窓から見るに、今日も外は暑そう。 朝食をとってから、朝風呂。 湯船での読書は、「日本に就て」(吉田健一著/ちくま学芸文庫)。 ちくま文庫ではなくて、あえて、ちくま学芸文庫の方で出た、 吉田健一の社会時評エッセイ集。 当時の「知識人」批判は今でも通用するどころか、 状況がずっと悪化しているくらいなので、今こそ読み返すべきだと思う。 「毛並」についてなど、ちょっとテーマの柔らかいものもいい。 毛並の良過ぎる著者本人が、かなり悩んだのだろうなあ。
吉田健一によれば、 「彼は毛並が良いから」という使い方の「毛並」は、 吉田内閣末期あたりに作られた新語だと言う。 本来は馬や犬の栄養が良くて手入れが行き届いている状態を言うのだが、 それが何故か、 人間の育ちではなくて血統の良さを指す言葉になった。 生まれが良い、という定義も各国色々だが、イギリスが最も寛大だ、と著者は書く。 イギリスでは三代続けば良いのだそうだ。 つまりお爺さんが紳士に相応しい程度の財産を作って、 ナイフとフォークの使い方を覚え、その孫の代まで続けば、 孫は関西弁で言うところの「ええしのぼん/いとさん」と見做される。 ヨーロッパ大陸の基準はもっと高くて、紋章が 16 以上に分割されていなければならない。 父方と母方の両方が紋章を持つ身分だと、 その子供の紋章は二つに区切って両親の紋章を組合わせることになっている。 2 の 4 乗が 16 なので、 これが四代続くと五代目が 16 に区切られた紋章を持つことになる (これは最低ライン。 こういう のが最上の部類だろうか)。 一方、日本はどうかと言うと、日本にもかつては名家があった。 しかし、日本では昔から文明的なことに、腹は借り物だったから、 上の定義なら全て落第ということになる……。 こんな調子で、著者は封建制と大名がどういうものであったか、 それが今はどうなったか、を悠々と本物のユーモアを持って書いていく。 この文章はテーマがテーマだということもあるが、 吉田健一でなければ絶対に書けない名文だと思う。
もう夏なのに、いまだに猫の毛が良くとれる。 これだけ大量に集まるのだから、クッションの一つくらい作れるのではないか。 ふと、編み物もいいけど、パッチワークもいいんじゃないか、 やってみようかな、と思った。 しかし、パッチワークをする端切れがない。 私の母は洋裁師、祖母は和裁師だったので、 私が子供の頃の実家にはいくらでも端切れがあったのだが、 今ではそもそも端切れが出る環境がない。 端切れを買って集めているようでは邪道だし、 この「ふと」の思いつきは単なる思いつきで却下。