2012年1月31日火曜日

ねこさらい/パスタの種類の問題

珈琲と林檎のヨーグルト和えで目を覚ましてから、 今朝も和風朝食を何とか用意。 だし巻き、納豆、黒豆、玉葱のレモンピクルス、しめじと若芽の味噌汁、御飯。 出社して、午前午後とお仕事。 昼食は持参のお弁当。 だし巻き卵の残り、黒豆、蕪の酢漬け、こぶちりめんじゃこ、御飯。 昼休憩に新刊書店で 「ジーヴスとねこさらい」(P.G.ウッドハウス著/森村たまき訳/国書刊行会) を買う。 ウッドハウス・コレクションの偉業もこれで完結。これが最後とは残念だなあ。 夕方退社。

身体が冷え切ったので帰宅してすぐにお風呂。 湯上りに玉葱のレモンピクルスと黒豆でペールエールを一杯。 そのあと、さて、しめじとベーコンのアーリオオーリオを作ろうかな、 と思ったら、細いパスタが在庫切れ。 かなり悩んだが、思い切ってフィットチーネで作ってみた。 もちろんパスタにあわせてソースの方をお変えになっては? と貴方はおっしゃるかも知れないが、 「しめじのアーリオオーリオが食べたいな」と思っていた私の気持ちはどうしてくれる。 さらに言えば、饂飩で作る、素麺で作る、という選択肢もあった。 しかし、それはちょっと違うだろう。それはパスタ料理ではない。 そんなわけで、きしめんみたいなアーリオオーリオ完成。 新鮮な食感と言うか、まるで新しい料理と言うか…… 正直に言って、二度と作らないと思う。 やはりパスタの太さにはそれなりの理由があるのだね。

夜は確定申告の申請書類を書いたり。

2012年1月30日月曜日

姉弟の仲

今朝から朝食を和風にしてみることにした。 納豆、生卵、黒豆、蕪の酢漬け、御飯、里芋と蕪の味噌汁。 お弁当を詰めて、出勤。9 時前に出社した。 午前、午後とお仕事。 昼食は持参のお弁当。鰻のひつまぶし、蕪の酢漬けと……黒豆。 昼休憩に新刊書店で「ファインマンさんの流儀」(L.M.クラウス著/吉田三知世訳/早川書房)、 古書フェアで雑誌「現代思想」(青土社)のドゥルーズ緊急特集号(1996 年 1 月号) を買う。 夕方、退社して、果物屋で悩んだ末に林檎を買って帰宅。 夕食は御飯を炊いて、真鰯の丸干しを焼き、高野豆腐の煮物、しめじと若布の味噌汁と……黒豆。 鰯はちょっと焼き過ぎた。干物を焼くのは難しいな。

「緊急特集号」は言うまでもない、ドゥルーズの自殺事件を受けての特集。 フランス現代思想が何故か日本で大ブームになった時代に若者だったので、 私も色んな意味でその影響を受けていると思う。 と、最近、自分で認められるようになった。 昔はそういう知的スノビズムみたいなものが嫌でたまらなかったが、 今はけっこう素直に、 私はバルト、フーコー、ドゥルーズ(&ガタリ)については好きだし、 影響も受けています、と答えられる。 この三人は既に故人だがそれぞれに、交通事故、エイズ、自殺という、 どことなく各々の思想について考えさせられるような亡くなり方をしたのが興味深い。 良く指摘されることではあるけれども。

ところで、この特集号に香山リカさんが寄稿した文章を読んで、 彼女の弟との仲の良さとYMOオタクぶりは、 昔から一貫しているなあ、と変なところに感心した。 つい先日、この姉弟の二人がラジオのYMO特集番組のパーソナリティをしているのを聴いて、 どこまで仲ええねん、 と思ったばかりだったので。

2012年1月29日日曜日

必要経費の謎

ちょっと寝坊。 いつもの朝食。 朝風呂に入ってから、洗濯などの家事。 昼食はベーコンと干し野菜のサッポロ一番味噌ラーメン、バター入り。 午後も掃除や料理の仕込みなどの家事。 月末も近いので、主に乾物でしのいでいるのだが、味噌が切れそう。 味噌がなくてはやっていけないので、やむをえず買い出しに行く。 今日も気温が低く、風が冷たい。 夕食は冷凍保存してあった牛肉の残りで牛丼。 他に蕪の酢漬けに、里芋と蕪の味噌汁に……もちろん黒豆。 夜は読書など。 「サン=テグジュペリ著作集4 『母への手紙・若き日の手紙』」(サン=テグジュペリ著/清水茂・山崎庸一郎訳/みすず書房)。

雑所得の印税から必要経費を差し引こうと思っていたら、 経費を翌年以降に繰り越せないという落とし穴が。 経費を使ったのは本を書いているときで、 印税が入るのはその翌年以降に本が売れてからなので、 経費の発生と所得申告の年度がずれてしまう。 雑所得にも必要経費は認められているが、 事業所得などと違って経費を繰り越せないため、 印税について言えば、事実上、必要経費のほとんどを控除できない。 と、思うんですけれど……この理解はあってますか? いや、まあ私の印税なんて雀の涙程度なので、 実利面ではどうでもいいんですけれど、 あくまで理論的興味としてね。

2012年1月28日土曜日

黒豆

いつもの朝食のあと、 一晩置いた黒豆の水煮を煮返して味つけをし、 味を含ませるためにそのまま放置。 土鍋一杯分も作ってしまったので、しばらく黒豆地獄。 あとはだしを引いたり、 確定申告用の書類を整理したり。 朝風呂に入って、湯船で 「記号と事件 1972-1990年の対話」(G.ドゥルーズ著/宮林寛訳/河出文庫) を読む。

昼食は御飯を炊いて、 鰯の丸干しを焼き、納豆、黒豆、蕪の酢漬け、里芋の味噌汁。 午後は神保町に出て、勉強会など。 外を歩いていると、今日はことさらに風が冷たい。 夕方帰宅して、夕食の支度。 黒豆を肴にギネスを一杯。黒豆に黒ビールは悪くないね。 そのあと、カレーライス、蕪の酢漬け。食後に林檎を一つ。

