2009年5月10日日曜日

母の日の思想

9 時起床。良く寝たような寝なかったような。珈琲とクロワサンの朝食。 今日も良い天気だ。気温は 28 度くらいまで上がるらしい。 午前中は先週の反省と来週の予定などをたてて、 不等式の練習問題をクローゼットの扉で解いたり。 昼食はナポリタン。今回はどこまで手抜きのレシピでできるかの挑戦。 10 分で作れる、という目標は達成したが、 味はそれなりだった。かなり工夫が必要そうだ。 午後は食休みがてら、寝床で「知りすぎた男」(G.K.チェスタトン著/井伊順彦訳/論創社) から短編を一つ読む。いつの間にか小一時間寝ていた。 その後は、数学を考えるための準備の準備、くらいの作業。 次の秋あたりにある研究会のオーガナイザから、 ありがたいことに講演を依頼していただいたので、 半年くらいかけてぼちぼち準備しようとの試み。 夕方になってスーパーに食材を買いに行く。 夕食は御飯を炊いて酢飯を作り、鯵の叩き丼。三葉の御澄まし。食後に煎茶を一杯。

母の日なので実家に電話して、2 分ほど話す。 私は親族とはかなり疎遠で、両親や妹ですら一年にほぼ一度しか会わないし、 二度、三度くらいしか話もしない。 世の中には、親兄弟とずっと毎日一緒に暮らし続けている人から、 絶縁に近い人まで色々いるわけだが、 表面的な仲の良さや距離感とはまた別に、親との関係は本質的に難しい問題を孕んでいる。 イエスですら故郷では奇跡を起こせなかったように、 または、故郷で母や兄弟が近付いたときに、 「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と退けたように、 究極的には、各人の存在や信じることと、親や親族とは本質的に対立するものだ。 何をしようが母親からすれば、偉そうなこと言ってもあなたは私から生まれてきて、 ちっちゃな猿みたいだったのを私が大きくしてやったのよ、 あなたは自分のものみたいに偉そうにふるまってるけど、 あれもこれも私とお父さんのものじゃないの、と言うに過ぎなくて、 そう言われてぐうの音もでないのも、そういう身も蓋もないことを言ったり、 思ったりしてしまうのも、それが人間というものだ、と言うしかない。 故郷で、ましてや親や兄弟や幼馴染の前で、奇跡を起こせる人はいないのである。 千年に一度現れるかどうか、というくらいの天才でもそうだったのだから、仕方ない。 こういう本質的なところは時々真面目に深く考えた方がいいと思うのだが、 それもまた私の場合は一年に一回くらいだ。

明日の夜は会食の約束がありますので、更新はかなり遅くなります。