2010年6月20日日曜日

トーストのない日

8 時半に起床。今日も蒸し暑い曇り空。 クロに日曜日の贅沢として猫缶を与え、 自分には珈琲、モッツァレラ、林檎のコンポートの朝食。 パンを買い忘れていて、トースト抜き。 買いに出るのが面倒だから、明日の朝もそうだろう。 問題は近所では良いパンが求められないことだ。 いっそ、和食にする手もあるがどうかな。 いや、そのような立原正秋的贅沢は、初老の身には過ぎるだろう、 さらなる老後の楽しみにとっておくべきではないか。 いやいや、五十歳、六十歳まで生きられる保証があるでなし、 生きることを止める土壇場になって、 生きることを始めるのでは時すでに遅し。 嗚呼、「諸君は永久に生きられるかのように生きている」 と二千年も前にセネカが苦言したのは、まさにこの点ではないか。 また、ナルコレプシーに生涯苦しんで一日六食も食べざるを得なかった 阿佐田哲也こと色川武大が、 「まずいものを喰って生きていたくない」 と啖呵を切った心底はここだったかも知れぬ……。

と、パンを買い忘れただけのことで小一時間思索に耽ったあと、 天気は悪いが、やむをえず洗濯。あれこれ雑用のあと朝風呂。 昼食はきのこのマリネの冷やし蕎麦。人参と胡瓜と大根のなます。 最近、酢の消費量が多い。 掃除をしてから、三十分ほどのつもりが二時間近く、昼寝。 目覚しに冷たい珈琲をいれ、ライチの残りを食べながら、 「第一阿房列車」(内田百間著/福武文庫) より「特別阿房列車」を読む。 夕方になって、洗濯物を取り込んでから、夕食の支度。 今日のメインは、肉じゃが。 他には、きのこのマリネ、胡瓜大根人参のなます、キャベツの味噌汁。 お風呂に入ってから、 チーズ(カレ・ド・ロレーヌ)を少しと赤ワインを一杯だけ。 夜は、「人生の短さについて」(セネカ著/茂手木元蔵訳/岩波文庫) を読む。

窓辺のクロ、ぽと吉と紫陽花