また急に気温が下がったせいだろうか、ちょっと寝坊してしまった。 慌てて珈琲、バナナ、ヨーグルトと苺ジャムだけの朝食をとり、 超適当なお弁当を作って出勤。 夕方定時に退社して、近所のカレー屋で夕食をとり、渋谷へ。 夜は Bunkamura にて 「フェルメールからのラブレター展」 を観に行く。
昨日の「眠れる美女の問題」
の解答、と言うより解説。
今日のところは、有力な答の候補として「3 分の 1」と「2 分の 1」の二つの主張を紹介する。
さて、どちらが正しいでしょう。または、正解は別にあるのでしょうか。
ではまず、「3 分の 1」説から。 一言で言えば、眠れる美女が目覚めて質問を受けた時点で、 「表が出て、今日は月曜日」、「裏が出て、今日は月曜日」、「裏が出て、今日は火曜日」 の三つの可能性があり、これらは彼女にとって「同様に確からしい」からである。 もしコイン投げの結果が裏ならば、 彼女は月曜の質問のあとにその記憶を完全に失うので、 月曜の目覚めと火曜の目覚めは全く同じであり、確率も等しい。 また、月曜日の目覚めの時点において、 昨夜のコイン投げで表と裏が出た確率が等しい、ということも正しいだろう。 実際、眠れる美女が月曜に目覚めた時点で、私が「今は月曜日の朝です」 と教えてから質問をしたと想像してみればよい。 以上の二つを認めれば、単純な算数で、上の三つの可能性の確率は等しい。 よって、確率は 3 分の 1 でなければならない。
一方の「2 分の 1」説。 美女が日曜日に眠りについた時点では、 彼女はコイン投げの結果について表が出る見込みは 2 分の 1 と判断するはずだ (コインは公平であるという事実に基いて)。 そして、今、眠りから目覚めた時点において、 彼女は日曜日の夜より何ら新たな情報を持っていない。 月曜の朝なら昨夜から寝ていただけだから何も知らないし、 火曜の朝なら昨日の記憶は失っているのでやはり何も知らない。 したがって、表が出た見込みは彼女にとって 2 分の 1 のままでなければならない。 上の「3 分の 1」説の誤ちは、 今日が月曜日であるときに表と裏が出た確率を同じとしたところにあり、 実際は、表の確率は 2/3 である。 なぜ、1/2 より多いかと言えば、 「今日は月曜日」という情報を得た分である……
しかし、「3 分の 1」説からすれば、 美女が日曜日の眠りにつく時点で、いや実験の内容を承知した時点ですら、 「3 分の 1」と(未来の自分は)判断するべきだ、ということになり、 「2 分の 1」説の論拠自体が既におかしい。 実際、この実験を何回も、例えば千回繰り返してみたらどうか。 千回のうち 500 回ずつ表と裏が出る、と単純化してよいだろう。 裏が出た 500 回では美女は月曜と火曜の両方で質問を受けるので、 最初に挙げた三つの可能性が 500 回ずつ合計で 1500 回起こることになり、 そのうち、表が出たのは 500 回である。 貴女が毎回賭けをするならば、表が出る確率は 1/3 と判断するべきではないのか……
もう一日、悩んでいただくために、 さらに実験を極端にして、「すごく眠れる美女の問題」を考えてみよう。 この実験の条件は上とほぼ同じだが唯一の違いとして、 コイン投げで裏が出た場合に月曜と火曜の二日だけではなくて、 百万日の間、実験が続けられる (眠れる美女は睡眠と忘却のおかげで歳をとらない)。 美女は毎回、質問のあとに薬を飲んでその日のことを忘れるので、 目が覚めた時点では常にそれが何日目なのか、 はたまた、表が出て、ただ一回だけの月曜日なのか、分からない。 この場合、「3 分の 1」説ならば、表が出た確率は 100 万分の 1 以下になる。 これは何だかおかしい。 一方で「2 分の 1」説ならば、 今日が月曜日だと知ったときには、表が出た確率は裏より 100 万倍ほど高いと判断しなければならない。 これも何だかおかしい。 さらなる解説は明日に続く。