2009年4月21日火曜日

理解の意味

8 時過ぎに起床。また少し寝坊したため、オレンジジュースとクロワサンの朝食。 通勤途中、SBUX で「京都タンブラー」にカフェ・ラテを入れてもらって、定時出勤。 午前、午後といつものお仕事。 昼食はタイカレー屋さんでチキンカレー。 ついでに新刊書店で「宇宙船ビーグル号の冒険」(A.E.ヴァン・ヴォークト著/ 沼沢洽治訳/創元SF文庫)を買う。 今日は、プログラムに大変不経済なことをしているところを見つけて、 それを何とか訂正しようとしていたのだが、一日をほとんど棒に振った。 慣れないことに頭を使い過ぎたのか、猛烈に疲れて、雨の中を定時退社。 目をあけていられないほど眠いので、夕食はあるもので。 つまり、茹で卵と胡瓜のサラダ。バゲットを切って、 リエット、干し杏入りフォワグラのムースなどで食べる。 ヴィオニエを一杯だけ。

昨日の超立方体と超球の話だが、最初は誰でも驚くものの、すぐに、 次元が高くなれば立方体の対角線の長さがいくらでも長くなるのだから当たり前じゃないか、 と気付く。つまり次元が高くなると、 一辺の長さが 1 の立方体を球の中に納めるために、 いくらでも大きな球がいる。 しかし、この立方体に内接する球の直径は 1 である。 計算してみれば明らかなことばかりとは言え、 次元が高くなると立方体や球のような単純な図形ですら、 我々の直観からすれば非常に奇妙で不思議なものだ。 三平方の定理からこうで、三次元でも距離はこう定義されて、 高次元でも同様にユークリッド距離を定義しますよ、 と習って、ああそうですか、と済ませるのが普通かも知れないし、 高校まで良くできた子や秀才の理解は大体そういうものなのだが、 数学のセンスオヴワンダーとは、そういう抽象的一般化とその慣れの、 もう一つ、向こう側にあるものだ。 あるときフォン・ノイマンは、 「数学においては、ものごとを理解することはできない。 できるのはそれに慣れることだけだ」と言ったそうである。 この意味はなかなか深い。