2012年1月27日金曜日

金太郎鰯

「古楽の楽しみ」を聞きつつ、いつもの洋風朝食。 古楽なんて狭いジャンルで良くも毎日、種がつきないなあ…… 今朝は 8 時台に出社してみた。 午後からは所用のため、幕張オフィスに移動。 毎週恒例の全体ミーティングも幕張側で参加してのち、夕方退社。 千葉よりはるばる帰宅。身体が冷え切った。

凍えた身体を解凍すべく、 金太郎鰯の丸干しを焼いて、熱燗を五勺ほどつける。 生き返った心地。 金太郎鰯なんて威張ってみても鰯は鰯なので、大変にお買い得だった。 そのあと、手製の干し大根と干し人参を使ったかけ蕎麦を作る。 折角いただいた立派な大根と人参だったので、 剥いた皮を千切りにして干しておいたのである。 だから正確に言えば、干し野菜皮入りのかけ蕎麦。

夜は読書をしたり、これまた昨年末にいただいた黒豆を煮たり。 もちろん、お年始用にどうぞ、という意図で送って下さったのだと思うが、 乾物は長持ちするので後回しになってしまっていた。

今週はあれこれと、けっこう動いたなあ……

2012年1月26日木曜日

名古屋出張

起床して、ホテルの和風朝食。 ホテルの近所のカフェで、 講演資料をちょっとおさらいしてから、名古屋大学へ。 いつの間にか「名古屋大学駅」が出来ている。 名古屋駅方面からだと本山駅で乗り換えて一駅なので、 長々と歩く必要はなくなったとは言え、通勤時間の短縮にはならず。

研究会の2日目。 私の講演は、午後の一番目。 英語講演だったので、(いつも通り)後に行くに連れてぐだぐだな感じに。 講演終了後は常に、深く、深く、反省するのだがなあ……。 夕方、終了。 締めの挨拶で主催者が、「ラフパス解析」を冠した研究会は日本で初めて、 とおっしゃっていて、ちょっと驚く。 でも言われてみれば、そうだろうなあ、と腑に落ちる感じも。

新幹線で東京に戻る。 名古屋出張を記念して、味噌かつ弁当とヱビスビールの夕食。

2012年1月25日水曜日

黒石と白石

今朝は快晴。 外を見ると、屋根の上などに雪が残っている。 いつもの朝食のあと、東京駅へ。 新幹線で名古屋に移動。 午後から、名古屋大学で研究会に参加。

昨日の「袋の中の小石」問題 の答。 16 個の小石の入った袋の中から二個とりだす方法は、120 通りある (16 かける 15 割る 2)。 その二個が黒石と白石である可能性の数が、120 通りの丁度半分の 60 通りなら良い。 これは黒石の数かける白石の数であり、 一方で黒石と白石は合わせて 16 個あったから、 かけると 60、足すと 16 になる数を求めれば良いが、 その二つの数は 10 と 6 である(これは二次方程式の解として得られる)。 よって答は、黒石が 10 個と白石が 6 個か、その逆。 当たり前ではあるが、 黒石と白石が同数 8 個ずつが答のようで違うところが面白い。 実際、8 個ずつだと異なる色を取り出す確率の方がちょっと高い (これを悪用しないように!)。

2012年1月24日火曜日

袋の中の小石

窓を開けると一面、眩しい雪。 いつもの朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 昼食は昨日と同じ内容のお弁当。 夕方、面談一つのあと、退社。 雪はもうほとんど消えているが、足元が冷たい。 帰宅すると、確定申告書用紙が届いていた。 そう言えばそんな時期だった。 夕食の支度。寒い夜には、うどんすき。

Futility Closet で知った、簡単な確率の問題。 典型的な「袋の中の小石」の設定だが、この問い方は新鮮かも。 「袋の中に黒い石と白い石があわせて 16 個入っています。 この中から二つでたらめに取り出すとき、 同じ色同士になるかならないかの確率が丁度半々です。 袋の中に黒石と白石はいくつずつ入っているでしょう」。 答は明日。

2012年1月23日月曜日

表計算ソフトの曙

いつもの洋風朝食。自家製のザウアークラウトを食べ尽したので、 今朝から添え野菜は玉葱のレモンピクルス。 他にベーコンエッグ、チーズトースト、ヨーグルト、果物、珈琲。 朝食は和風にしようかなあ、とよく思うのだが、 手軽で低コストな今のスタイルから切り替えられないでいる。

霧のような小雨の降る中を出勤。 昼食は持参のお弁当。 ひょうたんかぼちゃの煮付け、蕪の酢漬け、こぶちりめんじゃこ。 夕方退社。 外は雨。誰かが間違えて持って行ってしまったのか、置き傘がなくなっていたので、 止むをえず、濡れて帰る。 まだそれほど寒くないが、夜には雪に変わりそうだ。 帰宅して夕食の支度。 昨日作った鰤大根の残りで熱燗を五勺ほどつけ、 そのあと納豆かけ御飯、蕪の酢漬け、豚汁。 食後に緑茶。 寒い日は熱々の鰤大根に燗、そして豚汁。 鰤だけはちょっと高かったが、安上がりで結構な献立だった。

お風呂に入って湯船で 「Founders at Work」(J.Livingston 著/長尾高弘訳/ASCII) を読む。 ビジカルクの章と、ロータス1-2-3の章。対比が面白い。 夜は、 「記号と事件 1972-1990年の対話」(G.ドゥルーズ著/宮林寛訳/河出文庫) など。

2012年1月22日日曜日

手紙

今日も雨模様。 いつもの朝食のあと、朝風呂に入る。 午前中は洗濯などの家事。 昼食はカレーライス、玉葱のピクルス、林檎一つ。 一時間ほど昼寝のあと、 午後はあちこちの掃除。 夕食は鰤大根、ひょうたんかぼちゃの煮付け、蕪の酢漬け、豚汁、御飯。 食後に緑茶。 夜は読書。 「サン=テグジュペリ著作集4 『母への手紙・若き日の手紙』」(サン=テグジュペリ著/清水茂・山崎庸一郎訳/みすず書房) など。

