2009年10月23日金曜日

ふるさと

7 時半くらいに自然に目が覚めた。 珈琲、オレンジジュース、トースト、ワインジャムの朝食。 早起きしたので、冷や御飯で長葱と卵の炒飯を作り、 作り置きのものを適当に詰めてお弁当を作る。 定時に出社。午前、午後とお仕事。 昼食は持参のお弁当。18 時過ぎに退社。

夕食は近所の蕎麦屋にて。 十四代を一合だけ、秋のてんぷら、二色盛り。 てんぷらは、きす、しめじ、銀杏、薩摩芋、最後にはぜ。 熱々の天麩羅に冷たい日本酒が美味しい。 特に薩摩芋がなつかしい感じがして良かった。 食べ物の味のほとんどは思い出の味なのだな、と思う。 私は田舎の育ちなものだから、 ご近所がうっかり薩摩芋など植えちゃって、 そうしたら山のようにとれる。 薩摩芋はじゃが芋と違って料理に変化をつけるのが難しいから、 山のような薩摩芋のてんぷら、ということになったものだ。 山のように出来ると言えば、 私の家では鰯の味醂干しを山のように作っていた。 12 畳くらいのベランダ一杯に干してあったように思う。 新鮮な魚が食べられないので、止むを得なかったのだろう。 私も今は、刺身をうまいうまいと食べているが、 時々、うまい魚はこんなものじゃない、と思うことがある。

この年になって思うのだが、 食べ物がその人を作る、というのは逆の見方もあって、 今食べている味わいがその人そのものなのだね。 そう思うと、世の中の色々な御馳走や珍奇なものは、 確かに美味しいのだが、 全てが思い出という厚みを欠いているように思う。 つまり薄っぺらいのだが、 その薄さは料理の薄さではなくて、自分自身の薄さなのだ。 私が今、シャンパンを飲んで美味しいと思う味と、 子供の頃にシャンパンを飲んでこんな美味しい飲み物があるのかと思った、 と書く吉田健一が(吉田健一が子供の頃の日本を想像されたい)、 初老を迎えて飲むシャンパンの味が同じであるはずがない。 また私が飲む日本酒の味と、あなたが飲む味も、 同じ酒であれ全く違うのである。 そんなことを思いつつ、歯に染みるように日本酒を飲んだことでした。

「ふるさと」("My Hometown" 小野リサ YouTube)など口遊みつつ、遊園地を抜けて帰る。