2010年1月2日土曜日

福袋の謎

9 時起床。良い天気。寝台で珈琲だけの朝食。 午前中は読書や掃除機がけなど。 お風呂に入って湯船で、 「金融大狂乱 リーマン・ブラザーズはなぜ暴走したのか」 (L.マクドナルド、P.ロビンソン著/峯村俊哉訳/徳間書店) を読む。 昼食は実家からもらってきたおせちの残りと巻き寿司で、 シャンパンを一杯だけ。 午後も読書など。「金融大狂乱」、読了。 アグレッシヴさが取り柄の凡庸な著者が内部から目撃した、 リーマン・ブラザーズ破綻の報告、という感じ。 しかし、賢い人が外側から分析した報告より、 内側にいる凡庸な観察者の方が価値がある、ということもある。 夕方になってかなり足元が冷えてきた。 私一人と猫一匹分のスペースだけ温めるホットカーペットで十分だが、 動作確認のため床暖房を一年ぶりに入れてみた。 流石に部屋中を温めると快適さが違うけれど、 一人暮らしには不用な贅沢なので、 すぐに一畳分ほどだけ温められるホットカーペットに切り替えた。 夕食は御飯を炊き、だしをひいて茸の味噌汁を作り、おせちの残りで済ませる。 シャンパンを一杯だけ。

毎年、年末年始になると福袋の話題で賑やかになる。 私は常々、どうして福袋の需要があるのか、 さらに、どうして福袋のニュースに需要があるのかすら、 分からないと思っている。 しかし、そういう見方もあるのか、と思ったことはある。 着道楽の女性と付き合っていたときのことである。 (これでも昔は、美人に良くもてたものじゃった。ほんとじゃよ。) 彼女は毎年、福袋を買う習慣だ、と言う。 それまで、私の周囲にはそんな奇妙な習慣を持つ人間は、 男女含めて一人もいなかったので、私は大変驚いた。 どうしてそんなものを買うのか、と訊くと、彼女はこう答えた。 行きつけのブティックに新年の挨拶に行くと、 私に誂えたプレゼントの詰め合わせを用意してくれているのだ、と。 生活感の相違と言うべきか、 性格の不一致と言うか、 すぐには気の効いた返答も次の質問も出来ず、 「あ、そうなんだ」とうやむやにしたが、 一瞬だけ目から鱗の感がなきにしもあらずではなくもなかったと言えなくもない。