2010年6月26日土曜日

割れた窓ガラス

寝台を出たのは 9 時近く。 寝ている間にまた、足がつったような。年はとりたくないものじゃのう。 曇り空。クロに週末スペシャル猫缶をやって、 自分にはまず御飯を炊く。 その間に洗濯機を仕掛けたり、家事を少々。 御飯が炊けてから、朝食(兼昼食)の用意。 鯵のひらき、大根人参胡瓜のなます、蕪の酢漬け、らっきょう、 豆腐と浅葱の赤だし、ヱビスビール(超長期熟成)。 ちょっと早いかと思ったが、らっきょうも十分漬かっていた。 こういう贅沢な朝食は晩年の楽しみにとっておこうと思っていたが、 良く良く考えてみると、既に今がもう晩年でないとは限らない。 食後に洗濯物を干し、掃除機がけをする。 掃除機がけが面倒なので、掃除ロボット「ルンバ」を買おうかなあ、と結構真剣に考える。 こういうこともあろうかと、アパートは段差ゼロの部屋を選んでおいたのだ。

お風呂に入って、湯船で 「世界一シンプルな経済学」(H.ハズリット著/村井章子訳/日経BPクラシックス) を読む。 原題は "Economics in One Lessen" という本で、初版は 1946 年。 最初の方で、「割れた窓ガラス」の話が紹介されて、 あとは現実社会へのその応用、という感じ。 悪童がパン屋の窓ガラスを割った。 パン屋はやむなくガラス屋に修理してもらう。 つまりガラス屋の雇用が生まれ、ガラス屋は儲かった。 ガラス屋はこのお金を使い、また雇用と収益が生まれ、これが続いていく。 悪童はこの街に多くの雇用と収益をもたらした英雄なのだろうか。 実際は違う。窓が壊れなければ、 パン屋は修理のお金を他のことに使うはずだった。 それで生まれるはずだった雇用と収益は消えてしまい、 その消えた量はガラス屋から始まる雇用と収益の増加量と同じである。 つまり、合算すると壊れた窓の分の損失しか残らない。 この話のポイントは、新しい窓ガラスは人々の目に見えるが、 その影で広く薄く失われたものは目に見えないことだ。 この間違いは、現在でも政策の議論の場や巷で広くまかり通っており、 それが経済をねじ曲げている。例えば……、というような本。 私の政治的立場は(ソフトな)リバタリアンなので、 読むに心地良い本だが、 とは言え、その意味であまり勉強にならない。 あえて自分とは全く意見の違うものを読むべきかも知れない。

お風呂のあとは一時間ほど昼寝。 二度目の寝起きも最悪。 気圧が低いせいか、更年期障害のせいか、体調が思わしくない。 夜まで、翻訳の推敲作業や読書。 夕食は酢漬けキャベツのソーセージ煮の残りを使ったカレー風味のスパゲティ、 「揚げないコロッケ」。 スパイス類で代謝が上がったのか、 かなり体調が改善した。インドの文化は偉大だ。