2011年5月31日火曜日

オーディオブック

手作りの苺ジャムは美味しい。一日二食生活は快調。

特にこれと言う理由なく、ド・ボトン(Alan De Botton) のエッセイをぺらぺらと読み返す。 "The Consolations of Philosophy" や, "Essays in Love" など。 ずっと以前のことだが、 オーディオブック(CD ですらなくカセットテープだった) 版の "The Consolations of Philosophy" を超安物の偽ウォークマンを買って聴いたものだったなあ、 と思い出す。 きっと慣れない暮らしに心が弱っていたのだろう。 そう言えば、 日本の本屋さんにはオーディオブックのコーナーがほとんどない。 オーディオブックそのものがあまり作られていないのかも知れない。 何故だろう。 例えば、amazon.com にはちゃんとオーディオブックのセクションがあるのに、 日本の amazon.co.jp にはない。 本を朗読で聴く、というのはなかなか良いものだと思うのだが。

2011年5月30日月曜日

七つの夜

今朝も雨。 昨日作った苺ジャムをトーストに載せて食べる小確幸。 他に、小松菜とベーコンの炒めもの、目玉焼き、ソーセージ、 ヨーグルト、キウィ、珈琲。 一週間ほど、朝食と早い夕食の一日二食スタイルを実験中。 けっこう快適。

昨夜、寝台で 「七つの夜」(J.L.ボルヘス著/野谷文昭訳/岩波文庫) を読了。いかにもボルヘス。ボルヘスのエッセンス。 特に第四夜「仏教」と第七夜「盲目について」が、ぐっと来ました。

「ゲーテの言葉は黄昏のみならず、人生についても言い得ていると思います。 あらゆるものは私たちを置きざりにしていきます。 究極の孤独が死であることを別にすれば、 老いは究極の孤独であるはずです。 『近きものはすべて遠ざかる』というのは、 盲目の過程を表してもいます。 本日はその盲目についてお話しし、それがまったくの不運ではないことをお教えしたいと思いました。 盲目とは、運命もしくは偶然から私たちが授かる、 とても不思議な道具の数々のひとつであるにちがいありません」
J.L.ボルヘス「七つの夜」、第七夜「盲目について」より

2011年5月29日日曜日

苺と大根

雨の日曜日。いつもの通り、読書とか、編み物とか、書き物とか。

そろそろ苺のシーズンも終わりなのか、 スーパーで安売りをしていたので、まとめ買い。 暇にあかせて、ジャムを作る。 砂糖を入れて煮るだけなのだけれど、 ずっと鍋についてあくを取らなければならない。 「神曲 地獄篇」(ダンテ著/平川祐弘訳/河出文庫) を読みながら、ぐつぐつ苺を煮ていると、 何やら哲学的な気持ちになる。 人は何のために生きているのでしょうか、とか。 ジャムを煮ていると家の中が果物の香りで一杯になって幸せ気分を満喫、 というのが普通の人の感覚なのだろうが、 久保田万太郎の煮大根の句のようなジャム作り、 というものもあるだろうな、と思う。

今日も、もうちょっとで MacBook Air を買ってしまうところだった。 バックアップサーバ兼、出張用マシンとしていまだ健気に働いている、 旧型の Let's Note がお亡くなりになるまで、何とか持ち堪えねば。

2011年5月28日土曜日

ラット・キング

雨。梅雨入りしたそうですね。 降ったり止んだりだが、一日中曇って薄暗い。

自宅でひっそり読書など。 「神曲 地獄篇」(ダンテ著/平川祐弘訳/河出文庫)、 「ラット・キング」(M.ディヴディン著/真野明裕訳/新潮文庫)。 私はディヴディンを高く評価している。しかし、 翻訳が一通り出ているにも関わらず、今では入手が難しい。 昔、ペイパーバックでかなり読んだものの、 あまり内容が分かっていないと思うので、 古本屋で翻訳を見つけたら買って読み直している。 ディヴディンはイギリスの作家なのだが、 数年間イタリアのペルージャ大学で英語を教えていたせいだろう、 メインの「ゼン」シリーズでは舞台がイタリアなのが面白い。 それも、単なる観光的装飾として使っているのではなくて、 政治的、宗教的、文化的に複雑な背景として物語に織り込まれている。 この「ラット・キング」が「ゼン」シリーズの一作目。 ちなみにラット・キングとは、 沢山の鼠が互いの尻尾でからみあって一体化して生きる現象で、 ヨーロッパの歴史上の伝説的な「動物」。 実在する現象なのか不明らしい。