「母への手紙・若き日の手紙」はテグジュペリの書簡集二冊の合本。 「母への手紙」は少年時代から死の直前までの 34 年間に主に母宛てに書かれた 110 通の手紙 (最後の手紙は 1944 年 7 月の日付なので 44 歳で亡くなるまさにその月に書かれたもの)、 「若き日の手紙」は 20 歳から 30 歳までの十年間に友人ルネ・ド・ソーシーヌ宛てに書かれた 25 通の手紙。 「母への手紙」の序文には、マリ・ド・サン=テグジュペリ、 つまりテグジュペリの母本人の談話が使われているのだが、これが凄い。 アントワーヌ以上に詩人だ。

2012年1月21日土曜日

冷蔵庫との対話

曇り空。今朝も寒い。 いつもの朝食。朝風呂。 本を読んだりして、のんびり。 「ドゥルーズ 解けない問いを生きる」(檜垣立哉著/NHK出版、シリーズ・哲学のエッセンス) など。 昼食は蕪入りの鰊蕎麦。 しばらく昼寝ののち、 冷たい小雨の降る中、近所の公立図書館へ。 借りていた本を返却し、ついでに少しばかり調査をして、また本を借りて帰る。 「サン=テグジュペリ著作集4 『母への手紙・若き日の手紙』」(サン=テグジュペリ著/清水茂・山崎庸一郎訳/みすず書房)、 など。 帰り道のスーパーで食材を買って帰宅。

午後は読書と、料理の仕込み。 玉葱のピクルスと、豚肉の水煮を作っておく。 夕食は御飯を炊いて、 鰤の照り焼き、ひょうたんかぼちゃの煮付け、蕪の酢漬け、豚汁、御飯。 久しぶりに「有次」の料理用刷毛が活躍。今日のメニュは我ながら完璧だった。 食後に緑茶。 夜も、「ドゥルーズ」など。

私は学生の頃に買った冷蔵庫をいまだに使っていて、 おそらく二十年は生活を共にしてきた。 もちろんあちこち調子が悪くなっていて、 冬などは普通の冷蔵室が冷凍になったり、 逆に勝手に霜取りモードになったり、なかなかに扱い難い。 温度設定のダイヤルが内部に一つあるのだが、 これも絶妙の調整が必要で、 世界広しと言えども私にしか、まともに使えないだろう。 感覚で大体のところにセットしてから、 そのときの気温や湿度や冷蔵庫の中身にあわせて直感で、チョンと上か下に押す。 「この機械でコンマ・ゼロ1ミリを出せるのは、 こいつと毎日二十年間つきあってきた俺の指先だけ、 俺がやらなきゃスペースシャトルも飛ばないんだぜ……」 と町工場のシボリの達人みたいな台詞を猫に語りつつ、 今日も私は冷蔵庫と対話している。 ただ一つの気掛かりは、この技術の継承者がいないことである。

2012年1月20日金曜日

鰤と熱燗とけんちん蕎麦

朝から外は霙雨。時々、雪に変わったり、 また雨に戻ったり。 いつもの朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。 ひょうたんかぼちゃの煮付け、蕪の酢漬け、紫蘇葉の醤油漬け、 若布ちりめんじゃこ。 夕方、毎週定例の全体ミーティングのあと、 しばらくしてから退社。 外は小雨。冷たい風が強く吹き付け、かなり寒い。 近所の魚屋に立ち寄り、しばし熟考ののち、鰤を買う。 これはかなりの出費だな……心を込めて調理させていただこう。

帰宅して、夕食の支度。 鰤の塩焼とひょうたんかぼちゃの煮付けに、熱燗を五勺ほどつける。 鰤の脂と熱燗が身体に沁みる。 そのあと、根菜類をたっぷり使って、けんちん蕎麦。 食後にレモンティとティラミスゥ。林檎を一つ。 読書は、 「Founders at Work」(J.Livingston 著/長尾高弘訳/ASCII)、 「猫はスイッチを入れる」(L.J.ブラウン著/羽田詩津子訳/ハヤカワ文庫) など。

2012年1月19日木曜日

愛するとは同じ方向を見ること

いつもの朝食のあと出勤。 今日は冷蔵庫事情によりお弁当はお休み。 昼食は近所の中華料理屋にて。 夕方退社。 夕食はひょうたんかぼちゃの煮付け(まだ残っている)、 蕪の酢漬け(まだまだ残っている)、カレーライス、 食後にレモンティとティラミスゥ(まだ食べ切れない)。 夜は読書など。 「サン=テグジュペリ著作集3 『人生に意味を』」(サン=テグジュペリ著/渡辺一民訳/みすず書房)、 読了。

サン=テグジュペリに、 「愛するということは、おたがいの顔を見あうことではなくて、 いっしょに同じ方向を見ることだ」 という言葉があって、 幸せなカップルによく引用される。 しかし、それは誤読とまでは言わないが、やや不適切な引用なのではないか、と思う。 この言葉は「人間の土地」(堀口大學訳/新潮文庫)にあるのだが、 それが書かれている箇所は有名な「軍曹の目ざめ」のエピソードの直後である。 ある男が穏やかな日常生活を捨てて、ある日、戦地に赴き、死を目指す。 まさに機関銃の前に身を踊らせようとする前夜の眠りと目ざめを描写した場面だ。 「同じ方向」とはこの男の視線の方向だろう。 ここには、同じく有名な「家鴨」と「羚羊」のエピソードも含まれる。 渡り鳥の季節になると、家鴨も飛ぶ真似をし始める。 家鴨の暗愚な頭の中に突如、見たこともない巨大な空の旅の海図や潮の香りが、 朧げに浮かぶのである。 家鴨は突如として、地面を、蚯蚓を、蔑む。 飼われて育った羚羊がある時、何故かしきりに柵を頭で押す。 自分でもどうしてか分からないし、一度もそうしたことさえないにも拘らず、 羚羊の本然が全力で走ることを、そしてその最高点でライオンに食われても、 全力で跳ぶことを求めるのだ。

