お恥ずかしながら、私は料理や食に関する本をけっこう持っている。 まあ、今のところ 1m かける 2m の本棚一つか二つ分くらいなので、 大した量ではないけれども。 ほとんどは読み物として秘かに一人楽しんでいるものだが、 中には実践的に愛用している家庭料理の本もある。
家庭料理の本について言えば、新しいクックブックほど上手に、手軽に、なかなかの料理ができる。 しかし、新しい本のほとんど全てについて、まったく骨がない。 思想がない、と言ってもいい。一方で古い本には、思想と気迫のこもったものがある。 例えば、有名な本だが、辰巳浜子の「手しおにかけた私の料理」(辰巳芳子編/婦人之友社)である (辰巳浜子著の初版は 1960 年刊。上は復刻版で 1992 年刊)。以下はこの本から引用。
これからの時代は、現在より以上に、自立が要求されると思います。 それは、老いも若きも同様の比重で余儀なく負わねばならぬでしょう。
家事は、家庭を持つものにとっても、持たぬものにとっても、生活の基盤であり、 その管理は、生命を管理することにひとしいのであります。 家事の中の台所仕事は、一日も休むことのできぬ、必須仕事です。 ですから、何よりも台所仕事は、計画的、組織的に行わねばなりません。 計画性をともなわぬ台所仕事は、際限がないという重荷となります。 何事によらず荷はかるく、負うべきものは負う、 しっかり負うのが、人生です。
重い。 「何事によらず荷はかるく、負うべきものは負う、しっかり負うのが、人生です」。 重過ぎる、この言葉。聞いたかい、そこの「愛されレシピ」とやら、だしを引くだけでこの気迫だよ。 しかし、この薄い本を一冊マスタすれば、家庭料理については誰にも恥じるところはないだろう。 想像するに、この時代の料理本と言うものは、昔の NHK 料理番組もそうだったが、 「(擬似)姑による嫁指南」だったのである。 昔は、お嫁入りした翌日の早朝、「そこに直りなさい」とお勝手の上がり框の向こうに正座させられた上、 土間に仁王立ちした襷がけ姿のお姑さんに、上のようなお説教をされたものだ(あくまで想像)。 丁度、そんなお姑さんが絶滅しつつあり、本や TV 番組にそのヴァーチャルな役割の要求があったのだろう。 もちろん今では、そういった需要は想像の外である。
とは言え、この本のレシピ通りにしても、美味しいものができない。 昔と今では、簡単に入手できるレベルの素材や調味料の性質が違うので、 自分の舌で適当にアレンジしないと味が決まらないのである。 昔の家庭料理の本には一様に、この欠点がある。 さらに写真が入っていないか、入っていても色が悪くて目に楽しめないのも、 人によっては欠点かも知れない。 しかし、いつまでも読み甲斐があって、参考になるのはこういったクックブックだ。