今の時間は多分、 青山のイメージフォーラムで「甘い罠」(C.シャブロル監督/2000) を観終わった頃。 「シャブロル未公開傑作選」 の東京での期間中に、あと二つ(「最後の賭け」と「悪の華」) 観られるかな。

2011年5月27日金曜日

地獄の巻

朝食をとりながら、ダンテの「神曲」(平川祐弘訳/河出文庫) の地獄篇を読む。 一人居てほと息つきぬ神曲の地獄の巻にわれを見出でず、 と詠んだ与謝野晶子だったが、 地獄に自分がいなくてほっとしたのではなくて、 フランチェスカをうらやましく思っての歌なのだろうな、 と第五歌を読みつつ思う。

帰宅してお風呂。湯船で 「苦い林檎酒」(P.ラヴゼイ著/山本やよい訳/ハヤカワ文庫) の続き。 夕食の支度のついでに、あれこれ惣菜を仕込む。 今夜は編み物や書き物などの趣味の活動はお休みして、 「苦い林檎酒」を最後まで読むささやかな贅沢。

2011年5月26日木曜日

ラフ・サイダー

朝食をとりながら、 「私の保存食ノート」(佐藤雅子著/文化出版局) を読んで、ちょっとしんみり。

出社するとマネージャが珍しく早い時間から来ていて、 いかに佐賀が素晴しいところか熱心に説明される、朝のティータイム。 以前に旅行してすごく楽しかったそうだ。 次に行くときは、陶器を大人買いしたい、とか。 普通は「大人買い」という言葉は、 ビックリマンチョコを一箱とか、 「いつもポケットにショパン」全4巻とか、まとめ買いするときに使うんじゃないかなあ。 そもそも子供は唐津焼を買ったりしない。 「陶器を大人買いって……百万円分とか?」 と恐る恐る訊いてみたら、「そんな感じで」と言っていた。

夜は湯船で、 「苦い林檎酒」(P.ラヴゼイ著/山本やよい訳/ハヤカワ文庫) を読み返す。 今日、気付いたことに原題は "Rough Cider" なのだなあ。 "rough" という単語にはそういう用法もあると初めて知った。

2011年5月25日水曜日

編み物と枯葉

いつもの水曜日。 帰宅して、お風呂に入り、 湯船で 「七つの夜」(J.L.ボルヘス著/野谷文昭訳/岩波文庫) を読む。 お風呂上がりに、氷を入れたコーラを少し。 軽い夕食のあと夜は、 本を読んだり、編み物をしたり。

編み物は心が落ち着いて楽しい。 単純なものを数え続けるということが、人を寛がせるのだろう。 ある作家が母君と愛犬を亡くしたとき、 しばらくの間、毎日二時間ほども庭の枯葉を一枚ずつ拾い集めていた、 という話を思い出した。

2011年5月24日火曜日

フルコース

夜は、ネットワーク系ハッカーのNさんと、 日本橋のフレンチレストランにて会食。

私が院生の頃に師匠のT先生が、 自分の若さを試すため、 キャンパス傍の量が多いことで有名な某蕎麦屋で上カツ丼(親子丼だったかも) を時々食べてみることにしている、とおかしな自慢をしていたが、 私にはもうフレンチのフルコースを食べるだけの若さがないことが分かった。 不穏なくらい血糖値が上がったような気がする。 私はデザート愛がないので、 デザートを何回も出されるのが特に、身体にこたえる。 美味しかったのだけれど、流石に食べ過ぎた。 多分、明日は何も食べなくてもいいくらい。

2011年5月23日月曜日

中途半端な仕事

確か、ポール・グラハムの言葉だと思うのだが、 素晴しいハッカーになる方法は、 「退屈な仕事は一切しない、その代わり、 仕事をするなら絶対に中途半端なことはしない」 と自分と契約することなのだそうだ。 これこそ言うは易く行うに難し、 会社勤めでもフリーでも、これを実行できる技術者はほとんどいないだろう。 お金の問題とか、雇用を失うとか、そういうこともあるけれど、 私が思うに、一番難しいのはそこではない。

最近、私自身がデザインしたある仕様の実装を頼まれたのだが、 ただ面倒なだけの仕事に思えたので、その場で断った。 (忙しいからではない。私は基本的にいつでも暇だ。 暇なことが自分の仕事だとさえ思っている。) しかし、今日でもまだ少し、気になってしまう。 その断り方が、「そんなことをこの僕にさせるつもりか」 という雰囲気を漂わせていたような気がして。 おそらく、気になってしまう最大の理由は、 「引き受けたら絶対に中途半端な仕事はしない」 というところに自信がないからだと思う。 面白くない仕事はしない、と一点の曇りもなく言い切るには、 もし引き受けたら自分の仕事は完璧だ、 という自信がなくてはならない。 どんな簡単な仕事でも、絶対に中途半端な仕事をしない、 というレベルはとても高い。 そのハードルがものすごく高いのだ。

