2011年6月13日月曜日

たとえそなたのあらずとも


夕方から、「死の十字路」(井上梅次監督/1956年)を観る。原作は江戸川乱歩の「十字路」。
昔の俳優は顔がノーブルだなあ……。特に女性たちが美しい。新珠三千代が演じる社長秘書(兼、愛人)はもちろん、 セクシーな探偵助手、足の悪い街の娘、バーのマダムなど、脇役も全員、綺麗だ。この映画は観て良かったなあ、と思った。拾い物をした感じ。

帰宅して、作りおきの惣菜あれこれのあと、手製の八方地で素麺を食す。左手で素麺はかなり難易度が高いが、何とかクリア。

鎧敦訳の「バガヴァッド・ギーター」(講談社学術文庫)も読んでみる。こちらは訳文が文語調なので、格調高い感じがして、なお迫力がある。オッペンハイマーが引用したと言われる、例のあたりの箇所はこうなっている(11:32-33)。
われは、世の破滅をばなす強大なる時。世を回収せんがため、ここに出現す。たとえそなたのあらずとも、敵陣中に居ならべる武士たちは、すべて皆、存することなかるべし。
されば、そなたは奮い起て。怨敵を降伏し、名声を得よ。彌栄の王国を享け楽しめ。このものどもは、われによりてぞ、すでに誅さる。左手にても弓射るものよ、そなたは、ただに、傀儡たれ。
 砂漠の実験場でこの節を思い起こしていたときのオッペンハイマーの心を想像すると、とても怖い。そして、それをあながち誤読と論じ切れない自分の心が、とても怖い。