2009年7月25日土曜日

イタリア人 / アートとサイエンス

9 時起床。ああよく寝た。珈琲、トースト、ベーコンエッグの朝食。 今日は久しぶりに良い天気。外に出る予定がないので、けっこうなことだ。 少し体調が良くないので、今日一日は仕事をしないでぶらぶらしていることにする。 洗濯をして、外干しをする。 昼食は、ナポリタン。ちょっと手元が狂って、大量に作ってしまった。 皿の幅よりも盛りの高さの方が長いくらい。 昔、漫画かアニメでイタリア人がこんな感じのナポリタンらしきスパゲティの超大盛りを、 フォークにソフトボールくらいの大きさまで巻きつけて、 「ママのスパゲティは世界一だね!」とか言いながら食べているシーンを観たような気がする。 どこまでリアリティがあるのか分からないが……。 ちなみに、イタリアに留学していた知人によると、 本当に、イタリア人の男性はしょっちゅう電話でママとラブラブな会話をするそうだし、 本当に、横に座った女の子が誰であれその腕を撫で続けるそうだ。

昼食のあとは当然、昼寝。 ほんの半時間くらいのつもりだったが、二時間くらい寝ていた。 夕方になって、昼風呂に入り、湯船で読書。 「文芸的プログラミング」(D.E.Knuth 著/有澤誠訳/アスキー)より、 Turing 賞記念講演「芸術としてのプログラミング」(1974年)を読む。 何度読んでも、何か考えるところのあるエッセイである。 この中で、クヌースは、我々は常にすべてのアートをサイエンスに移しかえる努力をすべきだ、 なぜなら、そのプロセスでアートが進歩するからだ、と言っている。 サイエンスに移しかえろ、と言っているのではなくて、 そうする努力を常にすべきだ、それがアートのためになる、と言っているのだ。 深い。わたしたちは概ね、職人的、芸術的な手法と、 科学的、定量的手法を対立するものとして考えている。 ワインの老舗の作り手が昔ながらの作り方を守っていることを喜び、 科学的な調査と改良を試している、などと聞くと、眉をひそめたりするものだ。

最近は身体に負担をかけないように、 朝食を多めに、そして夕食をあまり食べないようにしている。 若い頃には体調が良いのが当たり前で、それに気付きもしなかった。 しかし今では、 あれ、今日は身体が軽いな、頭がすっきりしているな、という日があるのだ。 逆に言えば、それだけ平均のレベルが下がっているのだろう。 夕食はゴーヤチャンプルーとギネスビール。 食後にマンゴーの小さなケーキと、珈琲。