2009年7月1日水曜日

確率の悟り

8 時起床。今日も寝起き悪し。 どうも今週は低調だ。 珈琲、オレンジジュース、トーストの朝食のあと出勤。曇り空だが、蒸し暑い。 午前、午後とお仕事。昼食はタイカレー屋さんでグリーンカレー。 18 時過ぎに退社。結局今日も、雨が降りそうで降らない、 ただ蒸し暑いだけの曇り空がほとんどだった。 帰宅して、いただきもののじゃが芋でポテトサラダを作る。 同時に、明日の昼食用にサンドウィッチの仕込み。 ポテトサラダと素麺の夕食。 白ワイン、サンセールのアンリ・ブルジョワを一杯だけ。 グラスに残ったワインで、食後にドライフルーツのパンとチーズ(ボーフォール)。 夜は C.L.ドジソン(ドッドソン)の翻訳作業など。

ルイス・キャロルこと、C.L.ドジソンは確率論についても、 いくつか文章を残している。 有名なものはパズル本の中の確率の問題だが、 残念ながら、いくつかは間違っているし、 そもそも意味がよく分からないものもある。 まだ確率の概念をどう数学にしてよいのか、 誰も知らない時代だったので、ドジソンも同じような迷い道に入っていた。 しかし、興味深いのは、 この前にも書いた "Educational Times" という雑誌の、 「数学的問題と解答」のコーナーでの議論から発した一連の文章だ。 ここでドジソンは、 「線分上の一点をでたらめに選ぶとき、ある特定の点を選ぶ確率はゼロなのか」、 という疑問を扱っている。 これは現代数学では完全に決着している(ことになっている)。 簡単に言えば、答はゼロかも知れないし、ゼロでないかも知れず、 それは考えている問題での確率の設定による。 そして確率とは、一連の公理を満しさえすれば数学的には何でもよい、 ということに過ぎない。 しかし、そのコルモゴロフの「悟り」に達する前の人々が何をどう悩み、 どう議論を重ねていたのか、を知ることは面白いし、 コルモゴロフ流の捨象によって捨てられた「確率」の側面に、 そろそろ再び興味を持ってもよい時代だ。