明日の夜は会食の予定がありますので、定刻に更新されないかも知れません。

2011年5月22日日曜日

Waxwork

夏に向けて体重を落とすため小食を心がけているせいか、 体調が良くなってきた。 多分、食べることは身体に悪いんだと思う。 身体に悪いから、美味しいのだろう。 冬の間は体重を 60kg を越すくらいにしているのだが、夏は 55kg 近くまで落とす。 体重は増やすのも減らすのも簡単だが、 どちらかと言うと減らす方が易しい。 でも減らし過ぎると覿面に体力がなくなるので、 体調がベストのところで寸止めするのにやや経験がいる。

珍しく夜更しして、8 時起床。寝不足。昼寝で取り返そう。 今日も特にしなければならないことがなく、遊び暮らしていました。 再読した 「マダム・タッソーがお待ちかね」(P.ラヴゼイ著/真野明裕訳/ハヤカワ文庫) が予想以上に面白かった。 そして、夕食のオムライスがうまく出来た。

2011年5月21日土曜日

気仙沼

昨夜は、気仙沼で小さな会社を経営されている方々の話をうかがって来た。 「これが店舗があった場所で」、 「これが事務所があったところで」、 「ここがうちの工場でした」という写真が全て、瓦礫しか写っていない。 これでもきれいになったのだそうだ。 事業計画うんぬんよりも、 あまりの状況と、まだそこから出直そうという、 しなやかさと強靭さに心打たれた。 これだけのノウハウと技術と精神力を持った人たちに、 適切かつ迅速にファイナンスできないようでは、 金融の仕組みが機能していると言えないと思う。 資本主義国として恥ずかしい。 けして、センチメンタルになって言っているのではない。 お金の正しい使い方と使われ方とその仕組みについて、 あれこれ思う夜だった。 それから、 御本人たちに面と向かっては言えないが、 苦難はほんとうに人を磨くのだな、と思った。

マンションの配水管洗浄の日だったので、 朝から水廻りの掃除。 こういうところを掃除すると気分もすっきりするので、 もう少し頻繁にしてもいいかなあ……と、 どうせしないだろうことを思ってみたり。 洗濯ものを干して、冷やしたコーラをストローで飲む。 猫は床に伸びている。もう夏だなあ。

今、これが更新された時刻は、 新宿でドキュメンタリ映画「インサイド・ジョブ」を観ていると思います。 昨夜と「対」にする意味で。

2011年5月20日金曜日

父から謎の手紙

夜に出かける前に一旦、家に帰ったら、珍しく父から手紙が届いていた。 母と南紀の海岸に旅行に行ってきたらしく、 どうやら詩情がわいたのだろう。 手紙の最後に「濱までは 海女も蓑笠 しぐれ雨」 という句が添えられていた。 こんな悟り切った句を詠む境地にまで至ったとはもう先が短いのでは、 と一瞬心配したが、滝野瓢水という俳人の句らしい。 (正しくは、「濱までは 海女も蓑着る 時雨かな」。父の記憶違いだろう)。

インタネットで調べてみると、瓢水はとてもユニークな人だったようだ。 播磨加古郡の船問屋に生まれた。 つまり、加古川の大店のぼんで、若い頃は遊興と放蕩に明け暮れた。 俳画に優れたが、奇行や風狂が多く、貧窮の内に死んだ、とのこと。 もとは千石船を五艘も抱えていた大店を、 瓢水が番頭任せの放蕩のあげくに傾かせ、 最期まで瓢水の味方だった母が亡くなったときには、 もう、空っぽの蔵一つだけになっていたそうだ。 そのずっと後のこと、世を捨て無一物に生きる俳人瓢水の評判を聞いて、 ある僧が瓢水の庵を訪ねに来た。 しかし、風邪をひいた瓢水は薬を買いに行っていて留守だった。 それでその僧が、どうせ死ぬ身なのに悟りの薄いことだ、 噂の瓢水もその程度のものか、と嘲ると、 瓢水が上の「濱までは」の句を詠んで返したそうである。 (どうせ海に入って濡れるのに)時雨の中を海女は浜まで蓑を着ていくよ、 という意味である。考えれば考えるほど、無闇に深い句だ。

