2012年3月3日土曜日

もっと眠れる美女の問題(解答)

今朝もけっこう寒い。 珈琲、ヨーグルトと苺ジャムで目を覚ましたあと、 昨日にアートショップで買った 「フェルメールの食卓 暮らしとレシピ」(林綾野著/講談社)より、 目玉焼きのせチーズトーストを作ってみた。 朝風呂に入ってちょっとゆっくりしてから、 地元の公立図書館に借りていた 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 神々の復活(上・下)」(メレシコーフスキイ著/米川正夫訳/河出書房新社) を返却に行く。昨夜、読了。 昼食は鯵のひらきを焼いて、他にキャベツの炒めもの、納豆、長葱の味噌汁、御飯。 午後は神保町に出て、ミーティング。 そのメンバで夕食はタイ鍋料理屋にて。

一昨日昨日 の「眠れる美女の問題」の解答(?)。
先にお断わりさせていただく。今のところこの問題に正答はないし、今後もおそらくない。 実際、現在も主に哲学の方面で議論が続いている。 数学や数学的確率論に詳しい方々は、まさに今、 「何を言っているんだ、1/3 に決まってるじゃないか。やっぱり文系の人間は馬鹿ばかりだな」 と思ったかも知れないが、まあ、そうでもないから、もう少しお付き合いいただきたい。 少なくとも、数学を適用する側が客観性というものをあまりにナイーヴにとらえていると、 そこに潜む哲学的、意思決定論的、宇宙論的、量子力学的、 エトセトラの重要な論点を見逃すかも知れない。

純粋に数学的確率論の立場から言えば、 この問題は「表が出て、今は月曜の朝」、「裏が出て、今は月曜の朝」、「裏が出て、今は火曜の朝」 の三つの事象にどう確率を割り振るかという問題に過ぎない。 そして、この三つに同じ確率を与えることが、 客観的視点から全てのありうる可能性を公平に数えるという意味で正しい。 さらに、応用的確率論の立場からすれば、 この実験を何度も繰り返したとき、コイン投げの結果が表であった割合が 1/3 に収束する以上は、 本来の一回切りの実験の問題の答も 1/3 でしかありえない。 確かに、「すごく眠れる美女の問題」のように極端なケースを考えると、 ほぼ確実に裏が出た、という一見は直観に反する判断をすることになるし、 さらにこれを敷衍すると、かなり強い形の「人間原理」 ("Anthropic Principle")を認めることにもなりかねない。 しかし、(私も含めて)多くの数学者は 「だからどうした。その通りだ。以上、マル。他に考えたい(もっと大事な)問題があるから失敬。じゃ」 と答えるかも知れない。 「いや、ちょっと待って。だと、輪廻転生も認めるわけ? 輪廻転生が正しい確率の方が無限に高いわけ?」 「ああ、そうそう。その通り。じゃ、多変数複素解析学の講義に遅れるから」。

しかし一方で、もう少し注意深く考えてみれば、 これは数学的な確率論の枠組みがうまく設定できないタイプの問題であることも分かる。 問題は、コイン投げの結果によって「コイン投げで表が出た世界」と「裏が出た世界」 に分かれる一方、それに対して歪んだ形で、 忘れ薬を飲むことにより「月曜日の美女」と「火曜日の美女」 に被験者自身が重複化されることである。 そのため、「同様に確からしい」事象群を設定しようとすると、 (被験者自身の推論において)仮想的な被験者を勘定に入れるか入れないかの選択肢が生じ、 どちらも立脚点としては弱く、問題で設定されたねじれにフィットしない。 念のため繰り返すと、 全ての可能な世界に渡って勘定するのが通常は正しい確率計算の手続きなので、 おそらく数学者には「1/3 説」が強くアピールするのだが、 他ならぬ「私(被験者、美女)」自身も重複化されるため、 主観的な、あるいは客観性が曖昧な状況での、確率判断としては必ずしも正しくない。

そして、ここから生じる矛盾を端的にえぐり出すために、 本来の「眠れる美女の問題」を微妙に変形した数々の問題が知られている。 例えば、日曜日の夜に行うコイン投げは、月曜日の質問の後に行っても同じように思われる (昨日今日とこの問題を深く考えて下さった方にも、この指摘は衝撃的なのではないだろうか)。 また、忘れ薬を飲む代わりに、被験者をコピーして 「美女の生霊」を生成することにしても同じように思われる。 また、コイン投げをやめて、 単に「表の週」と「裏の週」を交代に繰り返すことにしても同じように思われる。 また、コイン投げの代わりに「シュレディンガーの猫」実験を用いて 「シュレディンガーの眠れる猫美女」はどうなのか……。

「眠れる美女の問題」 ("Sleeping Beauty Problem") は、1990 年代あたりに端を発し、 そのあと A.Elga (2000) が「1/3 説」の立場で、 D.Lewis (2001)が「1/2 説」の立場でそれぞれの論文を発表して両陣営の論争が始まり、 その後、今までの十年間に(主に哲学の分野で)多くの研究論文が書かれている。 特に熱心に研究を続けているのは、Oxford 大学の N.Bostrom で、 人間原理バイアスと確率論の関係についての著書 "Anthropic Bias - Observation Selection Effects in Science and Philosophy" がある。 この本はBostrom のホームページからたどって、 pdf の形で無料で読むことができる。 なお、昨日に挙げた「すごく眠れる美女の問題」は Bostrom の ”Sleeping Beauty and Self-Location: A Hybrid Model”. Synthese, 157(1), 59-78 (2007) で提出された変形問題の一つである。 私自身は Bostrom の議論に納得していないが、 この論文には沢山の変形問題が出ていて面白い。