出版されている「ココ」のレシピ集のレシピで、 シリーズ訳者も料理を作ってみました、というエッセイ集。 最初に、猫は美食家であって、 猫の飼い主たる者は顔を合わせると、 いかにうちの猫が贅沢で我侭かを自慢する、などと書いてある。 著者の猫はスーパーの見切り品の鮪の刺身などにはそっぽを向くそうだ。 著者の友人の猫は松坂牛しか食べない、とか。 信じられない。うちの猫は、どんな安いキャットフードでもぐいぐい食べる。

夜は 「Python チュートリアル」(G. van Rossum著/鴨澤眞夫訳/オライリー・ジャパン) を読んだり。 短くて簡単だけれど、Python 言語の作者 "Guido" が書いただけあって味がある。 そして時々、ものすごく高度なことが書いてある。

2012年1月3日火曜日

漬けたり干したり

曇り空。 目覚しの珈琲のあと、いつもの朝食。 朝風呂に入って湯船で 「ラバー・バンド」(R.スタウト著/斎藤数衛訳/ハヤカワ・ミステリ文庫) の続きを読む。 クロの猫パンチをかわしたり受け止めたりしている内に昼食の時間。 カレーライスとキャベツの酢漬け。食後にロイヤルミルクティ。

午後は水廻りの掃除や、料理などの家事。 野菜を沢山と送っていただいたので、 しばらくは食材に困らない。 それは大変結構なのだが、保存方法が問題。 一部を漬けたり、干したり、保存食化の作業。

夕食は御飯を炊いて、一番だし、二番だしをひき、 鰤の塩焼き、筍の煮物、卵焼き、 大根の漬物。 昼間に蕪を漬けたときの切れ端を春菊とあわせて味噌汁。 夜は筑前煮少々と蓬餅をお供に、 「ラバー・バンド」の残りを読む。

2012年1月2日月曜日

ドードー鳥と帽子屋と三月兎

かなり寝坊。 珈琲で目を覚まして、果物の朝食。 朝風呂に入って湯船で "Dead Famous" (C.O'Connell 著/ Berkley Novel) の最後の章とエピローグを読む。読了。 マロリー・サーガ第 7 作の今回はマロリー自身はほとんど脇役。 逆にいつもは脇役のライカーのロマンスが中心で、 サスペンスの方の筋はどうでもいい感じ。 とは言え、オコンネルいいなあ。何故、 このシリーズの翻訳が第 5 作で止まって久しいのか分からない。 次は第 8 作 "Winter House"。今度は本格ミステリらしい。

昼食は卵の御澄ましを作って、また残りものの海苔巻と稲荷鮨。 午後は NHK FM のジャズ音楽特集を聞き流しながら、 「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士(下)」(S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳/ハヤカワ文庫) を読む。 日の落ちるのを見ながら、ギネスを一杯だけ。 お供は「ミレニアム3(下)」と筑前煮。 夕食は冷製のおかずの残りあれこれと、大根と里芋と人参の味噌汁、御飯。 夜も午後と同じ調子。

"Futility Closet" で知った、ルイス・キャロルの日記に書かれていたというパズル。 「ドードー鳥は帽子屋が嘘をついていると言う。 帽子屋は三月兎が嘘をついていると言う。 三月兎はドードー鳥と帽子屋の両方が嘘をついていると言う。 本当のことを言っているのは誰?」。 簡単なので答はなし。

2012年1月1日日曜日

石蓴

ちょっと遅い朝食。 白味噌の精進味噌汁。大根、金時人参、里芋、丸餅。あぶった石蓴。 「石蓴(アオサ)」は難読漢字だなあ。 もちろん、かな漢字変換がなければ書けもしない。 他に冷製おかずをあれこれ。 「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士(上)」(S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳/ハヤカワ文庫) 読了。 昼食は、海苔巻、稲荷鮨、茶碗蒸し。 午後も読書など。 「ラバー・バンド」(R.スタウト著/斎藤数衛訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)。

夕食を作るのが面倒で、昼食の残りの海苔巻と稲荷鮨。 冷たいものばかりだと何だか寂しくなって、送っていただいた餅を一つ焼く。 レンジに鉄網をかけて餅を焼いていると、なんだか一句できそうな、 久保田万太郎的な趣きが。

夜はデジタルアナログ変換に感謝しつつ、 アナログテレビで「相棒」スペシャルを観るかな。