父がどういうつもりで、この句を書いて寄こしたのか、 私にはもう一つ理解できないので、分かる方がいたら教えて下さい。

これは夕方に一旦家に帰ったので、21 時更新の予約をしたものです。

2011年5月19日木曜日

クレイ

もう夏の気配。心臓抜きで胸に空けた穴のような青空を見上げて、 そろそろ自宅でも機材の発熱を心配しなければならない季節だなあ、 と思う。 来週、自宅にサーバを多数抱えるNさんに会う機会があるから、 その時に発熱問題についてディスカッションしてみよう。

しようと思っていたことは自宅で早朝に、会社で午前中に、 済んでしまったので、午後は主に 「スーパーコンピュータを創った男」(C.マーレイ著/小林達監訳/廣済堂出版) を読んでいた。 技術者のヒーロー、シーモア・R・クレイの伝記。かっこいいぜ、クレイ様。 「彼(クレイ)が作る次のマシンについての五年計画と一年計画の詳細を報告するように経営陣から求められた時、彼は二行のレポートを書いた。 『五年計画の目標 ― 世界最高のコンピュータを作ること。 一年計画の目標 ― 前記五年計画の五分の一を達成すること』」。 かっこよすぎ……。

明日の夜は新丸ビルに、被災地ファンドの説明を聴きに行く予定。 民間から被災地に直接投資するスキームにどのような形がありうるのか、 ちょっと興味があるので。

そんなわけで、明日の更新は遅くなるか、あまり遅くなるようならスキップします。

2011年5月18日水曜日

ブラック・スワン

六本木ヒルズで「ブラック・スワン」を観る( 公式サイト )。 黒い白鳥と言っても N.N.タレブではなくて、 ナタリー・ポートマンがアカデミー賞、 ゴールデン・グローブ賞などで主演女優賞を受賞した映画の方。 ポートマンが怖過ぎる。 「レオン」であんなに可愛かった女の子がこんなことに。 ついでに言えば、ちょい役のウィノナ・ライダーも怖過ぎる。 「ビートルジュース」や「シザーハンズ」 であんなに可愛かった女の子がこんなことに。 映画は異様なまでに濃密な素晴しい出来栄えだったが、 バレエをやっている女の子は心を傷めるから観ない方が良いと思う。 実際、今日も劇場には、 歩き方とファッションからしてダンサーだな、 と一見して分かる女の子がちらほらいたが、 映画が終わったあと表情がこわばって、歩き方まで変になっていた。

それで思い出したのだが、 昔、私がまだ若くて、何故か美女に限ってはもてもてだった頃 (思えば、あれがきっと人生最後の三度目モテ期だったのだろう)、 そんな美女の一人と「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」 を渋谷の映画館に観に行った。 イギリスが誇る悲劇の天才チェリスト、 デュ・プレを題材にした伝記的な映画である。 エミリー・ワトソンの壮絶な演技の評価が高かった。 この映画も「ブラック・スワン」に匹敵するか、それをも凌ぐ、 濃密で心に痛い映画で、特に表現者の心に悪い。 観ている途中から嫌な予感がしたのだが、 映画が終わったあと、彼女は軽い貧血を起こしていた。 「吐きそう」と言う彼女を連れて、 渋谷の雑踏の中、静かな喫茶店を探すのが大変だった。

「ブラック・スワン」の方は母娘もの、「デュ・プレ」の方は姉妹もの、 という背景もあるので、 そのあたりにもミートしそうな女性は、なお注意されたい。 ただ、どちらの映画も、 日常から二時間を割いて観るに十分に値することは、保証できると思う。

2011年5月17日火曜日

落とし物

ふとしたことから、 「暗いところで落とし物をしたのに、 あっちは暗いからといって街灯の下ばかり探している」 という言葉を知る。 物理学者のファインマンが、駄目な研究を批判した皮肉らしい。 しかし、これは物理学の研究に限らない真実のように思える。 我々はいつも、落とし物を街灯の下で探している。 落としたのはそこじゃないことを、心の底では分かっているのに。

午後も早いうちに、することがなくなっていたのだが、 猛烈な土砂降りになり、ビルから出られない。 しようがなく雨が降り止むのを待ってから退社。 今日もまた、何の役にも立たないことしかしない良い一日だった。

2011年5月16日月曜日

アイスクリームサンドウィッチ

今日はちょっと天気が良くない。 でも暖かくて、眠い。眠すぎて体調ももう一つ。 もうちょっとで、 MacBook Air を「今すぐ購入」するボタンを押してしまうところだったが、 何とか乗り切った。危ない、危ない。