テグジュペリがそこで書いたことは、 フランスが戦争の中で全体主義に押しつぶされ滅びそうになっていたときに、 彼が「行動」によって辿りついた思想のエッセンスであり、 それはテグジュペリの最良の部分であって同時に、最も危険な部分でもある。 実際、彼自身も自分の思想が、彼が戦おうとした敵の思想とどこが違うのか、 きちんとは分析できなかった。 この「同じ方向」とは、 そこで人間の本然が真に自由に解放され、 人間の生きる意味が完全に明らかになる方向、 そこで人間が成就し、消滅するかも知れない地点だろう。 私は無神論者だが、敢て喩えれば、神と「顔を対せて相見ん」時かも知れない。 その意味では、この非常に有名な言葉が引用されるときは、 正反対を指してしまっているか、 またはあまりに概念が違うために間違いですらない、 という場合がけっこうあるんじゃないかと思う。

なお、この「軍曹の目ざめ」、「家鴨」と「羚羊」のエピソードは、 スペイン内戦時のルポルタージュに初めて現れ、 後に「人間の土地」にまとめ直されたものである。 以下はそのルポの最後で、テグジュペリが「軍曹」に捧げた結語。

「きみに失うべきなにものがあろうか? きみがバルセローナでしあわせでいたとすれば、 きみのその幸福をそこなわずにすんだであろう。 しかしきみは、あらゆる愛情がもはやひとつの尺度しかもたぬ高みに逹したのだ。 きみが苦しんだとしても、きみが孤独であったとしても、 きみのからだが赴くべきいこいの場所をみいだしえなかったとしても、 いまきみは愛によって受けいれられるのだ」。
(「人生に意味を」所収、「マドリード」より)

2012年1月18日水曜日

週の中日を淡々と

今朝も良い天気。 昨夜食べ過ぎたので、朝食は軽めに珈琲、ヨーグルト、果物。 お弁当を適当に詰めて出勤。 昼休憩にニュースを見ていて、 チェンバロ演奏家の G.レオンハルトが亡くなったことを知る。 夕方退社。 帰宅して夕食の支度。 御飯を炊いて、 牛丼、ひょうたんかぼちゃの煮付け、蕪の酢漬け、 里芋と大根と人参の味噌汁。 食後にレモンティとティラミスゥ。 夜の読書は、 「サン=テグジュペリ著作集3 『人生に意味を』」(サン=テグジュペリ著/渡辺一民訳/みすず書房) など。

2012年1月17日火曜日

風上に向かって飛べ

今朝も曇り空。気温も低い。 いつもの朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。 ひょうたんかぼちゃの煮付け、焼豚、蕪の漬物、昆布の佃煮、 若芽ちりめんじゃこ。 夕方退社して、代々木へ向かう。

代々木にて、サーバ関連の一人会社社長兼社員ネットワークハッカー N さんとほぼ月例の会食。 前回はしみじみおでんだったのだが、今回は豪勢に河豚尽し。 N さんも明日をも知れぬ緊張感のある身として、 最近の私のリスク・オンな状況を敏感に感じとったらしく、 お互いまだ余裕のある内に一つ贅沢しておきませんか、と提案していただいたので。 いやいや、来年だって再来年だって季節になれば河豚くらい食べられるさ、 一年に一回なら、何とか……なるんじゃないかな。そうだといいな。

ところで、不言実行はなかなか実現しない割に、有言実行は自然に満たされることが多い。 私は昔よく学生に、 「迷ったら難しい方を選べ」とか、 「風上に向かって飛べ」 とアドバイスしていたものだ。 向かい風でないと離陸はできない。飛びたいのなら抵抗が必要なのだ。 そして、そう言いながら、「私はもう年寄だから当てはまらないけどね」 と思っていたのだが、それ以来、 教え子はともかく私については常に向かい風が吹いているような気がする。 有言実行の神秘である。

2012年1月16日月曜日

低調な月曜日

今朝は曇り空。かなり寒い。 いつもの朝食のあと、お弁当を詰めて出勤。 今日はあまり気分が乗らず、流し打ち気味。 土日に(家事で)働き過ぎたかなあ……。 昼休憩に古本屋で 「猫はスイッチを入れる」(L.J.ブラウン著/羽田詩津子訳/ハヤカワ文庫) を買って、カフェで二章ほど読んだ。 最近、統計データを読むのが半分(いやほとんど全部かも知れないが)趣味なので、 今日午後に発表された日本銀行の地方別景気判断、「さくらレポート」を読む。 どうして「さくらレポート」なんて変な通り名がいるのだろう。 「地域経済報告」で十二分に分かり易いと思うのだが。 漢字の読めない大学生にでも愛されたいのだろうか、 などとシニカルなことを考えてしまうところからして、今日は確かに低調だ。 夕方退社。寒い。

帰宅して夕食の支度。 肉じゃがの残り、ひょうたんかぼちゃの煮付けを温め直して、 五勺ほど熱めの燗をつける。 あとで鰊蕎麦。もちろん身欠き鰊の甘露煮は出来合い(これもいただきもの)。 食後に紅茶、檸檬の砂糖漬け、ティラミスゥ。 読書。 「サン=テグジュペリ著作集3 『人生に意味を』」(サン=テグジュペリ著/渡辺一民訳/みすず書房) など。

2012年1月15日日曜日

かぼちゃ、ギネス、コロンブスの卵丼

今朝も良い天気。いつもの朝食。 洗濯ものを干してから、朝風呂。 湯船で日本版 "Wired -01.02" を読む。 昼食はカレー饂飩。 家でカレー饂飩を食べるのって初めてだ。 一服したのち、掃除機がけや、ゴミ出しのまとめ作業や、トイレ掃除や、 料理の仕込みや、家事のあれこれ。 近所のスーパーに行って線形計画法の応用問題を解く。 今日は鰤を含む解が存在するかどうかが焦点だったが、 残念ながら実行可能領域に入っていなかった。 帰宅して、ひょうたんかぼちゃを煮て、洗濯物を取り入れる。 夕方、一週間分の家事を終えて、ほっと一息。 ひょうたんかぼちゃの煮付けを肴に、ギネスを一本飲んで寛ぐ。 今日はこの1パイントに値するくらいの仕事をしただろう。

夕食は、御飯を炊いて、肉じゃが、ふろふき大根など残りもので済ませる。 それだけではちょっと侘しいので、御飯は「コロンブスの卵丼」 (版画家の池田満寿夫氏の考案)にしてみた。

