夜に出かける前に一旦、家に帰ったら、珍しく父から手紙が届いていた。 母と南紀の海岸に旅行に行ってきたらしく、 どうやら詩情がわいたのだろう。 手紙の最後に「濱までは 海女も蓑笠 しぐれ雨」 という句が添えられていた。 こんな悟り切った句を詠む境地にまで至ったとはもう先が短いのでは、 と一瞬心配したが、滝野瓢水という俳人の句らしい。 (正しくは、「濱までは 海女も蓑着る 時雨かな」。父の記憶違いだろう)。
インタネットで調べてみると、瓢水はとてもユニークな人だったようだ。 播磨加古郡の船問屋に生まれた。 つまり、加古川の大店のぼんで、若い頃は遊興と放蕩に明け暮れた。 俳画に優れたが、奇行や風狂が多く、貧窮の内に死んだ、とのこと。 もとは千石船を五艘も抱えていた大店を、 瓢水が番頭任せの放蕩のあげくに傾かせ、 最期まで瓢水の味方だった母が亡くなったときには、 もう、空っぽの蔵一つだけになっていたそうだ。 そのずっと後のこと、世を捨て無一物に生きる俳人瓢水の評判を聞いて、 ある僧が瓢水の庵を訪ねに来た。 しかし、風邪をひいた瓢水は薬を買いに行っていて留守だった。 それでその僧が、どうせ死ぬ身なのに悟りの薄いことだ、 噂の瓢水もその程度のものか、と嘲ると、 瓢水が上の「濱までは」の句を詠んで返したそうである。 (どうせ海に入って濡れるのに)時雨の中を海女は浜まで蓑を着ていくよ、 という意味である。考えれば考えるほど、無闇に深い句だ。
父がどういうつもりで、この句を書いて寄こしたのか、 私にはもう一つ理解できないので、分かる方がいたら教えて下さい。
これは夕方に一旦家に帰ったので、21 時更新の予約をしたものです。