同僚の天才プログラマによってようやく、 新しい秘密プロジェクトのコードネームがつけられ、 名前のシリーズのコンセプトも同時に決まった(みたい)。 一ヶ月くらい放置していた、というか、考えていたようだ。 この業界では「なまえじゅうよう」というセオリーがある。 製品名はもちろんだが、社内だけで使うコードネームを始め、 プログラムの中の変数名の一つ一つに至るまで、 適切な名前をつけることが途轍もなく重要であり、 あだやおろそかにしてはいけない、とされているのだ。 そして命名さえ良ければ、半分できたようなものだと考えられている (半分できた、はちょっと言い過ぎかな)。 私なんか、プログラムの中の変数名や関数名をつけるのに三秒も考えないので、 周りから「トーシロ」と思われている。 それはさておき、実際、成功しているプロジェクトには洒落た名前が多い。

例えば、急速に広まった携帯端末用プラットフォーム "android" はその名前自体もかっこいいが、 バージョン毎のコードネームには常にお菓子の名前がついていて、 しかも、アルファベット順になっている。 最初の A, B は非公開だったが、C から後は、 "Cupcake", "Donut", "Eclair", "Froyo (Frozen Yogurt)", "Gingerbread", "Honeycomb (toffee)" と来て、 まだ公式リリースされていない次のバージョンは "Ice Cream Sandwich" と決まっている。 これらバージョン名はプロには常識だが、 おそらく普通の人にはあまり知られていないだろう。 android スマートフォンを使っている人でも、 バージョンの数字は知っていてもそのコードネームは知らないのでは。

2011年5月15日日曜日

いつもの日曜日

昨夜は阿佐ヶ谷にいました。 阿佐ヶ谷って初めてだけれど、街の規模が適度で住み易そう。 中央線沿線のこの辺りはどこの駅も雰囲気が似ている。 院生時代の兄弟子 H さんと阿佐ヶ谷のレストランでお食事。 大学を辞めて以来、同門の仲間と顔をあわせることも少なくなり、 一年とか二年に一回くらいのペースになってしまったが、 それでもまだ時々会って話せる機会があるのは貴重だな、と思う。

MacBook Air ちょっと欲しいなあ……。 でも自宅に無線LAN環境がないので、AirMac も買う必要があるのがやや面倒。

明るく静かな日曜日。 ほとんどの休みの日はそうですが、今日もずっと自宅にいて、一人で遊んでいました。 明日はまた月曜日。

2011年5月14日土曜日

復旧

昨夜は、Blogger のシステムダウンにより、更新が出来ませんでした。 一日以上に渡る長期の障害で、その間は閲覧のみが可能な状態になり、 かつ、システムを障害前の状態に巻き戻す都合で 12 日分のポストが一時的に消去されていました。 現在は復旧している模様です (公式ポスト"Blogger is back")。

クラウドサーヴィスは障害に強いという利点があるけど、 内部で障害があったり、問題が起こったとき(技術的問題の他、経営的問題なども含め)、 まるごと「あちら側」にデータがあってこちらでは指をくわえて待つ以外にしようがない、 という欠点がある。クラウドでなくても同じようなものだが、精神的にはこたえる。 特に技術者にとっては、どこがどう悪いのか俺にも(アタシにも)ボンネットの中を見せてくれ、 という気持ちが抑え難い分、なおさら精神衛生に悪そうだ。

自分が使っているクラウドサーヴィスすべてのデータを一括してバックアップしてくれるクラウドサーヴィス、って需要がありそうな気がする。 私が知らないだけで、もうあるのかな……。

今夜は阿佐ヶ谷にて会食の予定があるのと、Blogger の様子見のため、 更新をスキップします。

2011年5月12日木曜日

ゾンビ・マリ・キュリー

チェスの伝説的名人フィリドールの作曲したカンタータを「古楽の楽しみ」で聴く。 フィリドールって結構メジャーな作曲家だったのだなあ。

午後からは雨。帰りに髪を切りに行く。 髪を切ってもらう間、 「数学をいかに使うか」(志村五郎著/ちくま学芸文庫) を読む予定だったのだが、鞄に入れ忘れていた。 やむを得ず小一時間、妄想にふけった。