出版されてから一年以上経つが「世界を変えた手紙」(K.デブリン著/岩波書店)を、 今月号(2012 年 2月号)の「数学セミナー」(日本評論社)の書評コーナーで紹介していただいた。 評者はパズル・デザイナーの岩沢宏和さんという方。 pdf ファイルは出版社から送っていただいているのだが、 明日、新刊書店に実物を見に行こう。

2012年1月14日土曜日

「モンテ・カルロは気の毒ね」/巴里の貧乏

今朝は上天気で温かい。 「音楽の泉」を寝床で聞いてのち、いつもの朝食。 朝風呂に入ったり、のんびり。 昼食はカレーライス、蕪の漬物、タイ屋台風スープ。 午後も読書などで、のどかに過す。夕食の支度。 鰻の櫃まぶし、ふろふき大根に柚子味噌、蕪の漬物、里芋と人参と長葱の味噌汁。

「十蘭レトリカ」(久生十蘭著/河出文庫)より、 「モンテカルロの下着」を読む。 巴里に留学中のお嬢さんの同居二人組が(一人は理系、一人は文系)、 貧乏からの華麗なる脱出を狙って、モンテカルロで振袖姿も勇ましくルウレットの大勝負に挑む、 という短編。 十蘭とルウレットと言えば名品「黒い手帳」だが、 こちらは楽しくも微笑ましい冒険譚。 ちょこっと「ロオ・ド・グラン・ノンブル」(「大数の法則」)や、 数式が出てくるのも御愛嬌、という感じ。 文章がまた可笑しい。 理系お嬢さんがルウレット必勝法を閃いて、 「モンテ・カルロは気の毒ね」 と言い放つところとか、 いよいよ大勝負に挑むその時に文系お嬢さんが理系お嬢さんの手を 「ミシミシと握りしめ」て、 「負けちゃいなサイ」 と励ますところとか。

貧乏話も可笑しい。 朝の七時前に巴里中央市場(レ・アール)に行くと、 二法(フラン)で生きのいい鰯を十六匹と、 他に景品のレモンを一つくれる。 鰯を日本風のぬたや、伊太利(イタリー)風の鰯の塩汁(ミネストラ・ディ・サルディラ) に至るまで千変万化に用いて取っ換え引き換えしていると、 「必ずしも飽くということはない」、そうだ。 かつ、 「レモンのほうは輪切りにして紅茶の上に浮かし、 さんざしゃぶったあとその皮は砂糖壺の中へ押し込んで文旦漬をつくり、 これをゆうゆうとお茶請けにする」。 このように、巴里在住の実直な日本人の間に一時、 ブルタアニュの油鰯が猖獗したことがあった、と言うのだが、 十蘭自身の経験だろうか(十蘭も若い頃、巴里にレンズ工学を学んだ)。 「黒い手帳」とはネガとポジの関係と言えるかも知れない、 「モンテカルロの下着」でした。

2012年1月13日金曜日

邪悪な統計家を統計する

いつもの朝食のあと出勤。 今朝も気温は低いが、風がなく、天気も良いので温かい。 昼食は持参のお弁当。 毎週定例の全体ミーティングのあと、夕方帰宅。 夕食は、白菜と牛肉のタイ風炒めもの、 蕪の漬物、大根と里芋と人参の味噌汁、御飯。 夜は、晩酌をしながら読書など。 蕪を網で焼いて、もろみを添え、酒を冷や(常温)で五勺ほど。

昨日の 「邪悪な統計家の問題」 について。 もし彼が正直な統計家なら何も問題はない。 彼は何故か 3022 回という実験回数をたまたま選んだのだろう。 そして、コインは高い確率で歪んでいる。 しかし、彼が邪悪な統計家で、望む結果になったところで実験を止めたならば、 3022 回の内 1583 回表が出た、という数字には意味がない。 確率論に詳しい方なら、望みの結果が得られるまで 3022 回の実験が必要だった、 という事実から何か評価を導こうとするかも知れないが、 それにはさらに多くの仮定が必要であり、(乱歩の演習問題としては面白いが)有効とは思えない。 そして、困ったことに、私は彼がズルをしたのかどうか知らない。 少なくとも頻度統計の立場からは、この状況から何の結論も導けそうにない。

しかし、ベイズ推定の立場から考えることができる、という主張が "Ted Bunn's Blog" の こちらの記事。 ベイズ推定では、 私がそのコインに対して事前に持っていた信念を表す確率(事前確率)が、 実際の実験結果によって更新される、と考える。 そしてこの場合、実験をした統計家が正直だろうと邪悪であろうと、 「関係ない」。 とにかくデータが増えていけば、私の心の中の主観的な確率である、 コインに対する信念を表す確率は更新されていく。 さらに、適当な仮定の下で、このベイズ推定の結果、 私はこの実験結果からコインの公平さについての信頼を 「高める」だろう (具体的な計算例は、リンク先の Ted Bunn の記事にある)。 通常の仮説検定では 99% の信頼区間で、公平でないと判断する、まさにその同じ実験結果によって、 私は実験前よりもコインはより公平であると(信じられると)、判断する。 これは見かけほど意外ではない。 実験前には私はこのコインの公平さについて確信していたわけではないが、 実験後には、3022 回中で表が 1583 回というかなり半数に近い数字を得たのだから。

もう一つ、面白い主張をしていたのは、 "Probably Overthinking It" blog の こちらの記事。 私はこの状況から、 「統計家が正直か邪悪かを」統計的に推測できる。 論法は以下の通り。 彼が邪悪な統計家であったときにコインが歪んでいるという結果が出る(条件付き)確率はほとんど 1 である。 一方で、彼が正直な統計家であったときにコインが歪んでいるという結果が出る確率は、 コインは公平であるのに(誤って)歪んでいるという結果が出る確率と コインは歪んでいて正しくそれが検出される確率の和である。 これらはコインが公平である確率が与えられれば計算できるが、 実験前における私のコインの公平さへの信念(事前確率)を流用してよいだろう。 よって上の確率は計算可能であり、 二つの条件付き確率の比から、統計家が邪悪かどうか推定できる。 実際、リンク先の記事では、 適当な仮定の下、この統計家が高い確率で邪悪である(!)ことが導かれている。

