2009年6月7日日曜日

五十歩百歩

「すべて僕に任せてください」(今野浩/新潮社)を読んで思ったのだが、 もし自分がせいぜい 50 歳までしか生きられない、 と知っていたら、どんなにか充実した人生が送れ、 どんなにか素晴しいことが成し遂げられるだろうか。 しかし一方では、それは、 「もし自分がせいぜい 100 歳までしか生きられないとしたら……」 と、どこが違うのか? 自分で擬似的に、本当の死よりも先に人生を「死ぬ」という手はある。 誰でも思いつく方法だが、あまり有効でないようだ。 自分がせいぜい 50 歳まで生きられない、と知っていた人と、 一体どこがどのように違うのだろうか?

9 時起床。昼食まで書類の整理などの家事。昼食は卵炒飯。 午後は小一時間だけ昼寝……、と思ったら二時間も寝てしまった。 相変わらず、いつでも、いくらでも眠れる。夕餉の支度まで、 ルイス・キャロルこと C.L.ドジソン(ドッドソン)のパンフレット集に目を通し、 どれを取り上げるかを考える。 数学と政治(選挙投票問題が主)それぞれの分野から二三篇ずつ、と注文されているのだが、 数学関連のパンフレットが 400 ページ、政治関連が 250 ページほどある。 キャロルがこんなに沢山の文章を書いていたとは知らなかった。 夕食は「絶望」という名のパスタ、 つまりアーリオオーリオ・ペペロンチーノを作り、およそ二日ぶりにアルコールを摂取。 と言っても、白ワイン一杯だけだけど。 お風呂に入って湯船で、 セネカの「怒りについて 他二篇」(兼利琢也訳/岩波文庫) から「賢者の恒心について」を読む。