ノーベル賞受賞から丁度百年ということで、 キュリー夫人がちょっと話題みたい。 しかし、私が一番秀逸だと思ったのは、やはり xkcd.com のマンガ だった。 "But you don't become great by trying to be great. You become great by wanting to do something, and then doing it so hard that you become great in the process. So don't try to be the next me, Noether, or Meitner. Just remember that if you want to do this stuff, you are not alone" (「でも、偉大になろうとして偉大になるんじゃないの。 あなたが何かをしたいと思うことで、 一所懸命になるその過程で、偉大になるのよ。 だから、第二の私や、第二のネーターや、第二のマイトナーになろうとしないで。 これだけを覚えておきなさい。 この道を進みたいなら、あなたは一人じゃないって」。) それからオチもいいね。 "Also, avoid radium. Turns out it kills you." (「それから、ラジウムには気をつけて。死ぬわよ」。)

全国の科学少女や数学ガールの皆さんは、 是非 xkcd オリジナル でゾンビ・マリ・キュリーの言葉をかみしめられたい。 人は第二の誰かになろうとしたり、偉人になろうとして、偉大になるのではない。 何ごとかを成し遂げようとするとき、そのことに夢中になるとき、 その過程で偉大になるかも知れないだけなのであり、 志という言葉の最も高い意味においては、 のちの人がそれを偉大と呼ぶかどうかも、 実際に偉大なことを成し遂げられるかどうかすら、 どうでもよろしいことなのである。

2011年5月11日水曜日

書簡集はおしゃれ

一日、雨。急にまた寒くなったので、ジャケット。 今日も午前中に集中して、午後はだらだらする前にさっさと帰って昼寝。 なんてエコロジーな働き方。

「数学セミナー」は毎月 12 日発売のはずだが、 書泉グランデではもう売っていた。 先月号から続く「数学ランドへようこそ」特集で、 後半の今月号には「確率論」も登場。 お、歴史的文献に混じって、拙訳「世界を変えた手紙」(デブリン著/岩波書店) も参考文献表に入ってる。 パスカル=フェルマー書簡を手軽に読む方法が他にないからだろうが、 それでも嬉しい。 パスカル書簡集の翻訳は存在するのだが、 パスカル全集の一部なので、多分、大きな図書館でしか読めない。 そこで、フェルマー相手のものだけにしぼって、 ちくま学芸文庫あたりで出してみたらどうだろう。 薄くて可愛らしい文庫本になると思う。 オープンカフェでさりげなくハンドバックから取り出した 「パスカル=フェルマー書簡」を読む女の子なんて、超おしゃれ……。 もう、もってもて間違いない。少なくとも理系男子はイチコロ(死語)。 どうでしょう、この企画。

2011年5月10日火曜日

世情

低気圧が来ると、身体も低調。まず何より眠い。 私は人の三割増しから五割増しほど眠るのだが、それでも眠い。 学生時分からだから随分と前から、 何かの病なのではないか、と思っているのだが、 「嗚呼、もし私の睡眠時間がクレオパトラの鼻よりも短かかったら、 どんなにか多くの業績を残せていたでしょう」と思えるという、 他に得難い大きな利点があるので放置している。

少しテレビのニュースを観て、 世の中はとても臆病な猫だから他愛のない嘘をいつもついているのだな、 と思いながら、出勤。 私はその包帯のような嘘をあえて見破ったりはしない。 今日の ToDo リストにあったことは午前中に全部片付いた。 久しぶりにマネージャに会ったので、 ロシアの土産話と某プロジェクトの情報を聴取。その他、 午後は「統計と確率の基礎」(服部哲弥著/学術図書出版社) をしばらく読んでから帰る。 大地震の間隔時間を逆ガウス分布に従うと仮定して推定することが最近は多い、 という話を昨日知ったのだが、 実はこの入門書にばっちり説明されていた。 夕方あたりから雨。

2011年5月9日月曜日

菖蒲湯

久しぶりに出社。 連休前にOSを再インストールしたところなので、 何かしようとすると何かが入っていない、とエラーが出る。 ぼちぼちと復旧作業。 この前、A 先生が強く勧めていたので、 昼休みに新刊書店で 「数学をいかに使うか」(志村五郎著/ちくま学芸文庫) を買った。 このタイトルはかなりミスリーディングなのでは。 「数学を数学に(特に数論に)いかに使うか」 くらいだと誤解がないと思うのだが。

今日は(インスタントの)菖蒲湯に入ってみました。 まだ少し風邪が残っているけれど、邪気が払えるかもと思って。 湯船では「古本道場」(角田光代・岡崎武志著/ポプラ文庫) を読んだ。 なんだか古本屋で写真集が見たくなったなあ。 明日、源喜堂書店にでも行ってみようか。

