2009年6月3日水曜日

アローの定理のあとに

8 時起床。珈琲、オレンジジュース、トーストの朝食。 今日は曇り空だが、少し蒸し暑い感じ。 午前、午後とお仕事。 昼食は近所のタイカレー屋さんにて。 18 時半くらいに退社。 今日もたくさんと学ぶことがあった。ソフトウェア開発って難しいなあ。 そこが面白いのだけれど。 帰宅して、洗濯を洗濯機にまかせながら、夕餉の支度。 長葱とじゃこ山椒と卵の炒飯、ゴーヤの酢醤油おひたし、あっさりめの豚汁。 白ワインを一杯だけ。 食後に珈琲と、バウムクーヘンを 30 度ほど食べながら、 不等式関係の練習問題を解いたり。

選挙問題の難しさは、 「アローの不可能性定理」 (リンク先は Wikipedia) というもので一般的な形に表現されている、と、ある方から教えていただいた。 かなり一般的な条件の下で、どうやってみても公平な社会的選考は存在しない、 というネガティヴな主張の定理である。 厳密な数学的主張は良く分からないのだが、 やはり問題は「公平」とか「民主主義的」という概念をどういうルールだと考えるか、 「公平さ」をある程度曲げざるを得ないとき (「アローの定理」下では常にそうだ、ということになるが)、 そのコストをどう比較するかというところにありそうだ。

例えば、再び公募人事を挙げれば、 一人をのぞく全員がまあこの人でいいんじゃないの、と思っているのに、 一人だけはそれを大変不愉快に思っている、ということは結構ありそうだ。 その一人だけが我慢するのがいいのか、 あるいは全員が少々の不満を感じつつも、特に不愉快な人はいない、という人事がいいのか。 大体、その定義からしても、「強い」意見を持っている人はあまりいない。 これでいいんじゃないの、程度の見解しか持たない人が多勢である。 そういう多勢の人は自分の意見が通らなくても、 そんなには気にならない。 とは言え、本当の本当にどうでもいい、と思っているわけでもないのだ。 また強い意見を持つ人も、自分ではそう思っていなかったりする。 最後まで強硬に意見を述べ続ける人が、 発言の度に、自分は皆の決定に従うだけだ、と前置きすることだってありうる。 これがいわゆる「声の大きい人の意見が通る」?それとも「落とし所」? 「憎まれっこ世にはばかる」?それとも「安全牌」?