2011年6月11日土曜日

一日不食


食欲がなくて、一日、食わず。

「バガヴァッド・ギーター」(上村勝彦訳/岩波文庫)を読む一日。短いのですぐに読める。数学者にとっては、天才アンドレ・ヴェイユが(サンスクリット語で)愛読していた、というエピソードで馴染み深い。その妹であり別の意味での天才、シモーヌ・ヴェイユも、その短か過ぎる人生の中で自らサンスクリットからフランス語に抄訳するほど、「ギーター」を読み込んだ。また、マンハッタン計画を指揮したオッペンハイマーが、究極の神が真の姿を現す箇所を引用して、原子爆弾開発時の心情を吐露したことでも知られている。「私は世界を滅亡させる強大なるカーラである。諸世界を回収するために、ここに活動を開始した。たといあなたがいないでも、敵軍にいるすべての戦士たちは生存しないであろう。……」

ヒンドゥー教で最も重要で、最もポピュラで、究極の聖典とされている「バガヴァッド・ギーター」だが読んでみると、不可解で、怖い本だ。長大な叙事詩「マハーバーラタ」 の前半で、アルジュナ王が一族同士の大戦争を前にして、戦意を喪失する。戦いに何の意味があるのだろうか、自分の家族、親族、友人たち、師匠たちの幸福のためと言うが、人々の命を奪ってまでして、得られるものは何なのか。親族でもある人々と殺しあった結果の幸福や享楽ならば、得たくはない。尊敬する師匠たちを殺すくらいなら、施しを受けて暮らした方がよい。と、しごくもっともな理由を述べるアルジュナ王に対し、クリシュナ(バガヴァッド神)が世界の究極の秘密を明かして、戦争をするように説得する、という箇所が、「バガヴァッド・ギーター」(「神の歌」)なのである。滅茶苦茶だ。しかし、世界の真実、究極の智慧はおそらくこういう形で述べられるものなのだろうな、という気はする。

「それを知れば、あなたは再び迷妄に陥ることはなかろう。アルジュナよ。それによりあなたは万物を残らず、自己のうちに、また私のうちに見るであろう。
仮にあなたが、すべての悪人のうちで最も悪人であるにしても、あなたは知識の舟により、すべての罪を渡るであろう。……」