2011年3月23日水曜日

恐怖の科学

6 時前に目が覚めた。 「バロックの森」を聴きながら、 「法律(上)」(プラトン著/森進一・池田美恵・加来彰俊訳/岩波文庫) を読む。 7 時に起床して、いつもの朝食。 お弁当を詰めて出勤。 午前中は簡単なプログラミングによるデータマイニングを少々。 昼食は持参のお弁当。御飯、梅干し、沢庵。 昼休憩はいつものように神保町を散歩。 夕方、退社。 スーパーで菠薐草と鰹の中落ちを買って帰宅。 帰りは雨に降られたので、お風呂に入って身体をあたためてから、 夕食の支度。 御飯を炊いて、鰹の中落ち丼、菠薐草のおひたし、白菜の漬物、卵の御澄まし。 ヱビスビール。夜は、あれこれ読書など。

人間にはリスクを正しく評価することがそもそも難しいのだが、 何よりそれを妨げ、むしろ危険に追いやるのが「恐怖」だ。 アメリカの同時多発テロの後、 多くの人が飛行機での旅を自動車に変更したことで、 1595 人が余計に(交通事故で)亡くなった、という印象的な数字と、 「私が最も恐怖するものは、恐怖だ」というモンテーニュの言葉から始まる、 "The Science of Fear" (D. Gardner 著/ Plume) を読み返したい。 微かに放射能汚染したかもしれない水道水を恐れて、 ミネラルウォーターを買うために、 乗りつけない車を運転して乳児連れで遠くまで出かけようとする人は、 おそらく合理的ではない。 しかし、その非合理的な行動を笑える人はいないだろう。 そのリスクがどれくらいか正確に計算できる人もいない。 ただ、恐怖が一つのことだけに我々の注意を向けさせるとき、 それは多くの、実際、無数の、リスクの一つに過ぎないことを忘れないだけで、 我々は恐怖から少し自由になれると思う。