2012年1月12日木曜日

邪悪な統計家の問題

いつもの朝食のあと、出勤。 昼食は持参のお弁当。 実家でもらった御節用の蒲鉾と焼豚、 大根の漬物、春菊のおひたし。 夕方退社。 スーパーで一個あたり 30 円強の玉葱をまとめ買いすべきか、しばし熟考。 私も、天下国家を考えることだけに集中して、 こういった雑務はすべて秘書に任せたいのは山々なのだが、 そんな贅沢は許されていない。 「生きることなんて、召し使いに任せておけ」と言ったのは、誰だったかなあ。 ヴィリエ・ド・リラダンだっけ、レーモン・ルーセルだったっけ。 夕食は御飯を炊いて、メインは肉じゃが。 他に、春菊のおひたし、蒲鉾、里芋と自家製干し大根の味噌汁。

確率・統計系の blog でちょっと話題になっていた問題。
いま、あるコインが歪んでいないか、検証したい。 そこで、知り合いの統計家に検定を依頼した。 彼が言うには、「このコインを3022 回投げて実験したところ、 半分丁度より 72 回多い 1583 回表が出ました。 公平なコインで偶然にこのような偏りが起こる理論的確率は 1 % 以下と非常に低いですから、 このコインは表側に偏っていると判断します」、 とのこと。教科書通りの典型的な統計的検定である (有意水準 1%、信頼区間 99% の仮説検定)。 その実験の記録も残っていて、数字に間違いはない。 私は、なるほど、と一旦は納得したのだが、後でふと疑惑が浮かんだ。 3022 回という中途半端な実験回数は変ではないか? 普通なら千回など、切りの良い回数にするものだ。 ひょっとしたら彼は、 表裏の割合が望みの有意水準に入るまでコインを投げ続け、 それが達成されたタイミングで 実験を止めたのではないか?

まず注意として、 公平なコインでも投げ続ければいずれどこかで、 1% の有意水準に入る歪みが(確率 1 で)得られる。 したがって、 もしも彼にこのコインを貶める邪悪な意図があれば、 このズルは(ほとんど)確実に可能だ。 その場合、実験結果は(ほとんど)確実に起こることが起こっただけであり、 結果には何の意味もないのではないか。 私は一体、どう考えればいいのだろうか。 疑惑が生じた以上、単に「この実験はナンセンス。」でお仕舞いなのか、 それとも、この問題について何か統計的な判断が可能なのか?

(かなりの難問で、対象はセミプロ以上。 プロであっても明快な説明ができる人、or 統計的推論に明晰な信念を持っている人は稀だろうと思います。 明日、答に関連する blog とその内容をいくつか紹介しますが、 おそらく本当の「答」はないです。)

2012年1月11日水曜日

普通の水曜日

今朝は曇り空。 いただきものの餅を食べ尽して、いつもの洋風の朝食にスイッチ。 適当にお弁当を詰めて出勤。 昼食は持参のお弁当。 塩鮭、蒲鉾、大根の漬物、春菊のおひたし。 夕方退社。 急激に気温が下がってきたようだ。冷たい風が吹き、 夜空には黒々とした雲が流れて行く。

帰宅して夕食の支度。 肉じゃがのつもりだったが予定を変更して、鶏の水炊き鍋にする。 手製のポン酢にて。 後はラーメンにしてみた。 鍋の残りに塩だけで軽く味をつけ、長葱の青いところを沢山切って入れる。 インスタントラーメンを煮て、胡麻油少々で仕上げ。

夜は読書など。 「猫はソファをかじる」(L.J.ブラウン著/羽田詩津子訳/ハヤカワ文庫)、 「サン=テグジュペリ著作集3 『人生に意味を』」(サン=テグジュペリ著/渡辺一民訳/みすず書房) よりモスクワ滞在の記録。

2012年1月10日火曜日

数独の最小の鍵数

今朝は良い天気だ。 最後の蓬餅をチーズを乗せて焼いて、他に珈琲、ヨーグルトの朝食。 昼食は持参のお弁当。 塩鮭、蒲鉾、大根の漬物。 昼休憩に新刊書店で 「十蘭レトリカ」(久生十蘭著/河出文庫)、 古書店で 「猫はソファをかじる」(L.J.ブラウン著/羽田詩津子訳/ハヤカワ文庫) を買った。 カフェで珈琲豆を買うついでに、 一服しつつ「十蘭レトリカ」より僅か 5 ページの瞬編「胃下垂症と鯨」を読んで後、オフィスに戻る。 夕方退社して帰宅。 夕食は牛鍋。 実家からもらった牛肉を土鍋でさっと焼き、 塩少々を振って酒を加え、白菜、長葱と春菊(実家の庭産)を並べて、 醤油少々をかけて蒸し焼き風にする。 最後に適当にかき混ぜてから、並べ直して完成。溶いた生卵につけて食べる。 後は饂飩にした。大根と蕪の漬物。

数独の最小の鍵数(問題図で見えている数字の数)は、 答が一つだけあるという条件の下で 17 だと判明したらしい ("There is no 16-Clue Sudoku" arXiv:1201.0749)。 鍵数 17 の問題は知られていたが、 鍵数 16 で作れるのかどうかは今まで不明だった。そこに、 コンピュータを使った虱潰しで鍵数 16 の問題が存在しないことが分かった、というプレプリント (この内容を投稿できる査読付き論文誌があるのだろうか……)。 虱潰しとは言え、探索する空間があまりに膨大なため、 現実的な時間で計算可能な程度までいかに空間を削るかが肝で、 なかなか難しい問題だったようだ。 とは言え、 「だから何なんだ」と普段から言われがちの数学者ですら、 「だから何なんだ」と言いたくなるタイプの問題と成果ではある。

2012年1月9日月曜日

認知バイアス

ちょっと寝坊。 珈琲、蓬餅にチーズ、果物の朝食。 朝風呂に入ったあと、洗濯などの家事。 昼食にはカルボナーラを作った。 実家から荷物が届いた。 主に食材のあれこれ。しばらく食べるのには困らないなあ。 午後も家事と読書など。 小腹が空いたので、長葱を切って、かけ蕎麦にして食べた。 夕食は、御飯を炊いて、 豚肉と白菜と長葱とえのき茸の塩炒め、黒豆とあれこれの煮物、大根の漬物、豚汁。

