今朝も雨。珈琲と果物、ヨーグルトなどで目を覚ましてから朝食の支度。目刺しを鉄網で焼く。他に納豆や、切干し大根と青葱の味噌汁など。手製のサンドウィッチを持って、雨の中を出勤。今朝の雨は温かい。出社して粛々とお仕事。急に事務仕事で忙しくなってきた。何だか気持ちが慌しくて、書き出せば小一時間でできそうなスクリプトに手をつける気がしない。夕方退社。外はやけに温かい。帰宅して夕食の支度。御飯を炊いて、だしを引き、鰤の照り焼き、きゃべつの酢漬け、えのき茸と青葱の味噌汁。
"Edge"というサイトが、毎年、著名な科学者などに質問をする企画があって、昨年は「全ての人の認識方法を改善するだろう科学概念は?」だったのだが、進化生物学者の R.ドーキンスが「二重盲検法」と答えていて、ちょっと感心した(ドーキンスの回答(英文))。二重盲検法とは、実験者と被験者の両方ともが実験対象の性質を知らないままに実験を行う手続きのことである。例えば、ある新薬の効果を人体実験で試すときに、被験者が「こちらが新薬だ」と知っていたら、そう思うだけでその薬が効いてしまったり(「プラセボ効果」)、何かしら結果に影響を与えるかも知れない。また、実験する側も「こちらが新薬だ」と知っていると、そのことが何らかの理由で実験結果や判断に影響を与えてしまうかも知れない。二重盲検法はランダム化などによってこの情報を覆い隠し、両方のバイアスを取り除く。
私は人類の未来に楽観的だが、ドーキンスほどには人間の知性を信じていない。彼の言うように二重盲検法が人々の常識となることによって、「我々はより広く批判的、懐疑的に考える習慣を身につけ、認知的な思考方法が改善されるばかりか、世界を救うだろう」、とまでは流石に思えない。どちらかと言えば、たとえ小学校から全ての人に二重盲検法を教えても、相変わらず人々は占いやおみくじや迷信に夢中で、何かを拝んだり、崇めたりして、自ら不自由に留まり、互いに苛めあい、殺しあっている可能性の方が高いとは思う。それにもかかわらず、ドーキンスの発想は面白いし、おそらく、深い。例えば、日本人の全員が二重盲検法に通じていたら、この一年間はどうだったろう。