また十時間寝てしまった。 寝坊したので朝食は、珈琲、苺とヨーグルトのみ。 朝風呂に入って湯船で「記号と事件 1972-1990年の対話」(G.ドゥルーズ著/宮林寛訳/河出文庫) を読む。 「母への手紙・若き日の手紙」(サン=テグジュペリ著/清水茂・山崎庸一郎訳/みすず書房) を少し読んで、昼食の支度。 御飯を炊いて、昨夜からたれに漬けておいた身欠き鰊を焼き、 黒豆、卵かけ御飯、切干し大根と長葱の味噌汁。
午後、母より実家の庭と畑産の食材と料理などが届く。 人生色々あるだろうが食べるものさえあれば生き延びられるだろう、 とのことである。 親としては子に色々と期待していたのだろうが終に、 どこかで生きていてくれればよい、という悟りの境地に逹したと思われる。 そしてまた、父からの手紙が入っていた。 短歌に飽きて名言集の類にでも凝っているのか、 いつもの最後の一句は 「機会はどの場所にもある。釣り針を垂れて常に用意せよ。釣れまいと思う所に常に魚あり」 (オヴィディウス)。 オヴィディウスって、古代ローマのポルノ詩人だったっけ……。 漁色の心得か何かだろうか。
午後はうっかり寝床に横になったら、また三時間近く昼寝してしまった。 Linux のマニュアルなど読んでいうちに夕方。 夕食は実家からの荷物に入っていた母手製の稲荷鮨、筑前煮、大根の漬物で済ませることにして、 だしを引いて春菊の澄まし汁だけを作る。 救援物資のすきまに何故か、「チーズたら」が入っていたので、 夜は熱燗少々で晩酌。自分では「チーズたら」なんて買ったことも食べたこともない。 たくさん食べ物を送ってくれるのはありがたいが、 その口振りと様子からして、 両親は私のことを、ゴミに埋もれて暮らしている住所職業不定でアル中で極貧の駄目中年、 くらいに思っているんじゃないだろうか、と、ちょっと不安だ。