2010年1月18日月曜日

十皿の料理

9 時起床。ちょっと寝坊。 今日も晴天で寒い。珈琲、トースト、苺ジャムの朝食のあと、 適当にお弁当を詰めて出勤。 午前、午後とお仕事。 昼食は持参のお弁当。 豚肉と玉葱の生姜焼き、卵焼き、高野豆腐、切干し大根、白菜の漬物。 私のお弁当は色合いに問題があるなあ。今後、改良を考えよう。 17 時から近所の喫茶店で、某出版社の編集の方と打ち合わせ。 そのまま直帰。スーパーで買い物をして帰宅。

まずお風呂に入って身体を温めることにして、 自分がお湯にひたっている間に、 米に水を染み込ませ、昆布を水にひたし、鰤をたれに漬ける。 湯船の読書は、「十皿の料理」(斉須政雄著/朝日出版社)。 お風呂から上がって、 御飯を炊き、鰤の大蒜焼きを作り、切干し大根、 昨日の白ワイン煮込みの残りのキャベツ、白菜の漬物、里芋の味噌汁、 の夕食。食後に煎茶。

伊丹十三の「フランス料理を私と」(文藝春秋)で辻静雄さんが、 料理学校では一年で千五百種類以上の料理を教えるが、 その内の1パーセント覚えれば、 つまり十五品、自分のものに出来れば、一生食って行ける、と語っていた。 斉須政雄さんの「十皿」はそれより五皿少ないが、 こんな十皿があったら天下無敵だろう。 「フランス料理を私と」の同じ箇所で辻静雄さんが、 「大学なんてでもそうでしょ? もう歯もなにも立たないような人間に出会うでしょ? 勉強がよくできて、学問を深いところでやっていてね。 僕は、学校というのは、そういう人が生きているのをまのあたりにするだけで価値があるんだと思う」と言っているが、 「十皿の料理」を読んでも同じことを思う。 問題は、そういう「学校」がそんじょそこらにはなく、 よほどに幸運か、自分も研鑽を積まない限りは、 そういう凄い人をなかなか見つけられもしない、ということだ。