2011年5月8日日曜日

青空の日

今日は爽やかな青空。 風邪はようやく、ほぼ完治。 結局、風邪を治すのに連休全部かかってしまった。 主に家事と一人遊びの静かな一日。 買い物がてら近所を歩いていたら、ピアノ用の椅子が捨ててあった。 この家の人は最近よく色んなものを家の前に出しては、 「ご自由にお持ち下さい」と書いてある。 この椅子はちょっと欲しいなあ、と思ったが、 余程のことがなければ荷物は増やさない方針なのでやめておく。

湯船で本を読みながら、 明日からもずっと連休ならいいのになあ……と思ったところで、 ああ、それも可能なのだ、と気付く。 昔から、いつか、自分は生活のために稼ぐ必要がないようになりたい、 と思っていた。 そうなったら、働きたければ働いてもいいし、 好きなことを考えて、好きなように暮らしてもいい。 私はその日を華々しい、賑やかに祝うべき日のように、想像していた。 でもその日はいつの間にか訪れていて、 ふと気付いて静かに青空を見上げるような、そんな感じなのだ。 乾いていて、どこまでも遠く、自由で、寂しく、孤独で、ただ青い。 そんな日はいずれ、遅かれ早かれ、誰のところにも訪れる。

貸切

昨日は宝塚にいました。

宝塚駅からしばらく歩いて、閑静な住宅街にあるマンションへ。 玄関に、今日は貸切です、とオーナーからのお報せが貼ってあった。

八人のお客で午後二時から延々と続くスペクタキュラーなコース料理をいただく。 お天気も絶好で、ベランダの向こうの芝生が綺麗。 かつての同僚である A 先生や I 先生の近くの席だったので、 現在の学内政治の生々しい話を懐しく聞かせていただけた。 夕方になって少しお客は減ったが、 一升瓶を抱えて熱く数学話を語り続ける A 先生の相手をしているうちに遅くなってしまった。 A 先生は一升瓶を抱えた姿が日本一似合う数学者だ。 結局、六時間もずっと、コースが延々と切れ目なく続いていた。 Y マダムに感謝。 泊まることも不可能ではなかったが、 お開きにしてもらって最終から二番目の新幹線で帰る。

お料理はどれも大変に美味しかったし、 特に鯛飯と胡瓜もみの合わせ方が絶妙でしたが、 オーナー自ら絶賛するのも変なので黙っておきました。

2011年5月6日金曜日

引用

大阪に来ています。

新幹線の中ではフローベールの「感情教育」を読んだ。 中之島のあたりのホテルに滞在。 夕食は、フリーターのMさんとご一緒して焼肉屋へ。 私はレアな肉が好きなので(掛けてみました)、 希少部位の肉とか、塩ユッケとか。ちょっと食べ過ぎ。 Mさんに深夜アニメについて色々教えてもらった。 最近、IT業界の人たちが謎の引用をするのに対して、 「何が何だかわけがわからないよ」と思っていたことが、 ほぼ解決。 とりあえず、「わけがわからないよ」と「僕と契約して~になってよ」 はマスター。でも、もう放映が終わったんですよね。

明日は、宝塚に行く予定です。

2011年5月5日木曜日

感情教育

今日も特に何もない充実した一日。 一人遊びをした他は、 「感情教育(上)」(フローベール著/生島遼一訳/岩波文庫) を少し読んだ。 読書も一人遊びだけれども、 自分としては、何かを作って遊ぶのが一人遊びの範疇かも。 抽象画を描くとか、キャッチコピーを考えるとか、 レゴブロックでジグソーパズルを作るとか、 編み物でオムレツの見本を作るとか……。

明日は大阪にいるはずなので、ちょっとした非日常。

2011年5月4日水曜日

欽ちゃん走りで猛ダッシュ

かなり体調が戻ってきたかなあ。でも、もうちょっと。 今日も一人遊び三昧の一日。昼寝もたくさんした。 家にいると普段よりずっと生産性が高くて、 しかもあまり食べなくても済む。 まさに省エネ。

MITの先生が、雨に濡れる量を一番少なくするには、 前に傾斜した態勢でできるだけ速く走るのがベストだ、 と数式混じりに説明している記事を読んだ。 おそらく誰もが一度は、 雨にできるだけ濡れないにはどう走れば良いか考えたことがあると思う。 私も中学生くらいのときに、私なりの結論を得た。 MITの先生の意見と似ているけれど、数式は使わない。

