2009年5月23日土曜日

ワナビー

二度寝している内に 10 時近くになっていた。 珈琲とクッキーだけの朝食。 午前中は洗濯、掃除などの家事。 昼食は御飯を炊いて酢飯を作り、 昨日京都のワイン屋から届いたお茶漬け鰻とじゃこ山椒を使って、散らし寿司にする。 サン・ヴェランの白ワインを一杯だけ。 今日は酢飯がなかなか美味しく出来たので、京都の美味が生かされた。 食事のあと、少し食休みの昼寝をしてから、 "The Cauchy-Schwarz Master Class" (J.M.Steel/Cambridge) から不等式の練習問題を解いたり、昼風呂に入ったり。 湯船では「ANSI Common Lisp」(P.グラハム著/ 久野雅樹・須賀哲夫訳/ピアソンエデュケーション)を読む。 あちこち scheme と差はあるが、common lisp もまたよし。

こういうことを書くと馬鹿じゃないの、と思われるかも知れないが、 プログラミング関係の勉強とか仕事をしていると、 自分が毎日どんどん成長しているな、と分かって楽しい。 別に自慢しているわけではなくて、素人が何か始め出したらそういうものなのだ。 一方、数学では、成長しているな、と私が感じることはもうない。 そりゃずっとやってることなのだから、 どんどん知識も技術も身についていくし、人脈も増えるし、要領も良くなるし、 そういう意味での進歩はある。だから、より良い仕事はできていく、 かどうかは分からないが少なくともその可能性はある。 それも楽しく、やりがいのあることだし、それが本当にプロになったということなのだが、 それって誰にとって「生産的」なのだろう、とも思う。 何かを始めたときには、 やってることはせいぜいプロなら馬鹿馬鹿しくてやらないような練習程度のことばかりで、 その意味では全く生産的でもなく、社会の役にも立っていない。ただのワナビーだ。 しかし、どんどんと新しい世界が自分の前に開け、 自分が毎日、より賢く、日々、より強くなっていると実感する楽しさがある。 そこに自分にとってだけの、研究や、仕事や、プロジェクトがうまれる。 ほんとうの、研究、仕事、プロジェクトだ。 しかしそれは、社会にとっては大抵何でもない。 これはジレンマだ。このジレンマが解決されれば、大変なことであろうと思う。

夕食も昼間の散らし寿司の残りだが、 和歌山のしらすと京都のじゃこ山椒をあわせて、 いつもよりやや贅沢な貧乏散らし。 大葉と溶き卵の御澄ましと一緒に。