G.K.チェスタトンの短編小説に、 自分が神だと信じてしまいそうになる(つまり、発狂しそうになる) 男の話がある。 主人公の「探偵」は、 その男が窓に流れる雨の水玉に熱心に見入っているのを見て、 彼が発狂しそうになっていることを見破る。 男は、どちらの水玉が先に窓の下に辿り着くかを当てる一人ゲームをしていたのである。 自分の選んだ水玉が勝ったときは強く印象に残り、 そうでないときは印象に残らない。 さらには、自分が選ばなかった方の水玉が勝ったときすらも、 そちらの方を自分は選んでいたのだ、と後から思ってしまう。 ついには、自分には水玉の行方を左右する力や予言の力があるのだ、 実際その力がこのように完璧に発揮されているではないか、 と信じ込むようになる。 現代の心理学や行動経済学で言うところの「認知バイアス」だが、 別に新しい概念ではないし、 その様子を極端かつヴィヴィッドに描いた文章も、このように古くから存在している。

2012年1月8日日曜日

カジノの内と外

今朝は良い天気。 珈琲、チーズ蓬餅、ヨーグルト、果物の朝食。 朝風呂に入って、湯船で読書。 昼食は親子丼、春菊のおひたし、大根と麩と浅葱の味噌汁。 午後は少し神保町を散歩してから、某所にて勉強会。 その後、夜は同じメンバで会食。

「競争優位で勝つ統計学」(J.マー著/須川綾子訳/河出書房新社)を読む。 MIT の学生たちがカード・カウンティングと数学を武器にブラックジャックで大儲けをする 「ラスヴェガスをぶっつぶせ!」の主人公のモデル、 ジェフリー・マーによるビジネス本。 マーの偉いところは、確率論や統計学を使って金融市場で儲けようと 「しなかった」ところだと思う。 確率論や統計学は確かに、純粋なギャンブルに対しては強力な武器に、事実上、最終兵器になる。 (多くの場合、結論は「そのギャンブルをしてはいけない」or「胴元になれ」だが。) しかし、一度カジノの外に出ると、その力は一気に弱まる。 20 世紀末あたりには多くの優秀な数学者の卵が、金融市場で一儲けしようとしたものだが、 金利や株価はカードやサイコロやルーレットとはまるで違う。 そこにはルールや枠組みや前提の恣意的かつ頻繁な変更、情報の激しい非対称性など、 少くとも現状の数学で扱い切れない問題が数え切れないほどある。 それなら、純粋なギャンブルの方が安全で確実だ、 ときっぱり判断したところが偉い。

著者は今ではスポーツ賭博の世界でビジネス展開しているようだが、 それも優れた判断だと思う。古典的な統計学や確率論の応用先をカジノの外で探すことになれば、 有力なフィールドの一つはスポーツ賭博だろう。 ちなみにこの本は、そんな著者がビジネスに統計学を使う方法を指南する、 という意味で矛盾であり、 ギャンブル的状況での心構え指南という以上には役立たない。 その矛盾を認識することが、この本を読む価値だろう。

2012年1月7日土曜日

猫と「ツバメ」

チーズをのせた蓬餅を焼いて、朝食にする。 他に珈琲と果物。 朝風呂に入って湯船で 「言語設計者たちが考えること」(F.Biancuzzi & S.Warden 編/村上雅章・佐藤嘉一・伊藤真浩・頃末和義・鈴木幸敏訳/オライリー・ジャパン) を読む。 近所の公立図書館まで散歩。 「競争優位で勝つ統計学」(J.マー著/須川綾子訳/河出書房新社)、 「サン=テグジュペリ著作集3 『人生に意味を』」 (サン=テグジュペリ著/渡辺一民訳/みすず書房) を借りて帰る。

昼食は、豚肉と白菜のタイ風炒めものかけ御飯、タイの屋台風スープ。 香菜は保存用に自分で干しておいたものを使ったのだが、やはり香りは生に及ばない。 食後に蜜柑を一つ。 二時間ほど昼寝ののち、午後は読書の他、 紙で作ったツバメを毛糸に結んで、 クロと血沸き肉踊る「ツバメ」ゲームをしたり。 今日の猫 vs. 人間の戦いは 53 点対 49 点で接戦だった。

夕食はまたピェンロー鍋。鍋のあとは、 少し大根と金時人参と春菊を加えて雑炊にする。黒豆の煮物。

2012年1月6日金曜日

AWK

今朝は曇り空。 いつもの朝食のあと出勤。 昼食は持参のお弁当。昨日と同じ内容。 昼休憩に近所の理工書専門の古書店で、 「言語設計者たちが考えること」(F.Biancuzzi & S.Warden 編/村上雅章・佐藤嘉一・伊藤真浩・頃末和義・鈴木幸敏訳/オライリー・ジャパン) を買う。 夕方退社。近所のバーで、 玉葱のみのキッシュとフリッツでベルギービールを一杯だけ飲んで帰る。

帰宅して、野菜と豚肉を炒め、サッポロ一番に。 お風呂に入って湯船で 「言語設計者たちが考えること」 を読む。 有名なプログラミング言語の設計者たちへのインタビュー集。 やっぱり自分が好きな言語のところから読んでしまう。 私の場合は、Python と AWK。 Python はさておき、AWK が好きと言うと大抵、首をかしげられる。 いいと思うけどなあ。 AWK の章は開発者が三人いるせいか(エイホとワインバーガーとカーニハン)、 他の章に比べて圧倒的に充実していて、 私としては大変楽しめた。 夜は、 「猫は手がかりを読む」(L.J.ブラウン著/羽田詩津子訳/ハヤカワ文庫) を読んだり。

2012年1月5日木曜日

たまの贅沢

今朝は良い天気だ。 猫も仕事始めだろうと思って、 今日はレトルトの柔かいキャットフード。 いつもの二倍くらい機嫌良く食べていた。 これが毎日続くと思われては困るので、 「タマの贅沢だから美味しいのですよ」と、言い聞かせておく。 とは言え、たまのたまにの贅沢に、 鮪の刺身とか、松坂牛の細切れのブイヨン仕立てとか、与えてみようかな……。 しかし、私のような下々の民草に飼われている庶民猫なので、 そもそも食べ物だとは気付かない、あるいは、お腹を壊すのがオチのような気もする。