まず、雨粒は静止していると仮定する。 実際は雨粒は上から下に次から次へとランダムに降っているが、 その降り方はほぼ一様なので、 全部空中に止まっていてその中を人間が進んで行くことで濡れるのだ、 と考えても差し支えない。 正確に言うと、身体の前面に雨粒が当たって濡れる分については、 こう仮定してよい。 すると、雨に濡れる量とは、 人間が移動することで空間にくり抜かれる部分に含まれる雨粒の量に他ならない。 すなわち、濡れる量は人間が歩こうが走ろうが同じであり、 身体の進行方向前面の面積にのみ比例する。 ゆえに、濡れる量を最小にするには、面積の小さい身体の側面を使って、 蟹のように、あるいは欽ちゃんのように、横走りするのがベストだ。 ただし、以上では身体の前面に当たる雨の量しか考慮しなかったが、 実際は身体の上部、つまり頭と肩の上にも雨は降っている。 この量は単純に、濡れていた時間に比例する。 したがって速く走るほど良い。 よって、結論は「欽ちゃん走りで猛ダッシュ」。間違いない。

2011年5月3日火曜日

夕日の次元大介

近付く雨で空気が冷たいせいか、良く眠れた。 風邪の名残りはまだ定位置に居座っています。 目覚しの珈琲を一杯。珈琲って素晴しい。 だって、熱くて、スパイシーで、五分くらいで終わる。 さて、今日は何をしようかなあ。 午後は一人遊びの創作活動をした。 夜は昨日話題に上った某アニメーション映画を DVD で観る。 専用の再生装置を持っていないので、コンピュータで再生。 私は DVD の類を滅多に観ないので、これで間にあっている。 因果関係が逆かも知れないけど。

そう言えば、私の中高の同級生にアニメータをしている友人がいるのだが、 コンピュータの類がまったく駄目で、 全てアナログ、と言うより、むしろ全て手作業で描いていると言っていた。 そういうものが最終的な製品では完全にデジタル処理される、 ということは何か奇妙な気もするけれど、 それが現代における製品化なのかも知れない。 高校生のとき、その友人が送ってくれた年賀状が、 夕日の中でスバル360にもたれている次元大介のイラストだった。 油絵のタッチで、実際、絵の具が盛り上がっていた。 チャーリィ・コーセイの唄が聞こえてきそうな感じ。 こいつは絶対、プロになるな、と思ったら、やはりプロになった。 正確に言えば、もうその頃からプロだったのだろう。 あの年賀状をとっておけば良かったのだが、 当時はそういうものの価値に全く気付いていなかったので、 どこでなくしてしまったのかも分からない。 そして、今では製品化された作品しか手に入らない。 「もののけ姫」とか。

2011年5月2日月曜日

評論

6 時に目が覚めて、「古楽の楽しみ」を寝床で聴き、 7 時起床。 喉の奥に居座った風邪がなかなか抜けてくれない。 珈琲とヨーグルトだけの朝食。 午前中は洗濯と朝風呂。 昼まで漱石の評論を読んでいた。 解説、評論、鑑賞は二流の仕事だ、と堂々と言い切ったときの英国の某数学者は、 自殺するほど自虐的ではあったが、やはり偉かったのかも知れないなあ、 とあまり関係のないことを思う。

昼食にはカルボナーラを作って食べた。 午後は少し昼寝をしてから、 三時間ほど一人遊び。 夕方になって、神保町へ。 ずっと家にいてもいいのだが、 ちょっと神保町が恋しくなってきたので。 神保町を散歩して喉が乾いたので、ベルギービール屋へ。 軽い夕食でビールを飲みながら、しばらく本を読む。 地下鉄で帰る。 夜も一人遊びに励もうと思っていたのだが、 やはりアルコールが入ると駄目。 しようがなく、ビール屋で読み始めた本の続きを読む。

2011年5月1日日曜日

今日は何をしようか

今日も 6 時前に目が覚めた。7 時起床。 まだ喉の奥に風邪が残っている。 朝食は珈琲とヨーグルトだけ。 さて、今日は何をしようかなあ。 毎日、「さて、今日は何をしようかなあ」と言える人生でありたい。 それまではもう少し頑張らないといけないようだが、 連休中は幸福の疑似体験。

昼食は鯵のひらき、蕪酢漬け、卵かけ御飯、もやしのお味噌汁。 食後、ちょっと横になったら、二時間寝てしまった。 今日の午後も一人遊び三昧。 夕食のメインは生姜焼き。他にキャベツの千切り、 冷奴、大根と白葱のお味噌汁、御飯。