さて、今年も猫と私の食費を稼ぐために頑張ろう。 と、ちょっと気合を入れて 9 時に出社してみたら、フロアに二番乗りだった。 昼食は持参のお弁当。 黒豆と人参と里芋と高野豆腐の煮物(実家製)、 大根の漬物(実家製)、若芽ちりめんじゃこ(いただきもの)、海苔。 昼休憩に本屋を周るついでに、カフェで珈琲豆を買って一服。 定例の全体ミーティングのあと、夕方退社。

帰宅して、夕食の支度。 知人から送っていただいた白菜でピェンロー鍋。 いい具合に虫食いの入った、巻きのきつい、綺麗な小振りの白菜で、 ピェンローにするのを楽しみにしていた。 あとはもちろん、雑炊。 同じくいただいた蕪で作った酢漬けと。

2012年1月4日水曜日

猫レシピ

今朝は良い天気。 いつもの珈琲と朝食。 少しドキュメントを書いたりしてから、 朝風呂に入る。湯船で 「ラバー・バンド」(R.スタウト著/斎藤数衛訳/ハヤカワ・ミステリ文庫) を読む。読了。 昼食はお好み焼き(豚玉)、チーズ焼き餅、ペールエールを一杯だけ。 お好み焼きのキャベツもお餅もいただきもの。 小一時間ほど昼寝のあと、 午後は今月下旬にある研究会での講演資料作りの下準備を少し。 なかなかやる気にならないので、外堀から埋めている。

御飯を炊いて、筑前煮、牛蒡巻き、大根の漬物、豚汁。 お風呂に入って湯船で 「猫はキッチンで奮闘する」(羽田詩津子著/ハヤカワ文庫) を読む。 「三毛猫ホームズ」ならぬ名探偵「シャム猫ココ」のシリーズ (L.J.ブラウン著)に登場する(人間用)料理のレシピ集。 もっと正確に言えば、アメリカで出版されている「ココ」のレシピ集のレシピで、 シリーズ訳者も料理を作ってみました、というエッセイ集。 最初に、猫は美食家であって、 猫の飼い主たる者は顔を合わせると、 いかにうちの猫が贅沢で我侭かを自慢する、などと書いてある。 著者の猫はスーパーの見切り品の鮪の刺身などにはそっぽを向くそうだ。 著者の友人の猫は松坂牛しか食べない、とか。 信じられない。うちの猫は、どんな安いキャットフードでもぐいぐい食べる。

夜は 「Python チュートリアル」(G. van Rossum著/鴨澤眞夫訳/オライリー・ジャパン) を読んだり。 短くて簡単だけれど、Python 言語の作者 "Guido" が書いただけあって味がある。 そして時々、ものすごく高度なことが書いてある。

2012年1月3日火曜日

漬けたり干したり

曇り空。 目覚しの珈琲のあと、いつもの朝食。 朝風呂に入って湯船で 「ラバー・バンド」(R.スタウト著/斎藤数衛訳/ハヤカワ・ミステリ文庫) の続きを読む。 クロの猫パンチをかわしたり受け止めたりしている内に昼食の時間。 カレーライスとキャベツの酢漬け。食後にロイヤルミルクティ。

午後は水廻りの掃除や、料理などの家事。 野菜を沢山と送っていただいたので、 しばらくは食材に困らない。 それは大変結構なのだが、保存方法が問題。 一部を漬けたり、干したり、保存食化の作業。

夕食は御飯を炊いて、一番だし、二番だしをひき、 鰤の塩焼き、筍の煮物、卵焼き、 大根の漬物。 昼間に蕪を漬けたときの切れ端を春菊とあわせて味噌汁。 夜は筑前煮少々と蓬餅をお供に、 「ラバー・バンド」の残りを読む。

2012年1月2日月曜日

ドードー鳥と帽子屋と三月兎

かなり寝坊。 珈琲で目を覚まして、果物の朝食。 朝風呂に入って湯船で "Dead Famous" (C.O'Connell 著/ Berkley Novel) の最後の章とエピローグを読む。読了。 マロリー・サーガ第 7 作の今回はマロリー自身はほとんど脇役。 逆にいつもは脇役のライカーのロマンスが中心で、 サスペンスの方の筋はどうでもいい感じ。 とは言え、オコンネルいいなあ。何故、 このシリーズの翻訳が第 5 作で止まって久しいのか分からない。 次は第 8 作 "Winter House"。今度は本格ミステリらしい。

昼食は卵の御澄ましを作って、また残りものの海苔巻と稲荷鮨。 午後は NHK FM のジャズ音楽特集を聞き流しながら、 「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士(下)」(S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳/ハヤカワ文庫) を読む。 日の落ちるのを見ながら、ギネスを一杯だけ。 お供は「ミレニアム3(下)」と筑前煮。 夕食は冷製のおかずの残りあれこれと、大根と里芋と人参の味噌汁、御飯。 夜も午後と同じ調子。

"Futility Closet" で知った、ルイス・キャロルの日記に書かれていたというパズル。 「ドードー鳥は帽子屋が嘘をついていると言う。 帽子屋は三月兎が嘘をついていると言う。 三月兎はドードー鳥と帽子屋の両方が嘘をついていると言う。 本当のことを言っているのは誰?」。 簡単なので答はなし。

2012年1月1日日曜日

石蓴

ちょっと遅い朝食。 白味噌の精進味噌汁。大根、金時人参、里芋、丸餅。あぶった石蓴。 「石蓴(アオサ)」は難読漢字だなあ。 もちろん、かな漢字変換がなければ書けもしない。 他に冷製おかずをあれこれ。 「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士(上)」(S.ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳/ハヤカワ文庫) 読了。 昼食は、海苔巻、稲荷鮨、茶碗蒸し。 午後も読書など。 「ラバー・バンド」(R.スタウト著/斎藤数衛訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)。

夕食を作るのが面倒で、昼食の残りの海苔巻と稲荷鮨。 冷たいものばかりだと何だか寂しくなって、送っていただいた餅を一つ焼く。 レンジに鉄網をかけて餅を焼いていると、なんだか一句できそうな、 久保田万太郎的な趣きが。

夜はデジタルアナログ変換に感謝しつつ、 アナログテレビで「相棒」スペシャルを観るかな。